第七章「黒の魔法使いとお茶の時間」前編
手に花を持ち、頭にイメージしながら念じる。ヒースに教えてもらったやり方だが、やっぱり花はぶるぶる震えただけで、小鳥やオルゴールに変わることはなかった。私はがっくりとテーブルにうなだれ、ため息をつく。
「私にはなんにも力がないな……」
シロが膝に乗ってくる。慰めてくれているのだろうか。ありがとうね、となでてやる。トラも私の足元に寄ってきた。猫たちの体温がふんわりと温かい。
あれ、ブチはどこだろう? きょろきょろすると、珍しく窓辺から外を見ている。もう暗いのに、どうしたのだろう。
ブチが急に窓の外へ向かって威嚇し始めた。何か動物でも通り過ぎたのだろうか。そう思っていると、ブチは、だっと走り出し、階段を駆け上った。私はびっくりして、膝のシロを床に下ろして、二階へ上って行った。
「ブチ?」
ブチは二階の部屋の真ん中で立ち止まり、じっとバルコニーの外を見ている。
「どうしたの?」
ぽつんとたたずむ猫に歩み寄り、しゃがみかけて、私もバルコニーを見やる。
黒い人影、誰かいる、気づいたとたん、ばん! とバルコニーの扉が開いて、風が吹き込んできた。
「誰?」
私は怯える心をかき消すようにそう叫んだ。バルコニーからふわりと、宙に浮かぶようにして入ってきたのは、黒髪で、黒いローブを羽織った男の人。もしかして……
「私は王国の魔法使い、ザラムだ」
予感が的中する。ヒースの言っていたとおり黒ずくめだ。相手は青白い顔に険しい表情を浮かべている。
「私の弟子がここに来ているはずだ」
ブチがその人の足元でうなり声を上げた。私は急いでブチを抱き寄せた。ブチは私の腕の中でもまだ、フーッとうなっていた。
「彼はここにはいません」
「どこだ? 居場所を教えろ」
私が黙っているのを、早々に拒否ととらえたのか、
「教えた方が身のためだ」
その人は、手からバチバチと稲妻のようなものを出し始めた。
脅しだろうか。もし本気で来られたら、敵わない。でもヒースの居場所を教えるわけにもいかない。私はとっさに目を閉じて念じた。
(魔法の家! 目をつぶって三つ数えるから、黒の魔法使いを置いて、今すぐ安全な場所に移動して!)
いち、に、さん……数える間に、何! と相手の叫ぶ声が聞こえた気がした。
目を開けると、虫の音、フクロウの声、月明かり。バルコニーの戸は風に吹かれて、きいっと揺れ、私の腕から、ブチがぴょんと飛び降りた。そろそろとバルコニーをのぞいてみるけれど、私たちのほかは誰もいない。見慣れた森が広がっている。王国のはじっこの森だ。私は、ほっと吐息をついた。
虹色の光がひらめいて、びくっとするが、現れたのはあの伝書ハヤブサだった。特に手紙を持っているわけではないようだ。
「来てくれたのね」
ハヤブサは首をかしげて、羽を羽ばたかせた。
「ちょっと待ってね」
私はユルのもとへ、今さっきあったことを手紙にした。特に、ヒースに気をつけていてくれるように書いた。
夜も眠れず、温かいお湯を飲んで、部屋でうろうろしていると、窓が叩かれて、どきっとする。
「フィー、私です」
ユルとわかって、ほっとし、窓を開ける。
「大丈夫ですか?」
「私は平気。家が守ってくれたの」
彼は私の肩に手をやり、心配そうな目でじっと私の顔をのぞきこんだ。
「本当に平気よ。それよりもヒースは?」
「彼のことは、エイデンたちが警護していますから大丈夫です……」
言葉が終わらないうちに、ユルが、ふと左のほうを見た。疑問に思っていると、白いハヤブサが突然、宙に現れ、ユルの差し出した腕に止まった。それだけでも驚いたのに、
『ユル、黒の魔法使いが来やがった』
ハヤブサがエイデンの声でしゃべった。
『臨戦態勢だ』
「すぐ戻ります」
ユルが答えると、ハヤブサは再び虹色の光を放って消えた。
彼はこちらへ向き直って、真面目な顔で、ため息まじりに言った。
「そういうわけなので、来て早々ですが、私は戻らねばなりません」
私は背筋を正した。
「私も砦に行くわ」
「だめです。フィーはここにいてください」
彼は私に手のひらを向け、
「戸締りをきちんと!」
いつものように言い含め、窓から飛び立ってしまった。
何もできなくても、何かがしたい。私は部屋をうろうろする。でも、行けばきっとお荷物になる。
なんにもできない、花を小鳥に変えることもできない手、と両手のひらを見やる。教えてくれた、ヒースの嬉しそうな顔を思い出す。
何もできないかもしれない。でも、このまま放っておくなんて嫌だ。
私は目を閉じて、念じた。
(魔法の家、目をつぶって三つ数えるから、天使の砦に連れて行って!)
