第77話 「聖女」争奪戦 Ⅱ
アンドリューは睡眠時も基本的には緊急事態にすぐに覚醒できるようにしている。
だが、直接自分に対する敵意がない場合には、その緊急覚醒がうまく働かないことがあった。
まさしく、今の状態が緊急覚醒に齟齬を生じた状態であった。
この自分を守るはずの二人の騎士が、自分に対して裏切るという事を、全く考えていなかったのである。
アンドリューの表層知覚は、この部屋で行われた戦闘ともいえない暴力に対して、心の奥で否定する気持ちと拮抗していた。
だが、アンドリューに対しての催眠魔法がかけられたことにより、相手が「敵」であることを認識した。
ただ、つい数時間前、ディッセンドルフを激しく求めたことにより、体力面で疲労が蓄積していた。
さらに催眠魔法と、その外からの不気味な結界により、緊急覚醒がうまく働かなかった。
だが、思念波が強く結びついているディッセンドルフに助けを求めることはできた。
それが心の叫びとなり、馬車の中で密談をしていたディッセンドルフに届いた。
「アンドリューに異変だ!」
そう言ったと同時にその場からディッセンドルフが消えた。
ニシムロもセノビックの腕をつかみ、ディッセンドルフの後に続いた。
その異常状態を知覚したジョーカーの目が、誰もいなくなった馬車の中で光った。
マテリアの悲鳴に、開け放たれた入り口からオオジコバが飛び込んできた。
そして、そこにいるはずのディッセンドルフとアンドリューがいないこと、さらに侍女のマテリアが口から血と吐瀉物を吐く出し、スカートから臭いのきつい液体が床を汚していることがわかった。
マテリアの力量はオオジコバも十分承知していた。
その女性がこうも一方的に叩き伏されている事実と、重要な二人がいないこと、そして外に通じる窓が大きく開けられていることから、ディッセンドルフとアンドリューが拉致されたと考えた。
ディッセンドルフが簡単に拉致されることなどないという考えが浮かんだが、今は現実を捉えることを第一とした。
「大丈夫…、ではないな。ちょっと待ってくれ、何とか回復の魔術を…。」
オオジコバは戦闘系の魔術・魔法には長けていたが、治療・回復は不得手ではあった。
だが、魔導力自体は大きいため、不格好だができないわけではなかった。
出来るはずだったのだが…。
「ん?おかしい。うまく、魔術が集中できない。」
倒れていたマテリアルが大量の血液の塊を吐き出した。
少し黒い。
胃から腸にかけての出血とみられる。
これは内臓、肝臓や脾臓が損傷を受けている可能性が高い。
マテリアの瞳も全く生気がなく、呼吸の音も弱くなっている気がした。
「おい、しっかりしろ!くっそう、どうすればいいんだよ!」
懸命に自分の手のひらに治療の印を結び、覚えている詠唱を繰り返し唱えた。
僅かに自分の中の魔導力が集まりそうになると、散っていく感じがしていた。
この空間がおかしいのか、俺の感覚が狂ってるのか?
