第26話 メビウスの戦い Ⅰ
オオジコバが、執事が牛の革で作られたと思われる書類入れを渡された。
執事から渡された薄い手袋をはめ、オオジコバはその書類入れを丁寧に開いて、中の物を出した。
そしてディッセンドルフに見えるように机の上に置く。
「これが原本です。」
かろうじてその紙の束の表題が読めた。
「夢の真偽について」
そう書かれている。
下の方に、トツネルド・メビウスの崩した文字も確認できたが、その紙の束は、あまりにも損傷がひどかった。
表紙にも黒々とした染みがあり、端の方には指紋まで見る事のできる指の形が3本あった。
さらに端々が千切れ、補修した後も見受けられる。
この紙の束を届けるまでに、かなりひどい扱いを受けたようだ。
「この中も血と思われる染みがあちらこちらにあって、なかなか読むことに難儀しました。文字や残留思念の扱いに長けた魔術師に頼んで、意味の通るようにしたのが先程のノートです。」
「ああ、その魔術師の腕は確かなものだろう。だが、清書された文章だと、この文書を書いた人間の思念が薄れてしまう。」
「ですが、ディッセンドルフ先輩、内容がわかりやすい方が…。」
「そういうことではないんだ、オオジコバ。いや、わかりやすくしてくれたことには礼を言う。だからここにいる者が十分理解できる内容だと思うよ。だが、この内容では、この後何が起きたのかがわからない。殺戮後の状況は、先程のサーシャの説明でわかっている。このメビウスという人物が自分の庇護下にある少女たちにナターシャを保護しつつ、この村から避難させようとした。だが、何らかの手違いでナターシャを逃がすことができず、国家騎士団のディグが最後まで守ったということなのだろう。その間に起こったことを、俺は知りたい。」
「出来るのか?ディッセンドルフ。」
サーマルがディッセンドルフの言葉に対して、尋ねた。
「おそらく。」
ディッセンドルフはそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、その原本に右の手の平をかざした。
淡い光がその手から発せられた。
同時にディッセンドルフの気配が消えていくことが、サーマルにはわかった。
ディッセンドルフはその手の平に集中する。
この原本に残っているメビウスのかすかな思念を捉えた。
それを足掛かりに、5年前のメビウスの思念への同調を試みた。
時間の逆行。
こんなことは「神の子」たるディッセンドルフをおいて、誰もできないことであろう。
僅かなメビウスの残留思念は、だが見事に5年前のあの日、記録が終わっている時まで戻り、トツネルド・メビウスの思念と同調に成功した。
そこにはすでに血と呻きの場であった。
「もう始まっていたのか!」
すでに祭りは終わり、1日目は普通の宴と、ギャンブルに興じる者たちの喧噪だけだったようだ。
その中を、ジェルネンコ親子を探していた。
しかし、巡回と喧嘩の仲裁という仕事があり、とても広い地下空間を探しきることはできなかった。
夜が明け、観光客たちは、各々の住まいに戻っていく。
今この村には、もともとの住人と、賭け事を楽しむものや、女や男を買って楽しんでいる者たちばかりだ。
禁止されてるわけではないものの、あまり公にはできない奴隷の公開売買も行われていた。
昼も過ぎると、負けが込んできて、逆に冷静になった者たちは、帰るための最低の金銭を持って、立ち去っていく。
今、ここにいるのは飲んだくれたもの、負けが込みすぎてさらに熱くなってしまい、賭け事に溺れる者、そして何かを狙って欲望をぎらつかせているものばかりだった。
そう、あの「人に非ざる者」が焚きつけたと思われる者たち。
彼らはゆっくりと行動していた。
メビウスは既に二人の赤毛の少女に、あるだけの金銭と食料、武器を渡し、村の外れに待機させていた。
この日没までにナターシャを連れて行けなければ、すぐに他の街、ここから一番近いカムチャイル町に行くように指示してある。
持たせた記録は中途半端であったが、何が起こるか推測はできるはずだ。
魔術師が夢に介入し、多くの者を扇動、アンダストンの資産を略奪するであろうことが最低限、わかるようにしたつもりだった。
そして、陽が沈む頃、最初の悲鳴が上がった。
俺は昨夜からろくに休みもせず、ジェルネンコ親子、いやナターシャを探していた。
すでに売り飛ばされ、もう違う場所に移動しちまっているかもしれない。
そう思うと、休むことができなかった。
少し意識がもうろうとした時だった。
その地下のフロアで絶叫が迸った。
もつれる足に喝を入れ、その場所に向かった。
「こ、こいつが、い、いかさまを…。」
ナイフで胴元を刺した男が、あっさりワイズに切られていた。
だがワイズの剣はそこで止まらなかった。
そこにいた客を一気に薙ぎ払った。
「ハハハ、さあ、血の狂宴の始まりだぜ!」
常軌を逸した言葉と共に、その場に居た者たちを次々と切り捨てていく。
相棒のはずのオックスの姿は見えない。
陽動か?