いち、に、さん……、目を開ける。表に木々の影が見えない。二階のバルコニーに出る。
月の輝く夜空の下、だだ広いむき出しの大地、見覚えがある。砦の周辺の砂と土の大地だ。
ふと左側を向いてびっくりする。大きな、それはもう家ぐらいに大きな、何か黒っぽいものが動いて、二つの目玉を金色に光らせている。
「邪魔をしに来たのか」
声がしたのは、その大きな生き物の上からだった。同じく黒っぽい人影が、足元をわずかに青白く光らせながら、宙に浮いていた。
私は周りをさっと見渡した。右手に砦の明かりが見え、その手前におそらく騎士団の人々が控えている。どうやら魔法の家は、黒の魔法使いと砦の間に割りこんでしまったらしい。
大きな生き物はオオカミのようだ。牙の生えた口元から舌を出し、喉の奥でざらざらした呼吸をしている。
息を呑む。どうしよう。何かしたいとは思ったけど、まさか戦いのど真ん中に乱入してしまうなんて。
私が黙っているのを、相手はまた悪いほうへ受け取ったらしい。
「邪魔だてする気なら容赦はしないぞ」
巨大なオオカミがのっそりとこちらへ近づいてきた。
私はとっさに目をつぶった。
(魔法の家、目をつぶって三つ数えるから、……助けて!)
いち、に、さん……。目を開けるが何も変わっていない。オオカミはどんどん近づいてくる。庭に一歩足を踏み入れた。
どうしよう……。私がバルコニーの手すりをぎゅっと掴んだとき、足元でみゃあと鳴き声がした。シロだった。トラもやって来た。ブチはオオカミへ向かってうなっている。
「みんな! 危ないから出てきちゃだめ……」
私が止めるのも聞かず、シロが手すりに飛び乗った。続いてトラとブチも。私は異変に気がつく。何だか三匹とも大きくなっている……?
私の疑問はすぐに確信へ変わる。三匹はバルコニーから庭へ飛び出す間にも、風船みたいにぐんぐん大きくなり、やがて巨大オオカミと同じくらい巨大になっていた。あまりのことに唖然とする。なー……、なー……、という太い鳴き声が辺りに響き渡る。
「ほほう、面白い」
黒の魔法使いはそう言って、片手を振りかざした。少し後ずさってうなっていたオオカミが、さっと前へ躍り出た。
「危ない! みんな逃げて!」
私の声はブチの、ウーッという低い鳴き声で遮られた。ブチとオオカミは睨み合っていたが、オオカミがじりじりと近づいた瞬間、ブチがシャーッという威嚇とともに、猫パンチを複数回、繰り出した。ブチは三匹の中でいちばん神経質なのだ。たぶん縄張りにオオカミのいることが許せなかったのだろう。オオカミは目にパンチをくらったのか、耳を寝かせて後ずさりし始めるが、ブチはうなりながら容赦なく両手で本気の猫パンチをお見舞いし続ける。
オオカミは目をしばたかせてさらに後退する。そのしっぽに今度はシロが、ぴょんと飛びついた。ああ、シロは遊ぶのが好きだから……。オオカミはしっぽに噛みつかれ、猫キックをお見舞いされ、身を低くして、きゃうんと鳴き、振りほどこうとして身をよじるが、その拍子に、シャーッとブチにまで飛びかかられて、三匹は団子になって、むき出しの大地の上をごろんごろん転がった。そしてトラは……! 寝そべっている……。関わる気ゼロだ。
私ははらはらしながらその光景を見ていた。止めたくてもやり方がわからない。みんなが怪我でもしたらどうしよう。
少し離れた空中で、黒の魔法使いが、やれやれというふうにかぶりを振った。何かつぶやいて、ぱっと手をかざすと、青白い光が巨大な動物たちに降り注いだ。私ははっとして、部屋に戻って一階に下り、玄関から飛び出した。
息を切らして走っていくと、むき出しの地面の真ん中に、ぽつりと小さな姿に戻った猫たちが、みゃあみゃあ鳴いている。オオカミも小さくなって黒の魔法使いのもとへ戻っていく。
「みんな!」
私はブチに駆け寄って怪我がないか調べた。頭を包み込んでなでてやる。
