第二章「ラベンダー色のワンピース」
今日も魔法の家は森の中だ。私は早朝から畑仕事をしていた。
土を耕したあと、鍬の柄に手を置いて、ふうと吐息をつき、辺りを見渡す。ここには新しくきゅうりの苗を植えるつもりだ。
木陰には袋いっぱいのじゃがいもと、カゴに山盛りのトマト。おかしな取り合わせかもしれないけれど、この庭はどんな野菜も果物も、季節を問わずに育つ。しかも、どれもはち切れそうなくらい大きくなる上に、新鮮なまま、とても長持ちする。
もうひと頑張り、と額の汗を拭ったところで、ガタゴト何かが近づいてくる音がする。荷馬車だ。馬を操る人が手を振っていた。
「フィー、牛乳を届けに来たわよ」
近くの村のリズだ。うねりのある長いこげ茶色の髪と、勝気そうにつり上がった眉毛をしている。彼女は私を見つけると、その眉をさらにぐっとひそめた。
「おはよう、リズ」
「おはよう。……あんた、今日も畑仕事?」
「そうよ。トマトとじゃがいもがとれたの。持っていく?」
「ここのところずっと泥だらけじゃない!」
リズは馬をつなぎながら私をたしなめるように言った。
私は自分を見下ろした。確かに手も足も泥だらけ、服も汚れている。
「畑仕事だもの。仕方ないでしょう。終わったらちゃんとお風呂に入るわよ」
急に何かが飛んできて、私は、わっと叫んで目をつぶった。リズに叩かれたのかと思ったけど、そうでなくて、彼女はハンカチで私の顔をごしごし拭いてくれているらしかった。
「もうずっと家にこもりきりよね」
「こもってないわよ。こうして外に出てるじゃない」
「家の事ばかりしてるって言ってるの! ああ、もう! 洗ってらっしゃい!」
牛乳の瓶を受け取ろうとした私の手をひょいとかわして、彼女は井戸を示した。私がポンプを押して手を洗っていると、
「フィー、町に出かけましょう!」
リズが意を決したように言った。
「え、いつ?」
「今日、今すぐよ」
私は前掛けで手を拭きながら、ぽかんとし、それから視線を落とした。
「無理よ。私は家の番をしなくちゃ」
亡くなったおばあさまと約束したのだ。この家は私が守らないと……
「一生、家の番をして過ごすつもり? 少しは自分の面倒も見なさい」
リズに言われ、自分の面倒? と私は首を傾げる。何とかやっているつもりだったけど、うまくできていないのだろうか?
「ちょうどいいじゃないですか。フィー。町へ行って少し羽を伸ばしてきては?」
どこからか聞きなれた穏やかな声がした。ユルがいつの間にか玄関前のポーチから私たちをのぞきこんでいる。本当は天使だが、背中の翼を折りたたんでいるので、今はただ、紋章のついた長衣を着ている国の騎士に見えた。
「あら、ユル、おはよう」
「おはようございます」
ユルが私たちに向かってにこやかに挨拶すると、
「……お、おはようございます」
リズがなぜか小さい声でもごもご言って、私の後ろにちょっと隠れた。リズはユルがいるといつもこうなってしまう。私はそれにはかまわず、ポーチで微笑んでいるユルを見上げた。
「家が心配なの」
「それはわかりますが…… グレタがいる時だって、しょっちゅう家に目くらましをかけて出かけていたじゃないですか。心配なら、私が留守番していますよ」
私は、うーん、と考えた。確かにそろそろ市場に野菜を売りに行きたいと思っていた。生活のものも色々と必要だし。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
喜んで、とユルはかしこまったおじぎをした。リズがひゅっと息を呑んだ。
それから私は汚れた手足を洗って着替えるよう二人に促され、バスルームへ向かった。リズもそれについてきた。彼女は赤くなった頬を両手で押さえていた。
「ああ、あんまりきれいで息が止まっちゃった!」
「え、何が?」
「ユルよ! いつ会っても神秘的……」
神秘的だろうか? エプロンをつけて猫にごはんをやったりしているけど、と私は首を傾げ、顔を洗う。
「まあ、天使だからね」
「そういうことじゃないのよ!」
あ、そうか、と私は解して、
「そんなにユルが気になるなら、話してくればいいじゃない」
と勧めたが、今はまだ無理! とリズは両手で顔を覆って身もだえしていた。
リズの馬車に野菜を積ませてもらい、行ってきます! とユルと家に向かって手を振った。
リズも牛乳を町に届けるところだったらしい。荷台で瓶のぶつかり合う音が響いた。馬車がとにかくがたがた揺れて、座っていても身体のあちこちに力が入る。
森を抜け、しばらく道なりに行くと、この辺りで一番大きな町の、大きな門がそびえ立っているのが見えた。
番兵さんに挨拶し、私たちは門を無事にくぐった。馬車を決められた場所に停めたら、それぞれの品物を荷車に積み、いったん別れる。
