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第116話 書類上の夫婦

「美咲さんも一緒に確認しますか?」


「ちょうど仕事も終わったので、一緒に行きます。」


僕たちは一緒に作業室へ向かった。


テーブルの上には、小さな手帳の紙片と二つ目のノートが置かれていた。


僕はまず手帳の紙片を確認した。


車両が到着した。

物資を受け取った。

数量を確認した。

車両に積んで送り出した。


似たような記録がいくつか続いていた。


綾乃さんが二つ目のノートを開いた。


「ここからはノートの記録です。」


僕は続きを読んだ。


別の部署で、帳簿の数量と実際の物資が合わなかったと聞いた。

なくなった物資が部隊の外の闇市に出回っているという噂もあった。


「闇市か……。」


僕はその文をもう一度見た。


「戦争当時の釜山にも、軍から流れた物資を売る闇市があったと聞いたことがあります。」


僕は以前、資料検索に使ったノートパソコンを開いた。


綾乃さんが外部サイトへ接続できるように設定してくれた。


関連資料を探して画面に表示した。


「当時の釜山では、実際にこういうことがあったみたいですね。」


それを見た美咲さんが言った。


「終戦直後の日本にあった闇市とも似ていますね。」


「日本もですか?」


「はい。前にドキュメンタリーの仕事で少し調べたことがあります。」


美咲さんがノートパソコンを指した。


「私が検索してもいいですか?」


「はい。」


今度は美咲さんがいくつか言葉を入力した。


すぐに古い白黒写真と資料が画面に出てきた。


「ここです。尾道駅前の海岸。」


僕は画面をのぞき込んだ。


海側に木造の建物が長く並んでいた。


「戦争が終わった直後、このあたりに非合法の闇市ができて、そのあと正式な市場になったんです。こちらが国際マーケットで、その隣が荷揚場マーケットです。」


「国際マーケットですか?」


「はい。国際マーケットは1946年の秋、荷揚場マーケットはその翌年の夏に正式に開いたそうです。」


「今の尾道しか知らないと、なかなか想像できない景色ですね。」


「今も残っているんですか?」


「市場の建物はなくなっています。資料では、1965年、昭和40年に姿を消したとありますね。」


美咲さんが現在の写真を探して表示した。


「今は尾道駅前も海岸側も、まったく違う景色ですよね。しまなみ海道を自転車で走りに来る人も多いですし。」


「同じ場所とは思いにくいですね。」


「そうでしょう。」


美咲さんがまた検索した。


「広島駅前も似ていました。」


今度は戦後の広島駅前の写真が画面に出た。


「ここにも終戦直後、大きな闇市ができました。あとには愛友市場のような市場へつながっていったんです。」


「愛友市場ですか?」


「はい。市場そのものは再開発でなくなりましたけど、今はEKICITY HIROSHIMAの中に『愛友ウォーク』という名前が残っています。」


「市場がなくなっても、名前は残ったんですね。」


「はい。」


横で画面を見ていた綾乃さんが言った。


「高松にもあったみたいですね。そちらのリンクを見てください。」


美咲さんがクリックすると、新しい内容が出てきた。


「高松駅前と片原町駅周辺、瓦町駅前にも、戦後に闇市があった記録がありますね。」


写真を見ていくと、現在の様子が出た。


「今は商店街ですね。ことでんが通っているところです。」


もう少し調べていると、松山の記録も見つかった。


「松山は少し違いますね。」


「どう違うんですか?」


「戦争が終わったあと、水産物をひそかに売買することが多くて、取り締まりが行われたという記録があります。水産物の統制も1950年まで続いていたそうです。」


美咲さんが現在の写真を探して見せた。


古い建物が残る港町が映っていた。


「今はこういう古い町並みを見に来る人も多いですし、三津の渡しもまだ残っています。」


「渡し船ですか?」


「はい。それに三津浜焼きも有名です。」


「三津浜焼き?」


「はい。三津浜で昔から食べられてきた料理です。大正時代の一銭洋食がルーツだそうです。」


美咲さんが写真をもう一枚表示した。


「港町らしく魚粉やちくわを入れて、あらかじめ味をつけたそばやうどんも重ねて焼くそうです。最後に半分に折って出すのも特徴みたいですね。」


「お好み焼きに似ていますね。」


「はい。今も三津浜には専門店がけっこうあるそうです。」


「次はそれも食べてみますか?」


