第8話 剣より先に、砥石と治具を作る
「誰が剣なんて打つと言った。俺が最初に作るのは、もっと地味なもんだ」
その宣言通り、ゲンが魔王城の地下大工房で最初に着手したのは、剣の鍛造ではなかった。
彼はガルドたち古参職人が不審げに見守る中、巨大な火山炉に火を入れることすらせず、工房の隅に積まれていた不要な石材と木材の山を漁り始めた。
「おい、小僧。何をしているつもりだ?」
ガルドが眉をひそめ、腕を組む。
「石の選別だ。こいつは目が粗すぎる。こっちは……まあ、中砥ぎには使えるか」
ゲンは適当な石を見つけると、それを作業台に運び、表面を平らに削り出し始めた。さらに、木材を切り出して奇妙な形の枠組み――斜めに傾斜がついた溝のある木枠――を手際よく組み立てていく。
その様子を見ていた武闘派幹部のザガンが、苛立たしげに床を蹴った。
「おいガルド、この人間は何をしているのだ? 我々は前線で敵の聖剣を打ち砕くための『最強の剣』を求めているのだぞ。木遊びなどしている暇があるのか!」
「分からん……。魔法付与の儀式にも見えんし、ただの木枠と石ころではないか」
幹部たちの失望と侮蔑の視線が突き刺さる。だが、ゲンは意に介さない。
彼はただ黙々と、複数の石の表面を平らに整え、木枠をいくつも複製していった。リュシアだけが、ゲンの意図を測りかねつつも、彼が要求する木材を文句を言いながら運んでいる。
「できましたけど……ゲンさん、本当にこれでいいんですか? 魔力反応なんて欠片もない、ただの木と石ですよ」
「ああ、上等だ。これで下準備はできた」
数時間後。ゲンの作業台の上には、平らな石と、奇妙な角度のついた木枠が数十個並んでいた。
「なんだ、これは」
ザガンが忌々しげに見下ろす。
「砥石と、刃角を固定するための治具だ。リュシア、外にたむろしてる下級兵を適当に見繕って連れてこい。一番ボロボロの剣を持ってる奴がいい」
翌朝、魔王城の修練場。
ザガンやガルドたちが見守る中、数人の下級兵が戸惑いながら整列していた。彼らの手には、刃こぼれし、赤錆の浮いた支給品の長剣が握られている。魔王軍の中でも魔力が弱く、使い捨ての歩兵として扱われている者たちだ。
ゲンは彼らの前に、昨日作った木枠(治具)と砥石を並べた。
「いいか、よく見ろ」
ゲンは最前列にいた怯えた様子の獣人の兵士から、ボロボロの剣を受け取った。そして、木枠の溝に刃の背をカチリとはめ込む。
「この木枠に剣を当てれば、刃の角度が勝手に『最適な寝かせ具合』に固定される。あとはこの石の上で、前後に滑らせるだけだ」
シャッ、シャッ、という小気味よい音が響く。
石の表面にわずかな水を垂らし、刃を滑らせる。すると、研ぎ汁と呼ばれる泥が発生し、赤錆に覆われていた鉄の表面が削られ、鈍い銀色の地金が顔を出した。
「これなら、鍛冶の技術がねぇ素人でも、刃角を狂わせずに研げる。力はいらねぇ。溝に沿って滑らせろ」
ゲンは獣人の兵士に治具と砥石を渡し、やらせてみた。
最初は恐る恐るだった兵士も、木枠のガイドに沿って前後に動かすだけで、ボロボロだった刃先がみるみるうちに鋭さを取り戻していくことに目を見張った。
「よし、そのくらいでいい。そこの巻き藁を斬ってみろ」
ゲンが顎でしゃくった先には、人間の胴体ほどの太さがある、硬く編み込まれた修練用の巻き藁があった。
獣人の兵士が、自身の研ぎ上げたばかりの剣を構え、巻き藁に向かっておずおずと振り下ろす。
――スパァンッ!
軽い音と共に、分厚い巻き藁が綺麗な断面を見せて両断され、地面に転がった。
「え……?」
兵士自身が一番驚いていた。今までは叩きつけるようにしても弾かれ、刃こぼれするだけだった粗悪な支給品の剣が、まるで名剣のように吸い込まれていったのだ。
「馬鹿な……っ!」
ザガンが目を見開いて絶句する。
「魔力付与もしていない、ただのなまくらだぞ!? それが、なぜこれほど鋭く……! 何か仕掛けをしたのか!」
「魔法じゃねぇし、仕掛けもねぇよ。ただの『刃の角度』だ」
ゲンは手についた削り粉を前掛けで払いながら、淡々と言い放った。
「いくら粗悪な鉄でも、適切な角度で刃を付け直せば、物は斬れる。お前らは剣が鈍ればすぐに捨てて『新しい強い剣』を欲しがるがな、武器ってのは手入れして使うもんだ。これなら、前線にいる新兵でも、自分の武器を毎日最高の状態に保てる」
ガルドたち古参の職人は、言葉を失っていた。
彼らは「折れない最強の剣」を新しく打つことしか考えていなかった。だが、目の前の人間の小僧は、素人でも確実に刃を再生できる『仕組み』を作り上げたのだ。
修練場は、兵士たちの歓喜の声に包まれていた。
「す、すげえ……! これなら斬れる! 戦えるぞ!」
「木枠に当てるだけで、俺たちの剣が生き返るんだ!」
彼らの顔には、死地に赴く絶望ではなく、明日を生き延びられるかもしれないという確かな希望が宿っていた。ザガンは忌々しげに舌打ちし、「小手先の誤魔化しだ。こんなもので戦争には勝てん」と捨て台詞を吐いて背を向けたが、現場の結果を否定することはできなかった。
その光景を、修練場の少し離れた城のバルコニーから見下ろしている者がいた。
魔王ルヴィアである。
彼女は、歓喜に沸く下級兵たちと、面倒くさそうに頭を掻くゲンの姿を交互に見つめ、ふっと口元を綻ばせた。
「……なるほど。そういうことか」
「陛下?」
控えていた側近が首を傾げる。ルヴィアは静かに首を振った。
「ガルドたちは、一人の英雄が振るうための一振りの名剣を期待したのだろう。だが、あの男が最初に作ったのは、千人の下級兵が、自らの命を守るための道具だった」
ルヴィアの瞳に、深い理解と敬意の色が滲む。
「あの男は、一人の英雄ではない。軍そのものを変える気なのだ」
勝利のためではなく、滅びないための道具。その真意を、ルヴィアだけが正確に悟っていた。
「おい、小僧……いや、ゲン」
ガルドが、複雑な表情を浮かべながらゲンに歩み寄ってきた。その声には、昨日のような明確な敵意は薄れている。
「この木枠……悪くない。だが、これだけでは鎧の修繕や、根本的な武器の不足は解決せんぞ」
「分かってるよ。だから、次は炉に火を入れる」
ゲンは前掛けの紐を結び直し、大工房の方へと振り返った。
「言ったろ。俺はあんたらの武器庫のゴミ山を直すってな。忙しくなるぜ、ドワーフの親方」
ガルドが小さく鼻を鳴らす。リュシアはため息をつきながらも、どこか誇らしげにゲンの隣に並んだ。
山奥の町工場から連れてこられた偏屈な職人が、魔王軍の根幹に本格的に手を入れ始める。それは、長く地味で、しかし確実な防衛戦の幕開けだった。




