第71話 ルードヴィッヒ侯爵家
自分がこの家を出た時よりも大きくなったな。
ディッセンドルフはそう思った。
自分がこの家を出た5年以上前には、この正門よりも遠くに屋敷があった。
その前には綺麗に整備された庭が季節の花を咲かせていた記憶があったのだが、その庭がなくなり、新しい屋敷が作られていた。
自分がいなくなってからの5年間に、領地は3倍くらいに増えたはずで、爵位も侯爵となった。
自分が辞退した様々な功労金はルードヴィッヒ侯爵に渡るようにはしていたが、結局はこういう金の使い方をするわけか。
ディッセンドルフの気持ちが少し暗くなった。
そしてそう感じる自分に驚いてもいた。
すっかり人間らしい思考が身についている。
「それは違いますよ、ディッセンドルフ様。」
隣に控えていたセノビックが微笑と共にそうディッセンドルフに語り掛けてきた。
「私は何も言っていませんよ、セノビック殿。」
「お顔を見ていれば分かりますよ、ディッセンドルフ様。この大きなお屋敷に不満を持たれたのでしょう。」
自分の気もちを正確に言い当てられ、ディッセンドルフは少し動揺した。
あまり、自分の考えを他人から指摘されることは少ない。
最近ではサーマルくらいだろうか。
「あのお屋敷は当主様のお屋敷ではございません。侯爵の身分を与えられたため、王族の方々もお見えになることがあるので、迎賓館として建てられたものです。当主様お気に入りのお庭まで潰して。」
「そうだな。立場上、その必要性は認めるよ。」
「実際に1階の奥に当主様のお部屋も作られてはおります。2階にはお見えになった方々用のお部屋も作られました。」
「それは珍しいな。前の屋敷はこの大屋敷、迎賓館の裏にもあるのだろう。ゲストと同じ棟に主人の部屋を作るというのは、あまり聞かないな。それが離れ無ようなところだとしても。」
そのディッセンドルフの言葉にセノビックが頷く。
「その通りでございます。この奥にあるお屋敷はある目的のために使われております。」
「ある目的?」
「ええ、親を戦争や事故、魔獣に殺された子供たち、孤児たちの宿泊所にしております。」
「孤児を育ててるというのか!あの義父が!」
またセノビックが軽く頷いた。
「そうです。ご当主様は、ディッセンドルフ様の様々な功績、それに伴う功労金や、国王から下賜された領地に心を入れ替えました。当然ディッセンドルフ様の強大な力に共振を持っていられるのも事実ではありますが…。それに報いるための行いの一つです。」
「あの義父が、自分の屋敷に孤児を…。」
信じられない想いでディッセンドルフは、目の前で静かに目を瞑り、瞑想するオオジコバを見た。
「先輩にはそれだけ、人の心を動かす力があるという事です。」
オオジコバはディッセンドルフの視線に気づき、そう簡潔に述べた。
「俺は、そんな大層なものではない。」
ディッセンドルフ達を乗せた馬車が開かれた大きな門をくぐり、その迎賓館の前で止まった。
すでに正門近くにこの馬車が来たことを知らせた門番により、当主ルードヴィッヒ侯爵家の面々が勢ぞろいしていた。
玄関の前中央に、この家の当主アレキサンドル・オスマン・フォン・ルードヴィッヒ侯爵。
その右横に第一夫人となったナタリー・ルードヴィッヒ、その横に息子である20歳になるマクサルトと娘の17歳になったばかりのミネルマスが並ぶ。
当主の左には第2夫人のマリアンヌ・ルードヴィッヒ、さらに19歳の娘のサマリスク、15歳の息子であるレバリンが並んでいた。
その後方にルードヴィッヒ侯爵家騎士団、スワン・シャープレス団長をはじめ所属騎士の過半数にあたる120名ほどが控えていた。
さらに馬車から玄関までの間をこの屋敷の使用人、執事やメイドたちが並んでいた。
見方によっては、ディッセンドルフ自身がこの家の当主であるかのような出迎えであった。
これも仕方のないことであった。
この数年でのディッセンドルフの功績は全ての領民に喧伝されている。
この屋敷の周りにも、一目この英雄を見ようとする領民たちが続々と集まってきていた。
その様相にディッセンドルフは溜息をついて、セノビックに馬車の扉を開けるように指示をする。
セノビックはディッセンドルフの意をくみ、扉を軽くたたいた。
すると外から馬車の扉が開けられた。
当主を中心に広がるこの屋敷の人々にディッセンドルフは軽い眩暈を感じた。
自分にこの世界はあわない。
その想いは強かった。
セノビックに先導され、ディッセンドルフは当主のアレキサンドルに歩み寄る。
オオジコバもその巨体を胸を張って歩き、必要以上に他の人に圧迫感を与えている。
「ただいま帰りました、義父様。」
そう言って胸に右手を当て、腰を折り最敬礼をする。
「そのような態度はとらんでくれ、ディッセンドルフ侯爵。」
「私は侯爵ではありません。義父様が侯爵でありますでしょう。」
