第89話 教皇
ソルトシュガー大森林での戦闘の後に、ディッセンドルフはオオジコバから聞かれたことがあった。
「「聖女」様をこの国から離れることを阻止するにしては、何か変ではないか?」と。
ディッセンドルフはその時には可能性の一つに、ロメン法国の一部の者が、「神の言葉」教総本部に「聖女」が居住することを好まないものがいるという事を伝えた。
「どういうことですか、先輩?」
「今の総本部の管理体制、統括しているのは法王・教皇・枢機卿の3大聖人だという事はオオジコバも知っていることだと思う。」
「そうですね。一応の権力の順位としては、ロメン法国を統治する法王、「神の言葉」教のトップである教皇、そして祭礼等の実務の長たる枢機卿といったところでしょうか。」
「その3大権力の場に神に愛された「神の巫女」たる「聖女」アンドリューが入るとどうなると思う?単純に3人の下のポジションになると思うか?」
「それには無理がありますね。「聖女」アンドリュー様がそれでいいとしても、「聖女」様を推す一派はかなりの数、存在します。しかも以前から「聖女」たるものが地方の聖長ごときに留まってることはおかしいという意見はありましたし、さらにレベッカ海峡事件後の献身的な行動の様子はレオパルド連邦、ジョバンニュ・クリミアン連合王国、その周辺国でも話題になりました。しかも、レベッカ海峡周辺でのレオパルド連邦側での奇病の発生による多くの犠牲者が出る中で、危険を恐れず各地の臨時医療施設を回られ、「聖女の奇跡」をもたらした存在ですから。下手をすれば今まで一度も現れなかった法王・教皇・枢機卿を兼任する「聖君子」として即位する可能性があります。現3聖人はそのままその役職の補佐的な権限に退けられるのではないかという事も囁かれています。」
さすがに元貴族で熱心な信者なだけはある。
さらにアンドリューの親戚でもあり、出会った当時ほどの視野の狭さが改善され、「物事を俯瞰的に見る」という事も理解してきているようだった。
ディッセンドルフははそれを嬉しく思った。
「そう、つまり「聖女」に総本部に来ては欲しくない連中がいる。そいつらから操られた「聖女」派が今回襲ってきた奴らさ。」
「そう本部の聖職者にあるまじき私利私欲に教会を利用してる奴らがいると、先輩は言いたいんですか?」
「おかしな話ではないだろう?組織があればそういう奴らがある程度出て来るさ。」
オオジコバは納得できなさそうではあったが、ディッセンドルフの言い分にも理があることは認めたようだ。
オオジコバはまだ若いからな。
まるでかなりの大人のような感想が自分に湧いてきたことに、少しディッセンドルフは苦笑した。
オオジコバとは2つしか年が変わらない。
だが、経験というか、「神」からの絶望的な言葉を託された10歳のディッセンドルフは否応もなく、精神的な成熟を求められてしまったのだ。
「神の言葉」教総本部の重鎮の一部がこの騒動に絡んでる、か。
ディッセンドルフはその総本部が強引に開いた「門」をくぐりながら、オオジコバにこの一連の騒動の原因について語ったことを思い出していた。
オオジコバに語ったことは、間違いとは言えないが重要なことをかなりの部分隠していた。
それは、本来のディッセンドルフの目的に起因する。
どこまで総本部の3大聖人がディッセンドルフの目的を理解しているかはわからない。
だが、明らかにその態度に変化が見られたのは、ディッセンドルフが求めた「神の部屋」についての依頼から、であろうことは想像がついていた。
「神の部屋」についてディッセンドルフは詳しくない。だがその存在は「神」の啓示により知っていた。
アンドリューと初めて結ばれた日に、ことがすんだ後に尋ねた。
「神の部屋」が何処にあるかと。
そのことを聞いたときのアンドリューの驚き方は鮮烈だった。
銀髪碧眼の顔が硬直し、それでなくとも白磁のような一糸纏わぬ肌が緊張でさらに青白くなっていた。
「ディッセンドルフ様、その話をどこで……?」
「「神」の啓示で。」
小さなため息をついて、アンドリューはディッセンドルフに語った。
「神の部屋」のある場所、そしてその部屋にあるモノについて。
さらにその場所に辿り着くための方法と一番重要なこと。
その「神の部屋」を開けるためには、総本部の3大聖人、もしくは「聖女」の力が必要であることを。
ディッセンドルフは、「神の子」たる自分と「聖女」アンドリューが契りを交わしたという事に関しては3聖人がそれほどの危機感を示さなかったことは聞いていた。
であるからこそ先代の「聖女」について教示してくれたのだろう。
さらにジョバンニュ支部の聖長をを辞職しロメン法国に夫であるディッセンドルフとともに赴くことについても、さして否定的な態度は見られなかったのだ。
だが、「神の言葉」教総本部に挨拶と報告に向かう旨を知らせ、その際に「神の部屋」への案内を求めたところから、彼らの態度に変化が見られたようだった。
表立っては「神の部屋」の存在を否定しただけだった。
ディッセンドルフはそのことに秘匿すべき場所であるを理解した。
そして、「神の部屋」のことをアンドリューに尋ねた時の驚きを思い出した。
だからこそ、すぐにその要望を撤回した。
したのだが、ディッセンドルフが「神の部屋」のことを知っていると総本部3聖人は認識した。
すでに「聖女」のロメン法国への帰還は決定事項であった。
だからこそ、ジョバンニュ支部の「聖女」派の暴走という形で、ロメン法国への出向を妨害しようとした。
そして失敗した。
「神の言葉」教総本部上層部としては、「神の子」ディッセンドルフは敵に回せばこれ以上の脅威はなかった。
「聖女」誘拐に失敗した時点で、次の作戦行動を用意していた、という訳だ。
「神の言葉」教始祖、ジーニアス・ソウラングの遺体が眠るとされる「神の聖櫃」を守る魔導人形。
強化守護神を使用するため、多くの上級魔導士を招集し、大陸に来る前に「神の子」と「聖女」の片方、出来れば両者を葬ろうと総力戦を仕掛けたという事なのだろう。
しかも1体ではなく躊躇なく2体目を投入し、しかも1体目を爆破させた。
強大な魔導力が注入されていた魔導人形をさらなる大きな魔導力で爆破!
