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第112話 Jレーション

次の記録を確認した。


釜山に到着した。


僕はその文をしばらく見た。


「そういえば、佐伯さんはもともと釜山に住んでいたんですよね?」


「はい。」


「軍人になって、また戻ってきたということですね。」


「そうですね。」


釜山に着いたあとも、祖父が担当したのは補給業務だった。


「前より規模が大きくなったみたいですね。」


「はい。記録の量からして違いますね。」


僕は次のページをめくった。


日本から入ってきた補給物資を受け取った。


そのあとにも似た内容があった。


数量を確認した。


車両に積んで送り出した。


だんだん処理しなければならない物資が増えていった。


Kレーションが入ってきた。


Jレーションも入ってくるようになった。


いつからかJレーションがほとんどになった。


綾乃さんが記録を見ながら尋ねた。


「ここにあるKレーションって何ですか?」


「軍人が食べる戦闘糧食です。携帯して食べられるようにした食料で、缶詰みたいなものも入っています。」


綾乃さんが二つの名前を交互に見た。


「では、日本から入ってきたのがJレーションで、韓国で作ったのがKレーションなんですか?」


「違います。」


「違うんですか?」


「Kレーションは、朝鮮戦争より前からあった米軍の戦闘糧食です。」


「じゃあ、Jレーションは?」


「聞いたことはある気がするんですけど、もう少し詳しく調べてみます。」


僕は横のノートパソコンで検索した。


「韓国軍向けに別に作られた、十二人分を一単位にした作戦用食糧ですね。日本で開発されて、生産されたみたいです。」


「じゃあ、JはJapanのJなんですか?」


「そうなんじゃないですか? 日本で作ったわけですし。」


もう少し資料を探した。


「従来の米軍式の食料が韓国軍の食習慣にあまり合わなかったので、韓国軍向けの食料を別に作ったと書いてあります。」


「それで日本で作ったんでしょうか?」


「そうだったのかもしれませんね。韓国も日本も米を主食にしますから。韓国軍の口に合うものを作りやすかったでしょうし。」


検索結果をさらに見ていると、見覚えのある名前が目に入った。


「韓国軍の給食に関して、白善燁(ペク・ソニョプ)将軍の話もありますね。」


「白善燁ですか?」


僕は以前、美咲さんと多富洞の戦いを調べたときに見た白善燁将軍について簡単に説明した。


当時の第一師団長で、多富洞の戦いを勝利に導いた人物だった。


「韓国側の回顧資料によると、マッカーサー将軍が部隊を訪れたとき、白善燁将軍が戦況を説明したそうです。その説明を聞いていたマッカーサー将軍が、韓国軍の給食事情はどうなのかと尋ねたそうです。」


「兵士たちの食事ですか?」


「はい。白善燁将軍は、米は大丈夫だけど、野菜や砂糖、甘いものなどが足りないと、率直に答えたそうです。」


「最高司令官にですか?」


「はい。」


「普通そういうのって、何か足りないものはないかって、儀礼的に聞くものじゃないんですか? 会社で会長が聞くみたいな。」


綾乃さんの言葉に、僕は笑った。


マッカーサー将軍も、まさかその場で「はい。足りません」と答えられるとは思っていなかったのかもしれない。


「実際、そういう反応もあったみたいです。」


僕は関連する内容を日本語にして、綾乃さんに見せた。


説明が終わったあと、第一師団の米軍軍事顧問が不満を口にしたという。


マッカーサー最高司令官に、給食のような細かい問題まで話す必要があったのか、というようなものだった。


「そうだったんですね。」


けれど、そのあと日本から韓国軍へ補給する食料が大量に入ってくるようになったという内容もあった。


僕はさっき調べたJレーションの資料をもう一度見た。


もしかすると、白善燁将軍の話がJレーションを本格的に供給するきっかけになったのかもしれなかった。


綾乃さんが少し考えてから言った。


「白善燁将軍って、どんな人なんですか? さっきのお話では、満洲国の軍人だったんですよね?」


「はい。満洲国の軍官学校で教育を受けて、満洲国軍の将校として勤務していた人です。だから、そこで軍を動かすうえで補給がどれだけ重要なのかも学んでいたでしょうね。」


「ある意味、すごいですね。そんなことを言うのも簡単ではなかったでしょうし。」


「白善燁将軍の立場なら、マッカーサーの前で武器や弾薬ではなく、兵士が食べるものの問題を話すのは体面が悪いと考えることもできたと思います。問題ありません、と言って済ませることもできたでしょうし。」


