第49話 ラスプーチンとニシムロ
コンシュ・ハゼロウが光の中に立つ人物に駆け寄っていく。
が、サーシャネルはその後には続かなかった。
転がされているサーマルをそのまま放置することに危惧を覚えたこともあったが、自分の太もものウロボロスの印が、変にざわめき、点滅を繰り返しているのだ。
この印は自分が「闇の王」の所有物である証。
その証が点滅を繰り返す意味。
この印が歓喜に震えていると強引に思うことも出来たが、それよりも警告的な意味合いが強いようにも思えた。
「ああ、「我が主」よ。大いなるお力をお手にしたこと、このコンシュ・ハゼロウ、喜びに、体の震えが止まりません。」
ディッセンドルフの身体を奪い、その力を軽く使って、学生たちを一瞬で消したラスプーチンは、膝まづいているハゼロウを見下ろした。
[ふ、ハゼロウか。我は非常に気分がいい。まさに今、我は神の力を得た。この国など、我にとってはさほどの脅威も感じぬ。]
「おお、頼もしきお言葉。では、いよいよこの国の支配に動くのですね。」
[それも、余興にはいいかもしれぬ。この体に慣れるためにもな。もう、この場を護る騎士たちもここに集まってこようぞ。]
その言葉に、ハゼロウは体が震えるのがわかった。
聞いた話では、この広大な騎士魔導士学校に配置された騎士の数は、1個大隊、500人以上だとも聞いている。
十数人は「闇の王」に帰依した者どもが殺したように聞いてはいるが、「神の言葉」教の神聖騎士たちも、簡単に無力化した者たちがいると聞こえてきていた。
だが、先程見せたアンドリューに対する攻撃魔法は、アンドリューにこそ防がれたものの、彼女に付き従った学生たちを一瞬で葬りさっていた。
100人はくだらない数だ。
「それでは「闇の王」に歯向かうものは全て消え去る、という事ですね。」
[さてな。我はそのつもりで術をふるうが、耐えるものもいよう。そのものは、ハゼロウ、頼んだぞ。お前の魔導力、当てにしておるからな。]
これは試練だ。
俺が「闇の王」の僕として、役に立ちうる人物なのか、と。
ハゼロウは震えた。
そして自分の芯なるところに埋められた「闇の王」の力を解放することをも意味していた。
「闇の王」の従者になることを誓った日に、自分に託された力の源。
「ハッ、必ずやお役に立って見せます。」
その「闇の王」の言葉は物理的な力を持って、ハゼロウの全身を縛る呪いとなった。
そのため、すぐ近くまで迫ったその闘気に気付いた時には「闇の王」の体、ディッセンドルフの端麗な顔立ちをした青年を護るような形になった。
熱く空を覆い、激しい暴風雨を起こしていた雲が次々と消え去り、温かさを纏った太陽の光が辺りに広がっていった。
その光の中に、岩のように大きな存在感を持った男が現れた。
短く切られた黒い髪、浅黒い顔に傷跡。
バスラ・ニシムロ。
またの名をマグダエル・ニシムロ。
危険を感じたハゼロウが、懐の短剣をかざす。
間合いには大分距離があったが、かまわず上から下へその刃を動かす。
その刃から奇妙な動きをする赤黒い物体が次々とニシムロに向かって放たれる。
ニシムロの顔がほんのわずかの間、飛んで来る赤黒いものを見たがすぐに興味をなくす。
するとその飛来する赤黒いものが地面に転がっていた。
と同時に青白い炎を吹き出す。
ハゼロウの打ったその赤黒いモノ。
憑りついたものを物理的にも精神的にも侵食していく魔獣。
蟲使いと呼ばれるものが好んで使う使役幻獣「魔蛭」と呼ばれていた。
だが、その飛翔する「魔蛭」はニシムロの結界に触れただけで、あっさりと消失してしまった。
ニシムロにとっては些細な事であった。
ラスプーチンと自分の間にある者はタダな邪魔者としてしか、認識していなかった。
そして、今の一瞬で自分が刃向かえる相手ではないことを理解したハゼロウは一目散で逃げ出した。
そういう男だ。
後先のことを全く考えていない。
この後、ラスプーチンがニシムロを叩いた場合、どれほど自分の立場が危うくなるかということを。
「ちょっと結界に阻まれただけでトンズラか。いい部下を持ったもだな、ラスプーチン。」
[部下でも何でもない。もともと逃げることしか考えてないやつだ、何事にもな。努力からも、責任からも、何もかもから、な。こちらも別に期待などしてない。ここの防護任務さえまともにできん奴だが、今も生きているということからも、ある意味才能だろう、奴の。]
