シルビア編「エピソード・オブ・クリムゾンブルー Part②」
3年の月日が流れた。
15歳になったルビィは、かつての幼い王女とは少し違っていた。
花の世話をすることも、甘い菓子を好むことも変わらない。
だが、訓練場で双の剣を構える姿には、確かな剣士の気配が宿っていた。
「はあっ!」
気合のこもった声とともに左右の剣が連続して走る。
その太刀筋をクラウスは正眼で見定め、素早く盾で受ける。
一撃目。二撃目。三撃目。
ルビィは足を止めない。
横へ回り込み、低く沈み、そこから跳ねるように斬り上げる。
「いい動きだ」
クラウスが盾で受けながら言う。
「でも、まだ!」
眉間に力をこめ、ルビィはさらに踏み込む。
右の剣を囮に、左の剣で盾の隙間を狙った流れるような剣捌き。
クラウスはわずかに目を細め、剣で受けた。
「惜しい」
「また防がれた!」
ルビィは悔しげに歯を強く噛みしめる。
だが、その表情には生き生きとした輝きがあった。
「もう一本!」
「今日はここまでだ」
「えーっ」
「体力が残っていても、集中は切れている。無理をすれば癖が崩れる」
「兄様は相変わらず厳しい」
「お前が相変わらず負けず嫌いなだけだ」
クラウスは盾をそっと下ろし、微笑む。
「でも、強くなったな」
「ほんと?」
「ああ。少なくとも、城の並の兵士では相手にならない」
「やったぁ!」
ルビィは両手の剣を空に掲げながら、子供のように笑った。
その笑顔は、3年前と変わらない。だが、手に握る鈍色の剣はもう飾りではなかった。
クラウスはふと、少しだけ真剣な顔になる。
「ルビィ」
「なに?」
「二刀流は、お前に合っている」
「えっ」
「ただし、忘れるな。攻めの強さは、守る意思があってこそ意味を持つ」
「うん。わかってる」
ルビィは陽光が跳ねて瞬く双の剣を、胸の前で交差させる。
「わたしは、誰かを傷つけるために剣を持つんじゃない。誰かを守るために、前へ出る」
「ならばいい」
クラウスは口角を上げて満足そうに頷いた。
その時、訓練場へトーマが慌てた様子で駆け込んでくる。
普段は落ち着いている彼にしては、珍しく息を切らしていた。
「兄上! ルビィ!」
「トーマ、どうした?」
「工房区画で、すごいものが見つかったんだ。いや、見つかったというより、運び込まれたというべきか……」
ルビィは眉をひそめて首を傾げる。
「すごいもの?」
「竜の鱗だよ」
「竜……?」
トーマは目に力をこめ、興奮を隠せない様子で続けた。
「火竜と氷竜。その鱗が、それぞれ発見されたんだ」
クラウスの表情が引き締まる。
「本物か?」
「工房長が確認した。間違いないって」
「なぜ、そのようなものが」
「詳しい経緯はまだ調査中だけど、北方の凍土と南方の火山帯、それぞれの古い遺跡から回収されたらしい。どちらも長い間、封印された保管庫に眠っていたみたいだ」
ルビィは思わず目を輝かせた。
「竜の鱗って、武器にできるの?」
「普通は無理だよ。硬すぎるし、魔力の反発が強すぎる。でも、我が国の工房なら……もしかしたら」
トーマの声には、技術者に近い高揚があった。
「火と氷。相反する属性の竜鱗。その両方が同時に見つかった。これは偶然とは思えない」
「父上は?」
「すでに工房長たちと協議している。武具への加工を試みるそうだ」
ルビィの胸が、不思議と高鳴った。
火竜と氷竜。
相反する二つの鱗。二つの力。
携えた双の剣を持つ自分の手が、なぜか熱を帯びたように感じた。
エリシオン城の工房区画。
そこは、城の中でも最も熱と音に満ちた場所だった。
特殊な合金で施された防壁。蒸気を漏らしながら吠える、室内に張り巡らされた配管。炉の炎が赤々と燃え、巨大な歯車がゆっくりと回っていた。
職人たちが金属を打ち、技術者たちが魔力測定器を覗き込んでいる。
その中心に、二枚の竜鱗が置かれていた。
一枚は、紅く燃えるような鱗。
触れずとも熱を感じるほどの魔力を放っている。
もう一枚は、蒼く凍てついた鱗。
周囲の空気を冷やし、表面には薄い霜が浮かんでいる。
ルビィはクラウスとトーマとともに、工房長の許可を得てその様子を見学していた。
