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「神の子」  作者: 新竹芳
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第54話 サーシャネル・ハーマスとサーマル・テラノ

 暗い闇のように絡みついていたラスプーチンの残滓はほぼ取り除いた。


 だがその奥から現れた淡い光、サーシャネルの心は、非常に弱いものだった。


 ラスプーチンの精神による洗脳ともいえる支配の闇があったからこそ、サーシャネルの心は光り輝いていた。

 だがその暗い闇を剥がしてゆくごとに、この心の光がくすんでいったのである。

 それは、彼女にとって思い出すのもつらい過去の虐待の歴史。


 サーマルはサーシャネルに刺され体の自由を奪われたときに語った自らの過去の話を思い出していた。


 あの話ができるということは、その過去を乗り越えたものだと思っていた。

 だが、それは全くの見当違いであったことを、思い知らされたのだ。


 ラスプーチンが当時のサーシャネルの地獄のような虐待から救った。

 それは間違いないだろう。

 だが、ラスプーチンの心の支配は、副次的にサーシャネルの負の歴史がサーシャネル自身を苦しめていた状況を、軽減させていたのだ。


 ラスプーチンの側にいることが彼女の胸の奥の忘れ去りたいはずの記憶に対する想いを軽くしていたことを、サーマルは知った。


 では、今、ラスプーチンが消え去った今、彼女の過去に対する苦しみをどうすれば軽くすることが出来るのか?


 もう答えはサーマルは持っていた。


 ラスプーチンが期せずしてやっていたことを、自分が代わって行うこと。


 サーシャの全人格を否定する過去の記憶にサーマルが寄り添うこと以外には考えつかなかった。


 だが、それは並大抵のことではない。

 わかってはいた。

 自分の体そのものをサーシャの身体への栄養源として、さらに自分の精神・魔導力の供給源としなければ確かに成り立たない技法である、ということを実感した。


 と、同時にこのサーマル・テラノという個体そのものを凝縮した形で、サーシャの身体の心の中にまで送り込めるニシムロの能力に驚きを禁じ得ない。


 一体、バスラ・ニシムロとは何者なのだ?

 「神の子」ディッセンドルフにも匹敵するこの力は…。


 だが、今はそのような雑念は捨てるべきだった。


 サーシャネルの心を壊し、体を玩具にされていくこの彼女の悲哀と苦痛の歴史を、共に生きることのみにその集中力を注いでいく。


 サーシャネル・ハーマスは【言霊】持ちではない。

 だが、ラスプーチンから分け与えられたとはいえ、もともとそれなりの魔導力を有していた。

 そのため、その凌辱の光景は、サーシャ自身の視点だけでなく、その場にいた者の視野や俯瞰的な視点すらも入り混じって構成されていた。

 同時に、その時の自分に向けられる汚く腐った感情をも、感じ取ってしまっていた。

 その場には実の母親もいたが、父親と兄二人の言うことを聞いてサーシャを抑えつけるような親であった。

 だが、魔法で隠されていたが母親もまた、この男、いや獣たちに暴力を受けているのが分かった。


 ハーマス交易所の経営者の奥方という立場があり、利用する各実業家や貴族と会食をすることもある。

 目立たない程度の治癒魔法が使われていることはサーマルにもわかっていた。

 さらに、この父親と兄二人はサーシャネルの存在を隠す徹底ぶりであり、屋敷の地下牢に監禁されていたのである。


 サーシャネルは両足の腱を切られ、逃げられないようにされ、性の玩具としてだけではなく、体にも過酷な暴力をふるわれ、そのたびに治癒魔法により再生させるという、無限の苦痛を与え続けられていた。


