第90話 始祖
ディッセンドルフの言葉に、そこにいた者は絶句した。
いや、ニシムロだけは全てを知ってるようにニヤニヤしていた。
「先輩、なにを考えているんですか?「神」を殺すなど、そんな大層なこと、人間に出来るわけがない。いくら先輩の【言霊】が強力でも…。」
「【言霊】は、神から分けられる力のはずです。自分を殺すようなものの力はすぐに奪い取るはずです、ディッセンドルフ様!」
セノビックも何かを言おうとしながらも、何も言うことは無かった。
「オオジコバもアンドリューも聞いてほしい。最初の頃、俺はみなに「神の言葉を聞いたことがあるか」と問うた時があった。覚えているか。」
「ええ。」
「覚えています。先輩に言われて、【言霊】以外のことは聞いていない、と答えた気がします。」
セノビックもオオジコバやアンドリューの言葉に頷く。
「俺の義父になったルードヴィッヒ侯爵は、神から直接俺を18まで育てるように言われたと言った。つまり、必要に応じて神は、【言霊】以外の言葉ももたらす。そして俺は、「神の子」の【言霊】以外にある命令を受けた。」
俺の言葉にアンドリューが驚きの表情でディッセンドルフを見た。
「そうだ。神は俺に神自身を殺せ、と命令したんだ。それがいかなる理由があるかはわからない。だが、俺にもたらされた力を使いこなし、仲間を集めるようなことを暗にほのめかしたんだ。そして、俺は心の底から信じられる友を得たと思っている。それがここにいる4人だ。」
オオジコバはディッセンドルフの言葉に嬉しさを感じると同時に、恐怖も感じていた。
しかし、自分が賜った「神殺し」という【言霊】の意味がこの時はっきりと分かった。
先輩と、「神の子」と共に神と闘い、神を滅することが、この【言霊】の意味するところだという事を。
愛するディッセンドルフと共に行く。
アンドリューはその想いに変わりはない。
だが、ディッセンドルフの運命に、悲しいものを感じていた。
アンドリューの心は決まっていると、自分自身で思い込もうとした。
だが心の片隅にそれでいいのか、と問いかける自分がいる。
それは生涯、神のこの身を捧ぐ誓いを思い出したためか。
それとも、今、自分の中で育まれている新しい命、ディッセンドルフとアンドリューの愛の結晶であり証でもある我が子のためか。
それでも、「聖女」がいなければ、あの「魔導構成数式図」しかない「神の部屋」の扉を開けることが出来ないのだ。
ディッセンドルフの悲痛な目的を達成させるためには、妻である自分が付き従わなければならない。
アンドリューはそう自分を言い聞かせた。
「神を殺す、か。貴君は本当にそれが可能だと思うのか?」
教皇は、先程までと変わり、息も整って来ていた。
魔導力を極限まで使用したはずだが、当然「神の言葉」の恩恵を受ける者でもある。
こと切れていなければ、復活は可能なのだろう。
高齢で、体を動かすことも大変な齢を重ねた身だとしても。
「私は、縁があって教皇などという身分不相応な職務をこなしている。いわゆる同期、同じ頃にこの「神の言葉」教の門を叩き、修行の日々を費やしてきた。それまでも、センチと言われる場所には何度もこの身を運び、平和について問うてきた。魔導士戦争時には、助けを求める人々、魔導士も普通に過ごした人たちにも、手を差し伸べてきた。神は確かに優しいだけではない。我々人類に大きな試練を与える存在でもある。だからこそ、信じてこの年まで生きてきた。だが、その神を殺す、という行動が何を引き起こすのか、考えたことはないか、「神の子」ディッセンドルフよ。」
その問いかけに、ディッセンドルフは不思議そうな顔を教皇に向けた。
「逆に教皇猊下にお尋ねしたい。貴方が信じる神から「私を殺してほしい」と頼まれたら、あなたはどうする?どういう行動をとるんだ?俺のおかれた状態はそういう状態だ。神が憎くて殺しに行くわけではない。いや、神を憎む気持ちは確かにあるが、それだけではないんだ。」
「そんなことを、我が主が言うはずなど……。」
「わずか10歳ほどの子供が、自分を殺せと、神から言われた。そのための鍛錬と信じられる友を探せと言われたのだ。さらに「神の子」などという大層な「神の言葉」を賜り、貧しくはあっても心優しい両親とともに幸せと言える生活を送っていた10歳の子供の環境が一変した。貢物、祝福の品が次々と送られ、そのきらめきに両親はそれまでの真面目で働き者という性格がガラリと変わった。さらに当時の伯爵に金で買われた。容姿先には俺を殺そうとする義母・義兄弟たちがいた。」
