第56話 まんぷく号
月の道が、穏やかな海面に揺れている。
それを見下ろす断崖の縁に、ひとりの少女が腰を下ろし、足をぱたぱたと揺らしていた。
「茉歩瑠、今度はお船に乗るんだ……」
少女は立ち上がると、ためらいもなく崖から足を踏み出す。
けれど、その体は落ちない。
そこに地面があるかのように、そのまま空中を歩いていく。
「新しいおもちゃができたんだけどぉ」
その言葉に応えるように、足元の海を巨大な魚影がゆっくりと旋回する。
「……茉歩瑠が死んじゃったら、あのおいしいごはんが食べられなくなっちゃうなー。だけど、おもちゃがお船と戦うところは見たいし……」
少女は口元に指を当てて、困ったように首をかしげた。
「ねぇ! お船は壊れちゃってもいいけど、茉歩瑠たちは壊しちゃだめだからね!」
魚影は、少女の言葉を理解したかのように、大きく潮を吹く。
「楽しみだなー」
◇
「おまたせーっ!」
石畳の上をがらがらと荷車を引いて、船着き場で待つ二人のもとへ急ぐ。
二人の後ろには、巨大な船体がそびえていた。
「うわぁ……でっかいなー」
三階建ての建物くらいはありそうな大きな船。
遠くから見たときも大きいと思ってたけど、目の前にすると、さらにその大きさが際立つ。
私はぽかんと口を開けたまま、船体を見上げた。
荷物を抱えた乗客たちが、次々とタラップを上がっていく。
大きな荷物はロープと滑車で吊り上げられ、甲板へと下ろされていく。
「どこを改造したんだ?」
サビーは船よりも、どうやら荷車のほうが気になるらしい。
私も見てほしかったから、その反応はちょっと嬉しい。
「へへー。見て! ここからお湯が出るの!」
にっこにこで、水のコックの横に増設してもらったお湯のコックを指さす。
「それで、ここにシャワーヘッドを付けると、シャワーになるの! あとね――」
屋根の梁の一部を、ぱたんと持ち上げる。
「ここに目隠しの布を固定できるの。そうすると、簡易シャワー室になるんだよ。前みたいに無理やり引っかけるわけじゃないから、布が落ちる心配もなし!」
「す、すごい!」
ラセンが目をきらきらさせる。
「お湯が出て、体も洗える。もうこれ、荷車っていうより別モンだな」
サビーが半ばあきれたように言う。
わかる。私も同じように思ってた。
「そうなの。だから、これからはこの荷車を〝まんぷく号〟って呼ぼうかなって」
料理もできるし、シャワーもある。ここまできたら、半分家みたいなものだよね。
「まんぷく号か。いいんじゃないか?」
「まんぷく……号? 亭、じゃなくて?」
案の定、ラセンはきょとんと首をかしげる。
「まんぷく亭はパーティー名。この荷車は、まんぷく号。全然違うでしょ? わかった?」
「う、うん。何となく……」
「はい、ラセンも納得したということで、乗船しよう!」
改めて、まんぷく号を見る。
買ったときは単なる荷車だった。けれど今は、もうただの荷車じゃない。
そう思うと、まんぷく号がなんだか誇らしげに、輝いて見えた。




