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「神の子」  作者: 新竹芳
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第45話 魔女コンコルディア・フローラ

「捕まえたわ、愛しい旦那さま。」


 フローラのドレスのような服が、風に吹かれて(ナビ)いているが、雨は一切その服を濡らすことはなかった。

 たなびく服に隠されている右上腕部に微かにウロボロスの印が見られた。


 ディッセンドルフの身体を固定していた残り5本のザスルバシの触手はザスルバシの死とともに消え、胸を刺し貫いている剣のみが残り、ザスルバシの体は頭をなくして泥の中に崩れ落ちて行った。


 だが、腹にはフローラに打ち込まれた蔦のようなものが張り付いている。


「ザスルバシは仲間ではなかったのか?」


 いまだ泥の大地から起き上がれずにいるディッセンドルフが、フローラを糾弾する。

 しかしながらその言葉は完全に流された。


「何をおっしゃっているのかしら、私の愛おしい旦那様ともあろうお方が。お役目もできない無能の騎士など、「我が主」にとっては邪魔以外の何物でもありませんことよ。しかも、旦那様に向かい下らない自らのことをよくもべらべらと飽きずに語れるものですわ。あまりにも汚らわしいので、その存在を消しただけですよ。」


「旦那様とは誰のことを言っている。」


「当然、この世で汚れなき強大な力をその体内にお持ちの「神の子」ディッセンドルフ様に決まっているではありませんか!」


 ディッセンドルフはフローラの言葉遣いに虫唾の走る思いであった。


 だが、接触しているフローラから伸びている蔦のようなものを、先ほどから消し去ろうとしているのだが、うまく魔導の力がその蔦に伝わらない。


 違う。

 力がうまく伝わらないんじゃない。

 ディッセンドルフは自分の気力が弱っていることを実感した。

 そう、この蔦はディッセンドルフの生気と魔導力を吸っているのだ。


 思い出した。

 ニシムロが警告をディッセンドルフや仲間に出していた内容。


 この国の最高の魔導士、コンコルディア・フローラがアンドロメダ・エウリュアレから血液を吸い取り、その身体を若返らせている。

 絶対にその間合いには入るな!防御障壁は役に立たない、と。


 この蔦のようなものが、その吸収のための魔法、か。

 よく見るとこの蔦のような長細いものの先は、ドレスアップされ、若く美しくなったフローラの左腕であった。


「ああ、何という甘美な力でしょう。まるでこの世界が私のためだけにあるような力強さ。これが「神の子」の力。あまりの快感に、わたくし、イッテしまいそうですわ、旦那さま!」


 大雨の中で、宙空に止まったまま、そのドレスが風に吹かれ、まくれ上がって露出するストッキングを纏うその足は細く綺麗であることを、見せびらかしているようでもあった。


 さらに、「神の子」ディッセンドルフから奪うその力に恍惚の表情を浮かべて、自らの身体を抱きしめて妖艶な声を響かせていた。


「この変態ババアが!」


 フローラを罵る声とともに、ディッセンドルフの生気を奪っていたその蔦のようなものが切断されていた。

 バスク・エリザクトでは傷もつけられなかったフローラの左腕が変化したその蔦のようなものが、いともあっさりと切断されたのだ。


 切断面から血のようなワインレッドの液体の雫が、滴り落ちて来る。


「くっ。」


 低く小さく零れた悔しそうな声とともに、その切られた蔦の断面がすぼみ、急速にフローラの元に戻る。

 と同時に左腕が再生された。

 そこには切断されたような痕は何処にもない。


「さすがに対応が早いな、フローラ。今世紀最高の魔女と呼ばれるだけはある。もっともここ数世紀、そう呼ばれているんだっけか。300歳にもなると今世紀なんて慣用句、意味ねえな。」


「相変わらず失礼な男だねえ、ニシムロ。まだ私はそんな歳にはいってないわよ。250を超えたくらいかしら。でも忠告しておいてあげる。レディに歳の話は厳禁。よく覚えておいてね、いくら頭が悪くても。」