「「聖女」様はどこに行ったんだよお~、教えてくれよお~。」
オオジコバは自分の無力さに、泣きそうになっていた。
「オオジコバ、どけろ。俺がやる。」
オオジコバの耳に聞きなれた声が響いた。
涙に濡れた顔をあげると、そこにはいなかったはずのディッセンドルフがオオジコバの肩に手をかけていた。
「せ、せんぱ~い。ど、どこに行ってたんですか!アンドリュー様が、アンドリュー様が…。」
「ああ、解ってる。まずは侍女のマテリアを助けることが先だ!」
「だけど、俺、治療の魔法がうまくいかなくて。」
「だから、俺に任せろ!」
ディッセンドルフそう言ってオオジコバをその場からどけさせ、マテリアの前に座り込んだ。
瞳を見る。
そこには何も見えていないようだった。
脈をとると、かなり弱い脈動であったが、まだ死には至っていないことを確認した。
損傷をこうむっている内臓、骨、神経を確認した。
酷い状態であった。
生身の人間の腹を、かなり硬いもので力いっぱい蹴ったことが分かる。
その一つ一つの傷に対して再生の魔術を試みた。
最初こそ力が霧散していくのを感じたが、その流れを読んだディッセンドルフは、流れに逆らわず、しかしその流れを少しずつ変えて、もう一度自分に戻るように修正した。
その後は淡い光と共にマテリアの身体が修復され、内臓や骨、神経、そのほかの細胞が完全な状態に再生されていった。
その過程で、ディッセンドルフはマテリアが下半身に下着の類を付けずに、そこが蜜に濡れていることから、何をしていたか分かってしまい、急に恥ずかしさが自分の体温をあげていることが分かった。
このことは絶対に言ってはならないことだと、理解した。
しばらくしてマテリアの呼吸音、心音が正常になり、瞳にも力が蘇った。
その瞬間、マテリアは上半身を起こし、目の前にディッセンドルフがいることに驚いた。
「デ、ディッセンドルフ様!申し訳ありません!不覚にも賊に負けて、アンドリュー様を奪われてしまいました!」
マテリアは、ほとんど土下座するように、自分の排出したぬかるみに頭をつけていた。
「君が油断したことは、確かに責められよう。だがアンドリューを攫ったのは、神聖騎士として「聖女」の守護を任せられたはずのマルスとウラヌス、何だろう?」
犯人の名を告げたとき、マテリアだけでなく、オオジコバも驚いた。
すでにディッセンドルフを追って転移をしてきたニシムロとセノビックは、「正義の目」でそのことを理解していた。
「この街には大規模な結界が張られていて、魔導がうまく使えなくなっている。さらに催眠効果も付与されているようだ。俺やニシムロにはほぼ効果がないんだが、な。オオジコバの得意とする攻撃系統に関しては、おそらく影響はない。」
「だけど、だけど、先輩。俺、この人のけがを治すことが…。」
「オオジコバ、少し落ち着け。とりあえずは、マテリア卿は大丈夫だ。お前は回復系の魔導は不得意だろう?魔導力が高くても、不得手の魔導ではうまく使えなくてもおかしくはない。仕方がないさ。教会の一級の魔導士、10人以上で敵対魔法を封じ込めにかかっているからな。」
その言葉にマテリアが涙と汚物にまみれた顔を上げた。
「ジョバンニュ支部が、ですか?」
「ああ、先の少年兵たちは何も知らされずに使われただけだ。囮としてな。ただ誰も殺さずに捕縛したので大事にならなかったが。教会と言ってもジョバンニュ支部の全勢力ではない。反体制派というわけではないが、非主流派だな。強いて言えば「聖女」崇拝者ってとこだ。アンドリューを拉致した二人はそんなことを言ってなかったか?」
「はい、「聖女」が穢されたと。」
ディッセンドルフは大きくため息をついた。
自分がアンドリューとともにいた時に、この部屋を結界で覆っていた。
その頃にその結界が形成されたのだろう。
ディッセンドルフが「聖女」アンドリューに襲われるように行為に没頭したために、他の者が結界を敷いたことに気付けずにいたのが致命的だった。
二人の護衛の騎士にディッセンドルフとアンドリューが結婚したことを伝えてはいなかった。
この宿に泊まることになった時に「聖女」と「神の子」が同室である理由を聞いて初めて知ったのだろう。
先代の「聖女」アマルフィーが生涯、男性と交わることが無かったという事になっているために、「聖女」はその純潔を生涯において守るという伝説を作ってしまったことが遠因でもあると考えていた。
アマルフィーは生まれた時から「聖女」だったわけではない。
