第31話 ジェイコブの正体
ディグの前でメビウスは仲間のはずのジェイコブに、背中から心臓を刺し貫かれていた。
何が起こった?
邪悪な笑みを浮かべたジェイコブが、刺した剣を引き抜くと、血を吹き出しメビウスが崩れ落ちていく。
「ご主人様…。」
蘇生処置をされていた赤髪の少女が、目をうっすらと開き崩れ落ちたメビウスに顔を向けた。
その少女の体を、流れている赤い血が染めていく。
ジェイコブが残忍な眼差しを赤髪の少女、バネッサに向ける。
バネッサがその視線に恐怖を覚えた。
メビウスを貫いた剣に鮮血が滴っている。
ディグは悪夢を見ているようだった。
だが、これは現実だ。
左手の激痛は止まりそうもなかったが、かろうじて立ち上がり、剣を構えた。
倒れているバネッサに嗜虐の笑みを浮かべていたジェイコブが、剣を構えたディグにその視線を移した。
と同時に、メビウスの血を滴らせた剣を水平に振った。
衝撃がディグを襲った。
剣戟に魔導を乗せ、ディグに向かい放ってきたことが、衝撃の後に気付いた。
無詠唱、無手印での魔導攻撃。
かなりの手練れである。
国家騎士団にも、こうも簡単に剣と魔導を使えるものは多くない。
魔法団にしても、呼び動作なしにこの攻撃ができるものが果たしてどのくらいいるのだろうか?
ディグは思った。
自分の命が持たないことを。
だが、だとしても、この敵をここで倒さなければ、この国に災いとなって降りかかることが、直観として理解できた。
この対魔導繊維を組み込んだ甲冑はなんとかジェイコブの攻撃に耐えて見せた。
勝機はあるはずだ。
「ほう、この攻撃を凌ぐのか、その甲冑は。」
自らが放った魔導攻撃が不発に終わったことに、ジェイコブは少しイラつきを見せた。
それは隙に見えた。
ディグは痛む左手を何とか無視して、全力でジェイコブに向かって突き進もうとした。
あと一歩でジェイコブの体を切る間合いに踏み込んだ時、とてつもない風圧に晒されるように、それ以上前へ行くことが出来なくなった。
「国家騎士団相手に、てめえの間合いに入らせるへまはしねえよ。」
ジェイコブはそう嘯くと、剣先をディグの甲冑の胸部に突き立てた。
当然のようにそのジェイコブの件は甲冑によって阻まれたように見えたのだが…。
「ほう、これが対魔導繊維ってやつか。確かにかなりの魔導力を抑え込めそうだな。だがな…。」
そう言うと同時に、剣先が甲冑に少し食い込んだかと思うと、甲高い音を発して、ディグの甲冑が突き立てられた剣先から二つに綺麗に割れた。
「容量以上の魔術を叩きこまれるとあっさり壊れちまうってことだ。」
ジェイコブの口元が引き攣るような笑いを湛えている。
ディグの表情は驚きから恐怖に変わった。
俺ではこの化け物の相手にはならない!
その恐怖の表情に、ジェイコブは満足し、紙でも突き破るように、その剣をディグの胸に刺した。
そう、俺ではこいつに勝てない。
しかし、邪魔することは…。
刺し貫かれた剣の周囲の筋肉を硬直させる。
砕けている左手と、剣を手放した右手で、自分の体を刺すジェイコブの剣を掴んだ。
「何やってんだ、てめえ!」
抜こうとした剣がディグの思わぬ行動に阻まれた。
一瞬、ジェイコブの周りに対する警戒が薄れた時だった。
背中に圧倒的な殺意が襲い掛かってきた。
ジェイコブは握っていた剣を咄嗟に放し、左に転がるように、その殺気を懸命に回避し、その殺意の根源に目を向けた。
そこに幽鬼のようなメビウスが剣を構えて立っていた。
「お、お前、なんで…。」
ジェイコブの声が詰まった。
だが、ディグはジェイコブの剣を握りしめたまま満足げに笑っていた。
こうなると思っていたよ。
ディグの口が声を発しないまま、形だけでメビウスに伝わった。
胸を刺し貫かれ、大量の血を流していた胸元は、すでに血が止まっていた。
多くの血液を失ったため、顔は青ざめてはいたが、その瞳には力があった。
「なんで、生きているんだ?完全に、心臓を、破壊した、はず…。」
剣を握って構えているメビウスに、ジェイコブはあまりにも信じられない光景を目の当たりにし、先程までの残忍な笑みも、いつもの飄々とした態度も、そこにはなかった。