「ババア相手にレディもくそもないもんだ。さっきも将来ある美貌の女性の生き血を吸ってきたんだろうが。」


 その宙を舞っている女性にそう事実を突きつける。

 首相官邸からすぐさまディッセンドルフを守るために空間転移を行い、正直、体に多少の疲労を感じてはいた。

 だが、目の前の魔女相手に、弱みは見せられない。

 立て続けの空間転移を行い、全く疲れを感じないものは、ニシムロが知る限り「神の子」ディッセンドルフ以外にいない。


「おい、大将生きてるか?こんな耄碌ババア相手に生き血をすすられるなんて、なってねえなあ。」


 ニシムロの問いかけに、泥の大地に横たわるディッセンドルフの瞳が動いた。


 腹部に残っている蔦のようなフローラの左腕の一部は、切断されるとすぐに枯れるように萎み、その残渣がディッセンドルフの腹部にこびりついていた。

 ザスルバシの剣はいまだ胸に突き刺さり、ディッセンドルフの自由をその大地に縛り付けている。


 宙空で二人を見下ろしているフローラは、吸い取ったディッセンドルフの生き血、精力と魔導力に身を悶えるような快感に、いまだ身を任せていた。


 ニシムロとの舌戦も完全に受け身であり、自分の身体をめぐるその活力源にただ己が官能を全身で受け止め、歓喜に身を震わせていたのだ。

 二人に対して、一切手を出してこないのがその証拠である。


 身悶えるフローラに、気持ちの悪い蟲を見るように一瞥し、泥に転がっているディッセンドルフの右手を掴んだ。

 泥に横たわるディッセンドルフの欠損しているその部分にくっつけて、少なくない魔導力を注ぐ。


 いくばくかの光が発せられると、その右手は痕を残さずディッセンドルフのモノとなった。


「すまない、ニシムロ卿。結構抜かれたようだ。」


「大将ならすぐに戻る。さて、ここからどうする?手を貸そうか。」


「いや、この戦いは、俺の戦いだ。こいつらを自分の糧に出来ないようだと、奴には勝てん。インデルマン卿の言う通りだ。」


 その言葉にニシムロが首肯する。

 そう、ここにいるモノを取り込んでいかなければ、強大なあいつには勝てない。

 全くその通りだ。


 宙に舞い、いまだその快感に酔いしれている化け物、美貌の魔女、コンコルディア・フローラを見上げた。


 その姿は、どこかの舞踏会で目にすることがあれば、素晴らしいというものもいるであろう。

 黒を基調とした体にぴったりのドレスに、金のラインと赤いバラが特徴的だ。

 首元にはダイヤとルビーが施された金のネックレスを纏い、金髪の頭には黒の帽子を斜めにかぶっているようにするため、髪に固定されているようだ。

 でなければ、宙空で気流にひらめいているドレスのように、飛んで行ってしまうはずだ。

 ドレスのスリットは深めに走っていて、そこからガーターベルトで吊られた紫のストッキングが見える。

 それどころか風に吹かれて足元からめくれ上がると、その下につけられた小さな紫の下着が、そのレースの刺繍までもがしっかりとニシムロの目に入ってしまう。

 足に至ってピンヒール。

 その衣装は、これからセレモニーでもあるのかと疑ってしまう。


 いや、違うな。

 「神の子」を自分のものにする。

 これ以上のセレモニーはコンコルディア・フローラにはないに違いない。


「おい、魔女さんよ!そんなとこでよがってないで、愛しの「神の子」の伏す、ここまで下りて来いや!」


「いやよ、そんな泥だらけの所。折角のこのドレスが汚れちゃうじゃない。」


 全くこのババアが!