近づいて来る足音に、振り返って立ち上がる。黒の魔法使いがオオカミを携え、地面を歩いてきた。
「あの家はグレタのものだったな。お前はその弟子か?」
突然、おばあさまの名前が出て驚いたけれど、私は猫たちを守るように自分の後ろに隠して答えた。
「そうです。おば……グレタは私の師匠です。私はその弟子のフィーです」
「なぜ他人の問題に首を突っ込む? 魔法使い同士は争わないのが基本だと、グレタに習わなかったのか」
「それは……! 先に攻撃してきたのはあなたのほうです!」
「私が初めに尋ねた時、お前が素直にヒースの居場所を教えていればよかったのだ」
「ヒースは嫌がっています!」私はお腹の底から熱いものがこみ上げてきて、こぶしをぎゅっと握りしめた。「彼を解放してあげて!」
黒の魔法使いは吐息をついた。
「グレタはものの道理がわかる優れた魔法使いだったが、弟子は違うようだな」
その人の手から、いつかのように青白い稲妻が出て、それは彼の手の中で剣として握られた。相手は剣を片手にこちらへ近づいてくる。身体が固まって動かない。
目をつぶった時、ざっという足音とともに、風が吹き抜けた。
「ユル!」
見やると、私の前でユルが槍を構え、稲妻を受け止めていた。
ザラムはいったんユルから離れ、
「次から次へと……」
とつぶやいた。
「フィー、危ないですから、猫たちを連れて離れていてください」
ユルの言葉に、私は我に返り、ブチを抱っこして、シロとトラを追い立てるようにした。
ユルが地面を蹴って前に踏み込み、ザラムに槍を振り下ろす。稲妻の剣がそれを受ける。
ぎりぎりと互いに譲らず、仕切り直し、ユルが何段にも攻めてかかるのを、ザラムが稲妻でかわしながら身を翻す。
槍の衝撃で手を痛めたのか、ザラムの稲妻が少し弱まった。ユルが槍の刃先を相手へ突きつけた。そして言う。
「あなた、本気じゃありませんね」
「そういうお前も、その槍で私を突く気はないようだな。翼人の騎士よ」
確かに、ザラムは逃げるだけだし、ユルは相手の稲妻に槍の柄を当てるだけだった。
「本気でなくとも、先程、あの子に斬りかかったのはなぜですか?」
ユルがちょっと私のほうを見て、ザラムを睨んだ。
「彼女は一般市民です。傷つけるつもりなら許しません」
ザラムは吐息をつく。
「グレタの弟子であろう? 魔法でかわすなり、立ち向かうなりすると思ったのだ」
と、彼は槍の刃先から目を逸らさず、手首をさする。
「本人に戦う気はないようだったがな」
戦う気もなかったし、すべもなかったのだと、私は人知れず落ち込んだ。黒の魔法使いは続けた。
「しかしそれは私も同じだ。弟子を返してもらえれば、すぐにここから引き上げよう」
ユルは少し槍の角度を変えた。
「嫌だと言ったら?」
「ならば力ずくで従わせるまでだ」
オオカミが突如、飛びかかり、ユルがそちらに気を取られた瞬間に、ザラムは腕を天にかざした。たちまち空に黒雲が垂れ込めて、渦を巻き始めた。
槍の柄に噛み付いたオオカミを振り払い、ユルが私へ振り返る。
「フィー! 家に避難してください!」
彼の言葉の最中にも、黒雲に雷がとどろき始めた。
天から青白く光る稲妻が降ってきた。ユルが飛びすさってそれをよける。電気を帯びた巨大な氷の柱が地面に突き刺さった。それを皮切りに、いくつもの光る氷の柱が暗い空から降り注いだ。柱が地面をつらぬくたびに、ドオン! というものすごい音が鳴り響き、そこらじゅうが揺れ、土埃が立ち込める。
私は逃げる途中でどうにも動けなくなり、三匹の猫たちをスカートの下に隠してうずくまった。
砦のほうで騎士団の人たちがどよめき、陣形を崩しているのがわかる。
ユルが柱をよけながら私のほうへ来て、
「歩けますか?」
と大きい声で聞いた。私はうなずいて立ち上がり、ブチを抱っこする。ユルは自分の手から、どうやってか槍を中へ引っ込めて、トラとシロを抱えた。
