翌日の約束
木曜日の夕方、真弓は駅の改札前で悟を見つけた。
遠くからでもわかった。背が高いからだけではない。人混みの中で、ひとりだけ歩く速さが違う。
周りに合わせているようで、誰にも合わせていない。
「悟さん!」
悟が振り向いた。
「お疲れさまです」
「夜勤明けの顔、してます?」
「少し」
「正直すぎる」
真弓は笑った。
肩までの髪を耳にかける。今日は白いブラウスに細いパンツだった。よく似合っている。悟はそう思ったが、口には出なかった。
「寝られました?」
「昼から三時間。これ以上寝ると夜眠れなくなるから」
「大丈夫ですか」
「大丈夫。もし途中で寝たら、起こしてください」
「どうやって?」
「そこは考えてくださいよ」
悟は本当に考え始めた。
その顔を見て、真弓が吹き出した。
*
真弓が選んだ店は、小さな洋食屋だった。
「お母さんに聞いたんです。悟さん、派手なところ苦手そうだって」
「そんな話を?」
「いろいろ聞いてますよ。運転中は音楽をかけないとか、休みのたびに遠くへ行くとか」
悟は少し驚いた。
真美が自分の話を、娘にしている。
その事実を面白いと感じた。同時に、真美と二人で過ごした時間のどこまでが娘に伝わっているのだろうと思った。
「車って、そんなに大事ですか」
真弓が尋ねた。
「今までは、そうでした」
「今までは?」
「最近、ほかにも気になるものができたので」
真弓はフォークを止めた。
「へえ。何ですか」
悟は少し考えた。
ここで『あなたです』と答えれば、話は簡単だったかもしれない。
けれど、それはまだ自分の言葉になっていなかった。
「人、ですかね」
「人?」
「誰かと会いたくて、運転するのは初めてです」
真弓は目を伏せた。
「……それ、ちょっと嬉しいです」
悟は彼女の頬が赤くなるのを見た。
胸の奥で、知らないものが動いた。
*
食事のあと、二人は川沿いを歩いた。
夜風が涼しい。真弓は少し前を歩き、時々振り返る。
「お母さん、最近楽しそうです」
「そうですか」
「家が焼けた人の言い方じゃないですけど、前より元気かもしれません」
悟は足を止めかけた。
「悟さんに助けてもらったからだと思います」
「僕は車で送っただけです」
「それだけじゃないですよ」
真弓はまっすぐ悟を見た。
「知らない場所で、知らない人に親切にされるって、たぶん、ものすごく救われることなんです」
悟には、その言葉が残った。
真美が何を抱えていたのか、自分はほとんど知らない。
一方で、今ここにいる真弓は、母親をよく見ている。
「真弓さんは、お母さんと仲がいいんですね」
「いいですよ。でも、何でも話すわけじゃない」
「そうなんですか」
「親子でも、知らないことってありますから」
真弓は軽く笑った。
何気ない会話のはずなのに、悟は返事をするのが少し遅れた。
*
帰り際、真弓が言った。
「今度は私が運転してみたいです」
「車、好きなんですか」
「そんなに。でも悟さんが隣にいたら、いろいろ教えてくれそう」
「運転を教えるのは苦手です」
「どうして?」
「つい細かいことを言うので」
「じゃあ、私は怒ると思います」
二人は笑った。
真弓は、少し迷ってから続けた。
「また会えますか」
「はい」
「本当に?」
「本当です」
「じゃあ、次は私が休みの日に。朝から会いましょう」
悟はうなずいた。
朝から。
その響きが嬉しかった。
*
名古屋へ戻る途中、悟は真美からのメッセージを読んだ。
『今日はどうだった?』
『楽しかったです』
すぐに返事が来た。
『真弓は?』
『また会いたいと言ってくれました』
『よかったわね』
そのあとに、もう一つ届く。
『私のことも忘れないでね』
悟はサービスエリアに車を停め、電話をかけた。
「忘れませんよ」
開口一番、そう言った。
「何よ、急に」
真美は笑ったが、声は少し震えていた。
「今度はいつ会えますか」
「悟くんが来られるなら、いつでも」
「じゃあ、また行きます」
真美はしばらく黙った。
「真弓に会うついで?」
悟はフロントガラスの向こうを見た。
「二人に会いに行くんです」
真美は答えなかった。
悟は、自分の言葉が間違っているとは思わなかった。