けれど、白善燁将軍はそうしなかった。


「白善燁将軍は、自分の体面よりも、韓国軍の兵士たちがきちんと食べることのほうを大事に考えていたように思います。」


綾乃さんが小さくうなずいた。


「そうですね。」


僕はもう一度、祖父の記録を確認した。


Jレーションが続けて入ってきた。それも非常に多かった。


次の記録は、さらに短かった。


確認して、また確認した。


少しも休めなかった。


僕はその文をもう一度見た。


「もしかすると、それで祖父の仕事もかなり増えたのかもしれませんね。」


「佐伯さんも、仕事が増えて少し苛立っていたみたいです。それにしても、日本からこんなにたくさん補給物資が入ってきていたんですね?」


「はい。朝鮮戦争のとき、日本は米軍や国連軍の後方補給基地の役割をしていましたから。」


「そうなんですね。」


「でも、祖父が実際にその物資を担当していたとは考えたことがありませんでした。」


知っていた歴史と祖父の記録が、急につながったような気がした。


僕は祖父のノートをもう一度見た。


日本から来る大量の物資を確認するのに追われているという記録が続いていた。


「朝鮮戦争によって、当時の日本では戦後復興が急速に進んだと聞いたことがあります。」


同じ戦争が、日本ではまったく違う方向へ歴史を動かしていた。


もしかすると朝鮮戦争は、祖父だけではなく、日本の運命も変えていたのかもしれなかった。


◆◆◆


朝鮮戦争と日本――「動乱ブーム」と「朝鮮特需」


1950年6月25日、朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発した。


防衛省防衛研究所は、朝鮮戦争当時の日本列島が国連軍にとって重要な後方基地となり、同時に、いわゆる「朝鮮特需」が日本の産業再生のきっかけとなったと説明している。防衛研究所では、朝鮮戦争当時の日本の港湾、海上輸送、後方支援などを扱った研究資料も公開されている。


出典:防衛省防衛研究所 戦史研究センター『ブリーフィング・メモ』2018年2月号「朝鮮戦争時の機雷戦で日本が受けた影響」


1952年、経済安定本部の『昭和27年 年次経済報告』は、朝鮮戦争勃発後の日本経済の変化を直接取り上げている。


同報告によれば、朝鮮戦争が始まった後、特需と輸出が増加したことで滞貨が一掃され、生産が上昇した。関連産業の企業収益が増加し、投資活動も活発になることで、景気は全般的な好況へと広がっていった。


報告は当時の景気を「動乱ブーム」と表現し、朝鮮戦争の勃発によって日本経済の「様相は一変した」と記している。


出典:経済安定本部『昭和27年 年次経済報告』(1952年)


1953年、経済審議庁の『昭和28年 年次経済報告』には、「動乱ブームの総決算」という項目まで設けられている。


同報告では、一般にいう特需を、朝鮮における国連軍の作戦に伴って発生した物資およびサービスの需要として説明している。


1952年の一年間における、この狭い意味での特需は約2億6,000万ドルであった。


防衛分担金のドル支払分、連合軍将兵とその家族による日本国内での消費、沖縄建設などまで含めた広義の特需は、同年約7億9,000万ドルに達した。


1950年から1952年までの三年間における広義の特需は合計15億7,000万ドルであり、同期間の日本のドル貿易赤字11億6,000万ドルを埋めてもなお余る規模であったと、報告は記している。


