第七章「黒の魔法使いとお茶の時間」後編
ユルは砦のみんなへ事の次第を説明しに行ってしまい、エイデンは他に邪魔が入らぬよう、玄関の外で見張ってくれることになった。
黒の魔法使いが家に入ると、ブチがうなるので、大丈夫よ、と私はなだめる。
「どうぞ、ソファーに掛けてください。私はお茶の準備をしたら、すぐにいなくなりますから」
二人は無言で、のっそりとそれぞれソファーに座った。何も話し出そうとしない。
私がいるから話しにくいのかもしれない。私は急いでお湯を沸かし、ポットとティーカップを用意した。
「よかったら甘いものも」とナッツチョコレートを出し、お茶を二人の前に置くと、「それじゃあ、私はこれで」お盆を抱えてぺこりとする。
「フィー、ここにいて」
ヒースがうつむきながら、ぼそっとつぶやいた。
「一緒に話を聞いててほしい」
「え……」
でも、と私はためらう。
「親子水入らずのほうが……」
「いや、私からも頼む。ここにいてくれ」
え、と私は黒の魔法使いを見やる。相手はちらりとこちらに視線をよこす。彼にまでそんなことを頼まれるとは思わなかった。
「では……、失礼します」
自分が本当にここにいていいものか確証をもてぬまま、私は近くのスツールを引き寄せて、彼らと斜向かいになる位置に腰掛けた。
「お茶をいただこう」
ザラムが低い声で言って、少し不器用にカップを手に取った。
「砂糖とミルク、もらうよ」
ヒースも、暗いけれど、先ほどよりは落ち着いた声で言って、お茶をティースプーンでくるくるかき混ぜた。
ザラムはカップ越しにヒースを見ており、ヒースは目を伏せていた。それぞれがカップを置いたあと、また重苦しい沈黙が流れた。
ザラムが断って、ナッツチョコレートに手を伸ばした。一つもぐもぐして、二つ、三つ……。器の半分ほどを食べたあとで紅茶を流し込む。
補充したほうがいいかしら、いま立ち上がってもいいかしら、私がもじもじしていると、ごほん、とザラムが咳をして、ややぶっきらぼうに切り出した。
「言いたいことがあるなら言え、聞いてやる」
私がはらはらしていると、ヒースがうんざりしたように吐息をついた。
「何でいつもそう偉そうなんだ」
よそへつぶやくような言い方だった。ザラムの語調が少々強くなる。
「私は年長で、お前の師で、父親だ。何が悪い」
ヒースは顔を正面に向け、伏せていた目で、一瞬、相手を射抜くように見た。
「父親なら、どうして俺と母さんを捨てたんだ」
「捨てた!」自分の耳を疑うように、ザラムはその言葉を繰り返す。「捨てただと? お前たちを捨てたつもりはない。お前は知らないかもしれないが、毎月、暮らせるだけの額は送っていたし、お前たちが住んでいた家だって、もとは私が用意したものだ」
言葉が連なるにつれ、ヒースの顔が険しくなってきて、私はおろおろと二人を見比べる。
「捨てた!」と、ザラムが吐き捨てるようにもう一度、つぶやく。「ヘザーか? ヘザーがそう言ったのか?」
ヒースのこぶしが、どんとテーブルを叩き、カップがカチャリと音を立てた。
「母さんは一度もあんたを悪く言ったことはない! あんたのおかげで今の暮らしができている、感謝するようにといつも俺に言い聞かせてた。ただずっと会いたがってた。亡くなる時でさえ、あんたに会いたがってたよ」
と、彼は一息に言って、荒くなった息を整える。
ザラムのほうは、いっとき目を閉じて、眉間を揉みほぐした。やがて重そうに口を開いた。
「捨てたのではない。一緒にいられなかったのだ」
「俺が生まれてから、母さんが死ぬまで、ずっとか?」
「仕方がなかった。私はその頃、国の魔法使いとして戦場に出ることが多かった」
ヒースが腕を組んで、身を後ろに引いた。ザラムは膝の上で両手の指を合わせた。
「たくさんの命を奪った。たくさんの恨みを買った。私自身が危険な目に合うこともあったし、命を狙われたこともある。お前たちをそんな日常に巻き込みたくなかった。何よりこの……」
と、その人は自分の両手のひらを見つめた。そうしてしばらく黙りこくった。その手はわずかに震え、額には汗がにじんでいた。
