第69話 アンドリューの狙い
ニシムロがオオジコバを連れこの場を去ってすぐ、空間に歪みを生じていることをディッセンドルフは察知した。
そこから優雅なベールに包まれた白銀の滑らかな布地を纏った女性が現れた。
「アンドリューか、お勤めご苦労。」
綺麗な刺繍で彩られたベールの下から、彫像のような目鼻立ちをした美しい女性、「聖女」アンドリュー・ビューテリウムが微笑む。
ディッセンドルフが「聖女」に対して敬称を略すようになって久しい。
またそれがアンドリューにはより親しくなれた証のように思え、嬉しかった。
「いえ、ディッセンドルフ様のお力を分けてもらえておりますので、疲れる程ではありません。」
ディッセンドルフは「聖女」、およびロメン法国の完全な支援を得られたことにより、このジョバンニュ・クリミアン連合王国だけでなく、レオパルド連邦など「神の言葉」教の支部のある地域の詳細な地図を手に入れることに成功した。
その地図は完璧にディッセンドルフの頭の中に入っている。
これはレオパルド連邦、ロメン法国などのユーテリウス大陸の主要な都市に、瞬時に移動を可能とするものになった。
逆の言い方をすれば、どの国も簡単にはディッセンドルフに手を出せないという事を意味している。
レベッカ海峡事件でのディッセンドルフの行動の詳細に関して厳重に管理されてはいる。
だが各国の諜報機関に属する魔導士たちにより、断片的だが、7隻の新造戦艦を一瞬で破壊した張本人がディッセンドルフである、という事は知れ渡っていた。
ディッセンドルフへの敵対は、有無を言わさずその都市の消滅すら、意味しているのだ。
ディッセンドルフに手を出そうとするものは、それ相応の覚悟がいる。
ディッセンドルフ自身は、自分の命にはそれほど固執はしていないが、仲間に対する想いは自分の価値を凌駕していた。
もし、彼の身内に手を出した場合には、その組織はこの星から強制的に退場させられることになる。
「ディッセンドルフ様の依頼は無事に済ませてまいりました。」
「その仕事の際、しっかりと「聖女」アンドリュー・ビューテリウムの名を知らしめて来ていただけましたね。」
「ディッセンドルフ様のご命令ですから、お役目は果たしてまいりました。さすがに恥ずかしさに好みが焼かれるような想いでしたが…。」
「何を言ってる?この国の「神の言葉」教の集会などでは度々その役目、勤めていたじゃないか。」
「私は「神の巫女」として、生きてきました。教徒の前ではそれはもう自然な事ではあります。でも、今回は異教徒の人の前で、自らを神の使いという事は、恐怖以上の恥ずかしさでした。もしどういう気持ちになるかお知りになりたいなら、ディッセンドルフ様自身でこの役目、果たされたらどうですか。そもそも、私はディッセンドルフ様の使いとして事に当たっただけなのです。」
「だが今回の活動は「神の言葉」教にとっては、またとない「奇跡」の実演だ。教皇も絶賛していたのではないか?」
「それは確かに事実ですが…。」
アンドリューは、ディッセンドルフに頼まれて、レベッカ海峡のレオパルド側の壊滅した都市を回ってきた。
これはレベッカ海峡事件後に起こっている奇病の調査が目的だった。
あの爆発の余波はすさまじく、衝撃波、熱波、そして津波により、海に面した3つの軍港、7つの漁港はもちろん、内陸側の主要都市までその破壊の嵐が飲み込んでいた。
その直撃により死亡した軍人、民間人は10万を超えている。
だが、ディッセンドルフにはその悲惨な爆発を招いたことに、全く罪悪感はなかった。
引き金を引いたのはレオパルド側である。
最初に警告代わりの一発は見せたのだ。
その威力が、山なりで飛ぶ弾頭よりも大きいことを見せたはずだった。
にも拘らず、ディッセンドルフの大切な仲間に砲弾を撃ってきている。
当然の報いだと思っていた。
その裏でラスプーチンがいたとしても、だ。
だが、その後、あの爆発の近くにて、直接の被害を受けていない人間や救助活動をしていた人間が、次々と倒れるということが起こった。
あの爆発と因果関係があるかどうか?