馬車から降りたあと、何だか足元がふわふわしていた。明るいオレンジ色の屋根の間から、青い空がのぞき、速さの違う雲が、いくつも同じ方向へ滑っていく。子供たちがはしゃいで私を追い越して、笑顔の人々はざわざわと行ったり来たりし、店のあちこちで威勢のいい声が飛び交っていた。
「こんにちは、おじさん」
顔見知りの店主がいる店の前で、私は足を止めた。
「おう! フィーじゃないか! 久しぶりだな! 元気にしてたか?」
「ええ、元気よ」
そう、以前に比べれば、だいぶ元気になった。
おじさんはいつもより高値で野菜を買い取ってくれ、「うまいものでも食べて帰りな」と、私に片目をつぶって笑顔をくれた。
噴水広場でリズと落ち合う。
「どうだった?」
「おじさんがおまけしてくれたの!」
「じゃあ、ばっちり買い物できるわね」
二人でぶらぶらと石畳の通りを歩き出す。ちょっと行ったところに、リズのお気に入りの古着屋さんがあるという。私は、うんと伸びをした。
「いい天気ねえ」
「ね? 出てきて良かったでしょう?」
リズが花の歌を口ずさみ始めたので、私も一緒になって下のパートを歌った。透き通ったメロディーが私たちの髪をくすぐっては、そよ風に運ばれていった。
「ほら、あそこがお店よ」
ふいにリズが指差した。
その店は表にも色とりどりの服をたくさん吊るしていて、ラックにいくつも連ねて掛けてあるところは、カラフルな縦型のミルフィーユみたいに見えた。
こんにちはー、と挨拶しながら、リズはどんどん店の奥に入っていく。カラフルなミルフィーユが壁のように続いている。
私はきょろきょろ辺りを見渡し、こんなにたくさんある中からどうやって選ぶのかしら、と呆気にとられた。
「あら、リズ、いらっしゃい。お友達?」
カウンターらしき場所から、小柄なメガネの男の人が私たちへ顔を向けた。ベストをかっちり着て、メジャーを首にかけている。今は何か書類の整理をしていたようだ。
「そうなの、ジャン、この子の服を選びに来たんだけど」
リズにぽんと背中を押され、えっ! と私は声を上げた。
どれどれ、とジャンさんは私に近づいてきて、「ちょっと失礼」と言うと、メジャーでささっと私の身体の周りをあちこち測った。
「奥から二番目の列を見てごらんなさい。気に入ったものがあったら試着してみて」
「わかった。行きましょ」
リズに引っ張られるけれど、私は急いで引っ張り返して、彼女に耳打ちした。
「私、服はいらないの。てっきりあなたが見たいのかと思って」
「いいじゃない、ちょっと見るだけよ。行くわよ!」
結局、また引っ張り返されてしまった。
奥から二列目も他の場所と変わりないように見えた。とにかく服が多すぎる。ただ、眺めているうちに気づいたのだけれど、どうやら服はみな種類や色ごとに分けてあって、奥から二列目というのは、だいたい私の身体の大きさに合ったものを置いているらしかった。
「こんなのはどう?」
リズが赤地に模様の入ったドレスを私へかざしてきた。リズには似合いそうだったけど、私が着たら、服の色に負けてしまいそうだった。うーん、とリズもうなって、その服を元に戻す。
「フィーは何色が好きなの」
「私は……」
服を買いに来たわけじゃないの、と言いかけて、グラデーションになっている服の連なりをそっとなぞっていく。緑、水色、青、藍色、紫……薄いラベンダーの色。
(きれいな色)
少し引き出してみると、ワンピースだった。ラベンダー色の生地に、白い糸で刺繍がしてある。
「それ、きれいね」
後ろからリズがそっとささやいた。
「ちょっと当ててみなさいよ」
「でも……」
「ちょっとだけだから!」
ほらほら、と鏡の前に追いやられる。胸元にも袖にもスカートの部分にも、たっぷり刺繍がしてあって、何よりラベンダーの色が、ぼんやりした髪色の私にも合っているようだった。
「フィー! 似合うよ! ちょっと着てみて!」
「だけど……」
「薄い亜麻色の髪、色白の肌、明るい海色の瞳、そしてラベンダーブルーのワンピース」
ぶつぶついう声に振り返ると、ジャンさんがメガネを光らせていた。
「色合いは合ってるわ! あとはフォルムよ! 着てみなさい!」
二人の迫るような圧力を感じて、はい……と私は試着室に入った。
「ど、どう? おかしくないかな?」
私が出ていくと少しの間があいて、二人が一気に話し始めた。
「良い! すごく良いよ! フィー! かわいい!」
「抜群に似合ってるわね……。まるであなたに着られるのを待ってたみたいじゃない?」
確かに、自分で言うのも何だけれど、ワンピース自体はただ下げてあった時よりかわいく見えた。そして私自身も、いつもより顔色が良い気がする。鏡の自分を見て、気恥ずかしさと、妙な高揚感が同時に湧き上がってくる。それから少し不安にもなった。こんなにきれいな服を私が着てもいいのだろうか?
