63 開かれる記憶
「広大さん!」
ドアの方に、広大と政木社長、そして一人の婦人が立っていた。
「伊那君お久だね~。」
伊那は社長や戸羽と功の仕事ぶりを何度か見に行っているので、広大に会っている。そして、広大は少しだけ尚香の方を見てニコッと笑ったので、尚香も礼をした。
「若葉おばさん!」
洋子は立ち上がって若葉に抱き着いた。
「よーちゃん、久しぶり。」
「若葉おばさん!!」
政木は改まる。
「金本さん、お疲れ様です。多賀さんは初めまして。私はこの会社の社長政木と申します。」
「皆さんこんばんばー。功の父の従弟で、山名瀬広大と申します。こちらのご婦人は、功と多賀洋子さんの昔からのご近所さんです。」
それぞれ挨拶をして、広大は尚香に聞く。
「それで、えーと、金本さん。続きはありますか?」
「………」
ナイーブな話なので、これに関しては言葉を選ぶ尚香。
「皆さんに見ていただいた映像を見る限り……『あの歌』の作詞作曲、先行は『ダムディー』です。でも、こうとも考えられないでしょうか。」
章は数万曲の音楽が頭にあり、ダンスも見ただけでほぼ覚えられる。そして数か国できる言語能力。
もし章が一部領域の本物のサヴァンだとして………
一部学習障害があれど、一定以上の発達障害や知的障害が伴っていないので、正確にはサヴァンとは言わないかもしれない。それでも能力は同じだ。章はギフテッドと言う言葉が嫌いなので、その言葉も使わないようにする。
そして、尚香が調べたところ、胎児は10週には各感覚器官の基が既に備えられ、20から25週で器官の形成と脳との連携ができ胎内の音が聞こえ始め、28週で外部の音も分かるらしい。8か月ごろには外部の音も聴いていることになる。
つまり、時期は分からないが、章は胎内にいた時から明確に音楽を記憶していたのだ。
母の胎内でヒトが妊娠28週から外の音が聞こえるとしても、それは目安だ。そして人はみんな能力もキャパも違う。その以前から、親たちの振動を、胎動を感じ取っていた可能性は?
リズムや音だけでなく、振動そのものでたくさんのことを聴き分けていた可能性もある。
「まあ、変人だからな。それくらいの事があってもおかしくない。」
と伊那、納得する。
尚香にも推測以上のことはできないが、可能性はあるだろう。
リズム、メロディー………
………明確に聴いていた、という事?
と極論として考えるも、尚香にはまだ分からない。
なら歌詞は?歌詞まで?
リズムやメロディーは分かる。でも歌詞は?
100%かは分からないが、ファンが起こした歌詞を確認すると歌詞もほぼ同じだ。初めは感性よりも、一部サヴァンのように、丸々記憶する能力だったのかもしれない。機械のように、写真機のように。
感性的に譲り受けた可能性もあるが、証言として言うには飛躍しすぎているので、記憶的能力と言った方がいいだろう。
非現実的だが、メルヘンチックではない。今はここにいる人を納得させることができればいい。功や洋子を目の当たりにしている人々であれば、十分納得のいく話であろう。むしろ、途中でみんな尚香と同じことを考えていたはずだ。
それとも、たとえ章の脳内の処理にパーテーションがあっても、しょせん人の記憶。やっぱり幼少期に家や親戚の中でDVDを見て、章の中で混同していたのかもしれない………
というところで、広大が手を挙げた。
「私の知る限り、先ほど金本さんが言っていたように、功が幼少期に『ダムディー』の歌を聴いていた可能性は少ないです。」
「………」
「まず、道子さんの話は本当になかったことになっていましたから。親戚に功の家族や私以外でそれを聴かせる人もいません。功の祖父が『ダムディー』のファンでしたが、忙しい人だったのでコンサートはDVDを作る以前に、一度聴きに来てくれただけです。祖父も相当ショックだったらしく、道子さんの死後だけでなく章の父と洋子さんの離婚後も、その話はしていないはずです。」
「でも、このDVDは売っていたんですよね?」
戸羽が聞く。全く違うどこかで聴いた可能性は?