「た、確かにそれは、その一端は我々にも責任があるかもしれないが…。」
ディッセンドルフの言葉は、傍にいたアンドリューの心にも突き刺さった。
あの日、祝福のキスをしたのは自分である。
その時には既に幼いディッセンドルフに惹かれてもいたと、今なら思えるのだが。
実際にそのキスと祝福の高価な宝飾品を送ったのも事実だ。
その富がマルヌク村で王侯貴族のような生活をディッセンドルフの両親にさせたと言われれば、そうだとしか言いようがなかった。
「両親に関しては、もう俺にとってはどうでもいい人たちだ。すでに死んでもいる。それよりも幼い子供への神の無慈悲とも、無謀ともいえる「言葉」は俺の心に深く刻み込まれた。
俺はその日から親友であるサーマルを得る日まで、ただ生きていた。できればこの命を捨てたいとも思っていた。自ら断という勇気は持てなかったがね。」
ディッセンドルフの独白に近い言葉に、教皇は何も言わず、ディッセンドルフを見つめていた。
その瞳の輝きは、すでにディッセンドルフへの恐怖ではなかった。
「「神の子」ディッセンドルフよ。そなたはその無尽蔵とも思える魔導力が何処からきているのか、知っておるのか?」
「ああ、知っている。そこのニシムロ卿から魔導力と「神の言葉」の関係の一端を聞いた。」
「そうか。知っておるか。このことは悟りを開いた上級魔導士でも、一部の者しか知らん話だと思っていたが。ニシムロ卿が知っていると。」
そう言ってニシムロにその視線を向ける。
そしてニシムロの顔の傷を見る。
「その傷…、もしや聖痕か?」
「いいや、そんな上等なものではない。国王の差し向けた兵士に捕まり、一本の木に括られた後、その兵士たちに、「罪人の証し」としてつけられたものだ。」
聖痕、それは「神の言葉」教始祖であるジーニアス・ソウラングの手の平に太い杭が打ち付けられてできたとされる跡である。
信心深いものに現れるとされる聖痕は、だが手の平だけではない。
「罪人の証し」としてつけられた顔の傷も聖痕として浮かび上がる者もいるのである。
だが、今ニシムロが語った言葉が真実だとすると…。
「「神の聖櫃」の中身は空か?」
フシテルム・ヨハネⅢ世教皇は、考えるだけで恐ろしい妄想についてニシムロに尋ねた。
ニシムロは冷酷な笑みを浮かべ、教皇を見た。
「それに関しては、自らの眼で確かめるんだな、教皇猊下。」
その言葉にヨハネⅢ世は確信した。
聖櫃には何もない。
その中身は、今、目の前にいる。
教皇の質問とそれに対するニシムロの態度。
それは、アンドリューにも何を意味するか、推測できた。
緑色に綺麗な光沢を持つその「聖櫃」には、ある重要な人物の遺体があるとされていた。
この「神の言葉」教において、始祖ジーニアス・ソウラングの貼り付けによる刑の後のことは、多くの逸話が残されていた。
天から強烈な光が息をしなくなった始祖に降り注ぎ、その体が消失したという話。
数か月の後にその刑の場所に言った刑吏達は、蘇った始祖に膝まづき永遠の忠誠を誓ったという話。
息を引き取った直後に、その体は白い竜に変化し、天に消えたという話。
逆にその遺体がドロドロに溶けて地中にしみこんだ後、その地に大きな地震が起こり、その地が消失したという話。
様々な話があり、それを根拠とした分派も存在している。
だが、「神の言葉」教総本部法務庁地下のこの場所に、人類の罪をその身に受け、その生を終わらせた始祖ジーニアス・ソウラングの遺体は弟子たちにより密かに奪還され、棺に納めれれて今に至るとされている。
それが12の強化守護神に守られこの場所に眠っているはずなのだ。
その「聖櫃」の中身が、何もないという事は…。
顔に「聖痕」と思われる傷を持つ男がこの場にいるという事は…。
アンドリューもまた、教皇と同じ結論に至った。
教皇と「聖女」の猜疑と信心に揺れる瞳に、オオジコバは胸騒ぎが収まらなかった。
「ニシムロ様、あなた様は、まさか、「神の言葉」教の始祖にして教祖、ジーニアス・ソウラング様、なのですか?」