「便宜的なものだ。侯爵の爵位はお前に与えられたものだと思っている。」
そう言って、セノビックにの後任である執事長のグフタス・ジェンナーにアレキサンドルが目配せをした。
グスタフは慇懃に礼をして、軽く指を弾いた。
「我が当主、ディッセンドルフ・フォン・ルードヴィッヒ侯爵殿下!おかえりなさいませ。」
この場にいた義父の二人の妻やその子供までが、一斉にその言葉を唱和した。
「私はこの家の当主ではない。皆の気持ちは充分わかった。それぞれ自分の部署の戻り、職を全うしてくれ!」
あまりの恥ずかしさのため、顔を真っ赤にしてそうディッセンドルフが叫び、使用人たちはそれぞれの担当の部署に散っていった。
騎士たちも数名を残し、自分の部署に戻る。
数名は護衛のためにその場に残った。
「大袈裟ですよ、義父様。私はこういったものを好みません。」
「そう言わないでほしい。皆、お前の帰りを待っていたんだ。私を含めてな。大したものを用意できなかったが、一緒に食事をとって欲しい。」
「私も義父様にいろいろお話があります。お礼もしなければなりません。お受けしますよ。それと。」
ディッセンドルフは後ろにいる大男、オオジコバに視線を向けた。
「私の騎士魔導士学校での後輩であり、ゴルネイエフ商会の子息でもあるオオジコバ・ゴルネイエフです。ご一緒しても構いませんか?」
「それは構わんよ。ただ、セノビックには…。」
「わかっております、大旦那さま。控室でディッセンドルフをお待ちしております。」
「すまないな、セノビック。」
こんなにも低姿勢な義父を見たことが無かった。
「変わりましたね、義父様。」
ディッセンドルフの言葉に、真剣な目をアレキサンドルが向けてきた。
「エドガーを失ったときに、私は暫く自分に対し、幾度となく質問を続けていた。自分が悪かったのか、神が悪かったのか?」
「結論は出ましたか?」
「もう、はるか以前にな。神から君を養育するように言われた日を、呪ったこともあった。「神の子」を受け入れなければ、確かに息子のエドガーを失うことは無かったのだから。…だが、奴の育て方を間違えたのは、私だ。奴がそのままの地位でいれば、私にとって非常に重要な人々をさらに失ったことだろう。「神の子」を育てることにより、私は今までの自分に対する罰を受けたのだと思った。だが、其れだけでなく、恩恵もまた確かに受けていた。」
そこで迎賓館の大広間に辿り着いた。
その広大な広間の真ん中に、小ぢんまりとした食卓が置かれている。
給仕をするたちもいるのだが、ディッセンドルフがこの家にいた時に比べれば明らかにその規模は縮小している。
当主たるアレキサンドルがディッセンドルフを伴い、上座に進む。
その斜め前にオオジコバが着席した。
オオジコバの横に第二夫人のマリアンヌ一家が、その対面に第一夫人のナタリー一家が座る。
今回はその横にセノビックが座った。
かなり落ち着かない雰囲気だ。
その横にセノビックの息子夫婦が強張った顔で座っている。
セノビックの息子は、住まいこそルードヴィッヒ侯爵領ではあるが、アンデルセン市の公務員である。この場にいること自身が不思議な立場だった。
孫にあたるアンナ・マハイルは、現在この屋敷での給仕補助として修業中の身である。
今では体はすっかり良くなり、生来の明るさを取り戻していた。
さらにディッセンドルフ付きの騎士、アルテミス・ダナウェイと部下二人も同席していた。
アルテミスはなれないドレスを着させられて、かなり硬い表情である。
その顔に、長年部下をしてきた二人の男性騎士は心の中で微笑んでいたが、絶対にその表情には出さなかった。
そんなことをすればすぐにも命を絶たれることを知っていたからである。
この晩餐は、和やかに進んだ。
ディッセンドルフ自身が大事にすることを良しとしなかったからである。
後程、侯爵と二人きりで話さねばならない必要性はあったが、今はそのことを一切言葉には出さなかった。
アレキサンドルもまた、わざわざこの屋敷にまで来た理由に、心当たりはあったが、何も言うことは無かった。
宴の終わり近くになった時だ。
「私は息子であるディッセンドルフと二人きりで話がある。申し訳ないが、皆はこのまま食事を楽しんでほしい。」
アレキサンドル・オスマン・フォン・ルードヴィッヒ侯爵がそう言った。
その声に呼応するように、ディッセンドルフとオオジコバ、セノビックが立ち上がった。
「今回はおふた方にも座を外してほしい。これは我々親子の問題だ。」
その言葉に、ディッセンドルフも軽く頷き、二人に目配せをする。
オオジコバとセノビックは、納得はしていないようだが静かに椅子に座りなおした。
「アンナ!悪いんだが、お茶を二人分、茶請けと一緒に控室まで運んでおくれ。」
「はい!御館様!かしこまりました。」
その声に軽く手を振り、ルードヴィッヒ侯爵が上座の出入り口に向かう。
ディッセンドルフもそれに従った。
