第29話 合流
オックスを床を落として動けなくするとすぐさまトツネルド・メビウスはアンダストン邸を後にした。
わかっていたことではあるが、屋敷の外は死体が点在していた。
さらにその死肉を喰らい始めた獣と、奪い合いうように殺し合いを始める獣が蠢いている。
その者たちが村人たちであることも、その名前すらメビウスは知覚していた。
その力が自分のものではなく、今自分に寄生している何者かによるものかも理解していた。
この獣たちは自分の欲望にのまれた者たちでああり、しかも元あった欲望ではなく飲み込まれただの本能、いや、何かの意思に操られる獣に身を落とした結果であることもわかってしまっていた。
今、自分と共にある何者かの意思が、村人を獣へと堕とした意志とは違う、自分にとっての守護者であることを切に思った。
メビウスは目の前にいる獣を、目に見えぬくらいの速さで操る剣によって次々とその息を止めていく。
この剣戟により落とされた魂が浄化されることを祈りながら…。
せめて命を失った後は彼らの信じる神のもとに行けることを望む。
メビウスは柄にもなくそう自分の守護者に託しながら、バネッサのもとに急いだ。
だが、バネッサが行くはずだった教会の倉庫の道は瓦礫によって完全に塞がれていた。
バネッサ一人であればこの瓦礫を越えることも出来たかも知れない。
だが、バネッサはナターシャを連れている。無理はしないだろう。
唐突にメビウスの脳にバネッサとナターシャがくすんだ銀の甲冑に包まれたものに連れられて、マルヌク村の玄関ともいえる、穀物倉庫をもつ交易センターを目指している映像が飛び込んできた。
まずい。
瞬時にそう判断した。
国家騎士団のディグ卿は信じられる男だとは思う。
だがこの状況下ではそれもあてにはならない。
バネッサの魔導力はかなりの高レベルではある。
だが、防御力は高いが、攻撃の能力は決して高くはない。
さらに纏っている甲冑は魔導力が通じない。
逆に中に入ってる人物がディグ卿かどうかを判断できなかった。
メビウスははやる気持ちを抑えて、普段では出さないスピードで肢体の転がる道を走った。
目の前に蠢くものは、握りしめた剣が動くたびに四散していく。
それを道から少し外れた森の中に身を潜めていたジェイコブが、驚嘆して見つめ、さらにその横を、これもかなりのスピードで森の中を疾走していく。
メビウスはその並走する存在に気付かずに走り続け、3つの人影を視認した。
と、同時に脚が勝手に動き、地を蹴った。
ディグがその尋常ではない気配に振り向き、空を見ると剣を振りかざしたメビウスが襲いかかってきた。
ディグの振り上げた剣にメビウスの剣がぶつかる。
だが、その体重を乗せたメビウスの剣はディグの予想よりも重かった。
ディグはその剣に耐えられず、右膝を地に着いた。
それを見届けたメビウスはバックステップで一歩下がる。
その状態からすぐさま剣を横に構えて、ディグに薙ぎ払うようにぶつける。
すでに体制が崩れ、立て直しきれなかったディグの右脇にメビウスの剣が激しく打ち込まれるかと思った刹那、メビウスの剣は空を切った。
ディグが倒れるようにして横に飛び、数m先に転がる。だが、ほとんどダメージはない。
「やめて!ご主人様!」
そのバネッサの叫びにメビウスの動きが一瞬止まった。
そのわずかの隙は国家騎士団現役のディグが態勢を立て直すには十分の時間であった。
「ちっ!」
メビウスは軽く舌打ちをすると、すぐに次手に移ろうと体が動き出した。
「本当にやめてください、ご主人様!」
再びバネッサが叫んだ。
その言葉にようやくメビウスの体が止まった。
「大丈夫なのか、バネッサ。」
「大丈夫です。騎士様は私たちを助けてくれたのです。」
そう言われ、メビウスはこちらに剣を構え臨戦態勢の甲冑の気に目を向ける。
騎士も体の緊張を解き、顔面部の防具を開いた。
「いきなりの挨拶ですな、メビウス卿。」
「ディグ卿…。君は、おかしくはなっていないのか?」
その言葉にディグは口元を緩め、笑った。
「私のこの甲冑は特別性でしてね。対魔導力用の繊維が織り込まれています。そのためでしょうか、全く普段と変わらずに済んでいます。それよりも、あなた方の方がおかしい。ここにいる者たちのほとんどが殺されるか、獣のような変貌を告げているのに、なぜいつも通りなのですか?」