 だが、多少の時間稼ぎはできたらしい。

 このやり取りで、ナターシャも、そして瀕死のサーマルを抱えるハゼロウとサーシャネルも手を出せずにいた。


 ディッセンドルフは今しがたニシムロによってつけられた右手を動かし、ザスルバシの念がいまだ消えない胸に突き刺さった剣の柄を握った。

 その剣にかけられていた魔術がその右手を拒否したが、すぐに従順にディッセンドルフに従う。

 手に馴染むその魔導剣は、この国の最高の剣匠、ゴッホニル・サー・ムラサメの物であることを瞬時に読み取った。


 こんな最高の剣を携えているにもかかわらず、闇に落ちるとは…。


 一気に胸に刺さったその剣を自らで引き抜いた。


 止めていた心臓が賦活化し、自分の力を全身に回す。


 刺されて損傷を負っていた胸部の傷は瞬く間に修復され、ゆっくりとその体を動かした。


 立ち上がるディッセンドルフの姿に、空で恍惚な表情をしていたフローラが、さらに喜びの表情へと変化させた。


「ああ、愛しの旦那さま!素晴らしい回復力。わたくしめをこんなに感じさせておきながら、もう復活されるなんて。私を何度、昇天させたら気が済むのでしょう。」


「色狂いの、破廉恥ババアの魔女が!おめえの言ってることはただの情事の感想じゃねえか!」


 立ち上がるディッセンドルフの勇姿に対しての、あまりにも下劣な表現に、さしものニシムロも口汚く罵りの声を上げた。


 そんなニシムロを制し、ディッセンドルフの顔がにこやかな表情を作った。


「さて、とりあえずの仕上げに入るよ、ニシムロ。」


 その言葉は先程までの他人行儀な態度が消えていることをニシムロは悟った。


 やっと、自分の知る「神の子」がここに戻ってきた。

 そう感じていた。


「そんな顔はしないでくれ。ニシムロはいつも通り。それが俺にとって一番心強い。」


「了解した。目的達成が難しそうなら俺を呼んでくれ。」


「そうならないことを祈ってくれ、ニシムロ。」


「わかった、大将。」


 そう言うと、ニシムロは宙空で自分たちを見つめる魔女を一瞥し、オオジコバとフォルテが見守る場に跳び去った。


「この国最高の魔女と言われているコンコルディア・フローラ嬢、お初にお目にかかります。「神の子」の【言霊】持ち、ディッセンドルフ・フォン・ルードヴィッヒと申します。」


「ええ、よく存じ上げておりますわ、ルードヴィッヒ次期伯爵様。この世界であなたほどの力と気品を持ち合わせた殿方はいらっしゃいませんから。本当に、本当に長い間、私はあなたのような殿方を求めておりましたの。先程の睦事は私の世界を一変させるほどの甘美で官能的なものでした。」


 空に舞う、金髪の美貌の魔女の言葉に、ディッセンドルフは大きなため息をついた。

 先程の俺から命を奪うような行為が、睦事とはな。

 全く、頭のいかれた魔女様だ。


「あれを睦事と言われると、正直なところ、受け入れがたいですな、ミス・フローラ。私からその生命の源を強引に搾取されたとしか思えませんが。」


「何をお戯れを。私が搾取した者は、皆、全て滓のようなものになってしまいますよ。ところがどうですか。貴方様は全くそのようなことが無い。確かに男女の営みとしては、私のこの左腕を貴方様の下腹部に差し込むという、男女の逆転が起きているように感じるかもしれませんが、実際はあなた様の精気が私の体の奥まで迸るように注がれましたのよ。そのエクスタシーは今までの経験の中では決して味わったことのないもの。どれほどルードヴィッヒ様の愛が素晴らしいか、この身をもって痛感した次第ですことよ。それを、粗暴なニシムロ如きに中断されましたが…。さあ、続きをはじめましょう、ルードヴィッヒ様!」


 恍惚の表情で語るフローラに、純粋な嫌悪感を募らせてゆく。


「コンコルディア・フローラ嬢。貴方がその実年齢での乙女の頃は、さぞ美しかったのであろうことは想像に難くありませんな。しかし、今のあなたは、見た目には妖艶で男の関心を惹いて、そして蕩けさせる存在なのでしょうが……、私にはおぞましほどの腐敗臭が鼻をついてきますよ。」


