第115話 もう注文してあります
翌日も、僕たちは研究所に来て、それぞれ仕事をしていた。
昼食の時間が近づいたころ、美咲さんが言った。
「今日は何を食べましょうか?」
いつの間にか、美咲さんは昼食のメニューを選ぶこと自体を楽しんでいるようだった。
そのとき、綾乃さんが二階から下りてきて言った。
「もう注文してあります。」
「何を頼んだんですか?」
「とんくりまぶしです。」
「……とんくりまぶし?」
「え? あれですか?」
僕は昨日の話を思い出した。
愛媛県大洲で食べられる料理だった。
そして昨日、僕がスマートフォンで確認したかぎりでは、ここからかなり離れた場所だった。
「朝、電話して予約しました。お昼に食べられるように用意してもらっています。」
そのときだった。
軍を除隊してからは、めったに聞くことのなかった音が耳に入った。
バタバタバタ。
これ、ヘリコプターの音じゃないか?
その音がだんだん近づいてきた。
僕は窓のほうを見た。
「これ、何の音ですか?」
美咲さんも音に気づいて耳を澄ませた。
僕は綾乃さんに尋ねた。
「この近くにヘリポートがあるんですか?」
「ここにあります。」
僕は綾乃さんを見た。
「……ここに?」
「はい。屋上に。」
ほどなくして、音が止まった。
しばらくして、ドアをノックする音がした。
運転手さんが大きな保温ボックスを持って入ってきた。
「お嬢様、お届け物です。」
「ありがとうございます。」
綾乃さんが箱を受け取った。
運転手さんが出ていったあと、綾乃さんが蓋を開けた。
中の料理は、動かないようにそれぞれ包装されていた。
ご飯ととんくりまぶしの入った容器のほかに、だしと薬味も別に入っていた。
「あの、もしかして……。」
僕は慎重に綾乃さんに声をかけた。
綾乃さんが僕を見た。
「さっきのヘリの音、これのためですか?」
「はい。大洲からヘリで運んでもらいました。」
僕はしばらく綾乃さんを見た。
美咲さんがもう一度尋ねた。
「……ヘリで?」
「はい。」
綾乃さんの表情はいつもと変わらなかった。
「研究所にヘリもあるんですか?」
「そういうわけではありません。父が普段、仕事で使っているヘリです。特別にお願いして借りました。」
「お父さまが仕事で使っているヘリを?」
「はい。」
そして、言葉を付け加えた。
「もともと午前中に別の仕事で少し使う予定だったんですが、私がお願いして、そちらの予定を午後にずらしてもらいました。そのとき、今度一緒に食事でもしようと言われました。」
「お父さまと食事ですか?」
「はい。最近ずっと私が忙しくて、一緒にまともに食事もできていなかったので。」
綾乃さんは、それ以上話さなかった。
僕もそれ以上は聞かなかった。
代わりに、目の前の料理をもう一度見た。
綾乃さんが容器の蓋を開けた。
ご飯の上には艶のある豚肉がのっていて、そのあいだに大きな栗が見えた。
横には、あとでかけて食べるだしと薬味も別に置かれていた。
料理はまだ温かかった。
「これを食べたことのある料理専門家、美咲さん。説明お願いします。」
僕が言うと、美咲さんが一度僕を見てから笑った。
「料理専門家じゃないですけど。」
そう言って、僕の前の器を指した。
「最初は何も入れずに、そのまま食べてみてください。ある程度食べたら、だしをかけて食べればいいです。薬味はお好みで。」
「わかりました。」
僕は箸を持った。
豚肉と栗か。
昨日話を聞いたときも、少し珍しい組み合わせだと思っていた。
一口食べてみた。
甘めに味のついた豚肉のあいだから、栗のやさしい甘みが感じられた。
ご飯と一緒に食べると、思ったより自然だった。
「これ、おいしいですね。」
美咲さんが笑った。
「でしょう?」
「豚肉と栗って、思ったより合いますね。」
「私も初めて食べたとき、そう思いました。」
綾乃さんも食べてみた。
「私も好きです。昨日聞いたときはどんな味なのかあまり想像できませんでしたけど、いいですね。」
僕たちはしばらくそのまま食べた。
ある程度食べたところで、美咲さんが言った。
「そろそろ、だしをかけてみてください。」
僕と綾乃さんは、温かいだしをかけた。
僕はスプーンで、ご飯と豚肉、栗を一緒にすくって食べた。
「あ、これはかなり感じが変わりますね。」
だしが入ると、最初よりずっとさらっと食べられた。
「こっちもおいしいですね。」
「私はどっちも好きです。」
美咲さんが言った。
綾乃さんもうなずいた。
食事がほとんど終わるころ、僕は言った。
「本当においしかったです。おかげで食べられました。」
「でしょう。食べたいと思ったときに食べたほうがいいんです。」
「そうですね。」
「次は大洲に行って、また食べましょう。」
「はい。そうしましょう。」
ふと思い出したことがあった。
「でも、僕たちだけ食べるのも悪いですけど、運転手さんはお昼どうしてるんですか?」
「運転手さんの分も別に頼みました。さっき持っていきましたよ。」
「あ、そうなんですね。」
僕は食べ終わった空の容器を捨てようとまとめ、外へ出た。
ちょうど廊下で空の容器を片づけていた運転手さんと出会った。
「ありがとうございます。おかげでおいしくいただきました。」
「とんでもございません、佐伯さん。」
僕は一瞬、足を止めた。
「あ、はい。でも……」
そのとき突然、運転手さんのスマートフォンが鳴った。
彼は僕に一言断ってから、すぐ電話に出た。
「はい。はい。すぐ車を移動いたします。」
電話を切った運転手さんは、僕に頭を下げた。
「申し訳ありません。先に下へ参ります。」
彼は急いで階段のほうへ向かった。
僕は遠ざかっていく運転手さんの背中を見た。
「どうかしました?」
いつの間にか、綾乃さんが外へ出てきていた。
「運転手さん、僕のことを佐伯さんだと思ってるみたいです。」
「え? どうしてですか?」
綾乃さんが少し考えた。
「あ。前に車の中で、運転手さんに佐伯さんは誰かと聞かれて、ハルさんのお祖父さまだと説明したんです。それで、ハルさんの名字も佐伯だと思ったみたいですね。」
「あ……そうなんですね。」
「私があとで話しておきます。」
「はい。わかりました。」
「では、そろそろ手帳とノートを確認しましょうか?」
「はい。」
また祖父の記録を確認する時間だった。




