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母の恋人  作者: 大神みや


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7/13

夜勤の夜

「来週の水曜日、空いてます?」


真弓から届いたメッセージを、悟は会社の駐車場で読んだ。


仕事を終え、車に乗り込んだところだった。エンジンをかけるのを忘れて、画面を見つめる。


『夕方からなら』


『その日、夜勤なんです』


会えないという連絡なのかと思った。


次の文が届く。


『でも翌日は明けなので、夕方には少し元気になっているはずです。お食事でもどうですか』


悟はカレンダーを開いた。木曜日の午後には、名古屋にいなければならない用事が一つある。


それを金曜に動かせばいい。


用事の相手には、まだ何も聞いていない。それなのにもう、動かせるものだと決めていた。


『行きます。木曜の夕方で』


送信すると、すぐに笑った顔の絵文字が返ってきた。


悟はようやくエンジンをかけた。


いつもなら、ここで週末の走行ルートを考える。山道にするか、海沿いにするか。渋滞を避けられる道を頭の中でつないでいく時間が好きだった。


ところが今日は、静岡でどこに食べに行くかを調べていた。


自分でも少し不思議だった。


*


真美に連絡したのは、その夜だった。


『木曜、真弓さんと食事をすることになりました』


返事が来るまで少し間があった。


『あの子、積極的でしょう?』


『嬉しいです』


自分で打ったその言葉を見て、悟は指を止めた。


真美から電話がかかってきた。


「悟くん、いま大丈夫?」


「はい」


「木曜日ってことは、前の日は?」


「水曜の夜に静岡へ入ろうかと」


「あら、そうなの」


真美の声が柔らかくなった。


「真弓、夜勤だから、私は一人なのよ」


悟は黙った。


真美の家ではない。娘の部屋だ。そこへ自分が訪ねていく光景を考えると、いくらか居心地が悪かった。


「困る?」


「……少し」


「そうよね。じゃあ、外で会いましょうか」


その答えを聞いて、ほっとした自分と、残念に思った自分がいた。


「会いたいです」


言葉が先に出た。


受話器の向こうで、真美が息をのむ気配がした。


「私もよ」


その声だけで、車内の空気が変わった。


*


水曜日。悟は午後の仕事を早めに切り上げ、静岡へ向かった。


以前なら、高速道路を使うのはもったいないと感じたはずだった。山越えの下道を選び、遠回りを楽しむ。


今日は違う。


早く着きたかった。


待ち合わせたのは駅から少し離れた小さなレストランだった。真美は足をかばいながら、ゆっくり歩いてきた。まだ完全には治っていないらしい。


「無理してないですか」


「少しだけ。悟くんがいるから平気」


悟はその言い方に弱かった。


真美は食事中、秋田の家のことをぽつぽつ話した。焼け残ったものの処分や役所への届け出、村の人が代わりにしてくれていること。


「まだ戻るつもりですか」


「戻るというか、片づけには行かなきゃ。でも、住むところは考え直してもいいかなって」


「静岡で?」


「さあ。まだ何も決めていないわ」


真美はグラスの水に指を添えた。


「こんなふうに誰かとご飯を食べるなんて、向こうじゃ何年もなかったの」


悟は返事ができなかった。


自分にとっての水曜日は、休日の前夜にすぎなかった。でも真美にとっては、何かが変わり始めている時間なのだとわかった。


*


食事を終えて、二人は駅前のホテルへ向かった。


部屋に入ると、真美は窓のカーテンを開けた。車のライトが、濡れた道路をゆっくり流れていく。


「明日は、あの子と会うのね」


「はい」


「楽しみ?」


「楽しみです」


真美は振り返った。


一瞬、笑みが消えた。


「正直なのね」


「嘘をつく理由がないので」


「……そうね」


真美は近づき、悟の胸に額を寄せた。


「今夜は私のことだけ考えて」


悟はその背中に腕を回した。


「考えてます」


真美は顔を上げない。


「今夜だけじゃなくて」


その続きは、言わなかった。


*


翌朝、悟は先に目を覚ました。


真美の寝息が聞こえる。枕元には、真弓からのメッセージが届いていた。


『夜勤、無事に終わりました。今日は約束どおりで大丈夫です』


悟は返事を打った。


『お疲れさまです。無理しないでください』


送り終えると、真美が目を開けた。


「真弓?」


「はい」


「寝てると思ったのに、もう連絡?」


悟は画面を伏せた。


「夜勤が終わったそうです」


「よかったわね」


真美はそう言って笑った。


その笑顔に、悟は妙な引っかかりを覚えた。


だが真美が手を伸ばしてくると、もう考えなかった。


午後、彼は娘の待つ街へ向かう。


その前に、もう少しだけここにいたかった。


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