第28話 バネッサの戦い
バネッサは外に出たときに、さらに死体の数もさることながら、そこで財宝を奪い合う村人たちが殺し合っていることに恐怖した。
その村人と思える者たちはすでに人の形をしていなかった。
メビウスを追ってきたときは、まだここに人はそんなにいなかったはずだった。
アンダストン邸に侵入し、人の気配を割けてメビウスとナターシャを探していた。
既に邸宅内では女達が、この屋敷で働いているであろう男たちに犯されている姿は見ていた。
だが、まだ人を殺している場面には当たらなかった。
メビウスが現れた謁見の間に出てくることを感じて、先回りして隠れてこの広間を見ていて、人が人を殺し始めていることに気付いた。
主人であるメビウスが自分にこれから起こるであろうこの光景について、半信半疑だった。
だからこそバネッサはフォルテを先に行かせ、自分はメビウスに付き従うために、この屋敷に来たのだ。
オックスという名をメビウスから聞く迄は名を知らぬこの男が騎士であることを知った。
だが、この騎士は男たちを次々と持っていた剣で殺し、その場に居た女を犯しては殺し、犯しては殺すという行為を続けていた。
何故女たちは犯され殺されることが分かっているのにこの場を逃げなかったのか?
それは、この騎士が飲み物だと言ってすべての執事や侍女に魔法薬を飲ませていたことを、バネッサはその能力、魔術で知っていた。
その薬を飲むと、性的に異常に興奮してしまう事だった。
騎士にとって男たちは邪魔だったため、先に殺した。
そして女を自分の欲望のためだけに、犯し続けていたのだ。
最後の一人の時にメビウスが現れたのだ。
最愛の人に巡り合えたことに、胸のときめきが止まらなかった。
そしてナターシャをしっかりと探し当て、守っている。
鬼のような騎士、オックスは非常に強かった。
それでも最愛の人、トツネルド・メビウスは必ず自分との約束を守り、追ってきてくれる筈だ。
今はこの小さな子供、ナターシャをまもり、この村を脱出しなければならない。
一応、結界を張り自分たちの存在を消すように心がけてはいるが、異常な状態にあるこのマルヌク村、おかしな波動を感じている。
この状態にさらされた村人たちがどうなっているのか、目の前に展開されている無数の死体と、それを弄ぶ元は人であったろう獣たち。
まずは当初の目的地、「神の言葉」教の倉庫を目指そうとした。
だがその場所に通じていたはずの道には、破壊されたアンダストン邸の屋敷や壁といった瓦礫が通行を封じていた。
さらに、その前には獣たちが、まだ息のある女を犯しながら、その肉を喰らっている。
そして、その獣たちが殺し合いを行っている。
いくら結界でこの姿、気配を隠していたとしても、ここを突破する勇気はバネッサにはなかった。
さらにその横にナターシャがいる。
バネッサは遠回りになるものの、村の正面にある交易用の倉庫を経由する道を選ぶしかなかった。
森の中を進むことも考えたが、逆に何が出てくるか、全く予想がつかなかったために断念せざるを得なかった。
昨日までは露店が並び、明るく賑やかだったこの村のメインの通りは、既に一変していた。
この状況に気付き逃げようとしたであろう人々が、無惨に殺されている。
その中には、やはり獣となった者たちの死体も転がっている。
だがその奥で剣を持ち、甲冑に身を包んだ姿が見えた。
その甲冑の者の剣がかなりのスピードで多数の獣たちを切り裂いていた。
まずい。
バネッサの身体に緊張が走った。
なにも武器を持たない獣と化した村人でさえ、バネッサの手には負えないのだ。
いくら魔術に身を包んでいても、基本的に防御が精一杯であった。
さらに強く防御の魔術を展開しようとした。
一瞬、遅れる。
甲冑の者と目が合った。
防御結界を張っているにも拘らず、バネッサとナターシャに視線を飛ばしてきたのだ。
バネッサがその視線に射抜かれ、身体が一瞬硬直した。
(逃げなきゃ!)
だが、遅かった。
甲冑は目の前の獣を両断し、その勢いのまま跳ねて、バネッサとの距離を0にした。
甲冑が持つ剣がバネッサの目前に現れる。
切られる!
