↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
101/198

第101話 一枚くらい、残しましょう

研究所の外へ出ると、手に持った鞄が軽く感じられた。


ひどく何かが抜け落ちたような、妙な気分だった。


隣を歩いていた美咲さんが僕を見た。


「大丈夫ですか?」


「はい。」


僕は鞄を一度持ち上げてみた。


「ただ、少し変な感じがします。」


「綾乃さんに預けたなら大丈夫ですよ。」


「僕もそう思います。」


心配しているわけではなかった。


むしろ、二つ目のノートを破りかけたことを考えれば、僕が持ち続けるよりずっとよかった。


駐車場のほうへ歩いていた美咲さんがスマートフォンを取り出し、時間を確認した。


「あ……思ったより遅くなりましたね。」


僕もそこで、ようやく時間を見た。


仕事が終わるとすぐ僕のところへ来たのだから、もしかすると、もともとの予定を後回しにしたのではないかと思った。


「美咲さん。」


「はい?」


「もしかして、今日はもともと何か予定があったんですか?」


「今日ですか?」


「僕のせいで、できなかったことがあるんじゃないかと思って。」


美咲さんが少し止まった。


「あ。」


やはり何かあったようだった。


「ゆめタウン福山に行こうと思ってたんです。」


「ゆめタウンですか?」


「はい。撮影のときに着る服も一着必要ですし、少し買うものもあって。」


美咲さんがもう一度時間を確認した。


「ハルさん、まだお昼も食べてないですよね?」


「はい。」


「私もまだなんです。じゃあ、そこで遅いお昼も食べましょう。食事もできるので、ついでに行くにはちょうどいいですよ。」


僕は少し考えた。


「そういえば、僕も買うものができました。」


「何ですか?」


「残っている資料を入れておくケースのようなものが必要だと思います。」


「じゃあ、一緒に行きましょう。」


車が出発した。


美咲さんが運転しているあいだ、僕はスマートフォンでゆめタウン福山を調べてみた。


大型スーパーとショッピングモールが一緒になったようなところだった。


韓国のEマートみたいな感じか。


だいたいそう理解して、スマートフォンを置いた。


それほど経たないうちに、車は広い駐車場へ入った。


建物の中へ入ると、思ったより人が多かった。


買い物を終えた人たちがカートを押して通り過ぎ、ショッピングバッグを持った家族連れがエスカレーターのほうを行き来していた。


片側には食品や日用品を売るスペースが広く続き、上の階の案内には衣類や雑貨、飲食店などの表示が見えた。


「思ったより大きいですね。」


「いろいろまとめて買わないといけないときは便利ですよ。」


美咲さんが上の階を指した。


「服から見ますか?」


「はい。」


僕たちがエスカレーターのほうへ動こうとしたときだった。


前でカートを押していた人が、人を避けようとして急に方向を変えた。


美咲さんは反対側を見ていた。


僕は彼女の肘の近くをつかみ、自分のほうへ少し引いた。


「気をつけてください。」


「あ……。」


カートがすぐ横を通り過ぎた。


僕はすぐに手を離した。


「人が多いですね。」


「そうですね。今日は少し混んでますね。」


美咲さんが一度、自分の腕を見下ろした。


そして、何事もなかったように言った。


「上がりましょう。」


「はい。」


僕たちは、屋外で着るのによさそうな服が並んだ店へ入った。


美咲さんが探していたのは、薄手のウインドブレーカーだった。


「外で撮影すると、思ったより長く立ってるんです。海辺だと風もけっこう吹きますし。」


何着か見ていた美咲さんが、似たように見える二着を選んできた。


一つは少しゆとりがあり、もう一つは体にやや沿う形だった。


彼女が二着を交互に持ち上げた。


「どっちがいいですか?」


「僕に聞いてるんですか?」


「はい。」


「撮影のときに着るなら、美咲さんのほうがよくわかると思いますけど。」


「機能じゃなくて。」


「じゃあ何を……。」


美咲さんが一着を自分の体の前に当てた。


「似合うほうです。」


「あ。」


二着をもう一度見た。


ハンガーに掛かった状態だけでは、よくわからなかった。


「着てみないとわからないと思います。」


美咲さんが笑った。


「それは私もそう思います。」


しばらくして、最初のウインドブレーカーを着て出てきた。


腕を前へ伸ばし、ファスナーも上げてみた。


「どうですか?」


「いいと思います。」


美咲さんが僕を見た。


「それだけですか?」


「え?」


「いいと思います、だけじゃ選べないですよ。」


「あ。」


僕は今度はもう少しよく見た。


「動きやすそうです。」


「まず一つ。」


美咲さんがまた中へ入った。


二着目を着て出てきた。


「これは?」


今度はすぐに答えなかった。


最初の姿を思い出してみた。


「最初のほうがいいです。」


「どうしてですか?」


「撮影しながら動くのにも楽そうでしたし……。」


言いかけて、少し止まった。


「美咲さんにも、最初のほうが似合ってます。」


美咲さんは答えず、鏡を見た。


正面を一度見てから、体を回して横からも確認した。


「……じゃあ、最初のにします。」


「はい。」


「今度はちゃんと役に立ちましたね。」


「よかったです。」


ウインドブレーカーの会計を済ませても、美咲さんの買い物はまだ残っていた。


僕たちはもう一度下の階へ降りた。


化粧品や日用品の売り場を通っていた美咲さんが、日焼け止めが並んでいるところで足を止めた。


「あ、これも買わないと。」


「日焼け止めですか?」


「もうほとんどないんです。これから外で撮影することも増えますし。」


いくつか見ていた美咲さんが尋ねた。


「ハルさんは日焼け止め、使わないんですか?」


「今はほとんど使いません。」


「今は?」


「僕がいちばん日焼け止めを使っていたのは、軍にいたときです。」


美咲さんが、手にしていた商品を下ろした。


「軍隊で?」


「はい。」


「ちょっと意外ですね。」


「どうしてですか?」


「軍隊って、そういうのあまり気にしない気がして。」


「むしろ、かなり気にしていました。」


「本当ですか?」


「特に、海軍で艦艇勤務をしていましたから。」


勤務していた頃を思い出した。


「何週間も海に出て任務をして、戻れば軍港で待機したり、艦艇を点検したり整備したりする。その繰り返しでした。」


「じゃあ、本当に船にいる時間が長かったんですね。」


「はい。」


「海に出ていると、日焼け止めってそんなに大事なんですか?」


僕はうなずいた。


「日差しが強いからといって、好きなときに日陰へ逃げるわけにはいきませんから。」


「あ……。」


「社会にいれば、暑かったり日差しが強すぎたりしたら、少し中へ入ればいいでしょう。でも艦艇では、仕事があればずっと外にいなければなりません。海水で体が濡れることもありますし。」


