第四章「天使の砦」後編
もっと砂埃がひどいのかと思ったけれど、砦の中は地面もきちんと固められていて、荷馬車も通れそうだった。ただ、普通の町と違って、空中のあちこちを翼を生やした人が飛び交っている。そして黄色い土壁の建物がいくつも高くそびえ立ち、人々は色んな高さにある穴から自由に出入りしているのだった。
地面を歩いていると目立つのだろう。ちらちら見られているのを感じる。でもその視線は私だけじゃなくて、私の前を歩いているエイデンにも注がれているようだった。
「嬢ちゃん、いい加減にそれ、脱いだらどうだ? もう寒くないだろう」
「あ、はい」
そうだった、と私は防寒のために着込んでいたものを脱いで腕に持った。
「やっぱり人間の娘だ」
「エイデンのやつ、どうしたんだ?」
後ろでひそひそ声がしたので振り返ると、道端にも建物の上にも天使たちが集まっていたのでぎょっとした。
「おい、お前ら、見せ物じゃねえぞ!」
エイデンが大きい声を出して、追い払うように手を振り回した。
「お客さんですか?」
人だかりの中から聞く者がある。よく見ると紋章付きの長衣を着ている人もあるから、多くは騎士団の者なのだろう。
「ああ、そうだ」
エイデンの答えにみんなざわざわし始めた。
「客だってよ、どういう客なんだ?」
「なに? どうした?」
「エイデンが人間の娘を連れてきたんだ」
「女だって」
エイデンの目つきが鋭くなっていく。咳払いをするが、騒ぎは一向に収まらない。
「この娘はユルの客だ。お前ら失礼のないようにしろよ!」
しーんとなる。その後で、わっと騒ぎがぶり返した。
「ユル? ユルって言ったか?」
「あのユルか? 氷の副団長の」
「あの娘、何者なんだ?」
ぐぬぬ、と目を閉じていたエイデンが、腕を振りかざして怒鳴った。
「いいから全員、持ち場に戻れ!」
はい! と何人かが返事をして、みんな一斉に、飛ぶなり走るなりして散っていった。
「すまないな、フィー」
「あ、いえ。天使も噂好きなんですね」
人間と変わらないなあ、と私は思った。
エイデンが近くにいた兵士にユルの所在を聞いたようだった。そして振り返ると、彼はまた私のことを抱えあげた。ひゃあ、と私は叫んだ。
「エイデンさん、私、自分で歩きますよ」
「騎士団の執務室は人間の足じゃ、簡単には登れないところにあるんだよ」
そう言ってふわりと浮かび上がる。
ツタのような模様が彫刻された、不思議な装飾の門があり、降り立つと、そこから崖の側面に空中廊下が続いている。しばらく歩いていくつかの扉を通り過ぎ、一番端にある、やはりツタの模様がほどこされた扉の前で私たちは立ち止まった。
エイデンがノックをして、どうぞ、という声に扉を開ける。前に立ちはだかるエイデンが大きいので中が見えない。
「よう、調子はどうだ」とエイデン。
「変わりありません」ユルの声だ。「それで、様子は見てきてくれましたか」
いつもより声音が硬い気がする。私は背伸びをしたが、エイデンの背中が大きくてやはり見えない。
「ばっちり見てきてやったぜ。それでな、ユル」
「はい?」
「お前にお客さんだ」
急に視界が開けて、ずいっと前に押し出された。大きなデスクに腰掛けて、書類の山に囲まれているユルが、目を丸くして私を見ていた。
「……フィー?」
「どうだ、驚いたか?」
「いったいどうやってここまで」
イスから立ち上がり、ユルは私とエイデンを交互に見やる。
「何、俺様がひとっ飛びして……」
「ひとっ飛びして? まさか、フィーを抱えてここまで飛んできたんですか?」
「お、おう、そうだが……」
ユルの厳しい口調にエイデンもたじろぐ。私も首をすくめた。
「危ないじゃないですか! 魔法の家は森の中ですよね?」
ユルはきっと魔法の家が心配なのだろう。やはり家を置いてまで来るべきではなかった。私は、しゅんとなって、正直に打ち明けた。
「ええ、家は森の中よ。目くらましをかけたけど、置いてきてしまったの。ごめんなさい」
