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第9話 大工房長など引き受けた覚えはない

魔王城の地下深くに位置する大工房。



 そこは、地下を流れる火山脈から直接引き込まれた熱気が常に渦巻く、巨大なすり鉢状の空間だった。硫黄の匂いと、微かな鉄の香りが混ざり合った独特の空気が漂っている。



 その片隅で、ゲンは貸し与えられた炉の前に立ち、火の加減をじっと見つめていた。ふいごの操作感を確かめながら、この設備が持つ圧倒的な火力と安定性に、職人として静かな高揚感を覚えていた。



 そこへ、数人の側近を従えたルヴィアが視察に訪れた。



「昨日の治具の成果、改めて見事であった。頭の固い古参の職人たちも、お前の腕を認めざるを得ないだろう」



 ルヴィアの鷹揚な声に、ゲンはふいごから手を離すことなく、面倒くさそうに答えた。



「当然だ。素人でも失敗しねぇ道具の基本を教えただけだからな」



「そこで、正式に頼みがある」



 ルヴィアは背筋を伸ばし、真剣な眼差しでゲンの背中を見据えた。



「お前を、我が魔王軍の『大工房長』に命じたい。全軍の武具の生産、修理、品質管理における全権をお前に委ねる」



 全軍の装備を統括する最高責任者。滅びかけているとはいえ、一軍のトップに等しい破格の待遇であり、本来ならば平伏して受けるべき名誉だ。



 だが、ゲンは火かき棒を無造作に置き、振り返って即答した。



「断る」



「……即答だな」



「当たり前だ。俺はただの町場の鍛冶屋だぞ。軍隊の肩書きなんて面倒なもん、背負い込めるか」



 すると、ゲンの背後からリュシアが身を乗り出してきた。



「そうです! ゲンさんはそういう偉そうな役職に縛られるのが一番嫌いなんです!」



 リュシアはルヴィアをキッと睨みつける。



「それに、そんな大層な地位に就いて部下がいっぱいできたら、私が……えっと、私が命懸けで採ってきた素材を吟味する時間がなくなっちゃうじゃないですか! 断固反対です!」



 相変わらずの素直になれない言い回しだが、その根底には「ゲンが軍の重役になり、組織の人間が増えれば、ただの助手である自分は不要になるのではないか」という焦りが透けて見えた。



 ゲンはリュシアの頭を軽く小突いた。



「いてっ」



「勝手に代弁すんな。だが、こいつの言う通りだ」



 ゲンはルヴィアに向き直る。



「俺はあの武器庫のゴミの山を見るに見かねて、直すと言っただけだ。俺が直したいから直す。あんたらの軍の責任者なんぞ、引き受けた覚えはねぇよ」



 そのぶっきらぼうな物言いに、ルヴィアの後ろに控えていた側近たちが「無礼な!」と色めき立った。



 だが、ルヴィアは彼らを片手で制し、ふっと微笑んだ。



「……強情な男だ。しかし、無理強いはすまい。正式な任命は保留としよう」



「ああ。そうしてくれ」



「ただし」



 ルヴィアの瞳に、王としての鋭い光が宿った。



「お前が欠陥品と判断した武具については、生産も出撃も止めてよい。必要と判断した炉、素材、設備も使え。少なくとも大工房の現場において、その裁量は私が保証する」



「おい。肩書きを断った人間に、勝手に権限だけ押しつけるな」



「ならば使わなければよい」



 ルヴィアは悪びれもせず答えた。



「もっとも、お前が目の前の欠陥品を放置できる男ならば、私は最初から頼んでおらぬがな」



「……食えねぇ女だな」



 ゲンは苦々しく吐き捨てた。



 ルヴィアは満足げに笑う。



「正式任命はしない。お前はお前の意志で炉を使え。それでよかろう」



「肩書きは受けねぇからな」



「承知した」



「あと、現場の連中が勝手に妙な呼び方をしても、俺は知らんぞ」



「それも承知した」



 妙に楽しげなルヴィアの返事に、ゲンは嫌な予感を覚えたが、それ以上は何も言わなかった。



 数時間後。



 大工房を出て中庭の修練場付近を通りがかったゲンとリュシアは、出撃準備を進める下級兵の小隊に出くわした。



 重苦しい空気が漂っている。彼らは皆、死地に赴く前の悲壮感を纏っており、その装備は昨日見た武器庫の惨状をそのまま引きずり出したような惨憺たるものだった。



 ゲンが歩みを止めたのは、一人の若い獣人兵が、胸当ての革鎧を必死に弄っているのを見たからだ。



 兵士は、革鎧の側面を繋ぐ留め具の金具が折れてしまっているため、ボロボロの麻紐で無理やり縛り合わせようとしていた。だが、少し体を捻るだけで紐が緩み、胸当てが大きくズレてしまう。