その周辺がどうなったかは全くわからない。
ディッセンドルフに余裕はなかったのだ。
しかも2体目の魔導人形には、1体目のようなその巨体を行使してのディッセンドルフ達を駆逐する運用法をしなかった。
出来うる限りの魔導力を供給しての砲台として使用した。
ゼノビックの「正義の目」での観測によれば、そこにい大量の上級魔導士の殆どが倒れていたという。
ディッセンドルフは魔導構成数式図に侵入して、その出口、「神の言葉」教総本部法務庁地下と思われる場所にその体を晒すまで、現状の整理を試みていた。
セノビックの言葉を信じるなら、そして思念波で送られてきたその出口付近の映像を見る限り、こちらに対しての戦力の大半が朽ちているようではある。
オオジコバが先にこの出口から出ようとしたのをディッセンドルフが制した。
驚いてこちらを見るオオジコバに、ディッセンドルフはかすかな微笑みを返す。
そのまま、何の警戒もしないでディッセンドルフはその出口に足を一歩、差し込むようにした。
その横にジョーカーが同じようにそこから出た。
その出口になっている魔導構成数式図は地面に描かれてはおらず、壁に描かれていた。
ディッセンドルフとジョーカーはそのままその体を晒したが、何の攻撃も仕掛けられなかった。
硬い石版で整備された床を歩き、後ろの者たちのための空間が出来るように場所を開ける。
オオジコバ、アンドリュー、セノビック、そしてニシムロが出てくる。
「おお、これは酷い事になってんな。」
ニシムロの言葉は全員が思ったことだ。
広大な空間だった。
そこに数多くの人間が倒れている。
だれ一人立っている者はいなかった。
さらに、ディッセンドルフ達のいる場所の近くに白い布に巻かれている人と思われるものが数十体。
その奥に目を教会の紋章の描かれた白い布で覆われた者が10人程度。
だが全く動く気配がなかった。
何人かの鼻や口からは赤い血が流れていた。
魔導構成数式図が放っていた光が急速に消えていくと、一瞬闇がその空間を支配した。
ディッセンドルフ達に緊張が走った。
動かぬ者の中に隠れた敵が襲ってくることに身構え、結界が張られた。
が、何の動きもなかった。
アンドリューが一歩前に出て静かに祈るように両手を合わせた。
微かな声が聞こえた。
その空間に光が現れた。
どうやらこの広大な空間に配置された魔導ランプに灯りを入れたようだ。
考えれば当たり前だが、この闇の中では何もできない。
この空間を照らすための照明が必要なはずだった。
つまり、ここにいる多くの「神の言葉」教の者たちには、この灯りを照らすだけの魔導力もないという事だった。
ディッセンドルフはその灯りに照らされたこの空間を見渡した。
禅を組んで死んでいるらしいものたちの奥に数段高くなった場所があった。
そこには装飾された椅子にもたれる3人の白い装束を纏ったものがいた。
ディッセンドルフはジョーカーを従えてそちらに向かった。
「大将気をつけろよ。まだ息があるぜ。」
ニシムロの問いかけに右手を上げて答える。
真ん中に座っていた老人がうっすらと目を開け、目の前に立つ青年を見た。
「初めまして、ですね。こうやって会うのは、フシテルム・ヨハネⅢ世教皇猊下。「神の子」の言葉を賜りましたディッセンドルフ・フォン・ルードヴィヒ改めディッセンドルフ・ビューテリウムと申します。」
ディッセンドルフの慇懃無礼な挨拶に、苦々し気な表情で教皇は睨みつけた。
「お前の目的は、一体、何なんだ?」
荒い息をつきながら、ディッセンドルフにここに来たことの目的を問うた。
ディッセンドルフは恐ろしく冷たい微笑みを浮かべた。
「神の世界に行き、神を殺すことです。」