「日焼け止めをたくさん使ったっていうのもわかりますね。」


美咲さんが笑った。


そして売り場から日焼け止めを二つ選んで手に取った。


「じゃあ、これは専門家に聞かないといけませんね。」


「専門家ですか?」


彼女が二つの商品を僕の前へ差し出した。


「韓国海軍出身の日焼け止め専門家、キム・ハルさんです。」


美咲さんが笑った。


「どっちがいいですか?」


僕は二つを受け取った。


そのうち一つは、金色がかった平たい容器に入っていた。


僕がよく使っていた日焼け止めの種類の一つだった。


二つの正面を確認してから、順番に裏返した。


まず、SPFやPAなどの表示を確認した。


「屋外撮影なら、こっちのほうがいいと思います。」


「もうわかったんですか?」


「SPF50+で、PA++++ですし……。」


僕は金色の容器の表示をもう少し確認した。


「耐水性もありますね。」


「数値が高いほうがいいんですか?」


「艦艇では、高い紫外線防止効果のものを探す人が多かったです。どうせ長い時間、外にいないといけませんから。でも、それだけ見ればいいわけではありません。」


「ほかにもあるんですか?」


「汗をたくさんかいたり、水に触れることが多い環境なら、耐水性も見たほうがいいです。だから、それを言ったんです。」


僕は美咲さんを見た。


「美咲さんも、瀬戸内海で船に乗って撮影することがありますよね?」


「はい。頻繁ではないですけど、あります。港や海岸で長く撮影することもありますし。」


「なら、こっちのほうがいいと思います。」


僕は手にしていた商品を美咲さんに渡した。


「それと、朝に一度塗って終わりでは駄目です。長く外にいるなら、途中でもう一度気をつけたほうがいいです。」


少し考えてから付け加えた。


「首の後ろや耳も忘れないほうがいいです。」


美咲さんが自分の耳に触れた。


「耳にも塗るんですか?」


「海に長くいると、そういうところも意外と焼けます。」


「……専門家に聞いてよかったです。」


美咲さんが、僕が選んだ金色の容器の日焼け止めを買い物かごに入れた。


そして、また尋ねた。


「でも、軍人が肌のことを気にしていても何も言われないんですか?」


「軍人が健康に気をつけることは、むしろ奨励されます。」


「大切な国民だから?」


「うーん。それが。」


僕は考えをまとめてから言った。


「少し冷たく言えば、軍人は国家の資産ですから。だから健康管理をきちんとすることも義務でした。」


「そう言われると、急に日焼け止めって言葉がちょっと悲しく聞こえてきます。」


「とはいえ、僕たちは自分たちの肌がもったいないので、ちゃんと塗ってました。肌が傷んだら、僕も損ですから。」


「そっちのほうがずっと納得できます。」


日焼け止めを買ったあと、美咲さんは生活雑貨のほうも少し見て回った。


小さな撮影用品を見ていた途中、スマートフォンホルダーの付いた折りたたみ式の三脚を一つ手に取った。


「これも必要だったんです。」


「スマートフォン用の三脚ですね。」


美咲さんが折りたたまれていた脚を一度広げてみた。


大きくはなかった。


折りたためば、鞄の片側に十分入る大きさだった。


「スマートフォンでもドキュメンタリーを撮るんですか?」


「本撮影はカメラでしますよ。でも、いつも大きな機材だけを使えるわけじゃないですから。」


美咲さんがホルダー部分を動かしてみた。


「ちょっと固定して記録したいときや、補助の画面が必要なときはスマートフォンもけっこう便利なんです。一人で動くときは、こういうのが一つあるともっと楽ですし。」


「そうなんですね。」


「実は前に使っていたものがあったんですけど、壊れちゃって。」


「それなら必要ですね。」


「今度はハルさんに聞かなくてもいいですよね?」


「僕は三脚の専門家ではありません。」


「よかった。専門家がまた出てきたら、今日の買い物が終わらなさそうなので。」


僕は何も言わなかった。


美咲さんが笑った。


「冗談ですよ。」


彼女は三脚も買い物かごに入れた。


今度は僕のものを見る番だった。


収納用品のところで、僕は丈夫そうなケースを見ていった。


宿に残っている三つ目のノートや遺品、印刷しておいた資料を、ひとまず一か所にまとめておくつもりだった。


