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「神の子」  作者: 新竹芳
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第40話 再会

 黒い霧が2本のツヴァイハウンダーに絡みついていた。

 しかし、フォルテからはその霧がツヴァイハウンダーから懸命に逃れようとしているように見えた。


「あんま、悪足掻きはみっともいいもじゃねえぜよ。」


 言っている言葉ほどには余裕はなさそうであったが、インデルマンはその「何か」を完全に封じ込めているようであった。


〈ガガ…ギギィ…グウウ……。ギザヴァ!ゴゴヲ…、オデェヴァ〉


「ほう、この体でも、言葉を発せるとは!こいつはすげえなあ。「闇の王」の欠片さんよお。」


〈なぜ…、ぞの名を〉


 黒い霧は完全に集束し、インデルマンの剣の表面を黒く包み込むまでに小さくなっていた。


「このくらいまで集まれば、お話もできるってか!まあいい、それはこちらも好都合。」


 ツヴァイハウンダーをクロスさせて押されていたように見えたインデルマンは、体を起こして片方の剣を腰のフォルダに刺した。

 黒いその「何か」、インデルマンが「闇の王」の欠片と呼んだそれがまた激しく剣の表面で波打つ。


〈我を…ここから…放せ〉


「やっと聞きやすうなってきたぜよ。放すわけがなかんべえが、このクソ雑魚が!おめえさん、このフォルテを狙ったんじゃろう、えっ!」


 その声にフォルテの身体が緊張した。


 私を狙った?


「この子の母や姉のようにでもさせると思ったか、このワイが。下らん俗物の欠片如きに遅れはとらんぜ、なあ、嬢ちゃん。」


「私が、目的?」


 いまだ状況が理解できていないフォルテが、雨の音に消えそうな声でつぶやいた。


 すでにフォルテの闘気は消えており、雨風が打ち付けてくる。


「ああ、そうぜよ、嬢ちゃん。こいつはジルベルやバートリー、嬢ちゃんの母ちゃんや姉ちゃんに巣食って、いいように操っとった奴の欠片だ。本体の「闇の王」とやらは、今は最大の目的の器を得るために、そっちに全精力を傾けてるちゅうとこかいな。」


「操られてた?」


 では、私の仇は?


「誤解せんでくれなあ、嬢ちゃん。ああ、いや、この呼び方はもう失礼やな。フォルテ・テンショウメイ・ゴルネイエフ卿。君の父親、スサノ・テンショウメイを殺し、母と姉をまるで家畜のように扱い、凌辱したのは操られる前のジルベルとバートリーや。正しく、フォルテ卿は仇を討っちょる。よくやったのお。」


 ツヴァイハウンダーの剣先を雨の降る天に向け、片手で膝まづいていたフォルテの濡れた赤い髪を優しく撫でた。


〈ごちゃごちゃと、貴様は!このようなことを我に強いている者には、天罰が落ちるぞ!〉


 剣の表面で確実に小さくなっていくその黒い汚物が騒いだ。


 心底嫌な顔をインデルマンはその黒い欠片に向けた。


「お前らがよくも天罰などという言葉を使えるものだな。さんざん人の欲を増長させて心を操り、その体も精神も、魂もの自分らの糧として生き永らえてきた、他人の汚物の集合体が。どのみちこの状態を続ければお前のその黒い欠片さえも摩耗して消えるしかないものを。」

〈うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!〉


「お前から、もうちっとまともなネタが得られっと思っちゃが、無駄やな。」


 その時だった。

 天から一筋の光が落ちた。


 直後にインデルマンの周りに轟音が鳴り響く。


「「優剣翁」様!」


 フォルテが叫んだ。

 明らかに落雷がインデルマンを、その持つツヴァイハウンダーを直撃したのだ。


 あまりの事態にフォルテは剣を杖代わりに立ち上がり、先程まで優しい笑顔で自分を撫でてくれた人を支えようとした。


「そんな大声を出さんでも、聞こえるわ。」


 そこには全く変わらない姿の「優剣翁」マンチェス・インデルマンが立っていた。

 違うのは、その手に持つツヴァイハウンダーの黒い染みがきれいさっぱりとなくなっていたことだった。


「「優剣翁」様、今の落雷は、まさか…。」


「う~ん、その変な二つ名、「優剣翁」ちゅうのはやめてくれんかのう、嬢ちゃん。こっぱずかしくて、全身がむず痒くなるんじゃよのう。」


「あ、はい、インデルマン様。」


「まあ、なんだ。こんな老人だから爺扱いはまだしも、優しい剣、なんちゅうもんはないんじゃよ、嬢ちゃん。剣は武器だ。人殺しの道具なんじゃよ。それを忘れちゃならんのじゃよ、絶対にな。」


