62 洞穴の出口は、思っていたものだけではないの?
『ミチコ?』
いきなり章の人生に現れた誰か。
自分は何も知らない。
「で、その人がなんなの?」
だから何なのだ。章はそう思う。それで自分があんな仕打ちを受けたのか?この洋子さんは離婚の時も、父親に全部背負わせて。
洋子が弱々しく言った。
「あんたは私みたいだったから………。自分みたいに育てないとだめだと思ったの………」
厳しく育てた父のように。当時はそれ以外どうしたらいいのか分からなかったのだ。
生まれた子は、目に色のない子供。
もしかして道子や、正一に苦労を敷いたタイプ。正二まで似たような道を歩んでしまったらどうしようと、思ったのだ。
それに直視できなかった。
目の前の子が自分のようで。
その上、自分のようにもいかない。
「だから?」
功がさらにキレている。
「章君、当時に関しては私が擁護できることではないけれど、ここで洋子さんを責めることはしないで下さい。」
「この人の身勝手さを知らないから。……今度は何せびりに来たの?金?関心?」
「功君!」
「何もできないからって本当に何もしなくて!自分の家でもないのに、再婚してる離婚元の家に居座る度胸があるとか。その度胸でバイトでもしたら?」
「…………」
洋子は何も言えない。
「功君、やめて下さい。」
「黙っててくれる?ちゃんとしてれば道さんにあんな生活しいることはなかったのに。」
そこで尚香は言ってしまう。
「道さんにそういう生活を強いてきたのは、章君も一緒でしょ。」
「っ……」
「家を譲ったことなどに関しては、道さんも後悔していないそうなので、今、道さんを引き合いに出さないでください。」
章は知らないが、洋子の実生活のいくらかを今まで道も支えてきたのだ。金銭だけでなく家政婦としても。道の中に何かしら納得のいくものがなければ、普通できることではない。自分たちが考える以上に、道に覚悟していた何かがあるのだろう。道の性格を考えれば、それはおそらく恨みではない。
「なんで他人にそう言われないといけないわけ?」
「………。」
他人。他人を巻き込んだのに。
尚香にも言いたいことがあるが、気持ちを切り替える。
「………道さん言うには、功君は始めから母親のことを嫌っていたわけではありません。」
だって、ずっと待っていたのだ。
お母さんが帰ってくると。
あんなに厳しくされたのに、洋子がマンションに来る度に、道がいても隠れてその姿をじっと見ていたのだから。
こじれたのは、章がもっと大きくなって、洋子が道を阻害し始めてからだ。
でも、誰が洋子を責められるのだろう。山名瀬家に煽った人たちが大勢いたのに。正二と章の遺産を奪い、ピアノを売る気だと唆し。
洋子を責められるのは、道だけだ。
功は家族のことで、今、感情的になっているとみんなと思うが、言わせた方がいいこともあるだろうと周りは口出ししない。スタッフたちは、ここで実母との生活や関係性をもう少し把握する必要もあると思ったのだ。なぜこんな話になるのか、真意も知りたい。
尚香は章に向き直った。
「功君。」
「は?何?俺の名前、何度も呼ばないでくれる?」
「洋子さんを許してあげてほしいの。」
さすがに強張る。
「……?だから……なんでそんなことにまで口出しするわけ?」
「好きか嫌いかの感情までは、私に言えることはないです。でも、名目だけでも赦してあげてください。」
「…俺の問題なんだけど。」
「今の功君には分からないかもしれないけれど、洋子さんとの関係性で一つの解決に持っていける話でもあるから。」
「は?」
「こんな親、赦せとかどうかしてる?」
「それでも親だから…」
「自分はどこでも良い親に囲まれて、いい人生を送って、だから人生よく思えるんだろ?あっちでもこっちでも、親に恵まれた人に言われてもムカつくだけなんだけど。」
「………」
尚香にまっ直ぐ見られて、しまったと思う功。
言い過ぎな上に、『どこでも良い親に…』と、言ってしまったが、尚香が養子と知っているのはここでは功だけだ。それでも気持ちが止まらない。尚香は施設にも、養父母にも、そして施設の子供たちにも比較的恵まれた。
「私は他の家庭の話はしていません。」
「まじ、なんなの?」
「他の家族は関係ないです。全ての家庭はみんな事情が違うでしょう。他の家庭が関係を回復できないから、功君もそうすべきなの?」
「っ!」
「乗り越えてください。」
「はぁ?」
「功君も親に恵まれたでしょ。功君だって、道さんがいなかったらどうなってたの?道さんに良くしてもらえた分のお返しとしても、関係性の改善をしてあげてください。」
「!!」
怒ろうするが、外野が止めた。
「功!」
「それはそうだ。」
そこで初めて伊那が口を挟む。みんな意図が分かってきた。
