第58話 マルヌク村再建計画
「二人の覚悟の確認だ。忘れてくれていい。その時に今の気持ちを思い出してくれれば……問題ない。」
ディッセンドルフが口を開いた。
「その覚悟を持ったうえで、さらに俺から言っておきたいことがある。」
ディッセンドルフがサーマルを、正確にはサーマルが今は主導権を持っているサーシャネルの顔を見つめた。
サーマルも、そしてサーシャネルもディッセンドルフの瞳に吸い込まれるような気がした。
「サーマルはすでに気付いているようだが、ほんの少し、俺は疲労感がある。と言っても、非常に満ち足りている。言い換えれば、充足感のある疲労といったところだ。」
「薄々はな。俺たちの悪い未来の話をニシムロ卿が代わったしな。」
「あの話は俺にとってはかなりの重荷だったのは事実だよ。でも、それは俺が言わなければならないことだと思っていた。サーマル、俺の大事な友に対して、最低限の礼儀だと思った。」
その言葉はサーマルにとって、心に響いた。
「いや、そうディッセンドルフが思ってくれていただけで十分だ。本当にありがとう。」
「あ、いや……。」
珍しいことに、ディッセンドルフが目をそらした。
それが照れであることはサーマルにもわかった。
「今後、僕たちがどうなるかは正直解らない。サーシャに対する想いが変わることはないが、彼女の幸せを願う気持ちはいつも持ち続けることにするよ。この体も君のお陰でかなりなじめた。この病室から出られる日も近いんじゃないかな。」
「それは大丈夫だろう。今後、君たちの前に多くの障害は出るだろうが、できうる限りのことはさせてもらったよ。」
やはり、過去形なのだな、ディッセンドルフ。
切ない気持ちを無理矢理抑えた。
「その一つを君たちに説明しておくよ。それこそ余計なお世話かもしれんが…。」
ディッセンドルフの言い方が微妙に変わったことにサーマルは気づいた。
少しの照れと、なんというか、喜びのようなものを感じた。
「さっきはニシムロ卿に任せてしまったが、未来の一つについて話してもらった。今回はまた違う未来の話だ。」
サーマルの顔に怪訝な色が滲む。
「君たちが、今のように互いを想い続け、生涯を終えるときのことだ。」
「そうであれば何の問題もないのだろう、ディッセンドルフ。」
「問題はない。いや、問題はないんだが、一つの可能性を残すことに成功した。と言ったほうがいいのだろうか。」
言い淀むディッセンドルフは、しかし明らかに笑顔になっていた。
「持って回った言い方をするな、ディッセンドルフ。言いたいことがるなら、サッサと言え!」
「君たちの子供を残すことが出来る。」
サーマルの言葉に即座にディッセンドルフが返答した。
「はっ?子供……?何を……。」
(子供を残せるのですか!私と先輩の!)
今まで全く言葉を挟もうとしなかったサーシャネルが、興奮した思念波をディッセンドルフにぶつけてきた。
その感情は異常だと言っていいほどのボルテージだった。
明らかにディッセンドルフの身体がその思念波に揺らされていた。
「子供はできる。そうできる状態に調整させてもらった。」
サーシャネルの言葉にならない歓喜の波動が暴力的なまでの力でディッセンドルフを揺さぶってきた。
ディッセンドルフにはその感情の圧に対応法が分からず、その場に硬直してしまっていた。
自分の想定以上の喜びの感情は処理できないらしい。サーシャネルも、サーマルも…。
(子供、……私と、先輩の、子供、…………)
漏れてくるサーシャネルの心に、やっとサーマルが立ち直った。
「本当に、本当に、こんな状態の俺たちに、子供が、それも俺たち二人の子供が、作ることが出来るのか?」
サーシャネルの歓喜の感情がやっと落ち着いてきたため、ディッセンドルフは大きく深呼吸をして、サーマルとサーシャネルを内包する少女の目にその視線を合わせた。
「冗談でこんなことは言わない。そして俺の疲労はその環境を作るためでもあった。」
そうめったに疲労などを顔に出さない親友の言葉がサーマルを納得させた。
そしてそこまでのことを自分のためにしてくれた、この「触れ得ざる者」とまで呼ばれる友人に言いようのない感情があふれてくることを感じた。
「まだ泣くには早いぞ、サーマル。」
どうやら涙が零れ落ちそうだったらしい。
慌てて自分にかけられているタオルケットで顔を拭く。
「まず、サーシャ。君の身体についてだ。」
(あ、……、はい)
「自分でもよくわかってたと思うが、ここ最近、おそらくラスプーチンと服従の印を結んだ時、肉体を交わらせた時から生理は止まっているな?」
(…………)
「無理に答えなくていい。まず君を弄んでいた父と兄により、その生殖器官はかなりのダメージを受けていた。そこにラスプーチンだ。ほぼその時から子宮は傷つき、卵子自体もダメージを負った。この時君を抱いた騎士、ディグに関してだが、すでにその身体は死んでいる。ラスプーチンがその死体を制御していた。これはわかっているな?」
(……はい)
「もしかすると当時の君は「我が主」との間に子が出来たのではないかと喜んだかもしれないが…、その行為により、君の生殖細胞に大きな負荷をかけ、事実上破壊した。」
わかっていたことではあろうが、過去の自分の犯した罪を暴かれることに痛みや苦しみがないわけがなかった。
だが、今はサーマルがしっかりとサポートしている。
(大丈夫です。ディッセンドルフ先輩。私にはサーマル先輩がいてくれる)