20歳の時に修道院に入り、23歳から「聖女」としての活動を始めている。
アマルフィーはアンドリューと異なり【言霊】持ちではなかった。
だが魔導力、特に治療・回復の魔術にその能力の高さがあった。
ただ、下級貴族の娘として生まれ、親の決めた男性と結婚するものと教えられ、自分でもそう思っていた。
だが15の時、領地の近くで行われた魔獣狩りで、遠征で来て負傷した騎士を治療した。
その時にその騎士と結ばれた。
しかし騎士には故郷に家族があった。
アマルフィーの親がその事実を知った時、激怒してアマルフィーを離れの一室に閉じ込めた。
その騎士がアマルフィーを愛していたのは事実であろう。
だが軟禁状態で家を出ることが出来なかったアマルフィーは、騎士との密会の場所に行くことはできなかった。
騎士も滞在期間中、その場に赴いていたのだが、会うことなく遠征期間終了と同時に故郷に帰っていったのだ。
政略結婚において、娘の純潔は非常に有利な条件だった。
それを名もない男に奪われたのだ。
下級貴族にとって娘は家の発展のための道具でしかなかった。
父親はその騎士が去った後もそのままアマルフィーを閉じ込めていた。
父親はアマルフィーの相手の男を知らなかったのだから無理もない。
アマルフィーもまた、頑として相手のことを伝えなかったためである。
そんなアマルフィーにとって、唯一の他人との接触は、「神の言葉」教ジョバンニュ支部修道院司祭との30分程度の祈りの時間のみであった。
そしてアマルフィーは決断する。
修道院に入る道を。
この話は「聖女」との結婚について、「神の言葉」教本部に対して了解を得るため、その手続きを求めた時に聞いた話であった。
もっとも、仮に教会が反対したとしても、「聖女」と「神の子」にとっては何の問題もなかった。
それを充分に理解している教会側も、この結婚に反対する理由はなかった。
だが「聖女」崇拝者はその事実を知らない。
もしくは聞いていたとしても信じなかった。
「聖女」は純潔であり、人々の救済のためにその身を惜しまずに、尽くすものでなければならなかったのである。
「聖女」と「神の子」が同じ部屋に宿泊する理由。
それは結婚した家族だからであった。
この事実にマルスとウラヌスは衝撃を受けた。
絶対的に信じていたものに裏切られた。
彼らはそう考えた。
ディッセンドルフは二人がアンドリューの信に応えられるものという事は疑ってはいない。
今回の「聖女」誘拐に最初から関わっていたわけではないと思っている。
仮にこの旅の始まる前から策謀を巡らせていたとしたら、ディッセンドルフはおろか、アンドリューにも、「正義の目」を持つセノビックにもばれていたことであろう。
さらに魔獣使いとの戦いにおいても、ディッセンドルフの「神の子」としての能力の高さに犯行を断念していたはずであった。
タイミングが悪かった。
もしもという事はあり得ないのだが、この旅の始まる前に事実を告げていれば、また違う結果であったことだろう。
「どうやら相手の狙いは「聖女」アンドリューのジョバンニュ支部での活動だと思われる。このまま支部本庁に軟禁状態とし、神聖不可侵の「聖女」として保護するつもりなのだろうな、彼らは。本人の意向を無視して。」
「大将の言う通りだとは思うが…。だが、だからと言って「聖女」の身の安全を保障するものではない。奴ら「聖女」崇拝者が「神の子」との契りのみならず、「神の子」との子供を身ごもっていると知ったら、何をするかわかったもんじゃない。」
ニシムロの言葉に、一旦落ち着いたオオジコバの目に怒りが現れた。
「すぐにでも、あいつらを。」
「冷静になれ。オオジコバ、そんなに熱くなってはできることも出来なくなる。この街は奴らが結界を張ったことにより、魔導力が使いづらくなっているんだ。奴らも「聖女」を抱えたまま、そんなに早くは移動できないはずだ。」
その時、セノビックの渡した清潔な吸水布で顔を拭いていたマテリアが異を唱えた。
「あいつらは危険です。私のことをメス豚と罵りながら、私の下半身と「聖女」様の裸に、奴らの股間がいきり立っていました。」
その言葉に、ディッセンドルフの冷静な感情が激しく揺さぶられた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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