ヒースも、黙ってはいたが、居住まいを正し、ソファーのひじ掛けをぎゅっとつかんだ。その視線はザラムに注がれているのがわかった。
ザラムは細く長く息を吐き出した。
「いくら洗っても、この手の汚れは一生落ちることはないだろう」
彼は初めてしっかりとヒースのことを見た。
「だが、自分の手が汚れているという事実よりも、戦場でいつ死ぬかもしれないという可能性よりも」
と、その人は自分の手を見下ろした。
「この汚れた手で、お前たちに触れ、お前たちの平穏や幸せを奪ってしまうこと、お前たちに災いの火の粉を振りかけてしまうこと、そちらのほうが、私はずっと……、ずっと、恐ろしかった」
逃げ惑う言葉をつかまえて絞り出すように、やっとのことでザラムはそう言った。
「それなのに私は……」
と、彼は手のひらを結び、わずかにゆがめた顔をもたげた。
「何度か、と言ったな」
そう問われたヒースは、動かぬまま、目に疑問の色を浮かべた。
「何度かではない。何度もだ。私は何度も、お前たちに気づかれぬように、家を訪れた。他人になりすまし、鳥や獣に姿を変え、時には、お前たちが寝静まったあとに、そばで顔を眺めたこともある」
ザラムはとても苦しげだった。
「近くで見守っていたかった。許されないことと知りながら、お前たちのもとにおもむく足を止められなかった。果ては、お前を無理やり引き取った。出過ぎたまねをしたと思っている。幸せにしてやるどころか、お前たちを不幸にするかもしれない私が……」
ヒースはまじろぎもせず、相手の話に耳を傾けていたが、
「……何でそうやって勝手に決めつけるんだよ」
ソファーの生地に爪を立てながら、低い声でさえぎった。藍色の目が鋭く光っていた。ザラムは視線を落とした。
「悪かったと思っている」
「違う、そうじゃない……」
ヒースは顔をしかめ、うつむいた。
「俺と母さんには、あんたが必要だったんだよ。金でも、家でもなくて、あんたと一緒にいたかったんだ。あんたが俺たちと一緒にいたかったように。ただそれだけだったんだ。最初に言っただろ。母さんがどれだけあんたに会いたがってたか。俺だって……、会いたかったよ! ……なのに、会っちゃいけないなんて、一緒にいられないなんて、不幸にするなんて、どうして勝手に決めるんだよ」
と、彼は身体を強ばらせた。ザラムは意外そうな目をした。ヒースは続けた。
「そんなに来てたなら、話しかけろよ。そんなに何度も来るくらい、会いたかったなら、自分が父親だって言えよ。母さんにも、本当は一緒に居たいって言えばよかっただろ。俺はそうしてほしかった。もっと早くそうしてほしかった」
ぶっきらぼうな言葉だったが、ヒースはだんだん声を震わせて、最後に目を拭った。
ザラムは静かに、そうだな、と言った。
「勝手に決めて、悪かった。何も言わずにいて、悪かった」
そうだよ、とヒースが言い放つ。
「話してくれなきゃ、何もわからないだろ。一緒に暮らせなかった理由も、俺が息子だってことも……。俺が聞かなかったら、ずっと黙っているつもりだったのか?」
「話そうとは思っていたが、お前を傷つけるのではないかと……」
言いかけて、ザラムは気まずそうに鼻をこすった。
「いや、違うな。私が最も恐れていたのは、お前が私を嫌って、去っていくのではないかということだ。それで話を先延ばしにし、かえって、今回のようなことを引き起こしてしまった。……すまなかった」
それはこれまでで一番素直な言葉に聞こえた。そのせいか、ヒースの肩からも力が抜けた。
「前もって話してほしかった。でも今回のことは……、俺も悪かったよ」
と、彼は少し顔を赤らめた。
魔法使いと弟子ではなく、不器用な父親と息子の姿がそこにはあった。空気が柔らかくなった気がして、私は少し、ほっとした。
遅ればせながら私がハンカチを渡すと、ヒースは小さくお礼を言って受け取り、それをちょっと目元に当てたあと、尋ねた。
「どうして俺を弟子にしようと思ったんだ?」
ザラムはお茶を一口して、話し出した。