ナターシャを抱え、後方に跳び逃げようとした。
間に合わなかった。
逃げようとしたバネッサの右腕がつかまれた。
絶望がバネッサを飲み込む。
(もう、ダメ…)
引き寄せられた。
(助けて、ご主人様‼)
自分に出来るか分からない。
でもやらないと、自分と、ナターシャの命のために……。
掴まれた右腕のありったけの魔導力を注ぎ込もうとした。
その時。
「落ち着け!」
力強い声が最後の力を発動させようとしたバネッサに降りかかった。
その声に思わず甲冑に包まれた顔を見た。
「メビウス卿の家の者だろう、君は?」
甲冑姿の騎士がその頭部に装着したヘルメットの顔面部を開いた。
特徴的な鷲鼻を持つ若者の顔がバネッサの目に飛び込んできた。
その特徴的な鷲鼻には聞き覚えがあった。
メビウスが語っていた新しい国家騎士団の騎士。
「ディグ卿、でいらっしゃいますか?」
「そうだ。国家騎士団マルヌク村駐在のキレヒガラ・ディグだ。そなたは?」
「バネッサと申します。騎士様は、……大丈夫です、か?」
バネッサは、村人たちを襲ったこの現象が、どうやらこのディグには影響がないらしいことに懐疑的になっていた。
この甲冑の下がどうなっているか、魔術で見ようとしたがうまくいかない。
おそらく、対魔導の素材が使われているのだろう。
この国、ジョバンニュ・クリミアン連合国は魔道具の製造にも造詣が深い。
国家騎士団専用の甲冑であれば、当然、対魔導力の装甲を開発していたはず。
つまり、透視だけでなく、得意ではない攻撃魔術は、この騎士には効かない。
そしてバネッサは思い出した。
自分が家族でロメン法国に向かっている馬車の荷物の中に、ジョバンニュ・クリミアン連合王国製の対魔導力素材を使用していた甲冑一式があった。
それを見本として届け、法王の目に適えば、ジョバンニュ・クリミアン連合王国とロメン法国での貿易を可能に出来るのではないかと語っていた父の姿を。
「こう見えても国家騎士団に所属する騎士だ。そなた、バネッサ殿が魔導力が強いことはすぐにわかったよ。私を警戒して魔術を使おうとしたこともな。そして何を心配しているかも…。」
その言っているディグに、瓦礫を振り上げて攻撃してきた者がいた。
「ひっ!」
思わず声を出すバネッサを庇いつつ、ディグは剣を一閃。
襲ってきた獣は真っ二つになって、地に倒れる。
生の息吹がなくなると、その大きく脈打っていた筋肉が縮んだ。
「ターンデリッシュの小父さんだったか。そう言えばこの辺りに家があったな。」
「騎士様の、……お知り合いですか?」
恐る恐るバネッサがディグに尋ねた。
ディグは後ろを振り返らずに辺りを見回す。
既にあらかたの欲の権化と化していた獣たちは近くにいないようであった。
「ああ。小さい頃には、菓子を貰ったりして良くしてくれた人だ。」
ディグは片膝をついて、左手を顔の前で手刀を作り、しばし黙禱する。
それを見たバネッサは、ナターシャと共にディグに倣って目を閉じた。
「騎士様。何故私がご主人様の家の者だと考えたのですか?たぶん、初対面だと思うのですが…。」
「赤い髪でこの村で見覚えがない。噂に聞いているが、メビウス卿の所に赤毛の少女がいるとな。だから幼子を連れた赤い髪の少女はメビウス卿の家の者だと思った。」
ディグはそう言うと立ち上がって、バネッサに向き合った。
「この村に何が起こっているのですか?」
バネッサは事前にメビウスから惨事が起こることは聞いていた。
だが、こんな、村人が悪魔のような獣に変わるなどという事は聞いていない。
「正確なことは解らないが、私がこのように無事でいられるのは、この甲冑のお陰だと思っている。」
「対魔導力の装甲…。」
「よく解るな、バネッサ殿。君の言う通り、この甲冑には魔術の効果を減弱させる素材が使われている。もともとは鉱石中にそのような効果があるものは知られていたし、騎士魔導士学校の剣術場では壁にその鉱石を使い空間上の魔術を封じ込めるところもあるくらいだ。それをここ10年ほどで繊維状にした素材の開発に成功し、このような甲冑に組み込んだと聞いている。数年前にロメン法国にも認められたそうでな。」
「ああ、そうでしたか、父の仕事が…。」
父の無念さが、解消されたことを知った。
そして祖父と叔父の努力が報われたことも…。
バネッサの生まれたスイアーラ国は、ランス帝国のスイアーラ侯爵という貴族の領地であった。
度重なる戦乱により、ランス帝国はレオパルド連邦となったが、その前の「魔導士戦争」時の混乱に乗じ、侯爵が独立を宣言してできた小国であった。