「ということは、ここまで三十分はかかりますね。その間、ちゃんと休憩を取りながら来ましたか?」
思わぬ方向へ話が行ってしまい、うまく飲み込めない。
「休憩……?」
「取ってないんですね?」
ええと、ともごもごしているエイデンを、ユルが睨みつける。私もあたふたして、二人の間に入った。
「エイデンさんを怒らないで。私が来たいって言ったの」
「フィー、私は怒っていません。心配しているんです」
ユルは眉をひそめている。笑っていないユルは久しぶりだった。そういえば、会ったばかりの頃はいつも真面目な顔をしていたし、おばあさまと話す時も難しい顔をしていた。私にはずっと気を遣っていたのかもしれない。
きっとこっちが本当のユルで、笑顔の時は無理をしていたのだと思うと、のどの奥が、ぎゅうと苦しくなった。私は少々いじけて言った。
「私だって心配だったよ。ユルが何日も来ないんだもの」
全員が黙り込んで、しんとなった。私は思い出して顔を上げる。
「怪我は! 大丈夫なの?」
そうだ、いじけてる場合じゃなかった! ユルは具合が悪いんだ。
ああ、とユルは気づいたように、自分の肩へ手をやって、ほんの少し表情を緩めた。
「大丈夫です。まだ上手く飛べませんが、じきに治ります」
「痛い?」
「少しだけ。でも平気ですよ」
エイデン、とユルが呼びかけた。
「二人にしてもらえませんか、それと、後であなたにも話があります」
「了解」
赤い髪の頭を掻きながら、エイデンが部屋を出ていった。
きっと怒られる、謝らなくちゃ、と胸がどきどきして、私は持っていた上着をぎゅっと握りしめた。
「フィー」しかしユルは突然、私の前で深く頭を下げた。「本当にごめんなさい」
何が起きたのかわからなくて、しばらく口をきけなかった。
「お茶会の約束も守れず、連絡もしないまま心配をかけて、そのうえ長距離を飛んで移動させて、危険な目に合わせてしまいました」
ユルは頭を上げない。私は慌てた。
「どうしてユルが謝るの? ユルはなんにも悪くない。私が勝手に心配して、勝手に来ちゃったから……こちらこそごめんなさい」
私も頭を下げたので、目算を誤って、ユルと激突してしまった。二人で頭を抱える。
「……ごめん」
「いえ、大丈夫ですか? フィー」
「……平気」
目が合うと、ユルが吹き出して笑い始めた。私も笑って、笑いながら、ほっとした。ほっとしたら、ぽろぽろ涙がこぼれた。
「よかった」
私はおでこを押さえ、笑いながら泣いていた。
「フィー」
「ユルが無事でよかった。笑ってくれてよかった」
ユルが慌ててハンカチを取り出して私に握らせた。
「ユル、どうしていつもハンカチを持ってるの?」
私はぐすぐすしながらどうでもいいことを尋ねた。
「あなたがよく泣くからですよ。笑っていたかと思えば泣き出したり、忙しいからです」
「ユル」
「はい?」
「ユルって、鉄仮面の、槍使いの、氷の副騎士団長なんでしょう?」
「え」
「どうして今まで教えてくれなかったの?」
私はユルのことをなんにも知らない。
めそめそしていると、ユルは少しかがんで私と顔を合わせた。
「知りたかったですか?」
うん、と私はうなずいた。
「ユルがこんなに大変だって知ってたら、お茶会なんて、留守番なんて、パンケーキなんて、そんなにたくさんのことしてもらわなくたって、会いに来てもらわなくたって、私、もっとちゃんと一人で……」
自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきた。しばらく沈黙があって、ユルが口を開いた。
「フィー、実はね、私がしたくてそうしてるんですよ。お茶会も、留守番も、パンケーキも」
ユルは数えるように、歌うようにそう言った。私は顔を上げた。ユルはいつものように笑っていた。
