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母の恋人  作者: 大神みや


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11/14

見てしまったもの

その週の金曜日、真美は美容室へ行った。


久しぶりに髪を短くし、白髪も丁寧に染めてもらった。鏡の中には、秋田にいた自分とは少し違う女が座っていた。


似合うだろうか。


考えた相手は、娘ではなかった。


悟に写真を送る。


『どう?』


返事はすぐだった。


『似合っています。早く会いたいです』


真美は鏡の前で笑った。


美容師に「何かいいことありました?」と聞かれ、「何でもないの」と答えた。


何でもないわけがない。


三十四歳の男が、自分に会いたがっている。


それだけで、五十三歳の身体がまだ熱を持つのだと知った。


そんな自分を、少し恥ずかしく思う。


けれど、やめたいとは思わなかった。


*


悟はいつものように、真弓が夜勤に入る日に静岡へ来た。


真美とは夕方に待ち合わせた。


「髪、どう?」


「写真よりいいです」


「ほんと?」


「はい」


悟は、彼女の髪に指先で触れた。


人通りのある道だった。


真美は慌てて周囲を見た。


「だめよ、こんなところで」


「すみません」


悟は手を引いた。


真美はその手を、今度は自分からつかんだ。


「こっちへ行きましょう」


駅から一本入った通りに、小さなホテルがある。


いつもの場所だった。


*


真弓の勤務が変わったのは、その日の昼だった。


同僚の家庭の事情で夜勤の担当が入れ替わり、急に夕方からの時間が空いた。


帰宅して母に知らせようとしたが、部屋は留守だった。


『今日は予定が変わって、お休みになったよ』


送っても返事がない。


母はたぶん外出中だろう。


真弓は少し買い物をしようと思い、駅へ向かった。


そこで悟の車を見つけた。


見間違えるはずがなかった。見慣れた色、ナンバー、ホイール。自分で興味を持ったわけでもないのに、いつの間にか覚えていた。


駐車場に停まっている。


悟さん、今日も来てるんだ。


嬉しくなって、連絡しようとした。


そのとき、車の向こうに二人の姿が見えた。


悟と母だった。


二人は建物の陰から出てきたところだった。


真美は何か言って笑い、悟の腕に触れた。


親しい知り合いなら、ありそうな仕草だ。


真弓はそう思おうとした。


けれど悟が立ち止まり、母の乱れた髪を直した。


母はその手を取り、しばらく離さなかった。


それから、二人は短く口づけた。


真弓は動けなかった。


周囲の音が遠のいた。


目の前の二人が、自分の知っている母と悟には見えなかった。


自分の知らない顔をしていた。


*


真弓は二人に声をかけなかった。


何を言えばいいのか、わからなかった。


人目につかないように踵を返し、駅の反対側へ歩いた。


足が震えている。


怒りだろうか。悲しみだろうか。


それより先に、恥ずかしさが来た。


母は知っていたのだ。


自分が悟を好きになったことを。デートのたびに嬉しそうに帰ってきたことを。次にいつ会えるか、指折り数えていたことを。


知っていて、あんなふうに笑っていた。


悟も同じだ。


彼は自分の手を握った。自分にだけ向けた言葉だと思っていたものがある。


あれは何だったのだろう。


真弓はスマートフォンを開いた。


悟に電話をかけようとして、やめた。


画面に映った自分の顔は、ひどく情けなかった。


*


その夜、真美は上機嫌で帰ってきた。


「真弓、起きてたの?」


「うん。今日は勤務が変わったから」


真美が立ち止まった。


「そうなの?」


「連絡したよ」


「ごめんね、気づかなかった」


母はバッグからスマートフォンを出した。


「友達と会ってたの」


真弓は母の顔を見た。


化粧が少し崩れている。髪はきれいに整えてある。それでも、昼間と同じではない。


「楽しかった?」


「ええ。久しぶりにね」


「よかったね」


真弓はそれだけ言った。


真美は安心したように笑い、洗面所へ向かった。


その背中を見送りながら、真弓は思った。


この人は、私が何も知らないと思っている。


そして、自分でも驚くほど冷静に、もう一つのことを考えた。


悟さんは、私を好きだと言った。


あの言葉まで、嘘だったのだろうか。


*


寝室で、真弓は悟からのメッセージを開いた。


『次はいつ会えますか』


それだけだった。


いつもなら、すぐに返した。


今日は何度も文字を打ち、消した。


『お母さんとはどういう関係ですか』


送信の直前で、指が止まった。


返事を知るのが怖かった。


もし、ただの遊びだったと言われたら。


もし、母のほうが好きなのだと言われたら。


真弓は画面を閉じた。


涙は出なかった。


まだ、何かを決めるには早すぎた。


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