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第6話 魔王軍最後の王は、職人に頭を下げた

木々の間を吹き抜ける風が、ざわめきと共に森の奥へと消えていく。


 ゲンが「俺の打った刃物は、絶対に渡さねぇ」と静かに言い放った直後、その場には重い沈黙が落ちていた。


 救い出された子供たちは、疲労と安心から、少し離れた巨木の根元で身を寄せ合うようにして眠りに落ちている。リュシアが掛けた保温の魔術のおかげで、彼らの寝顔は穏やかだった。


 焚き火の爆ぜる音が、静寂を微かに破る。


 ルヴィアは炎の揺らめきをじっと見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。


「……人間側に与しないというお前の意志は、確かに受け取った。だが、それだけでは足りないのだ、ゲン」


「何が言いてぇんだ」


「我が軍の現状を、正直に話そう」


 ルヴィアの表情は、どこまでも真剣で、王としての深い憂いを帯びていた。


「今、魔王領はかつての領土の八割を喪失している。人間どもが『聖戦』と称して押し寄せる軍勢に対し、防衛線は後退し続け、補給線はもはや切れかけているのが現実だ」


「八割、ね。そりゃまた随分と押し込まれたな」


 ゲンは焚き火に枯れ枝を放り込みながら、素っ気なく返した。


「陣形や戦術の話をしているのではない。物の話だ」


 ルヴィアは自らの折れた魔鎧の破片に視線を落とした。


「前線で戦う下級兵たちの武器は粗悪で、数度の打ち合いで容易く折れる。鎧が破損しても直す素材や技術がなく、彼らは無防備なまま次の死地へ赴かされている。戦う前に心が折れ、逃げ出す者すら後を絶たない。……これが、魔王軍の正体だ」


 それは、誇り高き王が自らの軍の恥部を晒す、血を吐くような告白だった。


 ゲンは手元の小枝を弄る手を止めない。「だろうな。でなきゃ、あんなガキどもが前線に近い廃鉱山まで攫われるはずがねぇ」


「ああ、その通りだ。人間どもは『魔族討伐』と謳っているが、我々の領地に逃げ込んできているのは魔族だけではない」


 ルヴィアは、眠る子供たちへ慈しむような視線を向けた。


「人間社会で居場所を失った亜人、迫害された獣人、そして鉱山から逃げ出した奴隷たち……魔王領は、そうした者たちの最後の避難地なのだ。彼らを守るための壁が、魔王軍だ。だが、その壁は今、内側から崩れ去ろうとしている」


 ルヴィアはそこで立ち上がり、ゲンの正面へと歩み寄った。


 漆黒の髪が風に揺れる。彼女は背筋を真っ直ぐに伸ばし、王としての威厳と矜持を微塵も失わないまま、ゆっくりと、深く頭を下げた。


「頼む、ゲン。お前の持つ技術を、我らに貸してくれ」


 それは、命令ではなかった。


 絶対の力を持つはずの魔王が、一人の薄汚れた前掛け姿の職人に対して行った、心からの懇願だった。


「私を、軍を勝たせてくれとは言わない。人間どもの王都を焼き払うための剣も要らない」


 ルヴィアは頭を上げた。その爛々と輝く瞳が、ゲンを射抜く。


「ただ、滅びないための道具を作ってほしい。私の兵が、あの子たちが、明日も生き延びるための武具を。……お前にしか、頼めないのだ」


 勝利ではなく、生存。


 征服のための圧倒的な力ではなく、ただ立って明日を迎えるための道具。


 その反転した切実な願いは、ゲンの職人としての芯を確かに揺さぶった。彼は舌打ちし、面倒くさそうに首の裏を掻く。


「……おいおい、俺はただの町場の鍛冶屋だぞ。軍隊丸ごとの面倒なんて見きれるかよ」


「無論、ただでとは言わん」


 ルヴィアは畳み掛けるように言葉を紡いだ。


「魔王城の地下には、広大な大工房がある。そして、そこへ引き込んであるのは、自然の熱を無限に利用できる火山炉だ。さらに、近隣の星鉄鉱山の採掘権も全てお前に委ねよう。素材も、設備も、我らが用意できる最高の環境を提供する」


 火山炉。大工房。星鉄鉱山。


 その言葉の響きに、先ほどまで面倒くさそうにしていたゲンの声の温度が、急激に上がった。


「……おい、今『火山炉』って言ったか? 星鉄の鉱脈まであるのか?」


「ああ。星鉄は硬すぎて我々の職人では満足に扱いきれていないが、お前ならば……」


「馬鹿野郎、星鉄が硬すぎるんじゃねぇ、焼き戻しの温度管理がなってねぇんだ。火山炉の安定した火力があれば、その辺りの調整も……」


 ブツブツと呟き始め、露骨に前のめりになるゲン。職人としての本能が、未知の設備と素材に強烈な引力を感じているのは明らかだった。


 だが、その空気を切り裂くように、リュシアが二人の間に割って入った。


「だ、駄目です! 危険すぎます!」


 エルフの少女は、尖った耳をピンと立て、声を上擦らせた。


「魔王領の中心に乗り込むなんて、正気の沙汰じゃありません! それに、そんな大きな設備で軍の武器を一手に引き受けるなんて、ゲンさんが倒れちゃいますよ!」


「おいおい、大袈裟だな」


「大袈裟じゃありません! それに……」


 リュシアは一瞬言葉を詰まらせ、ルヴィアをキッと睨みつけた。


「星鉄の鉱山があるからって、なんだって言うんですか。私がいれば、黒曜銀だって竜の骨粉だって、いくらでも探して採ってこられるんです。私の探知魔法があれば、そんな見ず知らずの鉱山なんて頼らなくたって……!」


 リュシアの言葉は、表向きはゲンの身を案じているように聞こえる。だが、その声の震えの奥には、彼が自分の用意する素材以外のものを頼り、自分の「探知」という価値が不要になることへの、焦りに似た不機嫌さが隠れていた。


 役に立たなくなれば、不要になる。その恐れが、彼女の過剰な反対となって表れている。


 ゲンはリュシアの頭を軽く小突いた。


「痛っ!」


「お前が優秀な素材拾いだってことは分かってる。張り合うな」


 ぶっきらぼうな言い回しだったが、そこに拒絶の色はない。リュシアは額を押さえながら、少しだけバツが悪そうに唇を尖らせた。


 ゲンは再びルヴィアに向き直り、一つ大きなため息を吐いた。


「……話は分かった。だが、あんたの言葉だけで大工房長様になるほど、俺は人が良くねぇんだよ」


「では……」


「現場を見ねぇとなんとも言えねぇ。その大工房とやらが、俺の道具を入れるに値する場所かどうか、まずはこの目で確かめさせてもらう」


 それは、即答の承諾ではない。


 だが、明確な拒絶でもなかった。


 ルヴィアはふっと相好を崩し、王としての威厳の中に、微かな安堵の笑みを覗かせた。


「……分かった。ならば、我らが魔王領へ案内しよう」


 こうして、山の町工場から始まった職人とエルフの生活は、滅びかけた魔王軍を立て直すための大いなるうねりの中へと、本格的に巻き込まれていくことになるのだった。

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