第90話 美味しくないかもだけど、なんとか食べて!
「って! ぼーっと見てる場合じゃないって!」
幸い、すべての蛾がクワガタになったわけじゃなかった。
サビーがばっさり斬った死骸や、ラセンの魔法で刻まれた死骸は、そのまま地面に転がっている。
数は、さっきよりも少ない。
「とにかく、逃げよう!」
まんぷく号の引き手をつかむ。
けれど、それをサビーが止めた。
「いや、逃げるのは無理だ。追いつかれちまう」
「けど、このままじゃ……」
すると、ラセンが杖を掲げた。
そして落ち着いた声で呪文を唱え始める。
「大地の加護よ、拒絶の輝きを以て、戦場に不落の聖域を展開せよ! テラ・サンクチュアリ!」
両手で握った杖を、勢いよく地面へ突き立てた。
その先から透明な光の波紋が広がり、私たちを包み込んでいく。
これって、ルルさんの家で見たやつ!?
ラセンが私に向かって叫ぶ。
「結界を張っている間に、サビーにバフのご飯を食べさせて!」
「わかった!」
荷台に回り込み、急いでかまどに火を入れる。
「この状況で、サビーに何を食べさせれば……?」
戸棚を開け、使えそうな食材を必死に探す。
そのとき、頭上で何かがぶつかる鈍い音がした。
直後、あたりがすっと薄暗くなる。
無意識に顔を上げる。
そして、再び言葉を失った。
何匹ものクワガタが、ラセンの張った結界にびっしりと群がっていた。
その黒い大群が、光を遮っていたのだ。
無言のまま、戸棚へ視線を戻す。
今は、ラセンの結界魔法を信じるしかない。
バフおにぎりはまだある。
ダゴシアをまぶして、もう一度跳躍力を上げるとして。
あとは、手狩栗が残ってたはず。
けど、生のままだ。今から茹でて間に合うか。
考えていても仕方ない。
ぐつぐつと沸いた鍋に塩を溶かし、手狩栗を放り込む。
「サビー! これ、今のうちに食べて!」
棚に残っていたクスイルの焼き菓子と、おにぎりをサビーに渡す。
そのとき、頭上からぴしり、と嫌な音がした。
「茉歩瑠ちゃん、魔力が切れそう! 白ラムネを!」
戸棚からストックの白ラムネを取り出し、ラセンのもとへ走る。
両手で杖を握ったまま口を開けているラセンに、白ラムネを数粒放り込む。
ラセンがぽりぽりとかみ砕く。
「ありがとう!」
「足りなくなったらまた言って!」
まんぷく号に戻り、茹でていた手狩栗を鍋から引き上げて、ひとつに箸を刺す。
よし、火は通ってる。
急いでお皿に盛り、呪文を唱える。
「レーナ! クーシ! イオ!」
ピンクの光がぱっと弾ける。
ただ茹でただけの、料理と呼ぶにはあまりにも雑なそれを、サビーに差し出す。
「ごめん、美味しくないかもだけど、なんとか食べて!」
「まかせろ!」
サビーは手狩栗を数粒まとめて口に放り込み、勢いよく頬張る。
「これはこれで、素朴でうまいぜ!」
こんなときによく感想言ってられるな。
けど、おいしいならよかった。
「茉歩瑠ちゃん! 魔力が!」
「あー、はいはい!」
ラセンに駆け寄り、白ラムネを食べさせながらサビーを振り返る。
「サビー! 行けそう?」
「ああ。ばっちりみなぎってるぜ! 試してみるか!」
サビーは結界の外へ飛び出すと、 そのまま近くにいた一匹へ斬りかかる。
ギンッ! と甲高い音が響き、ぼとりと地面に落ちた。
けれど、すぐに結界の中へ戻ってくる。
「倒せるけど、硬すぎるな。手がじんじんするぜ」
これだけバフをかけてもだめなの!?
いや、だめじゃない。倒せてはいる。
でも、一匹ずつじゃ時間がかかりすぎる。
ラセンに目をやると、杖を握る手が小さく震えていた。
額には汗がにじみ、呼吸も少し荒い。
いくら白ラムネで魔力を回復できるとはいえ、このままだとラセンがもたない。