「それを聞いて安心した。今のは、以前の君の身体の状態の再確認だ。現状は変わっているから安心して欲しい。傷ついた子宮も、ダメージを負った卵子も、生殖器官は完全に修復を施した。近々、生理も戻るだろう。」
この言葉に、サーマルが主導権を持ってるはずの少女のほほが赤くなった。
いや、照れたのはサーマルだったのかもしれない。
「これはあくまでも、サーシャネルの身体が元に戻ったというだけだ。さらにサーマルの身体からまず遺伝子の抽出をした。」
「?僕の身体は、もう……。」
「あらかたはエネルギーとして消費はされた。だが、残滓のようなものは残る。それを探してかき集めた。」
「そんなことまで…………。」
「その集めたサーマルの身体の残滓から遺伝子を抽出し、精子を生成した。さらにそれをタンパク質で作ったカプセルのような入れ物に封入。通常では壊れないように細工し、サーシャネルの子宮膜に張り付けた。」
ディッセンドルフの言っていることの意味をかろうじて理解できた。
「ニシムロ卿が言っていたように、もしサーシャに好きな男性が出来て、その人物と行為を行った場合、この特殊なカプセルは分解され、中のモノも壊れるようになっている。当然レイプされることは想定されていないから、サーシャのことは命がけで守れよ、サーマル。」
「それは、当然だ!だ、だが…。」
「何か質問か?」
ディッセンドルフの問いに、少し間があってから、意を決したようにしてサーマルが口を開いた。
「その、そのだな、……、ああいう、行為はない、わけだろう……?」
「できるわけがないだろう?それは諦めてくれ。」
「違う!そういうことを望んでるんじゃない。その、僕、俺の精子ってやつは何時、解き放たれるんだ?」
なんだそういうことか、と小さく呟いたディッセンドルフに少しの残念さを見せた少女の瞳は、さてどちらの心情だろうか?
「基本的にはサーマルの魔導力で解放されるように作ってはある。ただ、そう多くはないから時は慎重に計ってくれ。」
「ん?」
「受精目的ならば排卵を考えてくれ、ということさ。できれば、サーシャネル自身、自分の身体を完全に把握して欲しい。そして、二人の気持ちが重なったときに実行をお願いしたい。」
(はい!それは完全に制御できるようにします。ちなみにですが、どのくらい私の中にサーマル先輩のモノを置かれたかって、教えていただけますか?)
ディッセンドルフの視線が逸れた。
「それは言わないでおく。子供ができるかどうかは、精子の解放がタイミングよくいって受精できたとしても、着床などの諸問題もある。結局は子供は天からの授かりものだからね。」
(それはそうなんですが…。例えば、二人目、三人目とできるということも……)
「ああ、それなら十分、あり得るよ、サーシャ。」
ディッセンドルフの目元に優しい光が溢れた。
そう、この二人には輝く未来こそふさわしい。
「ということで、君たちの未来には選択肢をある程度残せたと思うよ。」
「この細やかさが、ディッセンドルフの疲労の原因かと思うと、感謝以外の気持ちの表現ができない。ありがとう、ディッセンドルフ。」
目の前の少女が首を垂れる。
だが、これで要件が終わったわけではない。
「ああ、感謝してくれることはうれしいが、まだ話は終わってない。」
「何か、このことに関して危険なことでもあるのか?」
「出産自体に危険があって、男のサーマルがその苦しみに耐えられるか、と言ったことはあるが、子作りの件はこれで終わりだよ。それは安心してくれ。」
出産時の痛みや苦しみを想起して、サーマルが少したじろいだのが分かった。
その感情に対してサーシャネルの冷ややかな思念波が伝わってきて、ディッセンドルフは思わず吹き出しそうになってしまった。
「別件というか、ラスプーチンとの戦いの後、君と約束したことだよ。」
「約束?」
「クラチモ村のことだ。」
サーマルの思念波に驚きの色が広がった。
当然だろう。
そうすぐに解決することではない。
サーマル・テラノが騎士魔導士学校に入学した一番の目的は、この国に仕官し、最終的には極貧の寒村である出身地、クラチモ村の人々の幸福にあった。
サーシャネルの救済のため、その身を尽くしてしまい、その夢が閉ざされた。
その後をディッセンドルフに託した。
その件について話すことが、この時点であるのだろうか?
だが、サーマルはすでに親友との別れに対しての心の準備はできていた。
クラチモ村の件を謝られても仕方のない事である。
こちらが一方的に押し付けたようなものなのだから。
「悪かった。君に押し付けるような形になってしまった。」
だが、そう発したサーマルに軽く首を振った。
「サーマルに頼まれることには、別に何の問題もない。クラチモ村には今、どのくらいの人が住んでいるんだ?」
「確か、今はうちの両親も含めて80世帯くらいだったかな。人口は700人は超えないと思う。冬がきつかったり、不況があると10人単位で人が死ぬ。そんなところだ。」
ディッセンドルフが立ち上がり、テーブルに置かれていた鞄から、書類の束らしきものを取り出した。
「その700人、クラチモ村よりも条件のいい代替の土地があれば移り住むと思うか?」
書類の束をサーマルに、というか少女のベッドに放り投げてきた。
「その土地の再開発を俺の義父、ルードヴィヒ伯爵、ああ違う、今は侯爵になったと言ってたっけ、が手掛けることになった。」
「マルヌク村再建計画?ここって……。」
「そうだ。俺の出身村であり、あのラスプーチンにより虐殺のあった村だ。そこにサーマルの出身地、クラチモ村の村民を移住できないかと思っている。」