「自分でも不思議だよ、ジェイコブ。俺はなんで生きてるんだろう?肺も破られているせいで、えらく息苦しい。でかい血管が切られて血も少ない。心臓は、とりあえず、刺されたときに若干移動して直撃は避けたんだが。」
ジェイコブはメビウスの語る言葉が、全く理解できなかった。
言っている言葉は解ったが、その意味を頭が拒否している。
「肺が破られたから息苦しい?息苦しいで済む問題じゃねえだろうが!血管を切られて血が少ない?そんだけ血がなくなれば動けねえんだよ!それに心臓を動かすだあ?どこのどいつがそんなことができるんだよ!そもそも、お前の隙をついて刺し殺してんのに、その瞬間に動かすことが、人間に出来るはずが…。」
そこで、ジェイコブの言葉が切れた。
「メビウス、お前、いつから人を捨てていたんだ?俺みたいに…。」
その言葉に、メビウスは愉快そうに笑った。
いつの間にか、その顔に赤みが戻ってきている。
「ああ、やっぱり、ヒトを捨てていたんだな、ジェイコブ。思っていた通りで安心したよ。」
「貴様…、わかっていたとでも…。」
「ああ、そうだ。お前がジェイコブでないことはな。」
ジェイコブの形をしたものが、懸命にその頭の中で思考を巡らせていた。
目の前にいる者が何者なのか?
どうすれば勝てるのか?
勝つ方法は解っていた。
今、目の前の奴が庇っている赤髪の女を盾にするのが一番手っ取り早い。
そのためにはまず、奴の隙をつかねばならない。
その隙を作るため、喋らせておくことが、今は重要だ。
「いつからだ?」
「この宴が始まった時からだ。ジェイコブなら絶対に女を抱きに行くはずだった。だが、宴が始まってから、ジェイコブ、お前さんの姿を見なくなった。」
ゆっくりとジェイコブの姿を奪った者が、移動する。
ディグの前に捨て置かれた剣。
「そして、俺たちの前に現れたお前の姿だ。いつも通りのお前に不信感を抱いた。」
「いつも通りじゃ、おかしいのかよ!」
「ああ、おかしい。この瘴気の様な魔術に晒されて、欲まみれのお前が、オックスのようにもならずいつも通りのはずがない。」
メビウスの言葉にジェイコブだった者の顔が歪む。
盲点だったのだろう。
「お前だって、お前だってそのままだろう!この騎士も、そこの女も!みんなそのままじゃないか!」
「当然だ。この強力な魔術から身を守れるのは魔術だけだからな。」
その言葉にジェイコブだった者が絶句した。
「さっき自分で騎士の甲冑について言ってただろう?対魔導繊維について。」
その問いかけには堪えない。
「このバネッサだって、強力な守護魔術の使い手だよ。結界を張って、この欲を操る魔術に対抗できた。」
「て、てめえはどうなんだよ。もともと、そんなに魔導力は高くないじゃねえか!」
「それだけじゃない。」
ジェイコブだった者の問いかけを無視して、さらに話を続けるメビウス。
少しづつ、剣に近づいていくジェイコブの形をした者。
「お前が姿を現したタイミングが良すぎるんだ。」
「助けてやったのに、えらい言われようだな。」
「その後に殺されそうになっていなければ言わねえよ。」
「そりゃあそうだ。」
もうあと一歩。
「ここしかないというタイミングで現れた。つまり、俺たちのことをずっと追跡し、様子を窺っていた。」
「そう言ったはずだ。危なそうだから助けたと。」
「その前にも言ってたよな。全員が死んでくれてればよかったのに、とな。化け物のことを指しているようにも聞こえるが、俺たちも死んでくれていたら、何も問題なく、この村はお前のものだったはずだ。」
「そんなもんは照れ隠しだろう、普通。男同士で助けるのに、憎まれ口の一つでも言うんじゃねえか?」
「そう思ったさ、その時は。だが、あまりにも鮮やかにオックスを倒した。と、いうことは俺たちがオックスに殺された後にオックスを始末すればよかった。本当なら。」
あと半歩。
「ほう、そうならなかった理由って何なんだ。俺は頭が悪くてな。インテリのお前さんに教えてもらいたいぜ。」
「俺たちが化け物になっていなかったからさ。」
メビウスのその言葉に風切り音が重なった。
ジェイコブだった者がディグの剣を掴み、メビウスに投げつけてきた。
その隙をつく形でバネッサを抑えようと動く。
メビウスは突然の動きに、慌て…なかった。
