嘘のない答え
「お母さんと、いつから?」
真弓はそう切り出した。駅から少し離れた喫茶店だった。
悟はコーヒーカップを置いた。
「知っていたんですね」
「見ました。二人がキスしてるところ」
悟は目を伏せた。
「私が夜勤のはずだった日。急に休みになって、駅の近くで見たの」
「……そうでしたか」
「どうして黙ってたの?」
「嫌われると思ったからです」
「それだけ?」
「どう話せばいいか、わからなかった」
真弓は笑いたくないのに笑ってしまった。
「悟さんでも、わからないことがあるんだ」
「たくさんあります」
「そうでしょうね」
*
悟は秋田での出会いから話した。火事、真美の怪我、仙台の夜、葛飾のホテル。
真弓は黙って聞いていた。
「お母さん、そんな話までしたんだ。楽しそうだった?」
「とても」
真弓は目を閉じた。
父が亡くなってから、母はずっと誰かのために動いてきた。そんな母が、久しぶりに自分のために笑った。
それは嬉しかった。
だが、それと自分が傷ついたことは別だった。
「私と会ったときは、もうお母さんと付き合ってたんですね」
「はい」
「それなのに、私とも会った。お母さんに言われたから?」
「最初は、そういう気持ちもありました」
「どういうこと?」
「真美さんは、僕と真弓さんが仲よくなれば、また自然に会えると言いました」
「……私を使ったってこと?」
「そういうつもりだったと思います」
「悟さんも?」
悟は否定しなかった。
一番聞きたくなかった答えだった。
帰宅した母が、悟のことを話すときの声を思い出した。あんなに楽しそうな母を見たのは久しぶりだった。自分が悟を好きになったと知ったときも、母は喜んでくれた。あの笑顔のどこまでが本当だったのだろう。真弓はカップの取っ手を握り直した。悟の顔を見ると、今度は彼が何か言う前に泣いてしまいそうだった。
*
「最低ですね」
「そうだと思います」
「否定しないんだ」
「否定できません」
真弓は窓の外を見た。
怒鳴りたかった。コーヒーをかけてやりたいと、一瞬、本気で思った。
けれど、そうすればこの人は謝って帰ってしまう。
「じゃあ、今は? どういうつもりで私と会ってるの?」
「好きだからです」
「お母さんは?」
「好きです」
真弓は息を吐いた。
「どっちが好き?」
「比べられません」
「比べてほしいんです」
「……」
「私は、恋人がほかの女性とも付き合ってるなんて嫌です。当たり前でしょう。それがお母さんなんですよ。普通なら、二人とも二度と顔を見たくない」
悟は黙って聞いていた。
「でも、どっちも嫌いになれないの」
涙が落ちた。
悟がポケットからハンカチを出しかけた。真弓は片手を上げ、首を振った。今は慰めてほしくなかった。その手が、昨日まで母に触れていたかもしれないと思うと、触れられるのが怖い。それでも席を立てずにいる自分が、一番腹立たしかった。
*
「真弓さんと別れたくありません」
「お母さんとは?」
悟は答えられなかった。
真弓はその沈黙を見つめた。
「悟さん。私は、車じゃないですよ」
「わかっています」
「わかってないから言ってるの。私にも、お母さんにも、それぞれ人生があるんです」
「はい」
「そのこと、ちゃんと考えてください」
*
店を出るころには雨になった。
悟は傘を差し出したが、真弓は受け取らなかった。
「少し一人で歩きたい」
「送ります」
「今日はいいです」
真弓は振り返った。
「別れるって決めたわけじゃないから。でも、許したわけでもない。考える時間をください」
その夜、悟からメッセージが届いた。
『今日は話してくれてありがとうございました。待ちます』
真弓は翌朝、返事を送った。
『私も考えます。悟さんも、自分がどうしたいのか、ちゃんと考えてください』




