第104話 読めるようになった箇所
僕は、もうしばらくその写真を見ていた。
僕の記憶にある祖母とは、すぐには結びつかない顔だった。
写真の中の朴美來は、僕よりも若く見えた。
僕は写真の表と裏をスマートフォンで撮り、母に送った。
[この写真、いつ撮ったものかわかりますか?]
しばらくして返事が来た。
[正確にはわからない。]
[おばあちゃんも、若いころの話はあまりしなかった。]
僕は美咲さんにも写真を送った。
[整理していたら、祖母の若いころの写真を見つけました。]
すぐに既読がついた。
[美人だったんですね。]
少しして、もう一つ来た。
[なんとなく時代劇の女優みたいな雰囲気もあります。]
[時代劇ですか?]
[はい。なんとなく、そんな感じがします。]
僕はもう一度写真を見た。
[写真一枚でそこまでわかるんですか?]
[雰囲気だけです。]
[ドキュメンタリーの専門家のお言葉ですから、信じます。]
僕の言葉に、笑っている絵文字が返ってきた。
そして、この前買った日焼け止めの写真が送られてきた。
金色の平たい容器と、前面の太陽のようなマークがはっきり写っていた。
[ちゃんと使ってます。ありがとうございます。]
[はい。忘れずに、ちゃんと塗ってくださいね。]
やり取りを終え、僕は写真を元の封筒に戻した。
そのとき、喉の奥が少しいがらっぽいことに気づいた。
あれ?
水を飲んでみたが、あまり変わらなかった。
体もいつもより重かった。
少し熱があるような気もした。
そのとき、スマートフォンが鳴った。
美咲さんだった。
[おばあさまの写真、ほかにもあったら今度見せてください。]
[はい。]
[それと、今日は早く寝ようと思います。]
[どうしたんですか?]
[少し風邪っぽい気がします。]
すぐに返事が来た。
[熱あります?]
[測ってはいませんが、少しある気がします。喉も少し痛くて、体も重いです。]
少しして。
[宿にいてください。]
[はい。]
[外に出ないでくださいね。]
僕は画面を見つめた。
[どうしてですか?]
返事は来なかった。
代わりに、三十分ほどして部屋のドアを叩く音がした。
ドアを開けると、美咲さんが小さなビニール袋を持って立っていた。
「美咲さん? これを届けに来たんですか?」
「ちょうど近くにいたんです。」
美咲さんはそう言って、袋を差し出した。
中には薬の箱が一つと、平たいパウチが二つ入っていた。
まず目に入ったのは風邪薬だった。
赤と金色に分かれた箱だった。金色の部分には、太い黒い文字が大きく入っていた。
「総合かぜ薬ですね。ありがとうございます。」
韓国から日本へ来るとき、常備薬を少し持ってくればよかったのだが、そうしていなかった。
美咲さんは今度は、平たいパウチを一つ取り出した。
白地の中央に大きな黄色い円があり、太い黒文字が縦に書かれていた。上のほうには小さな赤い印があり、下には黄色い溶き卵の入った白粥の写真が見えた。
「これは?」
「玉子粥です。二つ買ってきたので、明日も食べてください。」
彼女は袋の中のもう一つのパウチも見せた。
「今日はゆっくり休んでください。絶対ですよ。約束です。」
口調はきっぱりしていた。
僕はケースを見た。
まだ手をつけていないものが残っていた。
「ハルさん。」
「はい。」
「ハルさんが一日休んでも、資料が逃げるわけじゃありません。」
僕は少し考えた。
「それはそうですね。」
「今日はお粥を食べて、薬を飲んで寝てください。」
「わかりました。」
僕が答えると、美咲さんはようやく満足したようにうなずいた。
「明日も具合が悪かったら連絡してくださいね。」
「はい。ありがとうございます。」
美咲さんが帰ったあと、僕は玉子粥を一つ温めた。
パウチから器へ移すと、白い粥の中に黄色い卵がやわらかく溶けていた。
レトルトだとわかっていたが、思っていたよりちゃんとした粥だった。
米粒も適度に残っていて、卵と薄いだしの味もよく合っていた。
何より、喉がいがらっぽくても食べやすかった。
一杯をほとんど食べ終えると、お腹の中が温かくなった。
少し力が戻ってきたような気もした。
僕は説明書を読み、風邪薬の箱から瓶を取り出した。
蓋を開け、黄色みを帯びた錠剤を取り出して、水と一緒に飲み込んだ。
そしてベッドに横になった。
少しだけ目を閉じるつもりだった。
けれど、そのまま眠ってしまった。
◆◆◆
翌日、目を覚ますと、喉はまだ少しいがらっぽかったが、体は前日より軽かった。
思ったより長く眠っていたようだった。
時計を見ると、もう午後だった。
スマートフォンを確認すると、LINEの通知が来ていた。
綾乃さんだった。
[昨日お話しした資料ですが、一部の分離作業が終わりました。]
一気に目が覚めた。
もう一つメッセージがあった。
[読めるようになった部分もあります。]
[直接見ていただいたほうがいいと思います。]
僕はすぐに返した。
[今日伺っても大丈夫ですか?]
