第72話 馬車旅
玄関を出るとそこに二人の人物を見つけた。
がっしりした体躯のニシムロと、ヴェールを纏った「聖女」、アンドリュー・ビューテリウム。
ここはルードヴィッヒ侯爵家の敷地内だが、「聖女」が既にディッセンドルフと懇意であり、さらに何度かディッセンドルフの依頼や、「神の言葉」教関連で、数度行き来していたため、門番もまったく怪しむこともなく入れたものと思われた。
もっとも、ニシムロだけであれば何らかのトラブルになっていたことだろう。
「ご主人様、馬車の用意はできております。どうぞこちらへ。」
玄関前の階段を降りたところに、大きめの馬車があった。
引く馬も4頭揃えられている。
「この馬たちと馬車は、私の持ち物です。教会の所有ではありませんので、安心してお乗りください。」
「申し訳ないな。あまり「神の言葉」教に知られたくはないんでな。」
ディッセンドルフはそう言うとアンドリューの侍女が馬車の扉を開けた。
ディッセンドルフは軽くその女性に礼をし、馬車に乗り込む。
奥の席に座ったディッセンドルフの横にアンドリュー、そして侍女。
向かいに奥からニシムロ、セノビック、オオジコバと腰を掛けた。
「それではまずは予定通りサウス・ガウスに向かってくれ。」
「ええ、畏まりました。」
アンドリューがディッセンドルフの指示に答え、侍女が窓から御者に行き先を伝えた。
目的地までは、馬車でも丸二日はかかる距離である。
セノビックも馬車を扱えることはできるが、今回は御者が2名、御者台にいた。
「先輩、でも、何故サウス・ガウスなんだ。あそこはただの漁港の町だと記憶してるんだが。」
オオジコバだけではなくセノビックもディッセンドルフの目的地は聞いていない。
アンドリューはこの度のための準備を頼んだため、そして「聖女」でなければできないことの依頼もしているので、最終目的地の前の目的地までは知っている。
ニシムロは最初からディッセンドルフの最終目的地は知っている。
これは「神の子」になった時からの運命といってもいい。
「守護者」ニシムロは、この旅の水先案内人でもある。
「そこに船を待たせてある。」
「船、ですか。」
オオジコバは少し考えた後、さらに口を開いた。
「でしたらあの近くに、サウスガード海軍基地があったはずです。そこの船を利用するのも一つの手ではないですか?ディッセンドルフ先輩の力なら、そこの基地司令は拒めないでしょう。」
「それもそうだが、軍艦を使う訳にはいくまい。ちょっと目立ちすぎる。出来ればあまり目立ちたくはないんだ。」
「だとすると、この大型の馬車で警護の騎馬隊なしに、小さな漁港がメインのサウス・ガウスを目指すのは、野盗の格好の的になりますよ。もっともこちらの戦力を考えれば恐れることはないですが…。」
実際問題、「神の子」ディッセンドルフがいるということだけで、仮に1個大隊規模の兵力に対してすら、脅威ではないとはオオジコバも考えてはいる。
ただ、目立たないように、という事では、この道が軍用の補給物資を通すために作られた幅の広いものとはいえ、この大型の馬車は悪目立ちすることを避けることはできない。
この街道に接する町の者には中途半端に映ることだろう。
町と町の間には森が道を囲む場所も存在するのだから。
「この私の侍女マテリア・ソンダイジュも、代々ビューテリウム家に仕える家系ではありますが、「聖女」の守護隊の隊員でもありました。さらに御者2名も元神聖騎士団の上級騎士を務めてまいりました。皆様が出ずとも、野盗や魔獣程度であれば、蹴散らすことが出来ます。」
「確かに、皆一般のものとは思えない身のこなしでありましたが…。そういう事ですか。」
オオジコバはため息をつきながらそうアンドリューに言った。