軽く剣をふるい、飛んでくる剣を弾くと、そのままバネッサに伸ばされたジェイコブの左腕を刺し貫き、床に固定した。
だがジェイコブだった者は、悲鳴一つ上げず、悔しそうにメビウスを見上げた。
「話を続けるよ。全く普通だった俺たちにお前さんは焦った。それでも化け物になったオックスが俺たちを殺してくれれば何の問題もなかったのだろう。だが、俺たちの動きを見て、考えを変えた。一旦俺達を助けた方がお前さんにとって得と考えたんだろう?」
何とか貫かれてる剣を放させようともがく。
だが、魔術をも駆使してこの者をこの場に縛り付けていた。
「俺たちは確かにあの時にピンチのように見えた。だが、俺がやばくなると、もっと強い力が俺たちを守りそうなことに感づいたんじゃないか?」
「やはり、お前に力を貸してるやつがいるんだな?」
「さあ、どうだろう。正直俺自身にはよく解らん。だが、そういう存在が今、俺に憑いている。でなければ、俺は今ここに立ってはいない。」
そのジェイコブの身体を乗っ取った存在は、痛みは全く感じていないようだ。
メビウスが床に張り付けているジェイコブの左腕はもう少しでちぎれそうだ。
にもかかわらず、全く意に介さずその場から逃れようともがき続けている。
さらに、その腕から、もう血が流れていない。
メビウスはジェイコブがすでに死んでいることが分かった。
このまま放っといても朽ちるだけなのだろう。
その朽ちる筈のジェイコブの身体を、魔術により崩すことなく動き続けている。
それだけ強大な魔導力を持っているという事か。
「あの時、オックスを殺して俺たちを助けたように見せかけて、安心させようとしたわけだろう、違うか?」
「すべてお見通しって訳だ、お前に憑いてる奴からは!」
ジェイコブの左腕が引き千切るようにして、その者は自由を得たようだ。
その壊されていくジェイコブの死体にとり憑いている悪魔、そう悪魔なのだろうその存在は、この場から逃げようとしたことがメビウスにもわかった。
だが、思った以上の失血が体を鉛のように重くしていて、追いかけることが出来ない。
その悪魔は死体となったジェイコブの口元を歪ませ笑う様な表情を作った。
逃げられると踏んでの表情なのだろう。
悔しいが、ここまでなのか、そうメビウスも思った。
だが、醜い笑みを浮かべるその悪魔を許せなかったのはメビウスだけではなかった。
メビウスの身体が急に重くなり、たまらず突き刺さっている剣にその体を預ける。
と同時にメビウスのものではない力が、メビウスの口を開かせ、言葉を発した。
「逃がしはせん!」
瞬間、この場の空気が固まった。
いや、正確には逃げようとしたその悪魔の周囲の空間が凝固した。
「くっ、こ、これは…、空間の固定化か!」
悪魔の口からジェイコブの声でそう響く。
「このまま貴様を逃がすことはできない。少し質問に答えて貰いたいんだがね。」
「ふん、お前の指図は受けんよ。」
「そう言うとは思ったよ。大体検討はついているんだが…。」
メビウスは不思議な感覚で自分の声を喋るその存在を感じていた。
大きな力は感じる。
だが、気分の身体が受けたダメージがかなり深刻なことも解ってきた。
今、その別の存在が、逃げようとした悪魔をその空間に縛り付けるため、力の殆どを使っている感じだ。
「だが、強制的でも、しゃべってもらうよ。」
淡々とメビウスの口からそんな言葉が発せられる。
「お前の目的は何だ。何故この村の住民を殺す必要があったんだ?」
「お前らのような低能に、何故我の偉大な計画を…、」
そこで一度言葉が切れた。
空間に固定されたジェイコブの身体が、小刻みに震えている。
「お前、俺に、なに…。」
「もう一度聞く。何故ここで皆殺しを仕掛けた。」
「実験だ。」
ついに悪魔がこの存在に屈した。
メビウスには伺い知らぬ戦いが、行われていたことを実感した。
「どのぐらいの人間を操れるのか、試してみた。」
明らかに自らの意志を捻じ曲げられている。
悔しそうな表情をジェイコブの顔に浮かび上がっている。
「最終的には、この国を混乱させ、思いのままに操る。」
ジェイコブにしゃべらせる悪魔の目的が垣間見えた瞬間であった。
その言葉に満足したのか、ジェイコブを固定した力が緩んだ。
ジェイコブの身体が身をよじり始めた。
まずい!