 ああ、父さんとおんなじことを言っている。


 ふとよく言っていた父親、スサノ・テンショウメイの懐かしい言葉を思い出した。


 そう、父はマンチェス・インデルマン卿を尊敬していた。

 直接剣を教わったことは無いのに。


「で、さっきの質問じゃが、まあ、確かに、あのクソ雑魚を始末するのに、雷を使った。あやつが天罰などという身の程知らずの言葉を使ったもんでな。神さんが怒ってもうたんだろうよ。」


 その言い方は、まるでインデルマンこそ神の使いのようであった。


「雷を自在に使える、ということなのですか?」


「先の(ゲン)にはちょっち語弊があるかの。ワイがそんな大それた力はもっちょらんよ。その力は借り物じゃきに。」


「力を借りる?」


「今は悠長に解説する気はないぜよ。それより嬢ちゃんにとってはるかに重要なことが待っちょる。」


 そう言って、インデルマンはツヴァイハウンダーを一振りし、近くに倒れている二人のもとに向かた。


 小さく詠唱と同時に、手印を切った。


 倒れていた二人に薄い靄のようなものがかかり、そこに見えていた数多くの傷や痣、欠損部分が見えなくなる。


「どうじゃ、二人とも。少しは痛みはまぎれたか。」


 二人、セレナーデとピアニッシモが上半身を起こした。

 顔にあった傷や、折れた鼻、潰された瞳も以前の二人のものに戻っているようには見える。


「すまんな、肩を潰してしまってのう。でなければ嬢ちゃんが危なかったで。」


「いえ、とんでもないことです、インデルマン卿。わたくしたちはもう一歩で取り返しの出来ないことをしでかすところでした。止めていただきありがとうございます。」


 セレナーデが雨に濡れたままの銀髪を揺らし、インデルマンに謝辞を伝えた。


「ワイには大した力はないで。お前さんがたにはもう大して時間が残っとらんでな。嬢ちゃんと悔いの残らんよう、話しとけ。最後はワイに天からもろうた力、使うでにな。」


 インデルマンの言葉に、セレナーデとピアニッシモが頷く。


「嬢ちゃん、ほんまに堪忍な。ワイの持ってる力では二人の顔を以前のものにしか映せん。体の無残な痕は隠すのが精一杯なんや。もう時間もないで、しっかと、二人と向き合ってくれ。」


 インデルマンはいまだ泥にしゃがみこんでいるフォルテにそう声を掛けた。


 その言葉、「最後」という言葉の意味に愕然とした。


 身体が反射的に飛び上がり、二人が上半身を起こしている場に一気に詰めた。


「母ちゃん!姉ちゃん!」


 靄のかかった二人の身体を抱きしめる。

 そこに、先に見た二人の真の姿が浮かび上がってきた。


 二人に死が迫っている。

 それが実感としてフォルテの心を支配した。


 気付いた時にはフォルテの頬を幾筋もの涙が流れていた。


「ありがとう、フォルテ。辛かったと思うけど、今は元気そうね。」


 母親の言葉は昔のように優しかった。


「本当に強くなったわ。お父様のよう。」


 姉の声は幸せだった時、父との稽古の時のと同じように暖かかった。


「ごめんなさい、母ちゃん、姉ちゃん。早く助けに行けなくて…。ごめんなさい、ごめんなさい。」


 何度も泣きながらフォルテは謝った。

 そのフォルテの冷たく濡れている頭を、二人の手が同時に包んだ。

 すでに死期が迫っている二人の手は冷たくなっていたが、フォルテには心をゆっくりと温めて行った。

 ずっと一人で頑張ってきたことを、二人が褒めてくれているようであった。


「そんなことを言ってはダメ!私たちはフォルテが生きていて、そしてこんなに立派になってくれたこと、それだけで十分。」


「例え、あなたが強くなっていても、もっと前にあの人でなしの屋敷に乗り込んでも、あなたが殺されただけ。それよりもインデルマン卿の助けもあって、こうして普通の私たちが、あなたと話せるだけで、どれほど幸せな事か…。」