「あなたと会う時は、お茶会をしてもいい。留守番で猫たちとあなたを待って、家事をして過ごしてもいい。パンケーキを作って、あなたが食べてくれるのを眺めていてもいい。そういう私でいてもいい。あなたといる時は、そういう、『ただのユル』になってもいい、特別な時間なんです」
「でも、大変じゃないの?」
ユルは静かに首を振った。本当かな、と私は不安になった。
「私に気を遣って、無理して笑ってない?」
「無理して笑っているように見えますか?」
私はちょっとユルのハシバミ色の目を見て、首を振った。彼は微笑んだ。
「いつも、楽しみなんですよ。お茶会も、楽しみにしていました。早く仕事を終わらせようと思うくらいね」
「本当に?」
「本当です」
私は泣きやんで、カバンをごそごそした。
「クッキーを持ってきたの。ジンジャークッキー」
袋を差し出すと、ユルはにこりとして、それを受け取った。
「ありがとうございます」
私はユルがクッキーを口にするのをまじまじと見つめた。ユルは一口かじって、少しむせた。
「フィー、ショウガを入れすぎです」
「え、本当に?」
私も一枚もらって、本当だ! と咳込む。
「お茶にしましょうか」
ユルが微笑んだ。すっかりいつものユルだ。
「じゃあ、エイデンさんも呼んであげよう!」
「いえ、呼ばなくていいです」
急に彼の顔から、すっと笑みが薄れた。
「え」
「人の会話を盗み聞きするような人は、呼ぶ必要ありません」
私は驚いて振り返った。扉がほんの少し開いて、赤い髪がちらりとし、その人がひょっこり顔をのぞかせた。
「へへ、バレてたか」
「バレてたかじゃありません! 恥ずかしくないんですか?」
「ユル、怖いぞ」相手は口を尖らせる。「そんな調子じゃ、またフィーの嬢ちゃんが泣いちまうだろ」
「エ、エイデンさん!」
泣いたところも見てたの? と、私は耳までかあっと熱くなり、めいっぱい怖い顔をしてみせた。
「ひどい! エイデンさんはお茶会には呼んであげません!」
「なんだよ、二人してそう怒るなよ。再会できたのは俺のおかげだろ?」
エイデンは自身を指差したが、この状況では誰も同意しなかった。
なんだかんだでエイデンも仲間に入れてあげて、お茶を飲んだ後、明るいうちに飛んだ方がいいからというユルの助言で、私は早々に家に帰ることになった。
表に出ると、門の方がざわざわ騒がしい。
「どうした?」
エイデンが飛んでいく人を呼びとめた。
「あ、エイデン! 副団長も!」その人はさっと降りてきて敬礼した。「何やらおかしな家が、突然、砦の前に現れたとのことです!」
おかしな家? まさか……。私がユルを見ると、彼も同じことを考えているように私を見返していた。
そのまさかだった。魔法の家が、砂だらけの大地の真ん中、砦の門の真ん前に、でんと構えていた。何だか、どんなもんだい、とふんぞり返っているようにも見えた。
待って! ちっとも偉くないから! どうしてよりによって出入口の真ん前なの?
私は自分が持ち主だと名乗り出るのが恥ずかしくなった。
エイデンも呆れたように家を見上げて言った。
「送る必要がなくなったようだな……」
それから数日、私は天使の砦の前で寝起きした。魔法の家を見物しに来る人もいたし、門の前じゃ、明らかに通行の邪魔で恥ずかしかったけど、良かったことは、砦の人たちとお茶をしたり、野菜や花をおすそ分けしたりして、少し仲良くなれたこと。そして、ユルの翼が治るまで、そばにいられたことだ。
「いつもとあべこべですね」
私が朝早くにユルの元を訪れて、持ってきたサンドイッチを渡すと、彼はそう言って笑った。それを目撃した人たちは、ユルが笑ったことにたいそう驚いて、今まで裏で「氷の騎士」とか呼んでいたのを、「春風の騎士」とか「花の騎士」などと呼び始めたらしいと、エイデンがにやにやしながら、私にこっそり教えてくれた。
「グレタのレシピ」〜一口メモ〜
「ジンジャークッキー」:フィーはよくショウガを入れすぎるので要注意。辛すぎた時はミルクティーと一緒に食べるか、罰ゲームとでも思って我慢すること。