ディグの投げかけた質問に、全く自分で答えを持ち合わせてはいなかった。
答えは、「わからない。」
「そんなことだろうと思いましたよ。この住民たちの変貌は、強力な魔術ではないかと、バネッサ殿と話したところです。ですので、私はこの甲冑のおかげで普段のキレヒガラ・ディグでいられる。バネッサ殿も魔導で結界を張っていた。ナターシャは子供ゆえ、影響を受けなかった。ではメビウス卿、あなたは何故そのままなのですか?」
ディグの問いかけは、自分の中にかなりしっくり来た。
そう、この瘴気のように感じた薄気味悪い雰囲気。
つまり、誰かの強力な魔術がこの村を覆っている。
人に非ざる者。
夢を思い出した。
「ディグ卿、一つ聞いてもいいか?」
「答えられることならば。」
「君は、ここ最近奇妙な夢を見たことは無いか?アンダストンを襲い、自分の欲望を満たせ!というような問いかけを。」
「……、いや、そのような夢は見た記憶がないが…。」
そう言いながら考えこむ。
「つまり、メビウス卿にはそう言ったこの村の惨事を暗示するような夢を見ていたということか?」
「そう、だ。奇妙な夢だ。時は来た、アンダストンを殺して、おのが欲を満たせ、と。ただその呼びかけをしたものが薄気味悪く、人とは思えぬような怨嗟の声だった。」
その言葉にバネッサが反応した。
「寝汗が酷かった時が、何度かありましたが、ご主人様がそんな悪夢を見ていたなんて…。それで今回私たちをこの村から脱出させようとしたんですか?」
バネッサの言う内容が自分の考えを的確に表現していた。
「メビウス卿は既にこうなることを知っていたのか?」
「まさかこんなことが起こるとは思ってなかったよ。ただ、俺に見せた夢が他にも多くの者が見せられていたときに、集団でアンダストン邸を襲撃することは考えられた。さらに賭場が開かれ、何かしらの薬が使われれば、かなりの混乱が起きることは予想できた。但し何も起こらないことも考えられたのでね。警告まがいのことはしなかったよ。」
メビウスはそう言って、苦笑した。まさかここまで酷いことが起こるとは思わなかった。
本心である。
そう言ったメビウスをディグが見つめる。
「メビウス卿がこのような魔術にかかっていないことは重々承知している。だが、何か別の者がメビウス卿の背後に見え隠れしているように思うんだが…。バネッサ殿、どう思う?」
話を振られたバネッサが、メビウスにその瞳を向けた。
魔導の力を感じる。
メビウスは思わずその視線から逃れようとする身体を強引に押しとどめた。
「確かに…、なにか強い気配を混じますが…、悪意は感じません。この村人に作用したような、悪意の魔術の類では…、ないと思います。」
視線を動かさずバネッサの瞳を凝視しているメビウスから、その視線をディグに向け、バネッサがそう語った。
「どうやら、俺は合格、といったところか?」
「そういう類のものではないのですが…。この感覚、メビウス卿を守る守護者という訳でもない。もう一歩引いた立場から観察されているような気分です。」
「私も、おじちゃんからそういう波動を感じる。」
ずっと大人たちの会話を聞くだけだったナターシャが口を開いた。
その言葉はその場に居合わせた大人を驚かすには十分だった。
「わかるのだな、この少女には。」
ディグがそう呟いた。
メビウスにはその意味が十分理解できた。
ナターシャもバネッサ同様に魔導の才能があるということだ。
但し、現段階でこの異常事態に対応できるほどのものではない。
「メビウス卿のその背後の者がどういった意志かは不明だが、メビウス卿を助ける力にはなっているようだ。今はこの村からの脱出を目指そう。うまくいけば、交易センターには馬がいるかもしれん。」
ディグはそう言うと、もう少しで着くはずの村の玄関口、交易センターに歩を進めた。
メビウスはバネッサとナターシャをディグの後ろに着けさせ、自分は殿を務める。
先の獣の駆逐後に、奴らが出てくるところはなかった。
だが死体は所々に倒れている。
もしかしたらまだ息のあるものもいたかもしれなかったが、救助する余裕はなかった。