 騎士の甲冑を纏い、すでに死んでいる騎士、キレヒガラ・ディグの身体を操ったラスプーチンの出現するまで続いたのである。


 サーマルは記憶の過去の凌辱の場面のたびに、サーシャネルに寄り添うようにしていた。

 寄り添うことしかできないのだが、最初、それは大きな拒否をもって撥ね付けられた。


 だから、サーマルは、サーシャネルを初めて見てからの思いをぶつける。


 3年前、学生議会の仕事で新入生の世話をした時だった。

 入学成績順位も一桁の才能があったはずだ。

 それくらいの学生たちはみな優秀で、自信を持っているのが普通だった。


 だが、サーシャネルは違った。

 表情や振る舞いこそほかの学生とそう大差はなかったが、心の喜びがサーマルには見えなかった。


 完全にその人の心の奥底を読むことなど、サーマルには全くできなかったが、それでも、雰囲気くらいは判別できた。

 学年次1位とはかなりの大差は自覚しているが、これでもサーマルは成績で次席から落ちたことがないほどに優秀だった。

 【言霊】を持たない学生でこれだけ優秀な人物はいなかった。

 首位に「神の子」ディッセンドルフなどという化け物がいなければ、首席であったはずの人物である。

 魔導力もかなり強力な部類に入るだろう。


 そのサーマルが、新入生サーシャネル・ハーマスの表情と、心情が乖離していることに早々に気づいた。


 学生会議に誘ったのはオオジコバであったと思う。


 学生会議役員室に初めて顔を出した時のサーシャネルは、いつも見る少しお転婆な女の子という女子学生を演じていた。

 それをディッセンドルフも、オオジコバも違和感があったのだろう。

 でなければオオジコバがわざわざ声など掛けるとは思えない。


 あの時点でサーシャが本当の自分を隠しているような気はしていた。


 目的が「神の子」ディッセンドルフだとは思いもしなかったが。


 どんなに明るくしていても、一抹の不安のような暗さが垣間見えることがあった。


 特にマルヌク村の惨劇の話をしていた時の表情には、言葉では言い表せるものではなかったが、続くディッセンドルフのトツネルド・メビウスのノートの最後の血判に触れた時に、明らかにサーシャネルの表情がおかしかった。


 今思えば、あれはサーシャが反応したのではなく、サーシャのウロボロスの印が反応したのだろう。

 明らかに瞑想状態に入ったディッセンドルフに対して、敵意のようなものを感じた。

 オオジコバもそれは察していたようだが。


 決定的だったのは、オオジコバが連れてきた女性、フォルテ・テンショウメイ・ゴルネイエフをサーシャが見たときだろう。


 二人にはどう考えても接点はないはずだ。


 メビウスたちが村での死闘を繰り広げている時には村から脱出していたはずなのだから。


 にも拘わらず、その瞳が大きく開かれていた。

 つまり、フォルテが何者かということを「知って」いた。


 フォルテはあの村でメビウスと、バネッサの3人で暮らしていた。

 そのことをメビウスの同僚、ジェイコブ・ヨハンソンは当然知っていた。

 そのメビウスは赤毛の女に異常に固執していたと聞く。

 その赤い髪の女性、フォルテはメビウスのノートに書かれているように買われた女性ではあったが、家族として暮らしていた。

 そのことを知っているジェイコブもこの世にはもういない。

 メビウスもバネッサと共に亡くなったとディッセンドルフが語っていた。


 マルヌク村にいた者たちは、唯一の生き残り、「死神」と呼ばれた少女、ナターシャのみ。


 フォルテのことは基本的には誰も知らないはずなのだ。


 そのはずなのだがサーシャは強い反応を、一瞬だが見せた。


 ジェイコブは今回のこの騒乱の首謀者、寄生精神体ラスプーチンに操られていたと、ディッセンドルフは語っていた。


 この状況証拠は、サーシャに対して我々が疑念を抱くには充分だった。


 さらに、「神の子」ディッセンドルフの力は、今回のこの学校に対する襲撃、そして「神の子」の身体の奪取を正確に読み取っていた。


 学生会議役員室にサーマルとサーシャネルを残したのは、完全にサーマル自身を囮としたものであったが、それを申し出たのはサーマル自身であった。


 入学当時から、サーシャネル・ハーマスという少女に纏いつく暗い雰囲気。

 それとは別に少しお転婆で明るくふるまうサーシャという誰からも愛される少女。

 この二つの相反する精神を内在し、不安定に揺れ動いている少女に、サーマールの関心が引かれていった。


 そして、自分を刺し、過去の凌辱された過去をサーマルの心をいたぶるために披露した少女の、悲痛な内面にサーマルの胸の内が激しく搔き乱された。

 そして一つの結論を得た。


 サーシャネル・ハーマスを救いたい。


 サーマルは一体どれほどの時間、この少女の悲痛な歴史に寄り添い続けたのだろう?


 一つ一つ、少女の残虐に扱われた過去が、サーマルの心の接近を許し始めていた。


 その心の光が、少しづつ強くなっていく。


 もう、サーマルの身体はほとんどが消失していた。




 外の世界からもうっすらと光がこぼれ始めてきたのを、サーマルも感じ始めていた。


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

本人が思っていたよりもかなり長い物語になってしまいました。

この騎士魔導士学校騒乱事件がやっと終わり、次回から最終章に入ります。

何とか終わりが見えてきましたので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。

「神の子」としての役割が、本当の目的が出てきますのでよろしくお願いします。

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