アクシオ編「エピソード・オブ・ドラゴンランサー Part②」
エクシーガの冒険者ギルドは、今日も変わらず騒がしかった。
依頼を探す者。報酬を受け取る者。酒場代わりに集まって、朝から大声で笑う者。
その中を、アクシオは槍を肩に担いで歩いていた。
「アクシオさん」
受付嬢が、彼の姿を見るなり声をかけてくる。
「ローグ邸の護衛任務、正式に達成扱いになりました。依頼主から、追加報酬も預かっています」
「お、気前がいいな。さすが大富豪」
「それだけ感謝していたということです。娘さんを無事に助けたんですから」
受付嬢はそう言って、少しだけ表情を和らげた。
「それにしても……空を跳んだ、という話は本当なんですか?」
「んー、まあな」
アクシオは後頭部を掻きながら、曖昧に笑う。
「跳んだっていうか、なんだろ、自分でもよくわかんねぇんだよ」
「はぁ」
「届きたいところまでジャンプしたら、届いたって感じか」
言いながら、アクシオは自分の足元を見る。あの夜の感覚は、まだ体に残っていた。
屋根の上から届くはずのない高さへ。リリアの叫びに手を伸ばした瞬間、確かに何かが開いた。
「……天を翔ける脚か」
アクシオは小さく呟いた。
「なにか言いました?」
「いや。なんでもねぇ」
受付嬢が首を傾げる。
アクシオは報酬袋を受け取ると、それを軽く手の中で弾ませた。
「しばらく、エクシーガを離れる」
「えっ?」
受付嬢の目が丸くなる。
「急ですね」
「急でもねぇさ。前から思ってたんだよ。俺はこの街じゃそこそこやれてる。でも、それが世界でどれだけ通用するのかは、正直わからん」
アクシオはふとギルドの掲示板へ視線を向ける。
そこには、近隣の魔物退治や護衛依頼が所狭しと貼られている。どれも、彼にとっては馴染みのある仕事だった。
だが、あの夜。空を駆けた瞬間、胸の奥で何かが変わった。
「だから、この力を試してみたい」
「危険ですよ」
「わかってる」
「アクシオさんは、すぐ無茶をします」
「否定はしねぇな」
「そこは否定してください」
受付嬢は呆れたようにため息をついた。
それでも、止めることはしなかった。
「……帰ってきますよね?」
「ああ。俺の故郷はここだからな」
アクシオは軽く手を上げる。
「ちょっと世界を見てくるだけだ」
そう言って、彼はギルドの扉を押し開けた。
大都市エクシーガの空は、今日も高く広がっている。その先に何があるのか。今のアクシオには、まだわからなかった。
ただ、足は自然と前へ向いていた。
旅立ちから幾日か経ったある日のこと。アクシオはアルファード領の港町ラフェスタへ辿り着いていた。
爽やかな風が運んでくる潮の匂いと、港に並ぶ漁船。市場に積まれた魚の箱。それらを担ぐ威勢のいい掛け声。
初めて訪れる町の空気に、アクシオは軽く口笛を鳴らす。
「やっぱり港町ってのはいいな」
だが町全体に、微かな違和感を覚えるような活気の無さを感じた。
市場は賑わっているようでも、海の男たちの表情はどこか暗い。
「最近はあいつのせいで、観光もさっぱりだな」
「ああ。海獣ログノスキュラだろ?」
「昨日も一隻やられたらしいぞ」
通りすがりに聞こえた会話に、アクシオは足を止める。
「ログノスキュラ……?」
どこかで聞いたような名だ。
アクシオは近くにいた漁師へ声をかける。
「なぁ、そのログノスキュラってのは?」
「旅の兄ちゃんか。知らねぇのか? おとぎ話にも出てくる伝説の海獣だよ。なぜか、ここから北東にある流水の洞窟へ向かう船だけを狙うんだ。おかげで観光客がめっきり減っちまった」
「あぁ、なんか聞いたことある名だと思ったら、実在していたとはねぇ。そいつを倒せば、町は助かるってわけか」
「簡単に言うなよ。あれは普通の魔物じゃねぇ。船ごと海へ引きずり込まれる」
