第60話 二人の少女と一人の女性
だんだん気温が上がり、かなり暑さがきつくなってきた。
すでにこの学校の制服は夏服に変わっていたが、それでもたまに遮断フィールドを発生させて涼むように、ディッセンドルフは魔導力を使っていた。
こんなことが出来るのは基本「神の子」ディッセンドルフくらいである。
でないとすぐに魔合力切れを起こしかねない。
このため、かなりこの学生会議役員室での事務作業は夏場、しかもディッセンドルフがいるときに限り、かなり好評ではある。
「本当にディッセンドルフは便利だよな。」
役員室のドアを開けて[サーマル/サーシャネル]が、サーマル主体で入ってきた。
栗色の髪の毛が少し伸び、肩を超えるくらいまでになった。
大き目のブラウンの瞳と小さめの口とプルンとした唇、背丈も少し低めの少女の姿は十分に可愛いと言える。
その見た目と、可愛い高めの声は十分に魅力的なのだが、その口の利き方はすべてをぶち壊していた。
「あまりお前が主導して声を出すのはやめろよ。この学校の人間はみんなわかってるが、それでも違和感が半端ないからな。」
「会長の引継ぎだろう。なら、俺が出てくる、なんか間違いがあるか?」
「わかったよ、サーマル。全く問題がないな。」
ディッセンドルフは最終的な引継ぎを行った。
これで次週に待っている新会長のお披露目になる。
問題はなさそうだ。
これがサーシャネルだけであれば、不安以外ない。
「本当に会長の力は便利ですね。外、結構暑くなってますよ。」
オオジコバが汗を拭きながら入ってきた。
「これからの時期、今より暑くなるっしょ。馬車って、結構結んで、きついんですよ。」
「約束を守ってくれたのか、オオジコバ。」
「ちょっと説得に時間かかって申し訳ない。」
そう言って後ろを振り返った。
ドアの影に隠れていた赤毛の女性が入ってきた。
「お時間を取らせて申し訳ありません、ミス・フォルテ。」
ディッセンドルフが立ち上がり入ってきた女性に軽く礼をしながら、謝意を表す。
「いえ、とんでもございません、ディッセンドルフ様。本来であれば、すぐにでもこちらに伺って、お礼しなければならないのは私のほうだったのに…。」
赤い髪の女性、フォルト・テンショウメイ・ゴルネイエフが顔を伏せたまま近づいてくるディッセンドルフに謝った。
フォルテの前に立ち、ディッセンドルフがオオジコバに視線を投げた。
オオジコバはディッセンドルフに頷き、口を開く。
「フォルテ義姉さん、顔を上げてくれ。先輩が困ってるよ。」
その声に反射的に顔を上げ、目の前にいたディッセンドルフを見上げた。
「改めまして、ミス・フォルテ。この前のメビウス卿のノートの事情を聴いて以来ですから、もう3か月前くらいになりますね。あの事件で、かなりの疲れがあったと、オオジコバ君から伺っていたので、心配しておりました。どうぞそちらの席にお座りください。」
[サーマル/サーシャネル]が座っている席の正面に座るように誘導する。
フォルテは言われるままにその席に座り、当然のようにその横にオオジコバが着席した。
フォルテは疲れているために、ゴルネイエフ家で安静にしていた。
間違ってはいない。
だが3か月もかかるほどではなかった。
父の仇を取ったこと、それでも母と姉を結果的に救えなかったこと、心の整理がつかずにいた。
その状態がいい事ではないことは解っていたオオジコバと義理の両親は、インデルマン卿に相談した。
それまでは全く面識のなかった「優剣翁」だったが、フォルテを自室的に救ってくれた恩人である。
藁にもすがる想いだった。
ディッセンドルフの要請でフォルテの手助けをしたインデルマン卿は、自らも武人であることから、部屋でただ消耗していくフォルテを無理矢理自分の所有する修練場に引っ張っていき、剣の稽古をつけた。
数日の間、全く剣を持つことをせず、さらに食も細くなり筋力が落ちていたフォルテにとっては、ただ打ちのめされるだけだった。
このまま死んでもいい、とさえ思ってしまうほどだった。
「お前の父、スサノ・テンショウメイは目をかけた娘、フォルテ・テンショウメイがただ朽ちていくことを喜ぶと思っているのか!」
マンチェス・インデルマンは、母と姉の止めを刺した人物である。
だがそれが「優剣翁」の名の示す通りの、優しさであることを知っていた。
そして父の名がインデルマン卿から発せられた瞬間、体に残っていた魔導力がその声に共鳴するように、フォルテの体内を駆け巡った。
それから1か月以上の日々をインデルマン卿との稽古に明け暮れた。
マンチェス・インデルマンは完全に立ち直ったフォルテに満足し、縮小したカーサライト領に帰って行った。
その日から、オオジコバの説得の日々が始まった。
単純なことだった。
ディッセンドルフがフォルテに会いたいと伝えるだけだった。
だが、オオジコバが思う以上に強固にフォルテはそれを拒否したのだ。
フォルテは、ディッセンドルフに対してあまりにも大きな恩義があった。
基本的な魔導力を底上げしてもらったこと。
入学式の日にナターシャの義理の親としてジルベル達が騎士魔導士学校に来るという情報を与えられたこと。
さらに、「優剣翁」インデルマン卿をフォルテの仇討のサポートとして呼んでもらったこと。