さらに言えば、助けた直後に獣になられたのでは目も当てられない。
交易センター前の広場、祭りのときは多くの荷車をつけられた馬たちが括られた場所は、今は閑散としていた。
いや、これは違うな、とメビウスは苦い液体が口の中にわいてくるのを感じた。
もう見慣れた村人の死体と共に、切り捨てられている馬たちもいた。
さらに、あらかた地元に戻ったはずの馬車や荷車が破棄され、放置されていた。
御者や侍従のようなものも殺されている。
まだ運悪く残っていた行商の者たちが、欲望の虜になった村人に襲われたとみるのが正しいだろう。
アンダストン邸からこの村の外れにあるマルヌク村の玄関口、交易センターまではそこそこの距離がある。
メビウスやディグにとってはどうという行程ではなかったが、バネッサとナターシャには堪えたようだ。
そして道すがらに襲われたこと、そして死体の山。
見ることのないものにとっては、体調に変調をきたしても無理はない。
「そこの倉庫で少し休もう。お嬢様方にはしんどかろう。」
ディグはそう言い、交易センターの横にある倉庫の扉を開けた。
簡単な南京錠は、ディグの剣技であっさり破壊された。
この中にはコーンライスをはじめとした穀物と、野菜、わずかの食肉が置いてある。
肉はあらかた持っていかれたようだが、穀物と野菜は結構残っている。
嵩張るからわざわざ盗むようなことはしなかったのか?
もっとも、その管理場付近には職員と思われる死体があった。
ディグとメビウスはまだ血が乾いていないそれらの死体を隅に片づけた。
穀物を入れた浅野袋を引っ張り出してきて、二人の少女に座るように勧める。
さすがに疲労がたまっているのか、ナターシャは喜びながら腰かけ、バネッサは恐る恐る座った。
「さて、メビウス卿。ここからはどうする?今のところは奴らの気配はないが…。できうる限り早くここを離れるべきだろう。この闇は我々に味方してくれるはずだ。」
ディグは休めの形に足を広げ、メビウスに視線を向けて今後の検討を促した。
「本来なら、教会の倉庫から使えそうなものを拝借して、カムチャイル町に行く予定であったが。ここから村の外に出て協会の倉庫に行くには、かなり危険だ。このまま、この村を出て街道沿いを行くのがベストだろう。ルードヴィッヒ伯爵領に入れば、身の危険は回避できる。」
「妥当だな。だが、馬は殺されている。徒歩で行くしかないか…。食料を確保しないと。」
「ああ、最低でも3日分の食料と水を確保しないと。水に関しては道の途中に確か川があるはずだから、8Lから10Lの確保でいいか…。」
メビウスとディグがこれからの行程について検討し始めた。
先程、ナターシャに緊急の食料を渡してしまっている。
メビウスは交易センターから倉庫への扉を開ける。
そこにはまだ多くのコーンライスを詰めた袋が残っている。
別の棚には各種の野菜が積まれていた。
「村人用の貯蔵でもあるんだよな、ここ。野菜はこれから干して保存食にするんだろう。冬に向けて。まあ、こんな嵩張るものは盗むには都合が悪いか。」
メビウスがそう呟きながら、携帯可能な食料を探した。
去年の収穫で余っていた古いコーンライスを蒸して潰し成型した、スティック状の保存食を見つけた。
さらにその横に干して発酵した野菜も見つけた。
それを近くにあったからの朝袋に詰める。
「食料は何とかなりそうだ。ディグ卿、外に井戸があったはずだ。何か桶のようなものがあれば汲んでもらえるか?」
「了解した。」
二人で徒歩での必要なものを集めていると、バネッサが申し訳なさそうな顔をした。
「申し訳ありません、ご主人様。騎士様も。私がしなければならないのに…。」
「大丈夫だよ、バネッサ。それよりナターシャを頼む。まだ、いつ、奴らが来るか分からんからな。」
「はい!」
かなり体力が回復してきているようだ。
そんなバネッサに微笑みを向けていたメビウスだったが、急にその笑顔が引き攣った。
バネッサもその雰囲気に気付き、自分とナターシャを囲むように防御障壁を張った直後、それが起こった。
奥の壁がいきなり爆発するように、穴が開いた。
「探したぜ、トツネルド。」
元の2倍近くに大きく膨れたようなオックスがいた。