「なるほどな」
アクシオは海へ視線を向けた。
広い水面の向こうに、何かが潜んでいる。そう考えると、自然と口元が上がった。
「船を一隻貸してくれ」
「はぁ!?」
「海に出て、そいつを探す」
「やめとけ。死ぬぞ」
「大丈夫。俺はそう簡単には死なねぇよ」
漁師は呆れたようにアクシオを見た。
だが、彼の目が本気だとわかると、やがて深いため息をつく。
「……古い小舟ならある。だが、無茶だけはするな」
「ありがとよ」
「本当に行くのか?」
「そのつもりだ」
アクシオは軽く笑う。
「ただ、その前に腹ごしらえだな。戦うにも、まず飯だ」
そう言って、港近くの酒場へ向かう。
酒場で、アクシオは後に大きな渦に巻き込まれる出会いを果たす。
別世界から迷い込んだ少年、陸徒と弟の空也。そして、波美。アルファード王女のシェリルと老賢者クレスタ。
この世界の運命を大きく動かす、プリウスの魔石の存在。
流水の洞窟で海獣ログノスキュラと戦い。海賊の襲撃。はじめは小さなきっかけだったが、アクシオは彼らと行動をともにするようになった。
魔石を求める旅。
守護獣との戦い。
数々の出会い。
だが、その旅の果てに待っていたのは、勝利だけではなかった。
——スカイライン。
天高くそびえる塔で、アクシオたちは圧倒的な力と対峙した。
魔族復活を先導する者——バサラ。
その存在は、これまで戦ってきたどんな魔物とも、どんな強敵とも違っていた。
波美の瀕死。喬介の消失。
怒り狂ったアクシオは槍を振るう。
間合いを詰め、全力の一撃を叩き込もうとする。
だが、届かない。技も。勢いも、すべて。
まるで子供の遊びのように、容易くいなされた。
「ぐっ……!」
振り下ろされるバサラの手刀。
全身に走る斬撃。アクシオは息を詰まらせる。
愛用の槍を破壊された。それでも立とうとした。
だが、目の前の相手は遠すぎた。
自分の力が、世界でどれだけ通用するのか。その答えを、嫌というほど突きつけられた。
屈辱と己の未熟さを痛感する中、アクシオの意識は——そこで途絶えた。
どれだけ時間が経ったのだろう。
アクシオはゆっくりと瞼を上げた。
視界に映ったのは、見慣れぬテントの中。
「アクシオさん、目が覚めたのですね!」
そこへ、シェリルの安堵した顔が飛び込んできた。
「……シェリル、ここは?」
「我が軍の駐屯地です」
「駐屯地……そっか。俺たち、負けたのか」
「……はい」
アクシオの言葉に、シェリルは力なく表情を曇らせた。
「波美は無事なのか!? 他の、みんなは」
アクシオははっとして首を動かす。
自分が寝ているベッドの隣では、波美が目を閉じたまま横たわっていた。
「波美さんは、命に別状はありません。ですが——」
「あいつの、兄貴は……」
思い出すだけで、後悔という感情だけが駆け巡る。
あの時、俺がもっと強ければ……。
だが、アクシオの心の中ではひとつの決意があった。
「くっ、こうしちゃいられねぇ。シェリル、紙と筆を持ってきてくれ」
シェリルはわずかに眉をひそめるも、言われるままそれを持ってきた。
アクシオはそそくさと筆を走らせる。
「シェリル、こいつを陸徒が戻ってきたら渡してくれないか」
「……アクシオさん?」
「……ちと、修行の旅に出てくる」
「いけません、まだお体の治療が——」
「こんだけ回復すりゃ十分だ。シェリル、ありがとな」
引き止めたい気持ちはある。だがアクシオの瞳の奥に映る想いに気づいたシェリルは、それ以上言葉にすることはなかった。
「大丈夫。今度会った時は、こんな情けねぇ姿なんて、見せはしないさ」
アクシオはにやりと、無理に作ったような軽い笑みを見せる。
そしてゆっくりとした足取りで、駐屯地を去っていった。