 そう言ったピアニッシモの抉られていない瞳からも涙が溢れてきていた。


 本当に幸せ。

 こんなに綺麗に、立派になって、お父様そっくりで…。


「いい、フォルテ、これから私が言うことをよく聞いてね。」


 母親であるセレナーデもまた、まだ見える目からは涙が零れ落ち、赤い髪の我が娘のことが霞んでいた。

 それが涙のせいか、死期が迫ったせいなのか…。


「あなたの父、スサノ・テンショウメイはジルベル・フォン・カーサライト子爵とバートリー・エルジェベートの卑怯な奸計により殺されました。そして私たち3人も奴らに囚われ、私とピアニッシモはもう生を全うすることになります。」


 セレナーデはきっぱりと自分たちの死期を言い切った。


 その瞬間またフォルテは号泣した。


「フォルテ、あなたは本当に素晴らしい娘。そんな私たち3人の敵を討ってくれた。そのことには感謝してもしつくせません。ですが、フォルテ。わが夫、スサノ・テンショウメイの娘。」


 泣き続けるフォルテをピアニッシモは優しくその髪を撫で続けていた。


 だが、改まった母の言葉がフォルテの涙を止めた。


「私たち3人の生を弄んだ悪鬼はあなたの手によって地獄に落ちました。しかし、さらなる悪がジルベルを、バートリーを、私たちを操っていたことはもう理解していますね、フォルテ・テンショウメイ。」


 その強い声がフォルテの心を支配していた悲しみの鎖を解き放した。


「奴、「闇の王」と自ら名乗るものが、大いなる器たる「神の子」を求めて策略を繰り広げています。貴方がやるべきことは解りますね。」


 その言葉の強さとは裏腹に、大いなる優しさがフォルテを包み込んだ。


「はい、お母様!」


 フォルテは答えるとピアニッシモの手を握り、立ち上がった。

 そして右手を左の胸の位置に掲げる。


「本当に立派になって、フォルテ。」


 ピアニッシモがその敬礼する立ち姿に感無量になって、涙をぬぐった。


「スサノ・テンショウメイ、セレナーデ・テンショウメイの娘にして、ピアニッシモ・テンショウメイの妹、フォルテ・テンショウメイ・ゴルネイエフ、「闇の王」を討ってまいります。」


 そう宣言した。

 その言葉は、今生での母と姉との別離の言葉でもあった。


「ワイがフルサポートするで、二人とも安心して逝きなされ。」


 二人の女性が微笑む。


「寂しくはないぞ、二人とも。すでにスサノが待っておるでな。この時のためにワイは【言霊】を授かったで。」


 そうインデルマンが言い、手印を切った。


 轟音と共にすさまじい光が辺りを覆った。


 あまりの衝撃にフォルテの脚から力が抜け、泥地となっている地面に両膝をつく形になった。

 そして光の中心をただ見つめていた。


 落雷だったことは理解していた。

 自分にぶつけられる衝撃波が、その力の強大さを肌身で感じていた。

 だが、これが偶然の産物でないことも同時に解っていた。


 インデルマンの手印。

 その直後の雷。

 この光景は先に黒い霧を滅した時と同じものだった。


 光が消え、雨の冷たさが再び肌に感じられた。


 そして、インデルマンの前面には、…何もなくなっていた。


「ワイもじきに行くでな、じゃからフォルテがそこに行くまでは辛抱してくれな。」


 ぼそりとした呟きがフォルテまで届いた。

 その低い悔恨に満ちた口調がフォルテを正気に戻した。


「何を…、何をしたのですか!インデルマン卿!」


 泥だらけのフォルテがインデルマンに向かって吠えた。


 その叫びに、ゆっくりと振り向く。


「母ちゃんを、姉ちゃんを、ど、どうしたんですか!答えてください、インデルマン卿!」


 振り向き、悲壮感さえも漂わせたインデルマンの表情に気圧されながらも、それでもフォルテは聞いた。

 聞かなくともわかっているにも関わらず。


「おめえさんは、あの二人が不憫ではねえのか?」


 フォルテの問いは、静かで低い声が発する質問で返された。


 インデルマンもフォルテが理解していながらも、自分の高ぶる気持ちを鎮めるためだけに発した問いであることを充分に汲んでいた。

 汲んでいてなお、質問をぶつけた。


「不憫、ええ、哀れでなりません。あんな体にされ、心まで犯され…。」


「違う!そう言ったことではない。あのような体でなお死ぬことも許されない状態で、生き続ける苦しみが辛いのは当たり前だ。だが、それよりも、フォルテ、お前という輝きを最後にその目で見ることのできた幸せ。それを思ったとき、今までの苦しみ、辛さが報われたその後に、じゃ。」