不意に、柱の落下がぴたりと止まった。私たちは魔法の家に向かう途中で振り返った。
地面に丸い陣が青白く光っており、真ん中に誰か立っている。私はそれが誰なのか気づいて声を上げた。
「ヒース……!」
「いい加減にしろ! このくそジジイ!」
ヒースは黒の魔法使いに向けて怒鳴った。
「これ以上、関係のない人を巻き込むな!」
ザラムは両手を下ろした。稲光が弱まり、黒雲が少し薄くなった。
「師匠に向かってずいぶんな口の利き方だな。もとはと言えば、お前が逃げ出したせいでこうなっているというのに」
「それなら戻ってやるよ! 戻って魔法使いになってやる! だからみんなには手を出すな! これでいいだろ!」
「ヒース!」
そんなのだめだ。私が飛び出して行こうとするのを、ユルが手で制した。
黒の魔法使いは黒いローブを翻して、ヒースに背を向けた。
「わかっているなら帰るぞ」
ヒースは佇んだまま身体を強ばらせ、やがて黒ずくめの背中へ向かってその言葉をぶつけた。
「なんでそんなに俺にこだわるんだ? 俺が本当の息子だからか?」
私は、え? と耳を疑った。ザラムが立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「なんのことだ」
「とぼけるな! 俺が小さい頃、家に何度かこっそり来てただろ!」
二人が睨み合っているところに、遠くからエイデンが飛んできて、息を切らしながら私たちの隣に降り立った。
「おい、どうなってるんだ? 氷の塊は降ってくるし、あの坊主、急に魔法で移動しやがって……」
しっとユルが人差し指を口に当てる。
「母さんにも聞いたんだ」
ヒースの言葉を、ザラムが遮るように言う。
「だったら、なんだと言うんだ」
ザラムは表情を変えなかったが、声音が少し強くなった気がした。
「父親が息子をまともな道に導こうとするのは悪いことか」
ヒースが、はっ! と息を吐き出し、ははっと笑って顔を押さえた。ザラムが怪訝そうに眉をひそめた。
「……お前、鎌をかけたのか?」
「俺が母さんに聞いたのは」
笑いながら、でも、どこか泣いているような調子でヒースは言った。
「俺の父親はどんな人かってことだけだよ。俺に似た黒髪で、カラスみたいに真っ黒な目をしてるって、頭のいい、すごい人なんだって言ってた」
ザラムの表情が少し揺れた。何でだよ……と、ヒースはこぶしを握りしめる。
「今までずっと放ったらかしてたくせに。母さんはあんたと暮らしたいけど無理なんだと笑ってた。そして亡くなったよ。まともに会ったこともない息子を引き取って、罪滅ぼしのつもりだったのか?」
その問いかけは、相手に向けた問いかけではないようで、現に、相手がそれを拾い上げて答えることもなかった。ただ沈黙だけが横たわる。
私はヒースのもとへ歩いていった。フィー! とユルが呼んだけれど、立ち止まらなかった。
うつむいているヒースの肩にそっと手を置いて、私はザラムのほうにも顔を向けた。
「二人とも、話し合ってください。私の家をお貸ししますから」
「フィー、俺はもういいから……」
「よくないわ!」
私は力を込めてヒースへ言った。
「このままなんてよくない。いま話さなければきっと後悔するわ」
ザラムのほうへも向き直る。
「お願いです。ヒースと……息子さんと、話し合ってもらえませんか」
「私からもお願いします」
ユルがこちらへ歩み寄った。そして砦のほうを見やった。
「今回のことは、私から砦の者たちに説明しておきます。ですから、お二人はどうか家へ」
ふう、とザラムが大きくため息をついた。だめかと思ったが、
「場所を借りよう」
と、彼は魔法の家に向かって歩き、少し振り返って、
「巻き込んですまなかった。翼人の民にもそう伝えてくれ」
と付け足した。私はヒースを抱えるようにしながら、家へ彼らを案内した。