「すごい……」
辺りを払う異様な雰囲気に思わず息を呑む。
ただの素材という言葉では済まされない。そこにあるだけで、空気が変わるような感覚。
工房長は白髭を撫でながら言った。
「竜の鱗は、通常の金属とはまるで違います。削るだけでも一苦労。だが、魔力伝導率は桁違いです」
「武器にできるのですか?」
クラウスが神妙な面持ちで問う。
「理論上は。ただし、一本の武器に両方を混ぜるのは危険です。火と氷が反発し、使用者を巻き込んで暴発しかねません」
「では、別々に?」
「はい」
工房長は二枚の設計図を広げた。
「火竜の鱗からは、炎を宿す剣。氷竜の鱗からは、冷気を宿す剣。それぞれ一振りずつ作ります」
「二本の剣……」
ルビィは小さく呟いた。
トーマが彼女の横顔を覗く。
「気になる?」
「うん。なんだか……呼ばれてるみたい」
自分でも、何を言っているのかと可笑しく思う言葉。
けれど、ルビィにはそう感じられた。
紅い鱗と蒼い鱗。
二つの力が、こちらを見ているような気がしたのだ。
工房長は職人たちへ指示を出す。
炉の温度が上げられ、魔力制御装置が起動する。
竜鱗は普通の火では溶けない。
エリシオン独自の高熱炉と魔力共鳴装置を使い、少しずつ加工していく必要があった。
最初に、火竜の鱗が炉へ入れられる。
炎が激しく膨れ上がり、工房全体が赤く染まった。
「温度上昇、限界値に近い!」
配管が悲鳴を上げ、蒸気が激しく噴出する。
「魔力流入を三割落とせ! 鱗の反発を抑えろ!」
「炉壁、持ちます!」
職人たちの大声が飛び交う。
火竜の鱗は暴れるように紅く輝いていた。まるで、形を変えられることを拒んでいるかのように。
やがて、工房長が槌を振るう。
赤熱した鱗片を、特殊合金の芯材へ打ち込む。
火花が舞った。普通の火花ではない。
小さな炎の花のように、空中で閃き弾けて消える。
次に、氷竜の鱗。
こちらは炉に入れた瞬間、逆に炎を凍らせるような冷気を放った。
「炉内温度、急低下!」
計器の針が、忙しなく動く。
「冷却ではない、氷結反応だ! 魔力波形を変えろ!」
「凍結防止結界、展開!」
炉の周囲に蒼い結界が張られる。
職人たちの額には汗と霜が同時に浮かんでいた。
氷竜の鱗もまた、容易には形を変えない。
それでも、エリシオンの技術は竜鱗を少しずつ剣へと近づけていった。
加工作業は何日もかかった。
炉の火は絶えず、職人たちは交代で作業を続けている。
トーマは何度も工房へ通い、数値や工程を記録した。
クラウスは安全管理のために工房の警備を強化。自身も可能な限り現場へ赴いている。
そしてルビィも、何度となくそこへ足を運んだ。まるで何かに引き寄せられるように。
やがて、完成の日が訪れる。
工房中央の台に、二本の剣が並べられた。
一振りは、深紅の刃を持つ剣。
刃の中で、炎が静かに揺らいでいるように見える。
名は、クリムゾンゼスト。
もう一振りは、蒼氷の刃を持つ剣。
触れれば凍りつきそうな冷気を放ち、刃の奥には氷晶の光が閉じ込められている。
名は、ブルーアイシス。
火竜の剣と、氷竜の剣。
後に”双竜剣”と呼ばれる二振りだった。
「これが……」
その姿に、思わずルビィは呼吸を忘れた。
取り憑かれたかのように見惚れてしまうほどの、美しさ。けれど、それ以上に恐ろしい。
剣でありながら、脈を打って生きているようだった。
工房長は慎重な声で言う。
「完成はしました。しかし、扱える者がいるかどうかは別問題です。火竜と氷竜、どちらの力も極めて強い。適性のない者が握れば、魔力に焼かれるか、凍らされる危険があります」
「ならば、保管庫へ?」
クラウスが問う。
「当面は、その判断が妥当でしょう」
ルビィは何も言わなかった。
ただ、二本の剣から目が離せなかった。
クリムゾンゼスト。
ブルーアイシス。
紅と蒼。火と氷。
二つの竜の力。
その時のルビィはまだ知らない。
この剣が、自分の運命を大きく変えることを。
王女ルビィとしての日々が、いつまでも続くわけではないことを。
”双竜剣”は静かに光を放っていた。
まるで何か……己の力を解き放つ者を待っているかのように。