この村の警備は、国家騎士団のキレヒガラ・ディグ卿だけではない。名目だけの存在だが、村の若い男たちで結成している自警団があるにはある。
本来なら、事が起こった時に国家騎士団の指示のもと、すぐに対応に出るはずだった。
しかし、この自警団はアンダストン家の自警団と言ってもいい存在になっていた。
もし、夢のお告げを受けた者が俺やワイズやオックス、ジェイコブくらいであればこの自警団をこの場におびき寄せるためとも考えられる。
その間にオックスがアンダストン夫妻を殺害し、欲しいものを盗んでトンずらすると考えあられるのだが…。
そう、この騒ぎに誰も駆けつける気配がなかった。
俺はあの「人に非ざる者」から、他の者との共闘などという話は一度としてなかった。
これは各々の欲望が爆発した結果か!
そう、ならば俺も自分の欲に従おう!
今まで、自分の心の奥底に封じ込めていた欲望を、爆発させよう!
そう思った瞬間だった。
俺の中に大きな力が湧いてくることが分かった。
これが「人に非ざる者」の力なのだろうか?
ワイズの大きな片刃の反った剣が、逃げようとした客に振り下ろされようとしていた。
客はこの殺戮の状況に酒の酔いから醒めたらしいが、身体には完全に酒が回っていた。
振り下ろされる剣から頭は逃げようとしているが、全く体が反応していなかった。
だが、俺の身体は反応した。
戦闘用に設え直したこの服の太ももに装着していた、投擲用の小型ナイフをワイズに投げる。
そのナイフに瞬時に気付いたワイズは振り下ろしていた剣の角度を変え、そのナイフを弾いた。
俺はその隙に襲われていた酔客の首根っこを掴み、後ろに引っ張った。
酔客は何の抵抗もせず、後ろに転がっていく。
俺はその位置から持っていた剣をワイズに向かって突き出した。
ガキッ!
金属と金属のぶつかる激しい音が響く。
ワイズは左手で小太刀を抜いて俺の突きを防いでいた。
そのまま右手の大剣を俺に向かい振り下ろしてくる。
俺の左足がワイズの右脛を蹴飛ばし、その反動を利用して俺は一旦ワイズとの間を開けた。
その間に生き残っていた客たちが地上に続く階段目掛け逃げようとしている。
しかしながら、残っている酒の影響で足がもつれ倒れるものがいたり、その上を躊躇なく踏みつけていくもの、殺到した出入口で殴り合うものなど、混乱し始めていた。
「正義の味方気取りか、酔っぱらいの元国家騎士殿。」
「安っぽい煽りだな、ワイズ。人殺しがお前の欲か?」
間合いを詰めずに互いにけん制する。
「ってことは、お前も聞いてんだろう、夢のお告げを。」
「やはりそうか。オックスはどこに行った?ジェイコブは?」
「ジェイコブのことはお前さんの方が詳しいんじゃないか?」
「今日はあってない。オックスのことは解っているのか?」
言いながら、ワイズの剣と足に集中する。
「ハッ!奴はどうせ女だろう。そこら辺にいる女を片っ端から、ヤッてるだろうさ。」
言葉と同時に、ワイズが踏み込んでくる。
大剣が真横から襲って来た。
とっさに左手に持ち替えた剣をその大剣に合わせる。
ワイズの左手から小太刀が飛んできた。
俺は右手の指で3本のナイフを出し、その小太刀を弾き、さらに1本をワイズに飛ばした。
そこにワイズはいなかった。
しまった!
