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「神の子」  作者: 新竹芳
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第66話 メビウス卿の本意

 サーマルはそのディッセンドルフの言葉に愕然とした。


 この学校を辞める気でいることは、その行動から既定路線であることがわかってはいた。

 だが、あくまでもこの学校を辞める程度であろうと考えていた。


 すでにディッセンドルフの実家にあたるルードヴィッヒ侯爵家には、ディッセンドルフのおかげでかなりの恩恵を得られている。

 国家に対するいくつもの排敵行動は、金額に換算すればちょっとした国家予算に匹敵するに違いない。


 だがディッセンドルフは、そのすべてを拒否した。

 一応未成年という立場でもあるから、その保護者である侯爵家に預けるという形をとっている。

 さらに、様々な活躍により、国王、首相などの国の重鎮や軍部とも、そして財界とも大きな絆を得た。


 ルードヴィッヒ侯爵家には、金銭や貴金属以外にも、何カ所かの土地が領地として賜っている。


 ディッセンドルフを養子とした結果、溺愛していた長男は殺されたものの(ルードヴィッヒ侯爵はそう信じていて、それは事実である)ディッセンドルフを買ったときにかかった諸々の経費の数十倍の価値あるものを手に入れていた。

 ルードヴィッヒ侯爵が経営に携わっている企業の大部分に、ディッセンドルフの意見が入っており、学生の身ながら、侯爵家に関わる大部分のものは、ディッセンドルフこそが侯爵家の当主であると認めていた。


 そんなディッセンドルフであるから、中途でこの騎士魔導士学校を辞めた時に発生する違約金もまったく気にしないであろう。

 下手すればその違約金すら免除になるかもしれない。


 下心を持つ者なら、ディッセンドルフを持ち上げ、議員へ押し上げ、首相や王族との婚姻を行い、遠くない将来に「神の子」をこの国の王へと望む声もあるだろう。

 サーマルは本気でそう考えたいた。


 だが、今のディッセンドルフの言葉はこの国を去るにとどまらず、この世界とのかかわりを絶つようないい方だった。


「ディッセンドルフ、お前は何を言っているんだ。」


 サーマルの言葉に、明らかな怒りの色合いが含まれていた。

 まだ幼げな少女の見た目で、低い怒りを含んだ声は、慣れてきていた学生会議役員のメンバーも違和感と、そこからくる恐怖を覚えた。


 であるから、[サーマル/サーシャネル]のことを知らず、今そのことに直面した赤毛の士官マルチナにとっては驚き以外の何物でもなかった。

 隣にいるニシムロを見ると、静かに笑っていた。

 ある意味、子供が親に向かって言った自立宣言を一抹の寂しさをもって見ているような雰囲気だ。


「サーマル。そのことについては後程説明する。今私が行っている引継ぎが拙速だとは誰もが思っていることだろうからな。それよりもまず、わざわざ来ていただいたマルチナ・アージャル中佐に説明せねばならぬことが多いのでね。」


「私に説明、ですか?」


 マルチナは不思議そうにディッセンドルフを見た。


「君も不思議には思わないか?ニシムロが言ったと思うが、メビウス卿とディグ卿が出会っている。マルヌク村でね。でも、その事実を誰が知っているのか、という事だ。当時の状況を伝えられるのは唯一の生き残りと言われるナターシャだけ、だな。」


 急に自分の名前が出たので、びっくりしたナターシャは思わずディッセンドルフを見た。

 ディッセンドルフはその視線に反応して、ナターシャを見る。


「ナターシャ、君はメビウス卿とディグ卿が君を助けるために戦っていたことは知っているな。」


「は、はい。メビウスの小父さんも、ディグ卿も私を生き残らせるために、あの地獄の中を私をかばってくれました。ですが、二人がどういう経緯で協力関係になったとか細かいことは私にはわかりません。」


「メビウス卿の所に、君に良くしてくれた女性がいたな。覚えているか?」


 何故、ディッセンドルフがそんなに詳しく自分のことを知っているのか疑問に思った。

 ラスプーチンを取り込んだことにより、記憶を獲得したという事は解っている。

 だが、自分がお世話になったメビウス家の事を知り過ぎている気がする。


 その気持ちが表情として出た。


「そう警戒するな、ナターシャ。私はフォルテさんの持っていたノートのメビウス卿の血判に残る血を用いて、過去のメビウス卿に干渉している。その時にメビウス卿の記憶も共有しているんだ。だからフォルテさんとバネッサさんが赤い髪の毛をしていたことも知っている。」


 この言葉は、その場にいたフォルテにも衝撃を与えた。


 ディッセンドルフはメビウス卿の記憶を共有している!