 ディッセンドルフの辛辣な言葉に、先程まで快感に身をくねらせていたフローラの顔が一瞬で変わった。

 般若のようなおぞましい憎しみの顔。

 その裏にしわまみれの老婆の顔がダブってディッセンドルフの視界に広がった。


「この若造が!人が優しく口説いてやっていれば調子に乗り寄って!すでにお前の力の大部分はこの私が頂いている。まともに私とやりあって勝てるとでも思ったか!」


 先程までの甘い言葉を吐いていた同じ口で、地の底からの呪詛のような低い憎しみに満ちた叫びがその周辺に響いた。


 その叫びは力となり、周辺の泥を巻き上げ、ディッセンドルフに向かい、叩きつけられた。


 ディッセンドルフがその魔女と戦うための態勢に入った時であった。


「お~い、ディッセンドルフさんよお。お前の友達がどうなってもいいのかい。」


 何とも間の抜けた言葉が、しかし激しく振る雨音に邪魔されることなくディッセンドルフの耳に届いた。


 本当に、一瞬だった。

 ディッセンドルフの意識が魔女から逸れた。


 魔女の呪いのような力がディッセンドルフの体に巻き付く。

 その状態にあって、ディッセンドルフの視界に腹にいまだ短剣が刺された状態のサーマルの首を右手で握り、高々と持ち上げているハゼロウの姿を捉えていた。


「よそ見をしている暇はないわよ、坊や。」


 見えない鎖に捕まったように見えるディッセンドルフの近くまでフローラが近寄り、また左手がディッセンドルフに向かって長く伸びてきた。

 その動きに呼応するようにハゼロウがサーマルの腹部の短剣をこれ見よがしに動かす。

 たまらず悲鳴を上げるサーマル。


 ディッセンドルフの動きが止まった。

 フローラの蔦と化した左手がディッセンドルフの背中に突き刺さる。

 そしてまたも、その生気を吸い始めた。


 だが、今回のフローラの動きは完全に読んでいたディッセンドルフは、そこに自分の意思の魔導を含ませた。


 効果は覿面(テキメン)に現れた。


 フローラの見悶える動きが先と全く異なった。

 快感の度合いが大きすぎたのだ。


 自分のドレスを引き千切り、股間を覆っていた小さな刺繍の施された下着をも破り、空中から落下した。


 それでもフローラは自分の胸を泥の大地に擦り付け、股間を揉み続け、終いには白眼になって、口から泡を吐き続けた。


 ディッセンドルフは平然と立ち続けた。

 先程の一方的な搾取と異なり、ディッセンドルフから吸い取ろうとしたフローラの左手に、ありったけの隠微な魔導媚薬を注ぎ込んだのである。


 泥の大地をのたうち回るフローラがやがて、その体を徐々に若返りさせ始めた。


 既にアンドロメダから若さを搾取していたフローラの身体は、それ以上の魔導力を吸収することができない限界にいたのだ。

 その快感ゆえ、ディッセンドルフの力を吸収していたことでタガが外れた。

 さらなる若返りが起こり始めたのだ。


 既に200年以上生きてきたフローラにとって、正常であれば判断を間違えることは無かったであろう。


 だが、今、彼女は快感に、体を駆け巡る甘美な体験に心を奪われていた。


 ナターシャはディッセンドルフとフローラのやり取りに、全く反応できなかった。

 だが、ナターシャの中にいる存在は、フローラの中で起こっていることに気付いた。

 いまだナターシャに馴染み切っていなかったが、強引に動かした。


 どんどん若返りを起こし体を小さくしているフローラにナターシャがとびかかった。


 大剣をフローラとディッセンドルフの背中を繋いでいる、左手に向かって振り下ろす。


 いともたやすく皺だらけの蔦のようなフローラの左手を切断した。

 さらにその切断したフローラの左手を掴み、蔦の切断面を自分の口に入れ、吸い込み始めた。


 すでにドレスの中に隠れるほど小さくなったフローラがどうなったかは、わからなかった。

 だが、ナターシャはそのフローラのドレスから伸びる蔦を、うまそうに飲みこんでいる。


 ディッセンドルフの背中に張り付いたしわくちゃなその左手を自身で剥がし、ディッセンドルフはそのナターシャに顔を向けた。


「奴が前面に出てしまったか。」


 まだ馴染めていないにもかかわらず、自らを「闇の王」と呼ばせる存在。ナターシャの自我の陰に隠れていた悪意の塊。

 マルヌク村の住民を惨殺に追い込んだ張本人が、その存在を「神の子」ディッセンドルフの前に出てきた。


「これが、これが「神の子」の力。」


 ナターシャの高温が綺麗な音声ではない。

 低いだみ声が、ナターシャ以外の者であることを明確にしていた。


 「闇の王」が「神の子」の力を吸いだしたためか、異常摂取による幼児退行を起こしていたフローラの体の縮小が止まったようであった。


「非常にうまいのだな、「神の子」の力というものは。フローラの痴態も頷ける。だが、フローラの中の「神の子」の成分はもう終わりか。全然足らんな。」


 泥の地面の上に捨てられたようなコンコルディア・フローラのドレス。

 その中でナターシャの口から続いてる蔦の先に、そのドレスの中で蠢くものがあった。


 ナターシャが、その蔦を思いっきり引っ張ると、ドレスの中から白い肌の物体が宙に舞った。


 金色の髪の毛を持った、赤ん坊であった。


 その存在をディッセンドルフとナターシャが認めた瞬間だった。


 雨の中を高速で移動する、赤い髪の騎士。


 その手にした剣が一閃。

 蔦が切られた。


 騎士はそのまま落ちてくる赤ん坊を両手で受け止め、走り抜けた。


「よくやった、セノビック殿、アルテミス。」


 ディッセンドルフの小さな呟きは、しっかりと二人に届いた。


 自分の横を高速で通り抜けた人物に呆然としていたナターシャは、赤ん坊になったフローラを奪われたことを理解した。


 「闇の王」が、蔦から「神の子」のエッセンスを取り込めなくなった時に、そのフローラを取り込もうとしていたことを見抜いていたのである。


 眼球のすべてが黒く色づいたナターシャの双眸が、そこに立つディッセンドルフをうまそうなものを見る目で、見つめていた。


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