「今回の私の個人的なことに付き合わせたことは悪いとは思っているが、ついてきてくれたことは本当に感謝している。この場を借りてお礼が言いたい。ありがとう。」
ディッセンドルフが座ったままであるが、頭を垂れた。
その行動に一同は、照れたように、「まあ」とか「いいえ、そんな」とか、言葉になり切れないことを発した。
「今回のひとまずの目的を告げたい。私は「神の子」という【言霊】が降りてきたときに、同時に神の言葉を聞いた。その意味は18の年に家を出て「神」に従えというものだった。」
この「神」のもたらした言葉は、これだけではなかったが、ディッセンドルフはあえて後半の、さらに重大な言葉を秘密にした。それにはまず、第1の目的を果たさなければ進むことが出来ないからでもあった。
「そして、そのためにある場所が指定されている。」
ディッセンドルフの顔に険しい表情が浮かんでいた。
それだけで、その場所というのがディッセンドルフの力、人脈をもってしても行きつくことが難しいことを示していることが想像できた。
さらに「聖女」の力を必要として、海を渡らねばならない場所。
セノビックの【言霊】にはその場所が朧気に見えていた。
「ロメン法国、「神の言葉」教法政庁、ですか。」
「さすがだな、セノビック殿。」
セノビックの言葉に、あっさりと答えた。
セノビックはその言葉にただ礼をしたのみであった。
「今のセノビック殿の言葉通り、ロメン法国を目指す。ロメン法国上層部にも伝手はあるが、法政庁となると、私一人の力ではどうにもならないこともあって、今回は「聖女」の身分であるアンドリューにも来てもらう事になった。」
その言葉にオオジコバは違和感を覚えた。
「先輩、今、聖女様を呼びつけで…。」
「夫たるものが妻を呼びつけは当り前ですわ、オオジコバ。」
オオジコバがその違和感についてディッセンドルフに尋ねようとしたことに対して、かぶせるようにアンドリューが言ってきた。
「えっ、夫って…。」
オオジコバは、アンドリューの言葉に、そういうのは精一杯であった。
セノビックはその細い目を開き驚きを示したが、何も言おうとはしなかった。
ニシムロはニヤニヤとディッセンドルフを見下ろす。
「既に私アンドリューはディッセンドルフ様と夫婦となりました。本日正式にルードヴィヒ家との縁を夫が切りましたので、姓も我がビューテリウムを名乗ることになります。」
「まあ、やっと想いが通じたという事ですかな、「聖女」様。」
「ええ。」
静かなセノビックの言葉に、頬を赤らめるアンドリュー。
「どうやら名実ともに夫婦という事か。やるな、大将。」
そう言ってニシムロがディッセンドルフの肩を思い切り叩いた。
少し痛そうな顔をニシムロに向けたが、ディッセンドルフは何も言わなかった。
「私共は、そういう事もあり、アンドリュー様とディッセンドルフ様、またアンドリュー様のお腹のお子も守らねばなりません。皆様もそこのところをお願いします。」
「神の子」と「聖女」の婚姻だけでも驚きであったが、すでに子供まで授かっていることにオオジコバの顔が壊れた。
「ふむ。となると、その法政庁とやらへの到達後は、「聖女」様には安全に帰ってもらわねばならんという事か。で、この護衛という事で構わないか?大将。」
「ああ、その認識で構わないよ、ニシムロ。他の二人もそのつもりでいてくれ。」
「承知いたしました、ディッセンドルフ様。」
セノビックの言葉に、隣のオオジコバも懸命にコクコク頷いていた。
いまだ自分の中での気持ちの整理がついていなかった。
「聖女」アンドリュー・ビューテリウムはオオジコバとは遠縁にあたる。
ではあるが、敬虔な「神の言葉」教の信徒であるオオジコバにとって「聖女」は神に近いお方でもあった。
崇拝に近い憧れはいまだ持っていたため、「聖女」様の婚姻という事実に、頭ではわかっていても、心がついていかない状態である。