 それが、メビウスとの出会い、愛の行為も含めているという事に、自分の身体が恥ずかしさで熱くなった。


「ディッセンドルフ殿!ここにいられる赤い髪の女性がメビウス卿とともにいたという事は真か?」


 今の会話から、フォルテが亡くなったメビウスと共にいたことを知ったマルチナがそう聞いてきた。

 急に鋭い声で聞かれたフォルテは、剣士としての警戒感が反応し、マルチナに向けて体を身構えた。


「フォルテ卿、戦闘時ではない。リラックスしてくれ。ここからの話は君にとっても重要なことだし、マルチナ中佐にとっては、心のつかえから解放できるかもしれない話だからね。」


「は、はい、申し訳ありません。」


 フォルテの身体にまとわれた闘気が消え、肩の力を抜いた。


「ディッセンドルフ殿。このお嬢さんはメビウス卿と一緒に暮らしていたのか?」


「話には順番というものがある。君はまず私の話を聞いてくれ。その後に、質問を聞くよ。」


「わかりました。」


 ニシムロはマルチナを近くの椅子に座るように指示し、マルチナは従った。

 ニシムロは人に椅子をすすめたくせに、自分は出入り口近くの壁に寄り掛かったまま、座ろうとはしなかった。


「ナターシャには今聞いた通り、二人の騎士が何かを離しているという事は知らない。あのときマルヌク村にいたフォルテさんもディグ卿には会っていない。間違いないね。」


 フォルテがコクンと頷いた。


「ではなぜ、彼らの会話をニシムロ卿が知っていたか、何だが。さっきも言ったんだが、私はメビウス卿の記憶を共有した。その中の記憶なんだよ、マルチナ中佐。」


 もう驚きはしなかった。

 マルチナは何故赤い髪の毛をした女性とメビウスが住んでいたのか、という事を考えていた。

 自分を恨んでいるというメビウス。

 それが赤い髪の女性と一緒にいることが出来るのだろうか。


「メビウス卿はマルチナ中佐の部下であると言ったディグ卿に驚いた。ディグ卿はメビウス卿に聞いたよ。マルチナ中佐を恨んでいるのか、と。」


 その声にマルチナがビクンと体が硬くなった。


「結局その時には恨んでいるかどうかは、解らなかった。だが、ディグ卿が君と知り合いであることに驚いていたことは事実だ。」


 気丈な中佐はディッセンドルフの言葉に、なにも聞かなかった。

 だが、ディッセンドルフを見るその目の奥に、飼い主に捨てられる犬のような寂しさが漂っていた。


「メビウス卿は新入りとして自分の部下になった君を気に入っていた。彼が行っていた小狡い悪事以外の剣技や、戦術、集団戦における兵の動きを丹念に教えていた。」


「はい。メビウス卿は憧れの上司でした。だからこそ、悪事に加担されている少尉を助けたかった…。」


 震える声は、徐々に小さくなっていく。


「結果的には君の告発が、彼の除隊への引き金になった。中佐が思ってもみないような方向に事態が動いてしまった。」


「はい。」


「だからメビウス卿がマルチナ中佐を恨んでいるはずだと。」


「だと、思っています。」


 とうとう気丈にディッセンドルフに向けていた瞳を落とし、完全に項垂れるようになった。


「メビウス卿が可愛がっていたマルチナ中佐からの仕打ちに対し、絶望と恨みを抱いていた。少なくとも除隊当時はそうであった。」


 もう、その目線をディッセンドルフに合わせようとはしない。


「事実、除隊後の彼は荒れ、傭兵として稼いだ金を、この国では珍しい赤い髪の娼婦につぎ込んでいたらしい。」


 このディッセンドルフの口にした言葉に、マルチナだけでなく、もう一人の女性が、体を硬直した。

 そしてゆっくりとディッセンドルフに、その顔を向ける。