紙を直接入れるためのものではなく、資料をそれぞれ整理したあと、外側から保護できる程度のもので十分だった。


ちょうどよさそうな大きさのケースを一つ手に取った。


横で見ていた美咲さんが言った。


「それ、少し小さいんじゃないですか?」


「このくらいで大丈夫だと思います。」


美咲さんが隣にあった一回り大きいものを開けてみた。


「こっちのほうがよくないですか?」


僕は中を見た。


確かに余裕があった。


「大きすぎませんか?」


「また何か出てくるかもしれないじゃないですか。」


僕はしばらく答えられなかった。


間違ったことではなかった。


韓国から日本へ来る前までは、ここまで多くのものを見ることになるとは思っていなかった。


「じゃあ、これにします。」


「よく考えました。」


「今回は美咲さんが選んでくれましたね。」


「日焼け止め代です。」


「僕が払ったわけじゃないですよ。」


「専門家の相談料です。」


美咲さんが笑った。


会計を済ませると、僕たち二人の手にはショッピングバッグが増えていた。


美咲さんは新しく買ったウインドブレーカーと日焼け止め、小さな三脚を持ち、僕は思っていたより大きな収納ケースを持っていた。


外へ出る前に、美咲さんが急に立ち止まった。


「あ。」


「どうしたんですか?」


彼女がショッピングバッグの中を見下ろした。


「三脚。」


「はい?」


「ちゃんと使えるか確認しておかないと。」


美咲さんが、さっき買った小さな三脚を取り出した。


「今ですか?」


「今がいいですよ。」


僕たちは入口のほうへ移動した。


人の通行を邪魔しない場所を見つけ、美咲さんが三脚を広げた。


最初は脚が少し不自然に開いたが、何度か触るときちんと立った。


スマートフォンを取り付け、画面の角度を合わせた。


「ちゃんと立ちますね。」


「じゃあ、これで終わりですか?」


「まだです。」


美咲さんがカメラを起動した。


「何を撮るんですか?」


「とりあえず何でも。」


彼女が三脚の向きを入口のほうへ変えた。


大きな `youme` の表示が画面に入った。


横に持っていたショッピングバッグもいくつか床に置いた。


「このくらいでいいですね。」


タイマーを設定して、手を離した。


少しして、シャッター音がした。


カシャッ。


美咲さんがスマートフォンを取って、画面を確認した。


「ちゃんと撮れてますね。」


「じゃあ、テストは終わりですか?」


「ちょっと待ってください。」


彼女がもう一度三脚を見た。


「物は撮ったから、人も一度撮ってみましょう。」


「人ですか?」


美咲さんが僕を見た。


「私たち二人で。」


「僕もですか?」


「はい。」


僕は少し迷った。


「いいんでしょうか?」


「何がですか?」


「僕は調査をしに来たのに、こんな写真まで撮っていいのかなと思って。」


美咲さんが数秒、僕を見た。


そして笑った。


「ハルさん。」


「はい。」


「今、ハルさんは日本を旅行してるんじゃないですか。」


「旅行……ですか?」


「調査だけして帰るつもりだったんですか?」


「そういうわけではありませんけど。」


「じゃあ、写真一枚くらい残しましょう。」


美咲さんがもう一度タイマーを設定した。


「早く来てください。」


僕は美咲さんの隣へ行った。


画面の中に二人が入った。


少し間が空いていた。


美咲さんが画面を確認すると、僕のほうへ半歩動いた。


「このくらい近づかないと、二人ともちゃんと入らないですよ。」


「はい。」


画面の端で数字が減り始めた。


カシャッ。


美咲さんがすぐにスマートフォンを取りに行った。


「どう撮れたか見てみましょうか?」


画面に、今撮ったばかりの写真が表示された。


ゆめタウンの表示を後ろにして、僕が立っていた。


その隣には、美咲さんがいた。


美咲さんが写真を拡大してから、また元に戻した。


「よく撮れてますね。」


「そうですね。」


僕は答えたあとも、しばらくその写真を見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。