数分後、返事が来た。
[はい。]
[宿までタクシーを手配します。]
[費用は研究所で負担します。]
[帰りも車を呼びますね。]
僕はしばらく画面を見てから、美咲さんに連絡した。
[綾乃さんから連絡がありました。]
[くっついていた資料の一部を分離したそうです。]
返事はすぐに来た。
[今日行くんですか?]
[はい。]
[タクシーも手配してくださるそうです。]
[タクシー?]
[はい。ですから、美咲さんはわざわざ来なくても大丈夫です。]
[僕が見てから、どんな内容だったか連絡します。]
少しして。
[いいえ。]
そして、すぐ次のメッセージが来た。
[私も行きます。]
[私が車で迎えに行きます。]
[今日の仕事は大丈夫なんですか?]
[ちょうど仕事が全部終わったところです。]
[そこまでしていただかなくても大丈夫です。]
しばらくして、新しいメッセージが表示された。
[それに、私が行かなかったら、綾乃さんの説明をハルさんが理解できないと思います。]
僕は前に研究所で聞いた言葉を思い出した。
複雑で難しい専門用語が多かった。
少し考えてから、一行送った。
[それはそうですね。]
[でしょう?]
結局、綾乃さんにはタクシーは手配しなくても大丈夫だと連絡した。代わりに美咲さんが車で送ってくれることも伝えておいた。
美咲さんの車は、一時間ほどして宿の前に到着した。
車に乗ると、彼女が僕の顔を見た。
「風邪は?」
「だいぶよくなりました。」
「本当ですか? まだ具合悪そうに見えますけど。」
「少しずつよくなっています。」
「お粥は食べました?」
「食べました。」
「どうでした?」
「おいしかったです。」
「でしょう?」
「レトルトだと思っていたんですが、予想よりずっとよかったです。」
「ちゃんと選べたみたいですね。」
美咲さんがエンジンをかけ、車が走り出した。
「ところで、綾乃さんは何て言ってたんですか?」
「くっついていたものの一部を分離した、とだけ言っていました。」
「内容は?」
「直接見たほうがいいとも言っていました。」
美咲さんがうなずいた。
「やっぱり。」
「何がやっぱりなんですか?」
「大事なものが出てくると、メッセージで長く説明しないんです。直接見せながら説明しないと気が済まないんですよ。」
「やっぱり美咲さんも一緒に来てくれてよかったです。僕一人だと綾乃語を理解するのは難しいですから。」
美咲さんがちらりと僕のほうを見た。
「でしょう?」
彼女の口元に、少し笑みが浮かんでいた。
研究所に着くと、綾乃さんは僕たちを上の階の作業スペースへ案内した。
前に見た機器もあったが、今回は別のものが先に目に入った。
最初のノートと二つ目のノートだった。
二冊とも、机の上にそのまま置かれてはいなかった。
それぞれ形に合わせた台の上に、安定するように開かれていて、周囲には薄い保存用の材料が添えられていた。
別に整理されていた小さな手帳の紙片も、一枚ずつ透明なシートのあいだに置かれていた。
僕は少し離れたところで足を止めた。
「こうやって保管するんですね。」
綾乃さんが言った。
「できるだけ原本に触れる回数を減らしています。」
彼女が横のモニターをつけた。
ノートの一ページが画面いっぱいに映し出された。
紙の表面の繊維まで見えそうなほど鮮明だった。
「まず現在の状態を高解像度で記録しました。くっついている部分はすぐには分けず、斜光や透過光で内側の状態から確認しました。必要な部分は、別の波長でも比較しました。」
僕はうなずいた。
ここまでは、だいたい理解できた。
「撮影条件と保存用データは別に――」
僕は美咲さんを見た。
美咲さんが言った。
「分ける前に、中に何があるのかできるだけ確認して、今の状態もすごく細かく残してあるって意味です。」
「なるほど。」
綾乃さんが言った。
「それと、この資料をここへ持ってきて、本当によかったです。」
「そんなに状態がよくなかったんですか?」
「明日にでも失われるような状態という意味ではありません。でも、すでに弱くなっているところもありますし、互いにくっついている部分もあります。何度も開いていると、失われる部分が出る可能性があります。」
「そうなんですね。」
「一度失われた情報は、もう作り直せませんから。」
僕はノートを見た。
「実はこれも、一度なくなりかけたんです。」
綾乃さんが僕を見た。
「どういう意味ですか?」
「韓国にあった古い倉庫から持ってきました。開発で取り壊される直前だったんです。」
「少し遅かったら、なくなっていたんですね。」
「はい。」
綾乃さんがもう一度ノートを見た。
「本当によかったです。」
少しして、彼女が言った。
「これは個人の記録ですけど、個人の記録だけで終わる資料ではないと思います。」
「歴史資料という意味ですか?」
「はい。」
彼女がうなずいた。
「正直に言うと、読んでいて何度か心を動かされました。佐伯という人が実際に生きていた時間が、そのまま残っているからです。ただ、感動することと検証は別です。」
「それはわかっています。」
綾乃さんは、またモニターを確認した。
そして何か思い出したように、作業台のほうへ向いた。
「お見せしたいものがあります。」
僕と美咲さんは彼女についていった。
作業台の上には、透明な保存用シートが何枚か置かれていた。
その中に、小さな紙片が一枚ずつ整理されていた。
綾乃さんが、そのうちの一つを指した。
「くっついていたものの中で、読めるようになった箇所があります。」