ディッセンドルフにはその奇病が何か、「神の子」の力を通してわかっていた。
すでに何度か、「神の言葉」教の魔導士たちを使って現地の調査を行っていた。
そしてそのための対応策も完成していた。
だが、ディッセンドルフ自身が赴くと、必ず政治的軍事的な行動を起こす輩が出てくることが予想されたため、「神の言葉」教の象徴ともいえる「聖女」が事に当たるべきであった。
特に自分が旅立つ前に、この件は片づけておきたい。
アンドリューはディッセンドルフの力で空間転移を行い、その身をディッセンドルフの障壁で守られながら、その奇病を発病し隔離された病棟を訪問した。
本来「聖女」が動けば、神聖騎士の1個中隊規模の護衛が動く。
だが、そんな非効率的な作業をする気はなかった。
アンドリューはお付きの2人の侍女だけつけて、現地に跳んだ。
そこでディッセンドルフの治癒法の実践を試みた結果、覿面に効果を発現した。
奇病の正体は、爆発後の放射線を浴び、遺伝子の損傷による、「癌」であった。
そのノウハウを得たディッセンドルフは、アンドリューに隔離病棟で奇病と思われるすべての人を治療することを頼んだ。
それがひと月前である。
「ほぼすべての方の治療は終わりました。さらにうちの支部を動員して、その後のケアや、衣食住の充実にも力を注いでいます。また、壊滅した地区に残る放射線源を無効化、これが一番骨が折れましたが、も終了させてます。まだ発見されてないホットスポットが見つかった場合、現地の魔導士に指示がなされてますので、この件に関してはもうディッセンドルフ様が手を煩わせることはないかと。」
「ありがとう、アンドリュー。君がいてくれて助かった。さすがは「神の巫女」の【言霊】というべきか。こうもスムーズに俺の力を君を通して発言できることに驚いている。」
「これこそが、私の力です。神の力を存分に使ってもらうための。」
少し照れたように顔を赤らめて、ディッセンドルフを見る。その行為が何に起因するか、さすがにディッセンドルフにも理解できた。
「それで、君はオオジコバとの決闘を見ていたか?」
ディッセンドルフはそうアンドリューに尋ねた。
話をずらしたのは見え見えだった。
軽く淫靡な微笑を見せたアンドリューはすぐにいつもの絶やさない微笑に表情を戻し、頷いた。
「サーマル君よりも近い場所から見させていただきました。」
「そうか。」
一言そう言って、ディッセンドルフは少し考えた。
「オオジコバの奴、成長してるように見えたか?」
まるで本当の父親みたいなこと言う。
アンドリューはそう思ったが、その言葉を口に出すことはしなかった。
「成長はしてます。それは実際に彼と闘ったディッセンドルフ様が一番お分かりのはず。」
「俺は確かに解ってる。それを、他の奴が見てわかるかどうか。遠目には、やはりオオジコバはディッセンドルフの足元にも及ばない、そう判断されてもおかしくない。」
「確かにそう思う方もいるでしょう。でも、今回、オオジコバはディッセンドルフ様に一太刀、ほんのかすり傷とはいえ、付けることが出来ています。本気のディッセンドルフ様にそんなことが出来る人間、他にいますかしら?」
「それはそうだな。足元の岩盤を泥にして俺の動きを縛り、人血影身を2体、俺のすぐそばに送り込み、さらに泥の中から空間転移を起こした技。素晴らしかったよ。つい最近まで、空間転移すらできなかったはずなのにな。」
「オオジコバは努力しています。これがディッセンドルフ様との最後の戦いだと充分に解っていました。迷っていますね、ディッセンドルフ様。」
さすがに「神の言葉」教の「聖女」、最高の魔導士なだけはある。
ディッセンドルフは思った。
俺の思うことをよく理解している。
「わたくしは最後まであなたについて行きます。たとえあなたが嫌がったとしても…。」
「俺がアンドリューの立場、「聖女」を利用しようとしてるとは、思わないのか?」
「「聖女」という肩書すら、私の一部です。私に利用価値がある、とディッセンドルフ様が思っていただけるのであれば、それこそ私の至高の喜び。この体もあなたの思うようにしていただいてよろしいのです。」
アンドリューはそう言いながら、自分の胸をディッセンドルフの腕に押し付けるように抱きしめた。
熱っぽい瞳でディッセンドルフを見つめる。
ディッセンドルフは、そのアンドリューの潤んだ瞳から自分の視線を外し天空に向けた。
「オオジコバは俺について来てくれるだろうか?」
「そのための修練を重ねていたと、私は思っています。あれだけの成長は、かなり大きな目標がなければ、モチベーションは下がってしまうでしょうに。」
ディッセンドルフはアンドリューの言葉が正しいことを感じていた。
あの真剣な戦いをしたオオジコバ。
俺の求める力をすでに持っている。
だが、俺についてくるという事は、人としての幸せを放棄することになる。
だからこそ、悩んだ。
「オオジコバのことを考えるのであれば、是非ともディッセンドルフ様のお供をさせてください。お願いします。彼は一度親に捨てられているのです。もうそのようなむごいことを、彼にしないでほしいのです。」
そういえば、オオジコバはアンドリューの遠縁にあたるのだったな。
だからと言って、俺はオオジコバの親ではいんだが。
ディッセンドルフは心の中でそうは言ったものの、親に捨てられるという哀しみは、自分を振り返り、共感が持てるものであった。
「オオジコバが俺には必要だ。相手の土俵に上るしかない俺に、力強い味方となってくれるはずの男だ。」
ディッセンドルフは、そう遠くない未来を想像し、そう感じていた。
「その行先には、私を連れて行ってはいただけないのですか?」
アンドリューのは「聖女」の顔としては決して見せない妖艶な雰囲気を纏い、ディッセンドルフの腕に抱き着きながら、そう哀願した。