この迎賓館の大広間の脇に、ホスト、即ちルードヴィッヒ家の者の控室があった。
4人掛けのテーブルセットが3つほどあるだけの簡素な部屋だ。
必要以上は華美なものを作らないというこの家の当主の心が見えたようで、ディッセンドルフは好感が持てた。
「適当に座ってくれ。」
入った近くの椅子に座ったディッセンドルフの前に座る。
ああ、年を取ったんだな。
義父の顔を見て、ディッセンドルフは素直にそう思った。
ただし、愛する息子を間接的に殺した自分が言っていい言葉でないことは充分にわかっていた。
アンナが扉を軽くノックして入ってきた。
当主とディッセンドルフの前に紅茶を注ぎ、それぞれに一口で食べれるように作られた焼き菓子を置き、軽く礼をして出て行った。
「ディッセンドルフ、君のお陰でセノビックの孫も元気にうちで働いてくれているよ。」
「セノビック殿から伺っております。」
そう言いながらアンナが淹れてくれた紅茶の香りを楽しみながら、口に含んだ。
「まずは礼を言わせてもらうよ、ディッセンドルフ。あまりにも多くのことをこの家にしてもらって、本当にありがとう。特にエドガーの件は、謝罪と礼の両方を伝えたい。あの時は、私も混乱してしまい、君が神の力を使って私に対する罰を与えたのだとばかり思っていた。」
立ち上がり、深々とディッセンドルフに向かい頭を下げた。
以前の伯爵の時には考えられない対応だった。
愛するが故に、息子を増長させ、その犯罪をもみ消していた父親。
あの時はそう理解していた。
だからこそ、奴、エドガーが自分を狙うであろうことを把握していたディッセンドルフはネイチャーに暗示をかけ、パーソナルアイコンを見誤らせた。
そして、治療薬であるポーションに彼自身の魔導力で細工をした。
それだけだった。
結局、エドガーの死は自業自得である。
ディッセンドルフはそう認識していた。
だが、その親が納得できないことも解ってはいた。
だが、あの時、如何にディッセンドルフの力が大きいか認識させることが出来た。
ディッセンドルフにとってはそれが重要だった。
今更謝罪や礼を言われるような話ではなかったはずだった。
「私が悪いという事は重々わかっている。エドガーは完全に失敗だった。そしてそうさせてしまったのは私だった。それを君は見事に修正してくれた。私は君の「神の子」の力に恐怖し、間違ったことをすればこの領地も、家族と私の命も消えることを見せつけられた。だから、私は、神と自らの良心に従うように生きたつもりだ。それが今の侯爵としての地位と、領地なんだ。半分以上はディッセンドルフ、君の功績なんだがな。だから、この領地内だけだが、孤児になったものを私の子として今育てている。私に出来ることはやったつもりだが、何時でもこの侯爵として地位と資産は君に譲れるように準備してきた。」
そこで一度言葉を切り、かなり冷めた紅茶を口に含んだ。
「君は18になった。髪からは君を18まで育てるように言われてる。だから、この私の後を継いでほしい。神もそれを望んでの発言だと理解している。」
ああ、やはりここでも「神の言葉」を曲解している者がいる。
もっとも、この貧乏神の「子」としか思えないこの俺を放逐するのではなく、後を継がせる考えに至るとは。
本当にこの世は奇々怪々だ。
「侯爵の申し出は身に余る光栄に思います。」
「そう言ってくれるか!ではすぐに、書面を…。」
「待ってください!身に余る光栄と感じますし、今まで育てて頂いたことにも感謝しております。ですが、その恩恵を受けることはできません。」
ディッセンドルフの言葉に、虚を突かれたような呆然とした顔を向けた。
「侯爵は「神の言葉」をはき違えています。神は18の年になったら、育てる必要はない。放り出せ、遠いってるんです。」
「何を、何を言ってるんだ、ディッセンドルフ…。」
「今日、このお屋敷に帰ってきたのは侯爵や、世話になったものに最後の挨拶にやってきました。今日限り、私はルードヴィッヒの名をお返しします。」
「そ、それは…、どういう…。」
何とか絞り出すように言葉を吐きながら、テーブルを回り込んでディッセンドルフに近づこうとするルードヴィッヒ侯爵。
「今日まで、ありがとうございました。騎士魔導士学校にも退学の胸は伝えております。これで、お別れです、義父様。」
扉が開き、オオジコバとセノビックがディッセンドルフを守るようにルードヴィッヒ侯爵に対峙する。
「義父様は「豊饒の大地」という【言霊】持ちです。その言葉に心を傾ければもう失敗することはないでしょう。跡継ぎにはマクサルト兄さんで問題はないはずです。私は、数少ない仲間とある目的のために旅立ちます。第一継承権の問題など、あとの事務的な手続きはよろしくお願いします。さらば、です。」
ディッセンドルフは床に突っ伏して立ち上がろうとしないルードヴィッヒ侯爵にそう声を掛け、二人を連れて来の控室を後にした。




