シルビア編「エピソード・オブ・クリムゾンブルー Part⑥」
ルビィという名。
エリシオン城で過ごした日々。
兄クラウスの優しい声。
トーマの穏やかな笑顔。
庭園の花。
訓練場の木剣。
王女として愛されていた記憶。
それらはすべて、炎に焼かれ、氷に閉ざされた。
だから少女は、自分で名をつけた。
シルビア。
それが、新しい彼女の名だった。
それから、5年の月日が流れた。
22歳。引き締まった体とグラマラスなプロポーション。ほどよく焼けた肌と整った顔立ち。
真紅の長かった髪は短く切られ、鮮やかな紫の瞳を輝かせる。
殺られる前に殺るという荒々しい戦闘スタイルに合わせた、身軽な軽装鎧。
そして、腰の両脇に携えた紅と蒼の剣。
シルビアは己の力を振り回すかのように、世界各地を旅していた。
町から町へ。
街道から荒野へ。
時には森を抜け、時には山を越え、時には港町で数日だけ身を休める。
生きるために、何でもした。
ギルドに登録し、魔物退治の任務を受けた。護衛依頼も受け、金払いのいい討伐任務には喜んで飛びついた。
時には、盗賊も襲った。もっとも、シルビアに言わせれば、それは襲撃ではない。
「盗賊から奪ってなにが悪いんだよ。元々そいつらが奪ったもんだろ」
そう言って、彼女は悪びれもせず金貨袋を腰に下げた。
いつも盗賊たちは、彼女を見るなり笑った。
女ひとり。しかもこの容姿なら尚更だ。だから油断する。
そして、次の瞬間には地面に転がる。相手が何人いようが、関係なかった。
「次に人様の荷を狙ったら、今度は服まで剥ぐぞ」
シルビアは倒れた盗賊の頭を踏みつけ、吐き捨てるように言う。
盗賊たちは震え上がり、何度も頷いた。
荒っぽくて口も悪い。おまけに礼儀も知らない。
けれど不思議なことに、シルビアは弱者から奪うことはしなかった。子供や老人が困っていれば、面倒くさそうにしながらも助けた。金を持っていなさそうな村からは報酬を受け取らず、飯だけでいいと言って去ったこともある。
本人は、それを優しさだとは思っていない。
「気に食わないからやっただけだ」
いつも、そう言った。
それでも、彼女が去った後には、助けられた者たちの感謝だけが残った。
エクシーガ。
エリシオン王国有数の大都市で、商業、工房、冒険者ギルドが集まる活気ある街。
その日、シルビアはこの街のギルドを訪れていた。
「討伐任務を終えたよ。早く報酬を寄越しな」
受付の机に、魔物の角を無造作に置く。
それを見た受付嬢が目を丸くした。
「こ、これは……南の街道を荒らしていたグレイオーガの角ですね」
「そうさね。なかなか面倒な相手だった」
「単独で討伐されたのですか?」
「他に誰かいるように見えるかい?」
シルビアは瞼をわずかに落として不機嫌そうに返す。
受付嬢は慌てて書類を確認し、報酬袋を差し出した。
「こちらが報酬です」
「ふっ、悪くないね」
金貨の重みを確かめ、シルビアは口元を緩めた。
ギルド内は静けさを知らない。依頼を探す者、酒を飲む者、仲間を募る者。その多くが、シルビアへ視線を向けている。
整った顔立ちと、色気のある容姿。そして腰に差した二本の美しい剣。
荒々しい口調と粗暴さに反して、立ち姿には妙な気品がある。
目立つなというほうが無理だった。
「よう、姉ちゃん。ひとりか?」
声をかけてきたのは、鎧を着た男戦士だった。
仲間らしき男たちが後ろでにやにやしている。
「あ? 見りゃわかるだろ」
「なら俺たちと組まねぇか? 腕には自信があるぜ」
「興味ないね」
「つれないこと言うなよ。美人がひとりでいると、危ないぜ?」
男が馴れ馴れしく手を伸ばす。
その瞬間、シルビアの鋭い眼光が閃いた。
「触るな」
肌に刺さるような低い声。