逃げていくハゼロウの先を見ていたラスプーチンが、ニシムロに目を向ける。
「丸くなったもんだな、ラスプーチン。今までのお前なら、あんなふうに逃げる奴はすぐに息の根を止めていただろうに。」
[当然だ。この力を得た我の前に不安など皆無だ。その気になればこの世界のどこまで逃げたとしても一瞬でその存在を消すことが出来る。奴も、そしてお前もな、ニシムロ。]
雲の合間から差していた光の範囲が広がっていく。
急速に雨や風がやみ、雲もその範囲をすぼめていった。
[まさか、この風雨さえもコントロールできるとは。「神の子」の力のなんと強大なことよ。]
「大きく出たもんだな、ラスプーチン。」
[事実だろう、この力の偉大さは。「神の子」などという尊大な【言霊】だと思っていたがな。]
ラスプーチンに奪われたディッセンドルフの身体、右手が小さく動いた。
その刹那、瞬時に雲が陽の光を遮り、雷鳴を轟かせた。
ラスプーチンとニシムロの周囲が光った。
雷が落ちた。
そうオオジコバが見た先の二人はまったく雷をものともしていなかった。
但し、オオジコバの目には裏切り者のニシムロが平然としているのにもかかわらず、何者かに操られているディッセンドルフの身体は、小刻みに震えていることがわかった。
「どうした、ラスプーチン?この気候さえ操れるほどの強大な力を手にしたんじゃないか。雷一つまともに俺に当てることも出来ずに、大きなことを言うな。」
[お前はいったい何者だ!あれだけの雷を受けて、何故死ぬこともなくたっていることが出来るんだ!]
ニシムロの周りには、エネルギーの塊のような雷が落ちたことを示すようにように、泥が蒸発し、下の丈夫な岩盤が露出していた。
しかし西室の身体はおろか着衣にも全く乱れがない。
ニシムロを避けるように雷が落ちたようにしか見えない。
「俺は何もしていないさ。勝手に雷が避けただけだ。」
ニシムロは涼しげに答える。
この両者のそばにいることは危険だと誰もがわかっていた。
アルテミスはフローラだった赤子抱き、セノビックと共に損壊した校舎まで後退した。
アンドリューとエンヤは、助けることの出来なかった学生たちを想いながら、さらに強力な防護障壁を展開している。
ナターシャはいまだ意識を失ったままだが、小柄な老人がその体を担ぎ、ラスプーチンとニシムロの会話がぎりぎり聞こえる位置に立っていた。
オオジコバとフォルテはいまだ身体が痺れて自由に動くことが出来なかったが、何とか二人の前に防護障壁を展開できるまでには体力、魔導力ともに回復してきていた。
だが不思議だった。
自分たちの動きを封じたのは、敵に合流するためだと思っていたが、ニシムロはディッセンドルフの身体を奪った者と対峙して、一歩も引かない。
一体何が起こっているのか?
ハゼロウはなんとかニシムロの力を回避し、サーマルが転がっている場所まで戻ってきた。
安全な場所ではないが、ニシムロにもこの人質が有効なのではないかと期待したためである。
そこにはサーシャネルの冷たい瞳が待っていた。
「おめおめと逃げてくるとは…、「我が主」の忠実なる僕であれば、わが身を盾にしてでもあの方をお守りするのがお勤めのはず。」
「馬鹿を言うな!あいつの魔導力は底なしだ!あいつと戦えるのは「闇の王」だけだぞ!」
「ふん、蛆虫はどんな高貴な力を与えられても、やっぱり蛆虫なのね。」
「お前も奴と向き合えばわかるはずだ!」
ハゼロウの言葉にさらに冷たい視線でサーシャネルが返し、そのまま沈黙した。
サーシャネルは何かの腹いせか、サーマルの腹にいまだ刺さる短剣の柄を蹴り上げた。
「うぐっ。」
サーマルが短く喘ぐ。
サーシャネルもまた、ラスプーチンから魔導力を分け与えられている。
その力を周りに拡散させた。
周囲の温度が下がっていく。
衰弱しているサーマルにはひどく応えた。
これがサーシャネルの魔導力か。
「気温冷却」
その分吸収した熱量をすぐに放出しないと体がもたないはずだが、どうやらどこかに放出することも出来るってことか。
サーマルはその冷気に体から徐々に熱が奪われていくことに耐えながら、サーシャネルの力を見定めようとしていた。
そうやってサーシャネルの顔を下から見ていたときに、そこにかすかに筋のようなものがあることに気付いた。
その筋は目から頬、そして顎に続いている。
何を意味している?