これに対し、フォルテが出来たことは、メビウスのノートについての説明だけだった。
母からの最期の願い。
「闇の王」を倒すということ。
それすらできなかった。
正確に言えば、その戦いに参加することすらできなかったのだ。
この命に代えても、あの場に飛び込んでいかなけれなならなかったのに……。
ディッセンドルフに会わせる顔がなかったのだ。
さらに、ディッセンドルフに対する懐かしく自分を包む既視感。
それがフォルテにとって恐怖を与えていた。
ディッセンドルフに会ったときに、自分が正気を保てず、その胸に飛び込んでしまいそうなこの想い。
自分でも説明がつかない気持ちに恐れを抱いていたのだ。
だが、オオジコバもディッセンドルフの想いに応えたいと思っていた。
ディッセンドルフのフォルテと会う目的は、きっとあのノートを書き残したトツネルド・メビウスという騎士についてのことに違いないからだ。
そしてラスプーチンのことも含まれるに違いない。
これは自分にとっても、そしてなによりフォルテにとって、さらに重要なことだとオオジコバは理解していた。
だからこそ、なんとかディッセンドルフの前に連れて行かねばならない。
オオジコバもまた、確固たる意志を持ってフォルテの説得を試みていた。
まず、ディッセンドルフに礼をせねばならない。
この言葉は、確かにフォルテの心を大きく揺さぶりはした。
だが、そのことだけではラスプーチンとの戦いに参加すらできなかった羞恥を超えることはなかった。
オオジコバ、自分の推測だけの言葉を使わざる負えないことに、いくばくかの引け目を感じながらも、次の言葉をフォルテにぶつけた。
「先輩は、義姉さんにメビウス卿のその後とラスプーチンの関係を説明したいと思っている。」
この言葉、特にメビウスの名はフォルテにとって特別の存在であった。
自分がマルヌク村を脱出させられてからのことは全く知らなかった。
後から、たった一人の少女を残してみな死んだと、このゴルネイエフ家に住まわせてもらってから知ったことである。
それでも、旦那様とバネッサ姉さんはきっと生き延びていると、その少ない可能性に賭けていたのだが…。
だからこそ、ゴルネイエフ家に助けられるまで、何度、魔獣や夜盗、凌辱目的の奴隷商などに襲われても、この体をに目がくらんだ男たちはその最中に殺し、魔獣は魔術と剣で殺し、その肉を食らって生き抜いたのだ。
このオオジコバの弁が最終的にフォルテを動かした。
オオジコバ自身、自分の人物眼に対しては全く自信がない。
ニシムロガ裏切ると思ったことも、自分の中で大きな汚点になっている。
ディッセンドルフの強さはよくわかっているが、何を考えているかは全くわからなかった。
ただ、あのメビウスのノートに対してかなりの興味を示していたことを忘れなかっただけである。
「私はディッセンドルフ様がインデルマン卿にお願いされてくれたおかげで、母と姉に会うことが出来ました。その母の最期の言葉、「闇の王」を討てという言葉を実践できず、それどころかあの戦いに参加することもできませんでした。正直言わせてもらえば、とてもディッセンドルフ様に会うことなどできない身です。それでも…。」
そう言ってフォルテはオオジコバを見た。
オオジコバはその行動で、フォルテが次に言うことを察してしまい、バツが悪そうに項垂れた。
「オオジコバ様が、ディッセンドルフ様はきっと、旦那様、いえ、メビウス様のことをお話ししてくれるだろうと言われまして、恥ずかしながら、本日伺わせていただきました。」
最後のほうはかなり声が小さくなり、聞きづらくなっていた。
ディッセンドルフは項垂れているオオジコバに軽く視線を向け、軽く口元をほころばせたかと思うと、すぐにフォルテに真剣な顔を向けた。
「オオジコバの言うように君があの村を離れてからのメビウス卿とバネッサ嬢のことを伝えることも含まれています。その後の「闇の王」を名乗ったラスプーチンというものとカーサライト家、ハーマス商会の繋がりなどについてもお話しします。聞きたくはないとも思いますが、あなたたちは知っておかなければならない。私にできることがそれくらいしかありませんのでね。」
フォルテはディッセンドルフの言いように少し驚いた。
ディッセンドルフにできることという意味がよくわからない。
確かに、あの村での二人のその後は非常に関心がある。
だが、カーサライトにかかわるものには全く興味はない。
自分の家族を地獄に落とした者どもは、この手で仇を取らせてもらっている。
それで充分である。
その時にドアを軽くノックする音が聞こえると同時に、そのドアが開かれた。
一人の少年が、さらに幼い少女を連れて入ってきた。
リエナンティ・ミナトハラがナターシャ・ジェルネンコ・カーサライトを連れてきたのである。
「悪かったな、リエナンティ。ナターシャも来てくれてよかった。できればまとめて1回で話しておきたかったんだ。マルヌク村惨劇後の君たちと「闇の王」を名乗る精神寄生体ラスプーチンの関わりについて、ね。」
リエナンティがナターシャを椅子に座らせるのを見計らい、ディッセンドルフが口を開いた。
「奴がいかにして君たちや家族を操っていったかを。」
二人の少女と一人の女性の目が、鋭くディッセンドルフに向けられた。