奴は逃げる気だ。
そして、このメビウスについている存在は、この悪魔の息の根を止める気がないことが伺えた。
床に突き刺さっている剣を支えに、何とかその態勢を維持しているメビウスに、その悪魔を滅する方法がない。
そう考えた時だった。
剣を突き刺されていたディグが動いた。
その胸を貫いていたはずのジェイコブの剣を、ディグ自身が抜き始めていた。
その剣の柄が、確実にメビウスに差し出されるように迫っていた。
ディグは苦しみの表情の中に、明らかな意志をメビウスに向けていた。
メビウスもその意思を汲み取った。
向けられた剣の柄を掴んだ。
一気に引き抜く。
ディグは血しぶきを飛ばしながらも、その口元に笑みを浮かべていた。
ジェイコブの身体を操る悪魔は、残った腕と両足を引きちぎって、今まさにこの建物から逃亡を図ろうとしていた。
メビウスは残っていた力をかき集め、握りしめた剣と共にジェイコブに向かって飛んだ。
ディグの血を吸った剣を振り切る!
その剣はジェイコブの身体を真っ二つに切断した。
「今度は負けん。」
その悪魔はそう言って、四散した。
ジェイコブの身体は完全に消失した。
メビウスの身体に着地をする力は残っていなかった。
床に激突したメビウスの身体がバウンドし、倒れているバネッサの近くに転がる。
全身を貫く激痛に耐え、メビウスはその眼を開いた。
目の前にバネッサの顔があった。
先程の魔導力をその体内に込め、少しは回復していたと思っていたバネッサの身体は、その場を動いてはいなかった。
バネッサと目が合った。
「済まない、バネッサ。お前を助けることが出来そうもない。」
メビウスは何とか動こうとしたが、もう体に力が残っていないことが分かり、死期が迫っていることを悟った。
「いいんです、ご主人様。今まで、そして今まさに、バネッサは幸せです。」
バネッサが微笑みながら涙を流していた。
「ご主人様は言ってくださいました。いつまでも一緒だと…。ご主人様にはまだ生き続けて欲しかったという想いも本当です。……、ですが、ご主人様と共にこの生を終われることは、フォルテには申し訳、ないのですが…、これ以上ない至福の極みです。」
バネッサの言葉を聞きながら急速に眠気、いや、意識がなくなってきた。
まだそこに、自分ではないその存在の弱い意識を感じた。
もうすぐ、その存在もいなくなるのだろう。
「ご主人様、私を傍においてくださいまして、ありがとうございました。」
メビウスの意識が切れた。
ディッセンドルフの目から涙が零れ落ちた。
「ディッセンドルフ、大丈夫か?」
サーマルの言葉に、自分が涙を流していることに気付いた。
自分の涙がトツネルド・メビウスの手記に落ち、染みを作っていた。
「俺は、どのぐらい意識を失っていた?」
「2~3分というところかな。大丈夫か?」
サーマルがまた心配な問いかけをディッセンドルフにしていた。
「あ、ああ、大丈夫だ。」
「その手記の後に何があったか、見ることは出来たのか?」
「ああ、なんとかな。」
今は詳しくは言えない。
いや、自分の中の激情が溢れそうなこともあったが、今見てきて、自分が手を下したことに整理をつける必要があった。
最後の映像は真紅の髪を持つ少女のはかない少女の顔だった。
「なにがあったんだ?ナターシャは何故たった一人で生き残ったんだ?」
ああ、そうだった。
それを見ることも目的の一つだった。
だが、思いもよらない事態を知った。
それが今後、何を意味するのかも。
「悪い、サーマル。まだ、俺の頭が混乱している。少し時間が欲しい。」
「ああ、わかった。ただ、その事情によっては、明日の入学式での対応も変わってくるかもしれないからな。それを覚えておいてくれ。」
「ああ、解っている。」
そうだ。
明日の入学式は、特別の対応が必要になる。
ドアをノックする音がし、オオジコバの執事であるアークハイムが顔を出した。
「オオジコバ様、お連れしました。」
くすんだ赤い髪の女性がそこに立っていた。




