第八章「熱を出した日」
あれから魔法の家にいくつか試しにお願いをしてみたものの、ちっとも叶えてはくれなかった。野菜を運んでほしいと頼んでも運んではくれないし、逆に、家がここから移動しなければいいなと思っていると次の日には別の場所に移っていたりする。
魔法の家の気まぐれをコントロールするすべは私にはないみたいだ。
そんなことより、畑仕事をして、花の世話もしなくては。玄関から表に出たところで立ちくらむ。今日はなぜかぼんやりして、世界がふわふわしている気がする。
玄関のポーチの柵にもたれかかっていたら、長衣を着た天使が空から降り立った。
「おはよう、ユル」
「おはようございます。フィー、こんなところで何をしてるんですか?」
「うーん、何かな…… 何かしようとしてたんだけど……」
ハシバミ色の瞳が少し心配そうに細められた。
「フィー……」
今日のユルはいつもよりいっそう色が白っぽくて、なんだかまぶしいなと思う。
その手がそっと伸びてきて、私の額に触れた。
「すごい熱です」
「え?」
「熱があります。今すぐ休んでください」
そううながされて、部屋に入ったもののふらふらする。見かねたユルに抱え上げられて二階に運ばれた。
「ユル、私一人で大丈夫……」
「大丈夫じゃありません」
ベッドに下ろされる。
「寝巻きに着替えて、おとなしく寝ていてください。今、冷やすものを持ってきます。一人でできますか?」
「で、できるわよう……」
ちょっと恥ずかしくて、よけいに熱が上がった気がする。ユルが下に行ってしまったあとで、シャツのボタンを外すけれど手がおぼつかない。こんなに簡単なことが、どうしてできないんだろう? おかしいな……
ようやく着替えて、のろのろベッドにもぐり込む。
そういえば畑でニンジンをとろうと思っていたのに…… パプリカも植えようかと思っていたし…… 花に水をやって雑草を取らないと……
考えていたらユルが上がってきた。氷水に浸した布をしぼって額にのせてくれる。氷のうも持ってきてくれた。脇の下を冷やすように言われる。
「冷たくて気持ちいい……。ありがとう……」
彼は飲み物の入ったグラスをよこした。
「甘くしたレモン水です。水分をよく取ってください。あとで何か食べられそうなものを作ります」
「……うん、どうもありがとう」
のども渇いて、痛いくらいだったから、冷たいレモン水は心地よかった。
「ゆっくり休んでください。きっと疲れが出たんでしょう」
「うん……」
やらなくちゃいけないことがたくさんあるんだけどな、と思いながらも、身体がだるくて考えることもできなくなってきた。
熱でどろどろと重たい感じのまま、いつの間にか私は眠りに落ちた。
夢の中で私は白い花を持っていた。さっきからずっと念じているけれど、何も変化がない。
庭のすみっこで、おばあさまに見つからないように練習する。今度、やってみなさい、と言われた時のために、ぱっとできるようにしておかないと……
白い花はただの白い花のままだ。どうしてほんの少しも動いてくれないのだろう。本当はこれを小鳥に変えなければならないのに、そんな段階まで届きそうもない。
これができなかったら、おばあさまにあきれられてしまうかも。そうしたら今度こそ、見捨てられてしまうかもしれない。
もっと集中しなくちゃ…… もっと頑張れば、私にだってできるはず……
白い花はゼリーみたいにぶるぶる震える。どろどろと溶けて、しぼんで、私の手からすべり落ちていく……
だめ! と私は祈るように花を握りしめるけれど、白い花はあとかたもなく消え去ってしまった。
「フィー……、フィー!」
はっと目を開けると、ユルが心配そうにのぞきこんでいた。
「うなされていましたよ。大丈夫ですか?」
彼は額の布をどけて、代わりに自分の手をのせる。まだ少し熱いですね、とつぶやく。
「いま、何時?」
「そろそろお昼です」
「ユル、仕事は?」
「今日はエイデンに代わってもらえるよう頼みました。どうしても行かなければならなくなったら行きますが……」
布をまた冷たくして額にのせてくれる。
「ごめんね…… ありがとう……」
「気にせず休んでください。レモン水を飲みますか」
「うん」
レモン水を口にして、また横になった私は、さっきよりはぼんやりしていない頭で、夢のことを思い出していた。
「あのね、夢を見ていたの。魔法ができない夢……」
ユルは私のほうを見て、ちょっと微笑んだ。
「そうですか」
「おばあさまに会えそうな気がしたけど、会えなかった。でも会えなくてよかったのかも、魔法ができないまま会っても、おばあさまもうれしくないでしょう」
「グレタは、フィーがどんなフィーでも、会えたらうれしがると思いますよ」
「そんなことない…… おばあさまはそういう人じゃないもの」
視界がぼやけて、目尻から涙がぽろぽろ落ちて耳にかかった。ユルの手が私の頭にのせられた。
「身体がつらい時に泣くのは、よけいにしんどいでしょう? 今は休んでください」
うん、と私はこぼれ落ちた涙をあちこちぬぐった。
「お粥を作ってきますね。大丈夫ですよ。きっと良くなりますから」
ユルがいなくなり、私はぼんやり天井をながめていた。
おばあさまはそういう人じゃない。私がフィーでも、フィーじゃなくても、気にしない人。私のことには興味のない人。そう思っていた。なのにどうして私をずっと弟子にしてくれていたのか、他のよくできる人を選ばなかったのか、よくわからない。