「ヘザーが亡くなって、お前が一人になってしまうと知って、居ても立ってもいられなかった。戦での仕事を徐々に減らし、お前を迎えに行った」
と、カップを置き、少し口元を緩めた。
「お前は鋭い子だった。幼い頃から、私が姿を変えて訪れると、いつも私をいぶかしげに見ていた。この子はいい魔法使いになるとわかっていた」
ヒースは相手を食い入るように見つめた。ザラムはそんなヒースにしっかりと目線を合わせた。
「だがもし嫌なら、お前の好きな道を選ぶといい。私に従うことはない。もちろん、必要な手助けはするつもりだ」
私はヒースを見守った。俺は、とヒースは考えるようにつぶやいた。
「俺は、魔法が好きだ。魔法は楽しいし、もっと勉強して、もっとうまく使えるようになりたいと思ってる」
やがて彼はまっすぐ相手を見据えた。
「だから俺は、あんたと一緒に行くよ」
その目には迷いは見られなかった。
「それでいつか、あんたよりすごい魔法使いになってやるんだ」
「それでいいのか?」
ザラムは穏やかに尋ねた。
「それでいい、じゃない。俺がそうしたいんだ」
確かな口調で、ヒースはそう答え、微笑んだ。
空の群青は朝の気配を含んで鮮やかに広がり、月は遠くで白く、その群青にしがみついていた。
「おい、フィー、大丈夫か?」
私が玄関から出ていくと、真っ先にエイデンが私に尋ね、後から出てきた黒の魔法使いを見て、気まずそうな顔をした。
「大丈夫よ。見張っていてくれて、ありがとうございます」
その時、ユルがちょうど庭先に降り立った。
「こちらは大方、話がつきました。幸い、大きな怪我人もいません。そちらは、きちんと話せましたか?」
私たち全員の顔を見やる。
「ああ、話せたよ。ユル、ありがとうな」
ヒースがお礼を言って、
「すまなかった。そして感謝する。翼人の……」
と、ザラムが言葉に詰まるのを、ユルが引き取って自己紹介した。
「私はユルと申します。こちらはエイデンです」
「ユル殿に、エイデン殿、この度は世話になった。それから……」
黒の魔法使いは私を見た。
「グレタの弟子のフィーよ」
「はい!」
突然、呼ばれて、私はすっとんきょうな声を出した。ふっと相手は笑い、真面目な顔をした。
「この度のはからい、感謝する。数々の無礼を許してくれるか?」
「そんな、あの、私は全く……」しどろもどろになって、顔を上げる。「あの、またいつでも、お茶をしにいらしてください。ヒースと一緒に」
ザラムは、ありがとう、と微笑んだ。ヒースがこちらへ来て私の手を取った。
「フィーも、いつでも、うちに遊びに来いよ」
そして笑顔を浮かべて言った。
「本当に、色々ありがとうな」
群青色がさらに明るくなる空の下、親子は帰って行った。
かつて別々に暮らしていた彼らが、今日、同じ場所に帰れることの幸せを、私はしみじみ思った。
ほっとしたら、眠気がきて、あくびが出る。
「フィー」とユルが言う。「本当は無茶をしたことをお説教したいところですが……」
私はぎくりとする。
「今日のところはもう休んでください。もう夜明けですし」
彼はため息混じりにそう続けた。私もほっと吐息をついて、
「……うん。心配かけて悪かったわ」
と、眠い目をこすった。
「まったく、壮大な親子ゲンカに巻き込まれちまったな」
エイデンが言って、つられたように大きなあくびをした。
「俺らも帰るとするか」
「そうですね。フィー、戸締りはきちんとしてくださいね」
その日は少し寝坊をして、太陽が高くなってから起き出した。猫たちはみんなもりもりごはんを食べて、昨日のことなどすっかり忘れてしまったみたいだった。
「あんなに大きくなるなんて」
私はブチの背中をなでてやる。あれは魔法の家の力だったのか、それとも猫たちの力だったのか、魔法の苦手な私には、わからないことだらけなのだった。
「グレタのレシピ」〜一口メモ〜
「チョコレートとナッツ」:チョコレートとナッツにはリラックス効果もある。緊張している客がいたら勧めてやるよう、フィーにも言いきかせてある。




