シルビア編「エピソード・オブ・クリムゾンブルー Part③」
双竜剣が完成してから、2年の月日が流れた。
クリムゾンゼスト。
ブルーアイシス。
火竜の鱗から作られた深紅の剣と、氷竜の鱗から作られた蒼氷の剣。
エリシオン王国の工業技術の粋を集めて鍛えられた二振りは、完成当初こそ国中の注目を集めた。
だがその力はあまりにも強すぎて、扱うのが容易ではない。ただそこにあるだけで周囲の温度を歪ませた。
クリムゾンゼストの周囲では空気が熱を帯び、ブルーアイシスの周囲では霜が降りる。
両双を近づければ、火と氷の魔力が反発し、保管庫全体の魔力計測器が異常値を示した。
そのため、双竜剣は禁忌の武器として、エリシオン城地下の特別保管庫に封じられることとなる。
幾重にも施された防護結界。魔力遮断の合金扉。
王族と工房長、一部の近衛騎士だけが立ち入りを許された空間。
その奥で、二振りの剣は眠り続けていた。
——誰にも扱われぬまま。
「やはり、駄目か」
特別保管庫の中で、クラウスが静かに呟いた。
すでに22歳となった彼は、2年前よりさらに精悍な顔つきになっていた。
王太子としての威厳と、騎士としての実力。その両方を備えたエリシオンの誇り。だが今、その額には薄い汗が浮かんでいた。
目の前には、透明な結界の中に収められた双竜剣がある。
二振りは、まるで互いを拒絶しながらも、同時に引かれ合うように静かな光を放っていた。
「兄様……」
少し離れた位置で、ルビィが不安そうに見つめていた。
17歳になった彼女は、もうかつての幼い王女ではない。体つきは少し大人びてしなやかに成長し、訓練場では兵士を軽く圧倒するほどの二刀剣士となっていた。
それでも、兄クラウスに対する尊敬は変わらない。その兄が、剣に手を伸ばしている。
だが——届かない。
クラウスの指先が結界を越え、クリムゾンゼストの柄へ近づいた瞬間、剣が激しく赤く輝いた。
「っ……!」
炎が弾ける。
クラウスの手を焼こうとするかのように、熱風が吹き荒れた。
「兄様!」
「下がっていろ!」
クラウスは短く言い、今度はブルーアイシスへ手を伸ばす。
しかし、結果は同じだった。
蒼い冷気が走る。クラウスの指先に、瞬時に霜が浮かんだ。
「くっ……!」
クラウスは慌てて手を引いた。
手袋の表面が凍り、そこから白い煙が上がっている。
工房長が神妙な顔と重い声で告げた。
「やはり、剣が拒絶しています」
「拒絶……」
「はい。物理的に触れられないわけではありません。しかし、剣の魔力が触れる者を拒んでいる。無理に握れば、肉体だけでなく魔力回路まで焼かれるか、凍りつく危険があります」
「俺でも、無理か」
「クラウス殿下で無理ならば、現時点で扱える者はおそらく存在しないでしょう」
クラウスは微かに震える拳を握る。
悔しさはあった。だが、無謀に挑む愚かさも知っている。
「……わかった。これ以上はやめておく」
ルビィは、結界の中の双竜剣を見つめた。
2年前、初めて見た時と同じように、胸の奥がざわついて震える。
気になる。どうしても、目が離せない。
けれど、クラウスですら触れられない剣だ。自分が手を伸ばすなど、考えるべきではない。
「ルビィ」
クラウスの声に、彼女は我に返る。
「はい、兄様」
「あの剣に不用意に近づくな。お前が興味を持っていることは知っている」
「……顔に、出ていた?」
「昔からな」
クラウスは口元だけで少し笑った。
「だが、あれは危険だ。今はまだ、誰の手にも余る」
「わかってる。兄様が無理なら、わたしなんてもっと無理」
「そう決めつける必要はない。ただ、時を待つべきだ」
時を待つ。
その言葉の意味を、ルビィは深く考えなかった。
この時は、まだ。
事件が起きたのは、それから数日後の夜だった。
虫の音だけが囁く、深い静寂に包まれたエリシオン城。
工房区画の炉もほとんどが落とされ、城内の灯りも最小限になっている。