ユルが卵粥を作って持ってきてくれた。私にはパンケーキ以来のびっくりだった。
「おばあさまのレシピを見たの?」
「そうです。フィーが風邪をひいたら作ってやってほしいと書いてありました」
私は目を丸くした。
「おばあさまが、そんなことを?」
「だから、言ったでしょう。グレタはあなたを気にかけていたと。とりあえず、お粥を食べてください」
卵粥は熱くて、よく冷まさないと食べられなかったけど、だしと、ほんのりショウガが効いていて、お腹も温まって、ちょっと元気が出た。
私が食べる間に、ユルが一冊のノートを持ってきた。茶色い革張りで、表紙に「グレタのレシピ」とある。
「これがグレタに渡されたレシピです」
ごちそうさまをして、私はそれをひざの上にのせて、ページを開いた。最初にパンケーキの作り方が載っている。ユルの指がページの最後の部分を小突いた。
「フィーはパンケーキなら、どんなに元気がなくても食べる……。え、私のこと?」
私は次のページもめくった。……乳製品はリンダー家のものがよい。フィーは最近、そこの娘と仲良くなったようだ…… リズのことも書かれている。
次々にページをめくる。ところどころに付け足されたメモに、私の名前が記してある。最後まで読んだあとで、なにか込み上げてくるものを感じながら、私は顔を上げた。
「おばあさま、私のことなんて興味ないかと思ってた」
ユルは微笑んで、そばのイスに腰かけた。
「昔、フィーがなかなか目くらましの魔法が使えなくて、泣いていたことがあったでしょう?」
「え……、ユル、何でも覚えてるのね」
「覚えてますよ。あの時も、あなたはグレタに見捨てられるのではないかと怯えていました」
私も覚えている。目くらましは魔法の家を隠す時に使う、派手ではないけれど、この家で暮らすには重要な術だった。私はうまく習得することができず、何日も、何日も練習した。私は不器用だったから、何度もやるしか方法がなかった。
その間は暗闇を歩いているみたいだった。おばあさまが私に愛想を尽かして、私を見捨てたらどうしよう。その焦りが胸の辺りでもやもやとふくらんで息苦しいほどだった。
不安は夢にも表れた。私は森をひたすらさまよい歩き、魔法の家とおばあさまを捜した。そこではたと気がつくのだった。たとえ家とおばあさまを見つけても、受け入れてもらえなかったら、私に帰る場所はないのだと。
「ユルにも話を聞いてもらったよね」
まだ幼かった私は、話しているうちに泣き出してしまい、ユルはその時、ハンカチを持っていなくて、長衣のすそで涙をぬぐってくれた。
「フィーがあんまりつらそうだったので、私もどうしたらいいか、あの時、色々と考えました。それでグレタと話したんです」
「おばあさまと? どんな話?」
ユルはしばらく何か考えるように、黙っていたけれど、口を開いた。
「もしフィーのことをこれ以上、追い詰めて、苦しめるつもりなら、私がフィーを砦に連れていくと言ったんです」
「ええ!」
そんな話は初耳だった。ユルはちょっと困ったような顔で笑った。
「まあ、私も若かったので、勢いにまかせて言ってしまった部分もあるのですが……、そうしたらグレタは即答しました。『あの子はあたしの弟子だよ』と」
え、と私はわけがわからなくなった。
「それって、私が目くらましをできるようになる前? それとも後?」
「できるようになる前です。ですから……」
と、ユルはレシピのノートを取り上げて、私にレモン水のグラスを渡した。
「目くらましができようができまいが、グレタはちゃんとあなたを弟子だと思っていたんです。グレタはグレタなりに、ちゃんとあなたに愛情を持っていたんですよ」
ずっと胸の奥底で引っかかっていた何かがほどけて、それがどんどん湧き上がって、あふれてくるようだった。涙がとめどなく流れて、私はしゃくりあげ、ユルの差し出してくれたタオルで顔をおおった。
「水分を、よく取ってくださいね」
うながされて、うん、とレモン水を飲んだ。
「なんにも心配いりません。今はしっかり休んでください」
うん、と私はうなずいた。結局、熱があるのに泣きすぎて、頭が痛くなってしまったけれど、なんだかふわふわした心地で、ほっとしている自分がいた。
目くらましができるようになった時、私はあまりにうれしくて、何度も、何度も、色んなものに目くらましを試した。
そして、今回みたいに熱を出した。その時、おばあさまが作ってくれた卵粥と、レモン水の味は今でも覚えてる。
『まったく、できるようになったからって見さかいなく!』
おばあさまはぷんすか怒って、それでも、冷たいレモン水を何度も持ってきてくれた。
『よく休んで、早くよくなりな!』
はい、と幼い私は返事をして、毛布の下で、うれしくて、ふふっと笑った。
(おばあさま、私、あの時ね、目くらましができるようになって、この家にずっといられるかもしれない、おばあさまとずっと一緒にいられるかもしれないと思って、うれしかったの)
おばあさまも同じ気持ちだったかな?と思いを馳せる。
(私、早くよくなって、また猫たちや畑や花の世話をするね。だから安心してね)
熱でぼんやりした頭を抱えながら、私はいつの間にか眠りについた。
「グレタのレシピ」〜一口メモ〜
「レモン水」:フィーはよく頑張りすぎて熱を出す。よく泣くしね。そういう時は、レモン水でしっかり水分を取らせること。