「それ、全公演で100枚しか売ってませんから。章父、祖父以外の親類に配ってませんし。俺が作ったんです。」
「え?」
また広大か!と、尚香は思わず反応してしまう。
「撮影も!」
と、楽しそうだ。
「公民館やホテルなどで、音楽やマニアな人というよりは一般の方が聴きに来てくれていたので、そんなに広まることもなかったと思います。客層も穏やかな感じでしたし。」
しかも今のPCでそのまま再生できないDVD。数万枚売り上げたCDですら、スマホ前時代前の物は、コアなファン以外誰も覚えていないものも多い。ネットで探してもない歌も多いくらいなので、埋もれて行った可能性はあるあろう。
道に配慮して正一も章に洋子の歌は聴かせず、PC内のデータも全て消し、持っていたDVDは洋子に返していた。
それに、もし功が幼少期に聴いていたとしたら、何度も何度も聴いて、その所在も明確な記憶になっていたはずだ。好きな曲なら、それこそ機械のように何十回、何百回と聴くような子供だったからだ。権利を隠すために赤子の頃から自作を演じるとも思えないし、それならもっと早くに『ダムディー』の詳細が道にも知られていたことであろう。
尚香はこの時点での結論を言う。
「早くて胎児の時に聴いていたとしても………、それは歌を……」
必要なので一息ついて言った。
「盗んだことになるのでしょうか。」
「…………」
場がしんとして、少しの沈黙の後、伊那が意味不明なことを言う。
「いや、胎児から法律を改めなければならないのではないか?こういうヤツがいるので。」
「まあ、そうだとしても………」
与根はチラッと洋子を見る。
顔がキリッとしているので深い洞察能力を持っているように見えて、実はあまり何も考えていない洋子さん。話に付いていけず、若葉の手をただ握っている。
功は座り込んで目を反らし何も言わない。
尚香は先と同じ意味のことを言った。
「なので……洋子さんと和解してください。」
「!?」
功が睨む。
「それと俺と洋子さんの関係は別だろ?俺が盗作したってはっきり言って、その歌ごと持って行けばいい!!」
そういう問題で終わらないのは解っているが、気持ちが赦せない。
イットシーは、看板曲ほどでないにしてもこの歌でそれなりの収入を既に得ているし、この歌を好むファンも多い。
「もう一度言いますが、洋子さんはこの歌を奪いに来たわけではありません。取り返したいとは思っていますが、LUSH+から権利を奪うとかではありません。」
「この人の許しを得たり、共有したい物なんてないんだけど!親子だからって何が?」
「でも、二人が親子だから起こった問題でもあるんです。だから、親子だから解決できる話もあるでしょう。」
それはそうだ。他人だったら起こってはいなかった。
もうみんな、尚香の言いたいことが明確に分かった。
そして、この女性が何か言いたくて会社に乗り込もうとしていたことを知っている人には分かる。それは非常に危険なことだと。言い方は悪いが、こんな女性がもし野放しになっていたら?
芸能界などいくらでも人を利用しようとする者が現れる。
功の実母、LUSH+の曲の大元、そして歩けばスカウトされる容姿に、弾いてみればハイレベルのミュージシャン。しかも、話してみるとそこらの子供より騙されやすい。功だけでなくイットシーを揺する材料にもなり、間違えればひどい扱いを受け、様々なことが泥沼化するであろう。
「章、それにね……」
ここでやっと若葉が話し出した。
「洋子ちゃん、左手首が少しだめでしょ?」
「!?」
みんな気が付かなかったので驚く。先の演奏で、既存楽曲などパーフェクトな鍵盤を叩いていないのは、バイオリンや歌への配慮や、ちょっとした場なので手慣らしくらいに思っていたからだ。
「あれはね、章君を助けてそうなったんだよ。赦してあげて。」
「!」
いつだっただろうか。
満一歳を超えた時には既にあちこちあちこち走り回り、ほとんど話さないのにとにかく動き回る大変な子。
妹、道子と違って窓から外に抜け出すのも怖かった鈍い洋子には、扱いきれない赤ちゃんであった。机にも棚にも上ってしまい、しっかりと躾をされ、机に立つなど信じられない洋子はいつも翻弄されていた。伝うものさえあれば、どこにでも上ってしまう。
グランドピアノの蓋を開けて鍵盤を鳴らすだけではない。
屋根の下をあれこれ触って、その中に入り込んでしまったこともある。立ち上がって、屋根に頭を打って突上棒が外れた時は、冷や汗どころではなかった。
もうここまで来たら、子供が怪我をしても自業自得だとさえ思ってしまった。蓋に手を挟まれる以前の問題だ。
壁に寄せて置くタイプのライトアップピアノの屋根も開けてしまう。その上にも上ってしまうのだ。いくら洋子でも落ちたら大怪我をどころか死んでしまうことくらいは解る。ピアノの周りには、ボコボコになるほどマットや布団、クッションを敷いていた。
ある日のことだった。
子供にハーネスを付けて人でなしと言われたことも多々あったが、洋子は子供を正一の建築の作業机に縛り付けて一息していた。あの机は二歳児に動かせる重さではない。けれど、洋子の縛り方ではもぞもぞ動けば簡単に外れてしまう。
洋子にはその紐が命取りになるかもという考えもなく、その時は紐自体は問題がなかった。
けれど……
章が作業部屋にいない。
もうボーとして、どうでもいいと思っていた時だった。
勝手にすればいいと思った。
洋子も疲れていた。
義実家でも出来損ない扱い。怒鳴られて叱られて生きている意味も分からない。
夫は園に通う正二の世話と仕事で忙しい。
けれど、何かの物音に警鈴が鳴った。
急いで駆けこんだ時には遅かった。
章が棚の引き出しをいくつか引き出して、その上に登ろうとしていたのだ。傾く棚。
もういい、仕方ないではないか。
自分に似た目の子供。どうすればいいのだ。生涯こうやって生きていくのか、
と思ったけれど、瞬時よぎった。
窓を伝う女の子。
柔らかな茶色の髪。
髪質は違うけれど、あの子に似た少しだけ色の淡い髪。
そして、目の前の、か弱い小さな子供。
洋子は一気に前に出て、倒れそうな棚を子供ごと支えた。