「何を、何をおっしゃってるのですか、インデルマン卿。」


 一気に老けたように感じた騎士に、その言っている意味に、不思議に感じて、フォルテが尋ねる。


「人には生き続けるべき理由とゆうものがなあ、確かにあるぜよ。じゃが、死に時ちゅうもんも、確実にある。死ななければならない、死ぬことに幸福を見出す瞬間ちゅうもんが、な。」


 理解が出来ない。

 あんな状態にまでなっても、生き続け、やっと会えた家族なのだ。

 何としても失われたものを取り戻し、もう一度幸せな時を送る権利はあったはずだ。


「もう二人には生きる力はなかったんじゃ。あんな姿じゃて、ずいぶん前に体は死んでおったのじゃろうに…。」


「でも、あの声も、優しい微笑も、昔と変わらず…。」


「そう二人が望んだて、ワイが力を貸しただけ、やがな。お主ももうわかっとたじゃろうに。その前の二人の美しい体は仮初(カリソメ)のもんじゃったろうが。」


 フォルテは自分にジルベルがいかに素晴らしい人物かを語っていたときのセレナーデとピアニッシモの姿と、心から漏れ出る声を思い出した。


「ころして…。」


 そう、自分はすでにすべてを理解していた。

 だからこそ、そのことを否定したかった。


「すでに奴、自称「闇の王」に操られておった。半分の意識が生かされていた、ちゅう表現がまんまかのう。だが、お主を見て、最後に一言でも交わしたいと悲壮な心情がワイと「神の子」が汲み取ったんじゃよ、フォルテ。」


「そ、それは…。」


「先の親姉妹の触れ合いを演出したんが、ワイもお主の母と姉の限界であった。二人とも満足の笑みを見ての、そのまま昇天さすのがせめてもの情け、ワイの力の限界よった。」


 跡形もなくなった二人の骸…。


「あの壮絶に損傷した二人の遺体を、晒しもんにはできんかったんよ、フォルテ。わかってくれ。」


 そう言うと、インデルマンはフォルテに深々と頭を下げた。


 わかっていたことだった。

 「優剣翁」インデルマン卿が慈悲深い人物だということを。


「ええ、分かっていました、解っていましたとも…。母と姉がそれを望んでいたことも、師匠がその決断に断腸の想いで実行したことも…。」


「ワイはおめえの師ではないぜよ、フォルテ。ワイの最後の弟子は、ナターシャ・ジェルネンコだ。もう弟子は取らん。」


「私にとっては、インデルマン卿、「優剣翁」の名を持つあなたは私の師であります。師の行動に何んの疑問を呈せましょうか?」


「そんだな言い方は…。わかったぜよ、勝手に呼ばあいいが。」


 大きく肩を落とし、インデルマンは落雷によってできた穴に水がたまり始めていることに気付いた。

 もう、二人を天に帰してから、結構な時間が経過している事を改めて感じた。


「ワイに降った【言霊】は「安眠」やった。安らかに眠らせる「神の言葉」。これは魂の浄化も含めた魔術でな。苦しんでるものを安らかに眠らせ、朽ちたその身体を荼毘に付すもんじゃ。穢れた魂をも清らかにする力ちゅうことなんじゃが…。」


「それが、あの雷…。」


「いや、ワイの力ではあんな化け物のような術は使えはせんて。借り物や、言うたやろ?」


「借り物の力とは……、一体誰から?」


 フォルテには多くの情報がこの雨のように降り注いできているがために、泥水が流れ始めたこの大地にそのままぺたんと座り込んでしまっていた。

 今更泥で汚れるくらい、どうという事はなかった。


 インデルマンはその問いかけに対し、大きく深呼吸をして息を整える。


 今から口に出すものは、この後、最後の弟子、ナターシャを助けるために戦わねばならない大きな敵になる可能性を秘めていたからである。


「これだけの力を持っている者、「神の子」以外におるまいて。」


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