リズが私の後ろに来て、ワンピースの値札をつまんだ。
「ジャン、でもこのワンピース、お値段がかわいくないんだけど」
どれ? とジャンさんも確かめた。
「8000マリね。仕方ないでしょ、総刺繍なのよ」
「3000マリ以下にしてよ」
「ダメよ。まけにまけて6000マリ」
「3500!」
「ぎりぎりで5000!」
「高い! 3800!」
「4800、これ以上はまけられないわ」
「4000!」
二人は半ば怒鳴り合うようにしている。私は値引き交渉というものを見たことがなかったので、おろおろして目が回ってきた。
「ふ、二人とも、ケンカしないで! 私、買わないから!」
「買わない?」
リズが目をむく。私はこぶしをぎゅっと握りしめた。声が震える。
「買わないわ! ……たとえいくらになったとしても。こんなにきれいなワンピース、私にはもったいないもの。畑仕事をしたら汚してしまうし、どうせ、家の番をするだけだし、私には必要ない……」
「1000、いや、500マリよ!」
急に大きな声でジャンさんがさえぎった。
「どう、500マリなら買えるでしょう?」
「え……」
ジャンさんは、ずいっと私の前に来てまくし立てた。
「もったいない? 必要ない? どうせ、ですって? よく聞きなさい、お嬢ちゃん! この世にオシャレしちゃいけない人なんていないし、オシャレが必要ない人なんていないのよ! あんたはこのワンピースを買うの! なぜなら、あんたはこのワンピースを気に入っているし、ワンピースはあんたに着られたがってるから! 理由はそれだけで充分! この世にそれ以上の何があるっていうの? おわかり? お返事は!」
「……はい」
どうして私は怒られているのだろう…… と思いつつ、つい返事をしてしまう。
「このワンピースを着て、自分を磨いて、外見も中身も、本当にこのワンピースの似合うレディになりなさい! いいわね?」
「は、はい!」
「わかればよろしい! 包んであげるからいったん脱ぎなさい。お手入れの仕方も教えてあげるから」
くるりと踵を返して、ジャンさんはカウンターに戻ってしまった。
「フィー、すごい。値切りの天才じゃない」
ひそひそ声でリズが言う。私は今さら泣きそうになってきた。
「そんなつもりじゃなかったのよう……」
「でもさ、ジャンの言う通りだよ。そのワンピース、あつらえたみたいにフィーにぴったりだもん。買わないなんて、ありえないよ」
ジャンさんはさっきまで怒っていたのが嘘のように、丁寧にラベンダー色のワンピースを畳んで、薄紙で包んでくれた。
「いい? 間違ってもごしごし洗っちゃだめよ。洗剤を溶かしたぬるま湯の中で、優しく押し洗いするの」
シミがついた時や、ほつれた時の対処も簡単に教えてくれ、私たちを出口まで見送ってくれた。そして本当に500マリしか受け取らなかった。
「ジャンさん、何から何まで、どうもありがとうございました」
手にした包みの柔らかさに、ワンピースが自分のものになったという実感がようやく湧いてきて、私はぺこりと頭を下げた。
「またいらっしゃいね。ワンピース、もったいないなんて言ってないで、ちゃんと着るのよ!」
帰り道、荷馬車で家まで送ってもらいながら、膝の上の包みがほんのり温かな気がして、私もほんわか明るく温かい気持ちになった。
「リズ」
「うん?」
「今日はどうもありがとう」
「いいのよ」
と、手綱を握りながら彼女は笑う。私は包みを見下ろした。
「ワンピース、大事にするね。もちろん、しまってないでちゃんと着るからね! そしたらまた一緒に町へ行こうね」
「喜んで、お嬢様。あ!」
突然、彼女は大きい声を上げ、私に顔を近づけた。
「ユルには見せちゃだめよ!」
「どうして?」
「どうしても! 何が何でも!」
「わ、わかったから、ちゃんと前を見て!」
荷馬車がガタンゴトンと大きく揺れて、少しの緊張が走った。それをやり過ごしたあとで、私たちはくすくす笑い合い、どちらからともなく、花の歌を歌い始めて、魔法の家に着くまで、二人で繰り返し合唱したのだった。
「グレタのレシピ」〜一口メモ〜
「乳製品について」:牛乳、クリーム、チーズ。乳製品はリンダー家のものがよい。フィーは最近、そこの娘と仲良くなったようだ。