しかしながら、このスイアーラ侯爵は少ないながらも「言葉持ち」を保護していた。
その事実は少なくない魔導士たちを集めることになり、他国からの干渉を受けずに済んでいた。
しかしながら、国是としての防衛力の一環として、対魔導力の研究にも力を入れていた。
スイアーラ国の研究機関でもあるスイアーラ侯爵大学の教授職であったバネッサの祖父と国立魔道具製作所の技官を務めていた叔父が鉱石から魔導力を封じる物質を取り出すことに成功した。
しかしながら、財政的に貧弱であったスイアーラ国は、魔道具の制作において最先端の技術を持つジョバンニュ・クリミアン連合王国政府に協同研究を打診。
紆余曲折を経て、対魔導繊維を両国協力のもと開発したのだ。
この成功により、ジョバンニュ・クリミアン連合王国は対魔導力の装甲を開発、甲冑を作り上げた。
この事により両国政府は同盟関係を構築、そのサンプルをバネッサたちがロメン法国に他の商品と共に届ける途中であった。
この甲冑の存在は軍事機密である。
運搬を偽装するためにバネッサの家族のみで、ロメン法国に出向いていた。
その機密が漏洩した結果、バネッサは家族を失い、奴隷になった。
ディグの言葉は、無惨に殺された家族たちへの、ささやかな慰めでもあったのだ。
急に涙を落としたバネッサに、ディグもナターシャも動揺してしまった。
「大丈夫か、バネッサ殿。」
優しいその呼びかけに、涙をぬぐいバネッサが立ち上がった。
「騎士様。私に敬称は不要です。奴隷の身ですから。」
「そうはいかん。メビウス卿はそうは思っていないようであったしな。もう一度聞く。大丈夫か。」
「はい、騎士様。大丈夫です、戦えます。」
ディグの言葉の意味を正確にとらえ、そう答えた。
「おそらくですが、村人たちのこの変貌は、強力な魔導力であると思われます。」
「魔導力?」
「そうです。そしてその変貌の原動力は、欲望ではないかと、思います。」
「欲望、か。確かに変わり果てた者たちは、食欲と性欲をみなぎらせていたようではあるが…。」
「騎士であるディグ卿は、その甲冑故、その魔導力に犯されることはなかった。そう考えられます。」
「では、君たちは?」
「私に関してはこの結界が、守ってくれたのでしょう。このナターシャのことは推測になりますが、欲望自体が乏しかった。」
そういうバネッサの言葉にある程度の納得を得たように、ディグは頷いた。
そして、思い出したようにバネッサに問うた。
「メビウス卿は大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫でした。アンダストン家の騎士をしていたオックスを倒し、すぐに私たちを追ってくるはずです。」
「彼は何故大丈夫なんだ。メビウス卿は欲望に走った結果、騎士団を辞めさせられた経緯がある。」
「その話は聞いていますが…。その行為は間違ったことだと思います。ただ、その行為に走った理由は、金銭的なものとかではなく、出世だと言ってました。」
「ならば尚更ではないのか?」
「いえ、その理由です。かなり子供っぽいと思ってしまって笑ったんですが…。ご主人様は人を助ける英雄になりたかったそうです。」
この言葉にディグは絶句していた。
「そういう人なんですよ、うちのご主人様は。」
バネッサが少し笑った。
ディグがそんなバネッサを見て苦笑した。
「ふっ、人それぞれだな。とはいえ、この奇怪な現象が魔導だとすれば、それを操っているものがいるという事だな。そいつの息の根を止めるか、とりあえずこの魔導力の干渉しない場所に逃げねばならんな。」
「そう、なりますね。」
バネッサの肯定にディグは自分が来た道を振り返った。
「教会の倉庫が最初の目標だったんですが、道がなくなってました。」
「そうか、あの道は狭いから、壁を破壊されると潰されてしまうな。やはりこの道の先、交易センターからの脱出しかないか。」
暗にその言葉から、獣になった者たちがいることを示唆していた。
「そんなに心配しなくてもよさそうです、騎士様。」
バネッサの言葉に振り返って、まじまじと見つめた後、ディグはため息をついた。
「そういう事か…。殺し合いが終わってるという事、だな。」
「はい。」
安心と哀しみの籠った声でそう答える。
短い間、目を閉じ、そして開いたバネッサは道の先に瞳を向けた。
「騎士様、ナターシャ、行きましょう。」
バネッサが一歩を踏み出した。