「旦那様が赤い髪の女性に固執していたのは、その女性のせい?」


 フォルテがそう囁いた。


「メビウス卿は、マルチナ少佐にされた意趣返しで赤い髪の女を犯した、と思われても仕方がない。でも、それは本人すら、認めていないことなのだが、違うんだよ、フォルテさん。」


 ディッセンドルフには珍しい優しい言い方だった。


「メビウス卿は、ある意味ではトラウマなのかもしれないが、赤い髪の女性にしか下半身は機能しなくなっていたんだ。」


 この言葉に赤い髪の毛の女性二人がディッセンドルフを見た。


「本当にマルチナ中佐を恨んでいれば、その象徴である「赤い髪の女性」にしか反応しないというのも変な話だ。逆に、いやなものは遠ざけようとするし、赤髪の女には勃たなくなる、というほうがしっくりくる。もしくは「赤い髪の女性」に暴行を加え、殺してしまう、という結果になりかねない。」


 ニシムロがディッセンドルフの論法に頷く。

 だが、他の少年たちには、全く想像の出来ないことだった。


「旦那様は、確かに私ともバネッサお姉さんとも夜を共にしました。でもそれは非常に優しい接し方で、抱かれることに幸せを感じていました。」


 フォルテが、昔を思い出しながらその時の情景を幸せそうな表情で語った。


「メ、メビウス卿はあなたともう一人の女性と、そ、そういうことをする関係だったのですか?」


 嚙みながらも、懸命に自分の思いを言語化し、フォルテに質問した。


「バネッサお姉さんは、私よりも鮮やかな赤髪の持ち主でした。」


 フォルテの告白に、マルチナは息が詰まるような気分になった。

 この時、これが嫉妬であることにマルチナ自身が気づいた。

 自分はトツネルド・メビウスを男性として愛していたのだ。

 自分が抱かれなかったのに、この女性たちは彼に抱かれ幸せだったと言ってきたことに、胸を焦がされた。


「あなたたちはいったい何が言いたいの!私を貶めたいだけなの!」


 マルチナは何かにすがるような視線をディッセンドルフに向け、その感情をぶつけてきた。


「私はマルチナ中佐、あなたを貶めるつもりはありません。トツネルド・メビウスは、あなたを愛していた。あなたからの仕打ちを憎んだこともあったでしょうが、「赤い髪の女性」を求めていたのは、他ならぬメビウス卿自身。彼はマルチナ中佐に対する愛と憎悪を、そういう形で昇華しようとしていた。決してうまくいったという訳ではありませんが…。」


「私とバネッサお姉さまは奴隷として旦那様に買われました。」


 フォルトが興奮しているマルチナに、淡々とそう告げた。


 そのフォルテの告白に、殺気すら纏っていたマルチナの興奮した感情が急激に冷やされた。


「私とお姉さまはこの赤毛ゆえに、あまり性の対象とは見られず、売れ残っていたとも言える状態でした。でも、旦那様はそんな奴隷として買った私たちにとても優しく、家族として接してくれたのです。幼い身で、男の性の対象として生きてきた地獄のような日々の中、旦那様の優しさは、私の自尊心を思い出させてくれたのです。」


「それでは、あなたたちは…。」


「たとえ、それがあなたの代わりだとしても、私たちが幸せだったことを否定することにはならないんです。」


 淡々と、そして凛として言葉を放つフォルテに、マルチナは言いようのない感情が心からあふれてくるのを感じた。


 この娘は、自分たちの失われた幸福の日々を語ることによって、この私が持っていた罪悪感と未練を和らげようとしてくれている。


 気づいた時には、マルチナは泣きながら、フォルテを抱きしめていた。


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