上に跳んだワイズの身体が、大剣を俺に振り下ろす。
後方に身体を飛ばし、転がりながらもその大剣をギリギリ回避した。
大きな破砕音が響く。
床に流れる血で体に気持ち悪いヌメリを纏いながら、何とか起き上がった。
「あの状態からよくこの剣を躱せるもんだな。少し感心したよ、メビウス。」
呆れたような口ぶりでワイズが俺に言葉を投げかけてきた。
「一応、元国家騎士団に所属してたんでね。」
言いながら、最後の投擲用ナイフを投げる。
と同時に身体を前方に倒しこむように動かした。
それにつられるように、ワイズは半身をひねりつつ、一歩後退した。
俺はその隙に乗じて、後方の出入り口に向かった。
そこはいまだ殴り合いをしている客たちで埋まっている。
ワイズとの戦いで頭に上っていた血が、冷めてくると同時に当初の目的を思い出していた。
この地下フロアに来たのは、ワイズと戦うためでも、客を助けるためでもなかった。
ナターシャ・ジェルネンコを探し、連れて逃げること。
ワイズが、俺がフェイントをかけて逃げたことに気付き、俺を追いかけてこようとする。
血で滑る床に不用意に出した一歩が、見事に滑ったようっで態勢を崩していた。
俺が戦いを欲していたと気なら、すぐにこのチャンスに襲い掛かっていただろう。
だが、そんなことをしている余裕は今の俺にはなかった。
殴り合い、先を争っている奴らとは別の隠れた扉に向かった。
そこは上階に通じる扉ではなく、この奥で開催されている筈の奴隷のオークション会場へと続く扉だ。
そのまま左肩からその扉にぶつかった。
案の定びくともしない。
おそらくこの裏にでかい閂がかかっているようだ。
奥から微かに、悲鳴とも嬌声ともつかない声が伝わってくる。
いったいどれほどの数の人間があの夢を見させられているのだろうか?
そう思っている間に、ワイズがこちらに向かってくるようなしぐさを見せている。
既に上階に向かおうと小競り合いをしていた奴らは、物言わぬ死体と化していた。
明らかに人を殺すことのみを欲しているようだ。
ワイズもまたこの奥で繰り広げられているであろう、阿鼻叫喚の狂宴に気付いたのだ。
無抵抗で逃げられぬように鎖で捉えられている奴隷たちを、思うがままに冒している者ども事、ワイズは殺す気だろう。
そこにオックスがいるかもしれないが、奴にとっては関係ないことなのだと、俺は解っている。
まず俺を殺し、しかる後にこの扉を破壊する。
だがどうやって…?
俺も、背後から切られてはたまらない。
ワイズと戦おうとして振りむいた時だった。
いきなり、俺の身体を見えない力が吹き飛ばした。
再度扉に叩きつけられた。
一瞬、意識が飛びそうになる。
そこに血で汚れた大剣が振り下ろされた。
全身に痛みがあるのを無理矢理体を転がして逃げた。
既に多くの人間の血を吸ったその大剣の刃は刃こぼれが酷くなっている。
だが、ボロボロの大剣で殴られたわけではない。
これは……魔術、無詠唱で。
ワイズは魔術を使えるのか?
「驚いているようだな、メビウス。俺が剣だけだと思ったか?」
俺も多少は魔術は使える。
だが、ここまでの力が出せるかは、微妙だ。
俺を殺した後、魔術でこの扉を破壊するつもりだろう。
詠唱、もしくは印を結ぶことでより強い力を出す自信があるという訳か。
「こんなことが出来るとは。ワイズ、こんなところにいる腕ではないんじゃないか。」
「そうだよ、本当にな。この俺がこんなとこにいるのはおかしいんだよ。ここにいる奴を全部殺したら、俺はルードヴィッヒを殺しに行くさ。」
そう自分の力を誇示する姿に、俺は納得がいった。
こいつの力は、あの「人に非ざる者」から与えられた力だ。
あれ、が何かは全くわからない。
わからないが、尋常ならざる力を持っているという事か。
ワイズが高笑いしながら動けない俺にとどめを刺すべく、大剣を振り上げた。
苦痛が全身から俺の動きに制限をかけているところに、大剣が振り下ろされた。
ゆっくりと動くように見えるその大剣に対し、俺の脳が最高速で回転した。
なぜか、全身の痛みが引き、剣を持たない左手が勝手に印を結んだ。
光が弾けた。
ワイズは大剣に魔術を乗せて振り下ろしたらしい。
その魔術に俺の印が反応し、剣ごと弾いた。
大剣が粉々に砕けていた。
痛みのなくなった俺は素早く立ち上がり、右手の剣を呆然と立ち尽くしているワイズに向け、薙いだ。
ワイズの首があっさり切断され、床に転がった。
自分の身体の各所を動かして痛みを感じないことを確認した。
「おかしいな。何なんだ、この身体。いや、さっきの魔術も…。」
言葉が勝手に口をついて出た。
だが、今この場にそれに答える生きた者はいなかった。
まだ、扉の向こうからはかすかに声がしている。
そこにナターシャがいるかはわからない。
だが、もし、まだいるならゆっくりしている時間はない。
どうするか、この扉。
もう一度全体重をかけてみたが、その扉は全く動かない。
考える間もなく俺の右手が、剣を扉に向けると、かすかに光が走った。
扉の向こうで大きな音がした。
と同時に、扉が開いた。
今、俺、何をした?