「くそっ、これじゃあ走った瞬間に鎧が落ちちまう……」



 獣人兵は絶望的な顔で呟いた。胸当てがズレれば、致命となる急所が丸出しになる。それは戦場では確実な死を意味していた。



「おい」



 ゲンが声をかけると、兵士はビクッと肩を震わせた。



「その折れた留め具、見せてみろ」



 ゲンは怯える兵士の手から、真っ二つに割れた金属製の留め具を受け取った。破断した断面を指の腹でなぞり、わずかに舌打ちをする。



「……呆れたモンだ。なんでこんな負荷のかかる所に、無駄に魔力伝導率の高い合金を使ってやがる」



「えっ? あ、あの、それは……魔力を通しやすい素材の方が、防御の魔法付与が乗りやすいからだと、支給された時に……」



「馬鹿野郎。魔法が乗るかどうか以前の問題だ」



 ゲンは折れた留め具を足元に放り捨てた。



「留め具ってのは、動くたびに引っ張られる力――引張応力がかかる場所だ。硬くて魔力を通しやすい金属は、往々にして脆い。必要なのは硬さじゃねぇ、引っ張られても折れない『粘り』だ」



「ね、粘り……?」



「ああ。こんなもん、ちょっと力んだだけで弾け飛ぶに決まってる」



 ゲンは腰の工具袋から携帯用の小さな金床とハンマーを取り出すと、近くの廃材置き場から、使い古されて捨てられていた粗末な鉄――炭素が少なく、柔らかいが靭性に優れた軟鉄の端材を拾い上げた。



 そして、修練場の隅で小さな火鉢を借り、端材を軽く熱する。



 カン、カン、というリズミカルな高い音が響き始めた。



 ゲンはハンマーの丸い側を使い、軟鉄の端材を叩いて伸ばし、滑らかなカーブを持った留め具の形へとあっという間に成形していく。



「力が一点に集中するから折れるんだ。こうやって緩やかなアールを付けておけば、引っ張られた時の応力が全体に逃げる」



 水にジュッと漬けて冷やし、出来上がったばかりの留め具を兵士に放り投げた。



「付けてみろ」



 兵士はまだ熱を帯びている留め具を、革鎧の帯にカチリとはめ込んだ。



 そして、恐る恐る体を捻り、腕を大きく振り回してみる。



「あっ……!」



 今までは少し動いただけでズレていた胸当てが、体にぴったりと張り付いたまま、どれだけ激しく動いても外れる気配がない。柔らかい軟鉄が兵士の動きに合わせて僅かにしなり、力を逃がしているのだ。



「す、すげぇ……! これなら走れます! 思い切り戦えます!」



 獣人兵の顔に、パッと希望の光が差した。死を覚悟していた目に、生きて帰れるかもしれないという力が宿る。



「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!」



 深く頭を下げる兵士を残し、ゲンはハンマーを片付けて歩き出した。



「やりましたね、ゲンさん!」



 リュシアが、少しだけ誇らしげな声で背後からついてくる。



 ゲンは無言のまま大工房へと続く石段を見下ろし、頭をガシガシと掻いた。



「……おい、リュシア」



「はい?」



「さっき、大工房長なんざ引き受けねぇって言ったな」



「言いましたね。肩書きなんて面倒なだけです」



「ああ。肩書きはどうでもいい」



 ゲンは振り返り、先ほどの獣人兵を見た。



 新しい留め具の付いた胸当てを何度も確かめながら、仲間たちの列へ戻っていく。その足取りは、先ほどまでとは明らかに違っていた。



「……だが、ルヴィアが寄越すって言った現場の権限は使わせてもらう」



「えっ」



「炉も、素材も、武器庫のゴミ山もだ。欠陥品を見つけたら、誰の許可も待たず止める」



 ゲンの目は、職人としての静かな熱に燃えていた。



「あの出撃前の兵士たちのふざけた装備も、全部俺が直してやる。あんな欠陥品を持たせて戦場に送り出すなんざ、職人の風上にも置けねぇからな」



「……それ、結局やってることは大工房長じゃないですか?」



「違ぇ」



「どこがです?」



「肩書きがねぇ」



「そこだけ!?」



 リュシアの声が、地下へ続く石段に響いた。



 軍の責任者になる気はない。



 正式な肩書きも受けていない。



 だが、道具の不具合で死んでいく命を、目の前で放置できるほど冷淡でもない。



 名ばかりの役職は拒絶したまま、山奥から来たただの鍛冶屋は、滅びかけた魔王軍の装備を根底から作り変えるべく、ついに本格的な改善への一歩を踏み出したのだった。

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