次の瞬間、男の手首のすぐ横を、蒼い刃が通り過ぎていた。いつ抜いたのか、周囲の者には見えなかった。
男の頬に、一筋の汗が流れる。
「次は当てる」
シルビアは冷たく言った。
「まだ口説くか?」
「……い、いや」
「なら失せな」
男たちは顔を青くして退散していった。
周囲から小さな笑いが漏れる。シルビアは面倒くさそうに舌打ちした。
「どいつもこいつも、うるさいねぇったく」
そう言いながら、空いた席に腰を下ろす。
酒を注文し、報酬袋の中身を覗き込んでいた。
その時、ギルドの入口が開き、ひとりの男が入ってきた。槍を肩に担いだ、軽薄そうな笑み。
受付嬢と親しげに言葉を交わし、周囲の冒険者からも声をかけられている。
シルビアはグラスの酒を口に含みながら、男のほうへ視線を移し、わずかに目を細める。
「ん?」
一瞬、テーブルに立てかけた双竜剣が、微かに脈を打った。
「お前たち、あの男が気になるのかい?」
ただの軽い男ではない。
肩の力は抜けていて、隙があるようにも見える。
けれど、足運びが違う。槍を担ぐ腕に無駄がない。相手の視線や気配を、何気ない顔で拾っている。
「ま、このギルドも結構マシな奴がいるもんだね」
シルビアの興味はそこで終わった。
それでいい。強い奴は、いつかまたどこかで会う。
なぜかそんな気がした。
男は受付嬢と軽口を交わし、依頼書を受け取ると、すぐにギルドを出ていった。
「忙しないねぇ」
シルビアは頬杖をつきながら小さく笑う。
その笑みは、どこか楽しげだった。
それからも、シルビアの旅は続いた。
道中立ちはだかるモンスターは片っ端から斬り伏せ、時には賊を叩き潰し、ある時は酒場で喧嘩を売られて返り討ちにした。
誰かに仕えるわけでもない。自分の剣と、己の力だけで生きる。
それが、シルビアという女の生き方だった。
時折、不思議な夢を見た。
蒸気と煙沸く鈍色の城。
花の咲く庭園。
剣と盾を持つ青年。
本を抱えた優しい少年。
誰なのかはわからない。
目が覚めると、胸の奥に妙な痛みだけが残った。
「はぁ……くだらん」
そう吐き捨てて、また旅支度を整える。
思い出せないものに縋るくらいなら、前を向いた方がいい。過去が空っぽなら、今の自分で埋めればいい。
そうやって、彼女は生きてきた。
ある日、シルビアはアルファード領の港町ラフェスタへ訪れる。
波が奏でるメロディに誘われる潮の匂い。
漁船の周りで忙しなく動く、威勢のいい漁師たちの声。
市場に並ぶ魚と果物。
遠くに見える水平線と、コバルトブルーに輝く海。
「へぇ、悪くない町だねぇ」
シルビアは双竜剣を腰に下げ、港の通りを歩く。
見上げた丘には、白塗りの民家が建ち並んでおり、陽光に反射した眩しさが目を刺激する。
「さてと、とりあえず腹ごしらえだな」
彼女は腹を摩りながら、宿場通りにある飯処へ向かった。
扉を開けると、酒と魚料理の匂いが漂ってくる。
客たちの笑い声。
シルビアはカウンターの端の席へ歩き、椅子に腰を下ろした。
「強い酒と、食えるもんを適当に」
「はいよ」
店主が頷く。
シルビアは剣を壁に立てかけながら店内を見渡した。
旅人や漁師、冒険者。
その中に、ひと際目立つ騒がしい一団がいた。
大人と子供が混ざった面々。
どこか異質な空気をまとった者たち。
「……ん、あの槍使いどこかで。それに、あのデカい剣を持った剣士……?」
シルビアは目を細める。
その時だった——
「海賊だ! 海賊が攻めて来たぞっ!!」
その一言で、賑やかだった店内の空気が一転する。
一斉に騒ぎ立てながら店を出て行く人たち。
「へぇ。退屈しのぎに丁度いいのが来たね」
シルビアは口元を上げて、双竜剣を腰に装着する。
そして逃げ惑う群衆に紛れて店の外へ姿を消した。




