シルビア編「エピソード・オブ・クリムゾンブルー Part④」
侵入者の痕跡は、城の外へ続いていた。
視界に映る、焦げた草と凍りついた石畳。
火と氷の魔力が混ざった、異様な跡。
双竜剣の力だ。
完全に制御できていないのか、あるいは封じ切れていないのか。
とにかく、これにより追跡は難しくなかった。
ルビィは夜の城下を駆け抜ける。
月明かりの下、工業都市の煙突群が黒い影を落としていた。
やがて痕跡は、街の外へと続く古い道へと入っていく。
「こんな場所に……」
エリシオン城から離れた郊外。草木の少ない荒地の奥。
そこには、使われなくなった古代遺跡があった。
かつて旧文明の工房だったとも、竜を祀る祭壇だったとも言われている場所。
朽ちた外壁や石畳には苔が生え、蔦に覆われた、半ば崩れた石柱だけが残っている。
火と氷の痕跡は、その遺跡の奥へ続いていた。
ルビィは腰の鞘から二本の剣を抜く。
「いるんでしょう」
震えを押し殺した声が、遺跡の中に響いた。
「出てきなさい!」
返事はない。代わりに、奥から小さな拍手の音が聞こえてくる。
そして徐々に、闇の中からひとりの男が現れた。
「見事だ。王女にしては、追跡の勘が鋭い」
肌にまとわりつくような湿った声。
その姿は黒いローブを纏い、顔の半分を仮面で覆っていた。
両手には、ゆらめく紅と静なる蒼の剣が握られている。
「返して」
鋭い視線を突き付ける、ルビィの声は低かった。
「それは、エリシオンのものよ」
「エリシオンのもの?」
男は鼻で笑う。
「違うな。これは竜の遺産だ。お前たち人間が、炉と槌で形を歪めたに過ぎない」
「そのために兄様を傷つけたの?」
「邪魔をしたからだ」
「許さない!」
ルビィの顔がひきつり、額に血管が浮き出る。
柄を握る手に力がこもり、一気に踏み込んだ。
二本の剣が風を切って走る。
右から斬り込み、左で追撃。さらに体を沈め、足元を狙う。
だが、男は容易くかわした。
「速いな。しかし、まだ軽い」
「っ!」
男がブルーアイシスを振るう。
蒼氷の剣閃とともに冷気が刃から走り、地面を凍らせた。
ルビィは横へ跳んで避ける。
直後、クリムゾンゼストの炎が追ってきた。
「くっ!」
炎と氷。
相反する力が、男の手の中で不完全ながらも振るわれている。
ルビィは双剣で炎を受け流そうとする。だが、熱量が違いすぎた。
剣越しに伝う振動と熱さが、手に強い痺れを残す。
「なんて力……!」
「お前には無理だ。竜の力は、人間の小娘程度で敵う代物ではない」
男の言葉と同時に、氷の刃が飛ぶ。
ルビィは片方を弾き、もう片方を避ける。
しかし、地面の氷に足を取られた。
「しまっ——」
男が駆け、目前へ迫る。
クリムゾンゼストが夜空に紅く輝いた。
「終わりだ」
振り下ろされる炎の斬撃。
ルビィは咄嗟に両手の剣を交差させて受けた。
衝撃が全身を貫き、体が後方へ吹き飛ぶ。
「きゃあっ!」
石柱に背中を打ちつけ、息が詰まった。
体中を走る痛み。熱さと寒さが、同時に肌を刺す。
炎と氷の余波が、体の感覚を狂わせていた。
ルビィは震える手で剣を握り直す。
立たなければ。あの剣を取り戻さなければ。兄を傷つけた相手を止めなければ。
けれど、膝が笑っている。
「どうした。守られるだけの王女が、少し剣を覚えた程度で戦士になったつもりか」
男がゆっくり近づいてくる。
「違う……」
「違わない。お前は城の中で守られてきた花だ。嵐を知らぬ花は、剣を持っても花でしかない」
「違う!」
ルビィは吐き捨てるように叫び、再び斬りかかった。
だが、男は今度もかわす。
ブルーアイシスの冷気が、彼女の右腕をかすめた。
腕が凍てつき、動きが鈍る。
「ぐっ……!」
さらにクリムゾンゼストの炎が左肩を焼いた。
「ああっ!」
ルビィは思わず膝をついてしまう。
勝てない。その事実が、胸に重くのしかかった。
クラウスの言葉が蘇る。
——追うな。
トーマの言葉が蘇る。
——君が行くべきじゃない。
やはり、自分は無謀だったのか。
兄たちの言う通り、ここに来るべきではなかったのか。
男が冷徹な瞳を据えたまま、剣を構える。
「終わりだ、か弱き王女」
紅と蒼が同時に輝く。
炎と氷が混ざり合い、歪な魔力となって男の周囲に渦巻いた。
ルビィは金縛りにあったかのように、体が硬直して動けない。
それは恐怖からか。悔しさからか。痛みからか。
いや違う。それ以上に、自分が許せなかったからだ。
何もできずに震えていた幼き自分。
兄に守られて泣いていた自分。
そして今もまた、奪われるだけで終わろうとしている自分。
「いや……」
ルビィは小さく呟いた。
「もう、嫌……!」
その時だった。
耳の奥に、囁かれる音。
——来い。
「……え?」
声ではない。言葉でもない。
けれど、確かに呼ばれた。
紅と蒼の光が、男の手の中で激しく震え始める。
「なんだ……?」
男が眉間を吊り上げる。
右手の紅が、熱き怒号の如き炎を噴いた。
左手の蒼が、凍てつく波動の如き冷気を放った。
二本の剣は男の手を拒むように暴れ、刃から竜の咆哮にも似た音が轟く。
「ぐっ……! 静まれ!」
男が必死に柄を握って抑え込む。
しかし、剣の震えは止まらない。
ルビィは、目を見張りながら顔を上げた。
呼んでいる。二本の剣が。火と氷の竜が。
自分を。
胸の奥で、あの日からずっと眠っていた感覚が目を覚ます。
2年前、初めて見た時。保管庫で目を離せなかった時。
クラウスが触れられなかった剣を、それでもなぜか気にしてしまった理由。
今ならわかる。あれは、憧れではなかった。
呼ばれていたのだ。
「返して……」
ルビィの体から靄が立ち込め、闘気が湧き上がる。
傷だらけの足は震え、火傷と凍傷の腕も痛む。
それでも、瞳には炎と氷の竜の姿が映っていた。
「その剣は——」
紅と蒼の光の筋が、彼女へ向かって伸びる。
「わたしを、呼んでいる」
双竜剣が、男の手から弾けるように離れた。
紅剣クリムゾンゼスト。
蒼剣ブルーアイシス。
相対の双剣は宙を舞い、まるで主を見つけた竜のように、ルビィのもとへ飛んできた。
彼女は手を伸ばす。
右手に、炎。
左手に、氷。
その柄を掴んだ瞬間、世界が赤と青に染まった。