「ここで、自分が何もないと認めたら、道さんの人生はどうするんだ。功のために捧げた15年以上を無いものとするのか。」
「それはそうだ。」
三浦も言ってしまう。
「道さんに、まっとうな子育てはできなかったと……」
与根も追加で。
「それとこれとは話が違うだろ!」
「一緒であろうが、違っていようが、功君は洋子さんを切り離すことも、見捨てることもできません。」
「何を根拠に?」
おそらく洋子一人では、自分の手にある物を守り切ることはできないであろう。付き添いがいなければ、家からも出られない人だ。
尚香はさらに詰める。
「どうして?もう今更いいじゃない。立場は逆転してるし、洋子さんに何ができるの?いつも一人じゃない。」
洋子に失礼な言い方だが、尚香は敢えて言わせてもらう。
「功君は、洋子さんは何もできないって知ってるのに。」
「今、こうして人を取り込んであれこれ言いに来てるだろ?利用されてんの分かってないの?」
「…………」
人をうまく利用できるまで十数年かかったのだが。でもそこには敢えて答えない。章もいいたことがあるだろう。
「だいたいこの人が一人なのは、この人の生きてきた結果だし!」
尚香はもう、そうだけとは思わない。洋子が守ろうとしたものを壊したのも山名瀬家ではないか。
そこでやっと、章に聞く。
「だったら山名瀬家は洋子さんに何を詫びれるの?」
「今まで生活の面倒見て来ただろ?なんで知ったような口きくわけ?道さんや洋子さんに何言われて、そんなこと言ってんの?」
「それだけでは足りないものが山のようにあるよね?」
功に対する答えとして、尚香は初めて強く言った。
「洋子さんにも、道さんにも……」
「……?」
一般的な女性の思考を有していない洋子は、なぜ自分が詫びられるのか分からない。自分が強いられてきたことが、おかしいとはあまり思っていないからだ。そういうものだとしか。
周囲は、功の親戚もいろいろひどいことをしてきたんだな…と理解する。けれど功は、この人に何か分かるんだと尚香自体を赦せなくなる。
所詮、人伝いで聞いただけの話だ。
「それに………お父さんやお兄さんや、良子ちゃんが大切に思っていた人だよ?」
「っ………」
兄………。尚香が急に、あれだけ避けていたものを引き合いに出すので、功はさらに頭に来るも一旦黙った。父や兄に弱いので、その名を出されると困る。
「もし気持ちが追い付かなくとも、全部許すとか、敢えて会うとかもしなくていい。でも、いつかでいいから、何かの形でこう生きていくしかなかったんだって、受け入れてあげることだけはしてほしいの。双子の妹さんごと。」
「………」
功は、尚香が何を言いたいのか分からないし、考えたくもない。こんな話は早く終わらせてほしい。
「功君。多分、自分だけの感情でそれを乗り越えるのは無理だよ。それは、私にも分かる。」
尚香だって、赦せないことがいっぱいあった。
今でも思い出すと胃がむかむかしてくることがたくさんある。当て付けのように自傷してあなたのせいだと責めた人、あなたこそ加害者だとはばかりもなく言う人、あんなにたくさんいるのに誰も弁護をしてくれなかったあの会社、匿名の意見という批判で好き勝手書いた人々。
会いたいと向こうから言って引き合わせたのに、冴えない子だからと無いように扱った実の親戚。
戸惑って謝ったお父さんたち。二人にまでそんな顔をさせた人々。
自分を捨てた、写真以外記憶もない両親。
どれもこれも静かな怒りが消えない。
距離を取ることができたから、何でもないようにできるだけだ。
そこだけ見ていたら、一生赦せないであろう。
でも、そのために奔走してくれた人や、自分のために証言の場に立ってくれた人。自分を邪険にした武田家にも、優しい人々がいると知ってしまったから。武田家を憎めない。
いや、きっとそういう人がいなくても、そうするしかないこともあるのだ。
きっと血は消えないから。
だから、もっと大きな場所を見るしかない。
自分だけではない、大きなものを。
自分も、金本のお父さんとお母さんにあんなひどいことをした武田家の一部だ。それに、どんなに離れて生きても、自身の根源を求めてしまう自分もいるから。
そして、自分もこれまでの人生で多くの過ちをしてきた。身内が加害者にもなり、自分が泣かせてきた人もいた。自分も赦しを請うべき多くのことがあるのだろう。
変われる場所から少しだけでも……。
きっと、そうやって、過去を、全てを背負って生きていくのだ。
でもその過去を、どの未来につなげるかは自分次第だ。
「あのぉ………」
実は途中からギャラリーが増えていたのだが、その中の一人が手を挙げた。
「皆さん、よろしいでしょうか………」
みんなの注目を浴びたのは、ドア近くにいた山名瀬広大であった。