気力を何とか維持させながら考えた。
一つの仮定が浮かぶ。
それは、今見ているサーシャネルではない、学生会議役員室でのサーシャを思い出したからだ。
涙。
だが、自分にここまでのことをし、さらに数十人、もしかすると百人を超える死者を出したこの騒動の加担者であるサーシャネル・ハーマスが何に対して涙を流すというのか?
遠巻きに、そしてこの二人、ラスプーチンとニシムロの力が届かないと思われる場所で、各々が事の成り行きを見ていた。
「神の子」ディッセンドルフの身体を奪った闇の勢力が、学生たちを一瞬で消し去った。
そして自分を神として見せるためか、気候をコントロールして、自らに陽の光を照らし見せた。
気象を制御できる。
この一点だけで、その力の絶大さを示すには十分であったはずだ。
だがそこに、ディッセンドルフに親しい存在として認知されていたニシムロが現れた。
どうやらディッセンドルフを裏切ったようにも見られたその行動は、おかしな展開を見せているようであった。
それは明らかにニシムロを狙ったと思われる雷が落ちた時だった。
例え、大きな魔導力によって防護障壁など、自らを守る様々な術を使ったとしても、雷という強大なエネルギーに晒されれば、その体は守れたとしても、かなりのダメージを追うはずだった。
ニシムロは一切動ぜず、全くの無傷でその場に立っていた。
「なあ、ラスプーチン。お前さんはあの少女の身体では、「神の子」の力を受けきれないと思ったよな。」
ニシムロは急に親し気な言葉をラスプーチンに放った。
それはまだ、ラスプーチンが「神の言葉」教の司祭を務めていた頃、神聖騎士団に所属していたマグダエル・ニシムロと酒を飲んでいた時のような気やすさだった。
そう、あの頃は一緒に酒を飲み、楽しく語らうことが出来たころだった。
[事実だ。フローラに与えられ暴走していた「神の子」の力を吸収した時に、漲る力が、ナターシャを破壊し、そのまま拡散するような勢いがあった。]
「だから「神の子」ディッセンドルフの身体を狙った。」
[そうだ。今の俺を見ろ!この充足した力を!]
「その考えは間違ってないよ、ラスプーチン。だがな。」
そう言うと一歩、二歩とラスプーチンに近づく。
「この「神の子」の力は身体の器の大きさだけではダメなんだよ。」
この言葉にラスプーチンが操るディッセンドルフの顔が歪んだ。
ニシムロの言葉が、ラスプーチンの今感じてる違和感の説明であるように感じたのだ。
そう、最初に乗っ取りをしてから徐々にこの身体や力の行使に、ズレを感じてそれが大きくなっている気がしていたのだ。
「ディッセンドルフはな、10歳の時「神の言葉」は【言霊】の事だけでなく、さらなるその意味についても聞かされた。その「神の言葉」は辛辣で苦痛を伴うものだった。その瞬間に心が壊れたそうだよ。」
[心が、壊れた?]
ラスプーチンはただ、その言葉を繰り返した。
すでにニシムロは自分の剣の間合いにまで、ディッセンドルフに近づいていた。
しかしながら、全く殺気も、闘気もその身体に纏わせてはいなかった。
さらに言えば、防御すら考えていなかった。
普段のディッセンドルフとの関わり通りの行為であった。
「そうだ。心が壊れた。言い換えれば精神としての器が消えたんだよ。変な言い回しだが、受け入れるその力は無限という事だ。」
[そ、それは、ありえない。あり得るはずがない!]
「そうだよ、ラスプーチン。ありえないんだ。心が壊れるという事は、死ぬか、廃人になるか、だ。だが、心が壊れ、精神の器が無限となったディッセンドルフは、そこからもう一度、心を作り始めた。ルードヴィヒ家で、そしてこの騎士魔導士学校で。」
[俺は、俺は確実に、「神の子」の魂を喰らった。この身体の精神は俺のものになった。]
「であればよかったんだが…。そろそろいいんじゃないか、大将‼」
ニシムロのその言葉に呼応するように、ディッセンドルフの身体を高電圧の稲光が貫いた。




