第32話 新入生代表ナターシャ・ジェルネンコ
入学式の日。
細かい雨が降っていた。
今回も「神の言葉」教の支部長として侍従を引き連れて、アンドリュー・ビューテリウムは久しぶりに騎士魔導士学校を訪れた。
個人的には毎日でもディッセンドルフに逢いに来たがったのだが、レベッカ海峡事件後、「神の言葉」教の対応でこの学校に来る余裕がなかったのだ。
久しぶりの学校というよりも敬愛する「神の子」ディッセンドルフに会うことを聖女は一日千秋の思いで待ち焦がれていたのだ。
ただ、今回は昨日急にディッセンドルフからの依頼を受けて、アンドリューはかき集められるだけの人員を連れて来ることになった。
いつもの3倍以上のお供である。
着き従う侍女たちには変わりないが、一人だけ魔術に強く騎士レベルの侍従長として、エンヤ・サカキが加わった。
そして「神の言葉」教ジョバンニュ・クリミアン連合王国支部付き騎士団から3名と、本拠地であるロメン法国本部に属する神聖騎士団からジョバンニュ・クリミアン連合王国を訪れていた5名が加わり、アンドリューを含めた「神の言葉」教の施設は13名という不吉な数になっていた。
だが、増員されているのは「神の言葉」教の防護団だけではなかった。
この騎士魔導士学校の入学式には多くの国の責任者が集うため、もともと警備は厳重であった。
それが、今回は国家騎士団、王国魔法師団、国土警備局から通常の3倍以上の人員が配備されていた。
だが、誰もそのことを不自然には思わなかった。
レベッカ海峡事件、続くレオパルド連邦内でのクーデター計画は、このジョバンニュ・クリミアン連合王国内にも不安の種をまくことになったからだ。
いつ、いかなる時にレオパルド連邦の反乱分子がこのジョバンニュ・クリミアン連合王国でテロ行為をするのか、という疑念は払拭されずにいたのである。
王国政府の中には国王などの王族の不参加や、首相や最高裁判所長官のような政府上層部の代理者への変更といったものも協議されていたのだ。
だが、逆にそういった行為は外国や国内の不満者たちを増長させてしまいかねない。
そこで今までの通りの出席者に対し、警備を強化するという方法が取られた。
表向きは…。
その入学式会場には本来であれば甲冑を着ての出席を希望しながらも、主君によってフォーマルスタイルを強要されたブラウンの髪の女騎士、アルテミス・ダナウェイの不機嫌な顔があった。
その背後に主であるディッセンドルフに従うほかの二人の男性騎士の姿もあった。
さらにアルテミス・ダナウェイの左隣にディッセンドルフ侍従長セノビック・マハイルも背筋をただした美しい立ち姿でディッセンドルフに対峙していた。
「皆、すまない。ほとんど私の私事に付き合わせるようなことになってしまった。」
「何をおっしゃいますか、ディッセンドルフ様。ディッセンドルフ様の公私すべてにわたってお仕えするのが私共の仕事であります。わたくしも、騎士長のダナウェイ卿も、既にこの命を捧げています。」
「我が主よ。貴方様にお仕えできることは、私の生きてきた意味でもあります。思いはセノビック殿と同じです。」
二人も、その後ろの騎士も右手を胸の心臓の位置に当て、その忠誠を示す。
「ですが、あとの二人の侍従と侍女はよろしかったのですか。二人もディッセンドルフ様にお仕えを希望しておりましたが…。」
その言葉にディッセンドルフは、最近になってできるようになった優しい微笑みを仕えの者たちに見せた。
「必要がないというよりも、非戦闘員には危険がありすぎる。いや、あくまでも可能性の話だが。君たちには、この学校で何かしらのアクシデントが起こった時に、来賓や教師、学生たちをまもり、安全な場所に避難して欲しい。その時にはセノビック殿の「正義の目」で誘導を頼みたい。」
「そこまで危険なことが起こりえるのですか!いや、それよりもディッセンドルフ様の身は…。」
「それは心配しなくてもいい。その対処はこの私がしなければならない。ただ、オオジコバとの戦闘のように、他の者の安全を考慮したうえでの戦い方は出来そうも無いのだ。だから皆に来てもらったし、私を援助できる者も、極力お願いさせてもらった。」
そう言っているところに体格のいい、短く切られた黒い髪、浅黒い顔に傷跡が目に着く軍服の男が姿を見せた。
ゆっくりとディッセンドルフに近づいてくる。
アルテミスが素早くディッセンドルフの前に出て、その体で庇う。
「何やつ?」
「大丈夫だ、アルテミス卿。知り合いだ。」
そう言ってディッセンドルフが軽くアルテミスの肩を叩いた。
すぐにアルテミスが退き、近づいてきた男との間を開ける。
「よく来てくれました、ニシムロ卿。お久しぶりです。」
「全く…。あの強力な思念波をぶつけるのは止めてくれ。頭が割れるかと思った。」
「申し訳ありません。微妙にどこにいるか分からなかったので。」
「ああ、まあ、な。ちょっと女とベッドの上だったんで、変な邪魔が入らんように結界を張っていたんだが…。「神の子」の力は防げんようだったな。」
「そ、それは…、本当に、申し訳、なかった…。」