ましてや、肉の交わりによる妊娠。
子が出来ることは単純にめでたいことではあるのだが、オオジコバの心の中には暴風が荒れ狂っていた。
平静になるのはもう少し時間がかかりそうである。
馬車はしばらく進み、途中の大きめの街道宿場町で食事と休憩を済ませた。
その間御者たちは馬の世話をし、侍女が馬車内の清掃などのメンテナンスをしている。
さすがに「聖女」アンドリューは、その気配を消してはいるものの、信者や単純な「聖女」信奉者を完全には排除できず、簡単に「神の加護」の手印を施していた。
馬車に戻り、街を立ち暫くして侍女から報告を受ける。
「最低でも3名の監視者がいました。ただその気配からは教会のものではなく、傭兵かと。」
「そう、やはり中々、解放はしてくれないようね。」
「そうですね。アンドリュー様は正式にこの国の教会には離職を宣告したはずですが。」
「教会を離れたのですか?」
オオジコバがやっと落ち着いたと思ったが、また今の会話に驚いて慌てて聞いてきた。
「ええ。とは言っても、この国からという事で「神の言葉」教からは生きている限り、離れることはないですけど。「神の巫女」の【言霊】を返上出来れば別ですが。」
「そうでしょうね。生きている限り、この【言霊】は終始付き纏う事になります。大いなる力ではありますが、平穏に生きるのはなかなか難しいものです。」
アンドリューの言葉にセノビックがそう返した。
「使い方次第だよ、嬢ちゃんもいずれ完全に使いこなせば、子育ても楽になると思うぜ。」
「相変わらず、気楽でいいな、ニシムロ卿は。」
ニシムロの軽口にディッセンドルフがそう答えた。
ニシムロの顔が笑みを浮かべた。が、すぐに真顔になる。
「来たな。」
「はい、後ろから早馬が3。おそらくこの先の森林地帯、さらに山道で接触の可能性が高いです。」
ニシムロの警戒に、「正義の目」を持つセノビックがすぐさま情報を全員に伝える。
「山道に入る前の道が土砂で潰されました。森林に6。その土砂の前に2。他にも隠密行動を取っている可能性。現在この周囲に他の馬車や、通行人は存在しません。」
「見事だな。さて、相手は我々にこの先に言っては困るという事だろうが…。狙いは私か、「聖女」か?」
セノビックの情報に対して、ディッセンドルフが呟く。
「空間転移を繰り返せば、早く目的地に行けたんじゃねえか?大将の力なら。まあ、こういう度も悪くはないんだが。」
「多少の「敵」は炙り出しておかないと、帰還後の生活に支障が出るもんでな。今回はこういった移動手段を使った。」
「大将は何でもお見通しか。まあ、しゃあないな。そんな大将についていくと決めたんだから。」
ニシムロの言葉とは裏腹な、楽しそうな顔に、皆が苦笑する。
「ソルトシュガー大森林地区に入りました。この調子だとあと10分くらいで後ろの早馬に追いつかれます。」
大量の岩塩がまるで砂糖のように見えるという事で名づけられた森林地帯。
所々にあるその岩塩を採取するために、道が幾重にも分かれている。
この大通りからも多くの採取用、そして狩猟用に道が分かれ、だからこそ、野盗などが多く出る場所でもあった。
セノビックの情報通り森林地帯に馬車が入るとすぐに後ろから早馬のひづめの音が響いてきた。
馬車は後ろから来る早馬に道を譲るために左側に寄せ右に抜けるためのスペースを作った。
これは通常の交通でのマナーではあった。
この早馬たちが、何かの知らせを伝えるための使者の可能性もゼロではないと考えた御者の行動ではある。
もしかしたら、そうであってほしいという願いだったのかもしれない。
だが、早々にその願いは破られた。
右側を追い抜くように併走してきた早馬から、そこに乗っていたローブに身を包んだ者が馬車に飛びついてきたのだ。
「止まれ!でなければ、破壊する。」
男の声が馬車内にこだました。