夜警の兵たちが規則正しく巡回し、地下特別保管庫も厳重に守られていた。
そのはずだった。
——轟音。
城の地下から、凄まじい爆発音が響いた。
「なに!?」
軽装鎧に身を包んだまま自室にいたルビィは、思わず窓辺から身を乗り出した。
直後、城内に警鐘が鳴り響く。
非常事態。
しかも、音の方向は地下保管庫。
ルビィの脳裏に、紅と蒼の剣が浮かんだ。
「まさか……!」
彼女は壁に掛けていた鈍色の二刀を掴む。
訓練用ではない、実戦用に調整された専用の双剣。
急いで腰に納刀し、そのまま部屋を飛び出した。
廊下では、兵士たちが慌ただしく走っている。
「ルビィ様! お部屋へお戻りください!」
「地下でなにがあったの!?」
「わかりません! 侵入者が——」
「どいて!」
制止を振り切り、ルビィは地下へ向かった。
階段を下りるにつれて、焦げた匂いと冷気が混ざった異様な空気が漂ってくる。
保管庫へ続く通路には、倒れた兵士たちの姿があった。
命はある。だが、意識を失っていた。
「ひどい……」
さらに奥へ進む。
そして、保管庫の扉の前で、ルビィは息を呑んだ。
合金扉は激しく破壊されていた。防護結界の残滓が、火花のように宙を漂っている。
庫の囲いの中央で、クラウスが倒れていた。
「兄様っ!!」
ルビィは足早に駆け寄って、クラウスを抱きかかえる。
彼の胸元には深い傷があり、肩から腕にかけて火傷と凍傷が同時に広がっていた。
「兄様! しっかりして!」
「……ルビィ、か」
クラウスはゆっくりと薄く目を開けた。
弱って擦れた声。
「なにがあったの!?」
「侵入者だ……黒いローブの男……双竜剣を、奪っていった」
「双竜剣を……!?」
ルビィは保管庫の奥を見る。
収められていた透明の結界は消え、中は空っぽだった。
クリムゾンゼストも、ブルーアイシスもない。
「止めようとした。だが……剣が、奴には反応しなかった。いや、違う……奴は、なにかで剣の力を抑え込んでいた」
「そんな……」
クラウスは震えながらもルビィの腕を掴む。
弱々しいが、伝わる力は必死だった。
「追うな」
「え?」
「奴は危険だ。俺でも止められなかった。お前が行くな」
「でも!」
「ルビィ!」
クラウスが珍しく声を荒げた。
「お前まで失うわけにはいかない……!」
その言葉に、ルビィの胸が締めつけられる。
兄は、自分を守ろうとしている。
あの日、庭園でモンスターから助けてくれた時と同じように。
けれど——ルビィは、もうあの時の12歳の少女ではない。
「ごめんなさい、兄様」
彼女はクラウスの手をそっと外す。
「わたし、もう守られているだけじゃ嫌なの」
「ルビィ……!」
彼の声を背に、ルビィは走り出した。
「ルビィ!」
地下階段を駆け上がったところで、今度はトーマが現れた。
寝間着の上に上着を羽織っただけの姿。彼も騒ぎを聞きつけて来たのだろう。
「兄様がやられた! 双竜剣が盗まれたの!」
「なんだって……!?」
「犯人を追う!」
「待って!」
トーマはルビィの腕を掴んだ。
「君が行く必要はない。近衛を動かす。父上にも報告して、城門を封鎖すれば——」
「それじゃ間に合わない!」
「ルビィ!」
「兄様が止められなかった相手なのよ!? 普通の兵じゃ追いつけない!」
トーマは顔を歪ませて唇を噛む。
「だからこそ、君が行くべきじゃない」
「トーマ兄様……」
「君まで傷ついたら、兄上がどれだけ苦しむかわかるだろう?」
「わかってる」
ルビィはトーマの手をそっと振りほどいた。
「でも、わたしも苦しいの。兄様が倒れて、双竜剣が奪われて、それでもなにもできずに待っているなんて、もう無理!」
トーマは言葉を失った。
胸に手を当てながら訴えるルビィの瞳は、涙を浮かべて揺れていた。
恐怖もある。怒りもある。
でもそれ以上に、止まらない意思があった。
「必ず戻る」
「ルビィ……!」
「お願い、兄様の手当てをして」
そう言い残し、ルビィは城門へ向かって走っていった。