綾乃さんが何気なく言った。


僕は少し考えた。


今度もヘリコプターが来たりしないよな。


気づけば綾乃さんを見ていた。


視線に気づいたのか、綾乃さんが言った。


「今度行くことがあったら、食べてみましょう。」


「はい。そうしましょう。」


「そうですね。」


美咲さんがノートパソコンを閉じた。


僕はもう一度、祖父のノートを見た。


「次の記録を見ますね。」


僕たちは続きを確認した。


「あれ?」


綾乃さんが先に反応した。


「検閲が始まってますね。」


僕はノートを読んだ。


検閲が始まった。

帳簿と実際の物資をもう一度確認した。

検閲官たちは数量を数え直し、入出庫の記録も確認した。

何度も質問を受けた。


だが、検閲官のうち一人だけが、妙に私のところだけを長く調べた。

最初の一、二度は気にしなかった。

だが、同じ質問が何度も続いた。

わざと私にだけそうしているように思えた。


僕は次の部分を読んだ。


外で何度か一緒に食事をした同僚が、私だけを呼んだ。


自分が話したことは、ほかの人には言わないでほしいと言った。

その検閲官は、もともと私が任されている役目に自分の親戚を就かせようとしていたと聞いたと言った。

私が来たことでそうできなくなり、それで私をよく思っていないようだと言った。

気をつけるようにも言った。

ほかの人なら言わなかったが、私には知らせておいたほうがいいと思ったと言った。


私は後ろめたいことはなかった。

だから、それほど心配しなかった。


そのあとも、検閲についての記録は何度か続いた。


一、二度確認して終わる検閲ではなかったようだった。


帳簿をもう一度確認した。

物資をもう一度数えた。

Jレーションももう一度確認した。

何度も難癖をつけられた。


だが、特に問題は出なかった。


綾乃さんが言った。


「佐伯さんの記録に、前にも補給物資の数量を何度も確認したってありましたよね?」


「はい。」


「そのとき、きちんと確認していたのが役に立ったんでしょうね。」


「そうですね。」


僕はまたノートを見た。


しばらくして検閲が終わった。

特に問題は出なかった。

また通常の業務に戻った。


そして少しあとに、新しい記録が出てきた。


巨済捕虜収容所へ短期の応援に行くことになった。

補給管理の能力が高いという理由だった。


僕はそのまま次の記録を読んだ。


前に検閲官の話を教えてくれた同僚が、また訪ねてきた。


巨済へ応援に行くと聞いたと言った。

誰が私を推薦したのか知っているかと聞かれた。

知らないと答えた。


今回の検閲でずっと私に難癖をつけていたその人が、私を推薦したと言った。

補給管理の能力が高いと、直接推薦したそうだ。


「うーん。これは……。」


僕が言葉を濁すと、綾乃さんが言った。


「何か変ですよね?」


「はい。」


僕は綾乃さんを見た。


「綾乃さんはどう思います?」


「私も少し変に見えますね。」


ずっと難癖をつけていた人間が、突然、祖父の能力が優秀だと言って巨済行きを推薦した。


どう見ても、何か裏があるように思えた。


僕は次のページへ進んだ。


巨済へ出発する前、朴相吉氏の娘が訪ねてきた。


その文を読むと、僕たち三人の動きが一瞬止まった。


美咲さんが先に言った。


「またおかずを持ってきたんでしょうか?」


「続きを見てみましょう。」


僕は次の記録を読んだ。


朴相吉氏の娘が言った。

巨済は危険だという噂を聞いたと言った。

捕虜収容所のほうは状況がよくないという話が出ていると言った。


父に話してみると言った。

そうすれば、今からでも行かなくて済むようにできるかもしれないと言った。


私はその必要はないと言った。

だが、朴相吉氏の娘は自分が話してみると言った。

もう一度、必要ないと言った。

彼女は、それでも父に一度話してみると言った。


私はしばらく彼女を見た。


これまでいろいろ気にかけてくれたことには感謝しているが、私たちはもともと書類上の夫婦だったと言った。


そう言って席を立った。


後ろで、彼女が泣きそうな声を漏らすのが聞こえた。

そんな声を聞いたのは初めてだった。


少し申し訳なく思った。


けれど、振り返らなかった。

今回の第116話で、第4部「紙の上の妻」は終了です。

次回から第5部に入ります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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