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母の恋人  作者: 大神みや


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選ぶということ

それから一か月、悟は静岡へ行かなかった。


真美とは電話で話した。


「仕事、忙しいの?」


「少し」


「真弓とも会ってないんですって? 喧嘩でもした?」


悟は答えを探した。


真弓との約束があった。二人で話したことを、真美に勝手に伝えない。


「真弓さんが、考える時間を欲しいと言ったので」


「そうなの」


娘と悟がうまくいかなければ、自分たちはどうなるのだろう。


「悟くん。私は待ってるからね」


「ありがとうございます」


その返事が、真美には遠く感じられた。


*


真弓から連絡が来たのは、十一月に入ってからだった。

そのメッセージを送る前、真弓は何度も画面を開いていた。夜勤明けの朝、同僚が話しかけても上の空になり、書きかけの文章を消した。『もう会わない』なら短く済む。けれど、決められなかった。母が笑っているところも、自分が悟の隣で笑った時間も、どちらも消すことはできなかった。だから、まずは会って自分の目で確かめようと思った。


『今度の土曜日、会えますか』


『会えます』


約束した場所へ向かう途中、悟は久しぶりに車を運転することだけを考えた。


ハンドルの重さ、エンジンの音、路面から伝わる振動。今でも好きだ。


ただ、静岡へ近づくにつれて別のことが気になった。


真弓はどんな顔をして待っているだろう。


*


真弓は駅前に立っていた。肩までの髪を揺らし、悟を見ると小さく手を振った。


「久しぶりです」


「はい」


「元気でした?」


「仕事はしていました」


「そうじゃなくて」


「会いたかったです」


真弓の笑顔が消え、少ししてうつむいた。


「私も」


二人は近くの公園へ歩いた。


「一か月、考えました。悟さんと別れることも。お母さんを嫌いになることも。でも、どちらもできなかった」


「……」


「だからって、全部いいよとは言えません」


「僕も考えました。僕は好きなものを好きなだけ大事にすればいいと思っていました。でも、人はそうじゃないんですね。自分が大事にしているつもりでも、傷つけることがある」


真弓はうなずいた。


「そうです」


「真弓さんを失いたくありません」


「私も、悟さんを失いたくない。でも、これからのことは私にも決めさせてください」


「会う日も、会い方も。私に黙って、お母さんと予定を合わせるのはやめて」


「はい」


「すぐに何もかも元どおりになると思わないでね」


悟は返事を急がなかった。真弓はその沈黙を待った。今度は、言われたことをそのまま受け取るだけの関係には戻りたくなかった。


「もちろんです」


*


二人はまた会うようになった。


真弓が休みの日、悟が名古屋から来られる日。


以前のように母の夜勤表で予定を組むことはなくなった。真弓から、そうしてほしいと言われた。


食事をし、映画を見て、遠くまで走る。一緒に過ごす時間は長くなった。


「今日は車に乗りたくない」


「どうしてですか」


「悟さんと歩きたいから」


悟は車を置き、二人で街を歩いた。


真弓が手をつないだ。


「恥ずかしい?」


「少し」


「意外」


「僕にもありますよ」


「何が?」


「恥ずかしいこと」


真弓は笑った。


*


冬になった。


二人が初めて一緒に泊まった夜から、何か月かが過ぎていた。


真弓は、悟と過ごす時間が好きだった。抱きしめられることも、眠る前に話すことも、朝になって隣にいることも。


ただ、一緒にいればいるほど、別れる時間が嫌になった。


「ねえ、悟さん。名古屋へ帰るの、面倒じゃない?」


「運転は好きなので」


「そういう意味じゃなくて。ずっと一緒にいたら、帰らなくていいでしょう」


真弓は枕に顔を埋めた。


「今の、聞かなかったことにして」


「嫌です」


「え?」


「聞きました。僕も、一緒にいたいです」


*


プロポーズは静岡の小さなレストランで、食事を終えたあとだった。


「結婚してください」


真弓はカップを置いた。


「……いきなり?」


「ずっと考えていました」


「指輪は?」


「まだです」


「普通、先に用意しません?」


「サイズがわからなかったので」


「聞けばよかったのに」


「そうすると、わかってしまうかと」


真弓は笑いながら目元を押さえた。


「ほんと、変な人」


悟は待った。


「いいですよ。ただし、結婚する前に、もう一度、きちんと話しましょう」


真弓は言い終えてから、悟の表情を確かめた。指輪のない手を差し出すのは簡単だった。けれど、その手で守るものは結婚式の約束だけではない。今までより難しい話を、これから何度でもしなければならない。悟がうなずくのを見て、ようやく息をついた。


悟はうなずいた。


「はい」


「それなら、よろしくお願いします」


悟はテーブル越しに彼女の手を取った。


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