1952年の2億6,000万ドルを、米国の消費者物価指数を基準に2026年7月の購買力へ単純換算すると、約32億8,000万ドルとなる。


2026年8月20日の為替レートで換算すると、約5,200億円に相当する。


1952年の広義の特需7億9,000万ドルを同じ方法で換算すると、約99億5,000万ドル、約1兆5,800億円となる。


1950年から1952年までの15億7,000万ドルは、便宜上1952年の購買力を基準に換算すると、約198億ドル、約3兆1,400億円に相当する。


『昭和28年 年次経済報告』は、日本経済が米軍・国連軍関係の消費を含む広義の特需に相当部分依存していたと分析している。


1952年には、特需などを含む軍関係消費が約8億ドルに達し、同年の日本の外貨準備増加における主要因の一つであったと記録されている。


出典:経済審議庁『昭和28年 年次経済報告』(1953年)


1954年、経済審議庁の『昭和29年 年次経済報告―地固めの時―』は、特需が日本経済に及ぼした影響を、より具体的に分析している。


同報告は、朝鮮戦争後に日本の生産および消費水準が大きく上昇した背景には、特需が需要と供給の両面から作用した影響が大きく、その作用がなければ上昇幅がこれほど顕著になることはなかったと評価している。


また、朝鮮戦争以降に日本が得た特需による特別外貨収入は、累計で約24億ドルに達したと記録している。


この特別外貨収入があったため、輸入規模が拡大し続ける状況でも、1952年まで国際収支の黒字を維持できたとの分析も示されている。


累計24億ドルを、便宜上1954年のドル購買力を基準に2026年7月の価値へ単純換算すると、約298億ドルとなる。


2026年8月20日の為替レートでは、約4兆7,300億円に相当する。


同報告は、戦後の日本経済が「朝鮮動乱の好況に恵まれて」、鉱工業生産を戦前の5割増という段階まで引き上げることができたと記している。


また、朝鮮戦争後の4年間だけで生産が8割余り上昇し、「世界にも類をみない発展」を示したと評価している。


出典:経済審議庁『昭和29年 年次経済報告―地固めの時―』(1954年)


そして2000年、経済企画庁の『平成12年度 年次経済報告―新しい世の中が始まる―』は、戦後日本経済を振り返り、朝鮮戦争の影響を改めて整理している。


同資料は、日本経済が戦前水準へ戻る過程で、1950年の「朝鮮特需」がその契機となったことを明記している。


米軍から毛布、トラック、鋼材などの「戦地用資材」の大量の発注が舞い込み、輸出も急速に拡大した。


同資料によれば、日本の鉱工業生産、実質個人消費、民間投資は1951年に、実質国民総生産と実質賃金(製造業)は1952年に、それぞれ戦前水準へ戻った。その後、日本経済は戦後混乱期からの復旧をほぼ終え、本格的な高度成長の過程へ入ったと説明している。


同じ資料では、その後の高度成長を支えた要因として、技術導入、人材、教育、企業組織など複数の条件も別に説明している。したがって、日本の高度成長全体を朝鮮戦争一つの結果とみなすことは、この資料の説明とも一致しない。


出典:経済企画庁『平成12年度 年次経済報告―新しい世の中が始まる―』第2章「持続的発展のための条件」序「明治以来の日本の経済」(2000年)


※「朝鮮特需」とは、朝鮮戦争に伴い、主として米軍・国連軍関係から日本国内に発生した物資・サービスなどへの特別な需要を指す表現。


※「広義の特需」とは、狭い意味での特需に加え、防衛分担金のドル支払分や連合軍関係者の日本国内での消費なども含めて捉えたもの。


※「防衛分担金」とは、当時の日本が駐留米軍関係の経費として負担した費用を指す表現。


※「戦地用資材」とは、戦地や前線で使用するための物資・資材を指す当時の表現。


※現在価値への換算は、米国労働統計局(BLS)の米国都市部消費者物価指数CPI-Uを用いた単純な購買力換算である。1952年の年平均CPI-U 26.5、1954年の年平均26.9、2026年7月のCPI-U 333.918を基準として計算した。


※1950~1952年の累計15億7,000万ドルは複数年にわたる金額であるため、便宜上1952年の指数を用いた。累計24億ドルについても複数年にわたる金額であるため、便宜上1954年の指数を用いた参考値である。これは当時の日本経済の規模やGDP比を、現在の経済へそのまま換算した値ではない。


※円換算は、2026年8月20日の1ドル=約158.7円を基準とした参考値であり、為替レートの変動によって変わり得る。


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