美味いと伝えたかっただけだ
翌日からクラウディアの仕事は、はっきりと食材の調達管理と調理補助だけとなった。
厨房に立った経験のあるクラウディアだったが、使用人用のまかない料理しか作った経験がなかったため、ユリウスやアントンのために作る宮廷料理を料理長から習うことは楽しい経験だった。
「なるほど。スープにはこんなにもたくさんの野菜の美味しさが詰まっていたんですね」
料理長も出来の良い見習いには惜しげもなく伝授したくなるとみえ、クラウディアに手取り足取り指導していた。
「最後に卵白で上澄みを絡めとれば――ほら」
「うわあ。綺麗ですね。透き通って鍋底が見えます」
「ここまで出来れば、あとは味を整えるだけです」
クラウディアは、料理長から教わったスープを自分でも作れるようになりたいと、それから一週間、毎日野菜を煮込み続けては試行錯誤を繰り返した。
七日目。見た目だけは近づいた気がして、クラウディアは料理長に味見を頼んだ。
「どうでしょうか?」
「うむ。見た感じは悪くなさそうですよ。どれどれ――うん。うん! 美味い。いいでしょう。今日はこれをユリウス様にお出ししてみましょう」
「本当ですか!」
昼食の給仕係からアントンへは前もって伝えられていたが、ユリウスは知るべくもない。
スープを一口飲んだ彼は怪訝な表情を浮かべた。
「……?」
「どうされました?」
「いや。いつもと少し味が違う気がする。まあ、これはこれで美味しいから問題ないが」
「ふふふ」
「何がおかしい?」
「実は……」
クラウディアは厨房の奥で、ユリウスの食事が終わるのをドキドキしながら待っていた。
(もし口をつけただけで召し上がっていなかったら……。その時は料理長ではなく私が作ったんだと申し開きをしなくっちゃ)
「く、クラウディア様!」
料理長が真っ青な顔で、洗い場にいるクラウディアを呼びにきた。
「まさか! 私、失敗したんですか?」
「ちがっ。ちがっ」
料理長が口をパクパクさせていると、「邪魔をする」と低い声が聞こえた。
料理長の背後から、圧倒的な存在感を伴ってユリウスが現れた。
貴族が、ましてや領主が厨房に入るなど、あり得ないことだ。
使用人たちは驚きのあまり固まってしまい、ろくに挨拶もできない有様だ。
「今日のスープはそなたが作ったと聞いたのだが」
「は、はい。あの――。お口に合いませんでしたでしょうか」
「いや。美味かった。それを伝えにきただけだ」
「は?」
クラウディアだけでなくその場にいた全員が、ポカンと言葉を失った。
アントンが必死に笑いをこらえる中、ユリウスは皆の反応にはまったく動じることなく、真面目に尋ねた。
「掃除もそうだが、そなた、料理もできるのか? いったいどうすればそんなことが身に付くのだ」
公爵令嬢なのに、とは敢えて言わないユリウスだった。
「父が亡くなってからの二年間は毎日やっていましたので。それまでは交易事業についての勉強しかしていなかったため、初めは全然できませんでした」
「交易事業の勉強をしていたのか」
「はい。仕入れや流通の仕組みに適切な在庫量。リスク分散のための取引先の複数化や適正な価格の付け方など、どれも楽しくて仕方ありませんでした。帳簿の付け方も教わって――は!」
つい調子に乗って喋りすぎてしまったと、クラウディアは慌てて口を閉じた。
「……ほう。帳簿をな」
(私ったら、なんて馬鹿なの。聞かれてもいないことをベラベラと)
「あの。私のような者が厨房に入り、ユリウス様のお口に入れる物を料理するなど軽率でした」
(そうよ。本来ならばもっと過酷な労働が待っていたはず。私はネリーさんに甘えすぎているわ)
「あの。グラーツ領の仕事といえば、港での労働だと伺っておりました。私は港で働かなくてよろしいのでしょうか?」
「ん? 港か。そうか。まだ見ておらぬか。ならば行ってみるか」
ユリウスは、クラウディアが「申し訳ございません」以外に、普通にしゃべれるのだと、ただその一点にのみ意識がいっていたので、「港」と聞こえるまでは、彼女のしゃべっている内容は頭に入っていなかった。
「え?」
クラウディアは、ユリウスの言う「行く」が何を意味するのか理解できず、きちんと返事ができなかった。
「嫌か?」
使用人が主人の命令を拒否するなど、あり得ない。
「い、いえ。いいえ。参ります。何なりとお申し付けください」
「何を言っている?」
頭を垂れたままユリウスの命令を待つクラウディアは、「申し訳ございません」しか言わない彼女に戻ってしまったように見えた。
「私が怖いか?」
ユリウスがポツリとこぼした。
(……え? 今、なんて?)
うつむいたままクラウディアが返事に困っていると、
「いい加減、頭を上げろ。行くぞ!」
と、威勢の良い言葉が降ってきた。
クラウディアがこわごわと頭を上げると、ユリウスは既に背中を向けていた。
楽しげなアントンが、身振りで、おいでおいでと手招きをしている。
微動だにしないクラウディアに、見かねた料理長が、
「ネリーには私から伝えておくので、仕事のことは心配いりません。それよりも早く! ユリウス様をお待たせしないように」
と、急きたてた。
訳がわからないクラウディアだったが、最後には、その場にいた使用人たちに背中をぐいっと押される形で厨房を後にした。