斜め後方から刺されたような事情だったため、ディッセンドルフにはいつもの切れがなかった。
ディッセンドルフ自身も自覚していたが、このバスラ・ニシムロという男にはなぜか他の者とは違う匂いを嗅ぎ取っていた。
「まあ、いいさ。で、その緊急事態ってやつは、なんなんだ。」
ニシムロの声に、彼らの周りに緊張が走る。
「おそらく、ここが戦場になります。」
入学式が始まった。
今回も国王はその姿を見せているが、いつも姿を見せる国王の子供は今回は出席してはいない。
代わりに国王の弟と叔父が出席していた。
来賓の殆どは自分の時と変わっていないということに、この国の政治の安定を見る思いがした。
ただし、その来賓の周りには多くの騎士、魔術師が警護に当たっている。
さらに校門や周辺には、あの時より強固になった対魔導繊維を組み込んだ甲冑を着た騎士たちが、警備にあたっている。
これはこの騎士魔導士学校入学式に多くの警備をしているという事実を対外的に見せることにより、襲撃者、テロリストに対しての抑止力をアピールすることが目的であった。
学生会議会長の肩書を持つディッセンドルフ自身が、昨日見た記憶をもとに、起こりえるであろう最悪のシナリオを想定して作り上げた警備プランであった。
だが、真実については昨日一緒にいた学生会議役員たちとアンドリュー・ビューテリウムや一部の高官にしか語っていない。
ただし、先のレベッカ事件で出来た人脈を最大限活用させてもらっていた。
杞憂で終わってくれれば言う事はなかった。
今回は既にディッセンドルフから語られた内容だけに、アンドリューは素直に来賓席の自席に座っていた。
ニシムロは舞台の袖に警備担当として待機している。
セノビックやアルテミス達は来賓席の後方である人物を注視していた。
式は進み、ディッセンドルフの祝いの言葉が送られたのち、首席であるナターシャ・ジェルネンコの挨拶に移った。
呼ばれたナターシャがこの講堂の中央に歩み、そこで新入生代表挨拶を始める。
毎年行われている風景であった。
ただ、女子学生が首席なのは珍しいことではあった。
見事な美しい金髪をなびかせるその姿は、とても12歳には見えなかった。
胸はまだ薄いものの、その身長や手足の長さは見事に均整がとれた大人のそれであった。
「マルヌク村の生き残り」と言う呼ばれ方をする少女にはとても見えなかった。
その歩き方、身のこなしは上品な貴婦人を彷彿させるものであった。
新入生代表挨拶はほとんどは、例年通りであった。
「今後は、この伝統ある騎士魔導士学校の学生として、誇りをもって日々精進していく所存であります。新入生代表、ナターシャ・ジェルネンコ。」
ナターシャはそう言い終わり、読んでいた挨拶の書状を折りたたみ、舞台に上がる。
そこにはこの学校の校長を務めるリンドー・ダウン・カチリマスト教育省事務次官がいる。
その校長に書状を渡し、挨拶が終わる。
…はずだった。
「私はマルヌク村の唯一の生き残りとして育ちました。同じ村の出身者である学生議会会長「神の子」ディッセンドルフ・フォン・ルードヴィッヒ殿に聞きたい。」
そうなることを充分に承知していたディッセンドルフが、止めようとするニシムロの手を振り払い、微笑みを返した。
そしてゆっくりとナターシャの前に歩み寄る。
「確かに私はマルヌク村の出身ではあるが、私は両親に売られた身だ。マルヌク村は私にとって全く関係のない場所だが。」
わざと冷たく言い放つ。
どのみち優しく接しようが、冷たくしようが、彼女の行為は一つであることを、ディッセンドルフは知っていた。
「はじめまして、「神の子」ディッセンドルフ。私は逆にマルヌク村の出身者ではありません。カムチャイル町が出身地です。なのにあの惨劇に巻き込まれ、父を失い、優しくしてくれた人たちを失いました。」
ああ、知っている。
ディッセンドルフは心な中でそう呟いた。
その場に居たのだから。
メビウスの心の中に…。
「あなたが売られ、その莫大な富を背景に、あなたの実の両親、アンダストン夫妻があの村を支配した。そのことに不満を持っていた人々が殺し合いを行った。私はそれに巻き込まれた。」
言いたいことは理解できるが、あの惨劇の起こった理由はこの少女が言っている事とは異なる。
知っていてそう思い込もうとしているのか、それとも本当に知らないのか?
だが、それもあと少しで分かるだろう。
この舞台でのディッセンドルフとナターシャの対峙は、異様な雰囲気に包まれていた。
校長には既にこうなるであろうことは伝えてあったが、今、この事態を目の当たりにしてその顔は驚愕に歪んでいた。
それは少女の物怖じしない態度か、それともこの事態を予言した「神の子」の力か?
「支配者アンダストン夫妻はすでに死んでいる。のであれば、その元凶を作った人物にしか復讐を果たせない。」
少女はそう言って、制服のポケットから白い手袋をディッセンドルフの顔に投げつけた。
「マルヌク村の住民を皆殺しにした元凶、「神の子」ディッセンドルフ・フォン・ルードヴィッヒ、あなたに決闘を申し込みます。」
ディッセンドルフは胸の奥で大きなため息をついていた。
全く、想像通りだ。




