第126話 言うことを間違えたというか……
翌朝。
昨日一日中外を歩き回っていたせいか、静かな室内がかえって少し不思議に感じられた。
時間が経ち、昼が近づいたころ、綾乃さんが時計を見た。
「私はそろそろ出ないと。」
「お父さんとお昼の約束でしたよね?」
「はい。」
綾乃さんが席を立った。
「午後にはまた戻ってきます。」
「いってらっしゃい。」
「はい。」
ドアが閉まると、急に中が少し静かになったように感じた。
もともとは美咲さんと二人で資料を見る時間のほうがずっと長かったのに、最近は綾乃さんも含めて三人でいることに慣れたらしい。
もう少し仕事をしてから、美咲さんが言った。
「お昼はどうします?」
「デリバリーにしますか?」
「いいですね。」
僕はデリバリーできる店を見ていて、一軒の店で目を止めた。
「チャジャンミョン、食べてみます?」
「ジャージャー麺ですか?」
「日本で食べるジャージャー麺とは少し違います。これは韓国式の中華料理です。」
「どう違うんですか?」
「食べてみればわかります。」
美咲さんが笑った。
「そう言われると、もっと気になるじゃないですか。」
僕はチャジャンミョンを二つと、小さめのタンスユクを一つ注文した。
料理を待つあいだ、美咲さんがメニューを見ながら尋ねた。
「ところで、韓国式の中華料理って何ですか?」
「韓国で少しずつ変わっていったんです。だから韓国式の中華料理って呼ぶのが合ってる気がします。実際、ものによってはほとんど別の新しい料理と言ってもいいくらいです。」
「元の料理と、そんなに変わるんですか?」
「別の国に行けば、そこの人たちの好みに合わせて変わることもありますからね。」
そこで、ふと思い出した。
「韓国では、長崎ちゃんぽんって名前で売ってる料理もあります。でも、日本人が自分の知ってる長崎ちゃんぽんを想像して食べたら、あまりにも味が違って驚いたっていう感想を見たことがあります。」
「え?」
「辛すぎて驚いたそうです。韓国では、チャンポンっていうと辛い料理を思い浮かべることが多いんですよ。だから長崎ちゃんぽんも、韓国では辛い料理になったんです。」
「そうなんですね。」
「名前は同じでも、違う料理になったわけです。」
「面白いですね。」
「僕は辛いものが苦手なので、そういう料理はあまり食べませんでしたけど。」
「辛いもの、苦手なんですか?」
「はい。何人かで食べに行って、辛いメニューばかりだと何を食べるか困ることもありました。」
「じゃあ、日本では少し楽ですね。」
「今まで食べたものは、だいたい僕の口に合いました。」
「日本の料理が合うほうなんですね。」
「そうみたいです。」
しばらくして料理が届いた。
僕たちは料理を持って二階へ上がった。
チャジャンミョンには、濃い色のソースが別に入っていた。
僕はソースを麺の上にかけて混ぜた。
美咲さんも僕を見て、そのまま真似をした。
麺全体が濃い色に変わると、美咲さんが言った。
「本当に黒いですね。」
「食べてみてください。」
美咲さんが一口食べた。
しばらく噛んでから僕を見た。
「ちょっと独特な味ですね。少し甘い感じもしますけど、おいしいです。」
僕も一口食べた。
「最近韓国で食べるチャジャンミョンは、僕が子供のころ食べていた味と少し違う店も多いんです。でも、これはむしろ昔食べていた味に近いですね。」
「昔食べていた味ですか?」
「はい。僕が子供のころ食べていた韓国式のチャジャンミョンの味に近いです。」
僕はもう一口食べた。
おかげで、昔のことを思い出しながら食べられた。
タンスユクも真ん中に置いて、一緒に食べた。
美咲さんはチャジャンミョンをもう何口か食べてから、うなずいた。
「これ、おいしいです。」
「口に合います?」
「はい。思ってたより食べやすいですし。」
昼食を食べて片づけたあと、僕たちは一階の作業スペースへ戻った。
しばらく資料を見てから、前日に北条で撮った写真も確認した。
美咲さんが画面を送った。
最初に、僕と美咲さんが写った写真が出てきた。
「これはよく撮れてますね。」
「そうですね。」
次は僕と綾乃さんが一緒に写った写真だった。
後ろには海と北条の景色が見えた。
美咲さんが言った。
「これもよく撮れてます。」
「背景がいいですね。」
「写真で見ると、海がもっと広く見える気がします。」
次の写真には、美咲さんと綾乃さんが一緒に立っていた。
そのあとには、三人で一緒に撮った写真もあった。
「写真、撮っておいてよかったですね。」
「そうですね。」
そのときドアが開いて、綾乃さんが入ってきた。
「おかえりなさい。」
美咲さんが言った。
「ちょうど昨日の写真を見てたんです。」
「あ……。」
綾乃さんの返事は、いつもより少し遅かった。
僕は彼女を見た。
綾乃さんは席に座らず、しばらくそのまま立っていた。
美咲さんも何か違うと感じたのか、尋ねた。
「どうしたんですか? お父さんと何かあったんですか?」
「いいえ。」
「何かあったんですか?」
もう一度尋ねると、ようやく口を開いた。
「最初は、普通だったんです。」
「最初は?」
綾乃さんが少しためらった。
「最近どうしてるかって話とか、昨日食べたものの話とか、研究の話をしてたんですけど……。」
少しして、彼女が言った。
「私……ちょっと、言うことを間違えたというか……。」
「何て言ったんですか?」
綾乃さんはすぐには答えなかった。
少しためらっていた彼女の視線が、僕のほうへ向いた。