だが、時間がない。
俺は開いた扉の飛び込んだ。
少し先から悲鳴と光が漏れてきた。
濃密な血の匂いが漂ってくる。
既に賭場での死体の山を見ていたが、そこに悲鳴が重なる。
下半身裸の男が鎖で逃げられない少女を犯していた。
悲鳴は途絶えていた。
その男が俺に気付き、睨んでくる。
すぐにその男を切り捨てた。
犯された女はすでに死んでいた。
鎖でつながれた奴隷たちで生きているものはいなかった。
そして鎖で繋がれていないもの、つまりこの奴隷を売買していたと思われる人物たちだ。
皆、死んでいる。
ただ、この傷は一人にやられたわけではない。
たぶん、殺し合いが行われている。
このオークション会場で。
この雰囲気は、おかしかった。
あの夢がここまで多くの人間に蒔かれたとは思えなかった。
この空気の感じ、嫌な瘴気が漂っている。
血や臓器、便の嫌な空気の臭いというものと違う。
そんなものは、さんざん戦場で慣れている。
俺は警戒しながら、さらに奥に進んだ。
薄暗いそこには鉄格子がはめ込まれた小部屋がいくつか点在していた。
周囲に警戒の目を向けた。
あまりここに死体はない。
あらかたの奴隷が出品されていたといったところだろう。
そのオークション会場に、子供の亡骸はなかった。
カザフス・ジェルネンコの死体も今のところ確認は出来ていない。
だが、損傷の激しいものは、数多くあった。
その中にカザフスの死体が、あれば確認のしようがない。
先程から感じている違和感のある瘴気のようなものに、唐突に似た記憶が覚醒した。
傭兵として参加したゲリラ兵の駆逐。
相手に力のある魔導士はいなかった。
ある森の中にある小さなコミュニティ。
そこがゲリラたちの拠点だと雇用主の情報部が俺たちに作戦内容と共に攻撃目標を伝えてきた。
こちらは傭兵を主体とした兵力が50人強。
小さな村であれば全滅できるほどの戦力だった。
40人の騎士級の剣士と10人程の中程度の魔導士。
だが、そのコミュニティには、既に生きているものがいなかった。
完全な罠だった。
まず、魔導士が突如、仲間に対して攻撃魔法を仕掛けてきた。
前方にその警戒を向けていたため、後方にいた魔導士の攻撃は、完全に虚を突かれたものだった。
俺を含めた突撃隊の5人がそのまま散開し、森に隠れた。
その後方の剣士たちは慌てて魔導士たちの攻撃に対応した。
この時点で20人の剣士が殺されている。
その時に感じた違和感が、今この場に存在する瘴気のようなものとそっくりだった。
その時は、この魔導士たちより更に後方に俺たち5人の突撃隊が回り込み、挟撃の形に持って行った。
最初に3人の首を飛ばした。
そこで俺の弱い魔術を残った魔導士に仕掛けたところで、残った4人が魔導士を無力化した。
結果的に50人強いたこの傭兵部隊は、8人までに減ったしまったわけだ。
この時の敵の戦法は高度な魔術、傀儡化の遠隔術と思われたが、ロメン法国からの調査隊は全く違う報告書を提出した。
高度魔術「傀儡化」。
人を生きたまま傀儡のように扱える魔術である。
だがこの時の部隊の魔導士の叛乱は、決して他人の干渉という種類のものではなく、そのもの個人の強い欲望だった。
そのコミュニティそのものがその欲望のまま、殺し合いになり、伝染病のように人々に伝播していったものと考えられていた。
そしてその伝染病のようなものが霧散する前に辿り着いた傭兵部隊の、特に感受性の強かった魔導士に伝染した。
彼らは、魔導士としての力は弱く、剣士、騎士から蔑んでみられていたことに不満があった。
それがこの傭兵部隊内での戦いになったものと結論付けられていた。
そう、あの時と同じ感覚、これは人に次々とうつっていくという事なのか。
俺はナターシャの姿を求めて、駆け出していた。




