第5話 俺の刃物は、あいつらには渡せない
カン、カンという、硬く乾いた音が坑道の奥から響き続けている。
薄暗い廃鉱山の入り口付近。そこでは、十数人の魔族の子供たちが、自らの背丈ほどもある重いズリ袋を引きずらされていた。彼らの足首には無骨な鉄の鎖が繋がれ、少しでも動きが鈍れば、見張りの兵士から容赦のない鞭が飛ぶ。
「泣くな! 手を動かせ! 貴様らのような魔族を匿ってやっている教会の慈悲に感謝しろ!」
兵士の怒鳴り声と、鞭が空を裂く音が響く。一人の幼い獣人の少年が耐えきれずに膝をつくと、兵士はためらいもなくその背中を蹴り上げた。
岩陰からその凄惨な光景を見下ろしていたルヴィアの全身から、ゆらりと濃密な殺気が立ち昇った。
「……万死に値する」
彼女の美しい顔が怒りに歪む。腰の長剣の柄に手を掛け、魔王としての圧倒的な魔力を練り上げようとした、その瞬間だった。
「待て。頭を冷やせ、馬鹿野郎」
隣にいたゲンが、ルヴィアの腕を強く掴んで引き留めた。
「離せ、ゲン。あそこにいるのは私の民だ。あれ以上、蹂躙されるのを黙って見ていられるか」
「助けねぇとは言ってねぇ。だが、あんたが今あそこに突っ込めば、あのガキ共は全員死ぬぞ」
ゲンの冷ややかな声に、ルヴィアはハッとして動きを止めた。
「どういう意味だ?」
「坑道の入り口を見てみろ。支柱に使われてる木材はどれも腐りかけてるし、岩盤のひび割れも手入れされてねぇ。あんな場所で、あんたみたいな化け物が剣を振り回したり、魔法をぶっ放したりしてみろ。衝撃で天井が崩落して、子供たちごと生き埋めになるぞ」
ゲンは職人としての冷徹な目で、廃鉱山の構造的な寿命を見抜いていた。見張りの兵士を殺すのは簡単だろう。だが、戦闘の余波に耐えられるほど、この古い坑道は頑丈ではない。
ルヴィアはギリッと唇を噛み、剣の柄から手を離した。
「……では、どうしろと言うのだ。このまま見過ごすことなどできんぞ」
「誰が見過ごすって言った。戦闘で壊せねぇなら、職人のやり方で『開ける』だけだ」
ゲンは背負っていた工具袋を地面に下ろし、中から数本の細い鏨と、小さな鉄の槌を取り出した。
「リュシア、お前は音を遮断する結界を張れるか?」
「はい、得意分野です。でも、入り口の近くまで接近しないと効果範囲に収められません」
「上等だ。見張りが交代する隙を突く。連中が子供たちを岩壁の鉄柵に繋ぎ直した瞬間が狙い目だ」
ゲンは静かに指示を出し、工具を前掛けのポケットにねじ込んだ。
機会はすぐに訪れた。
見張りの兵士たちが昼の休憩に入るため、子供たちを坑道の壁沿いに設置された太い鉄のレールに鎖で繋ぎ、少し離れた焚き火のそばへと移動したのだ。
ゲンとリュシアは、岩の陰を縫うようにして入り口付近へと接近した。
「――『静寂の帳』」
リュシアが杖を振るうと、目に見えない半透明の結界がゲンと子供たちの周囲を覆い、外への音の漏れを完全に遮断した。
不意に現れたゲンたちを見て、鎖に繋がれた子供たちが怯えたように身をすくませる。
「しっ、声を出さねぇでくれ。今、外してやるからな」
ゲンは子供たちを安心させるように低く声を掛けながら、彼らの足首を拘束している南京錠を手に取った。
「……酷ぇ作りだ」
ゲンは錠前の表面を指でなぞり、その品質の悪さに静かな怒りを覚えた。
表面には不純物が浮き出ており、鋳型に流し込んだ際の温度管理が甘いため、金属の密度がスカスカになっている。人間の兵士が魔族を繋ぎ止めるためだけに作った、雑で粗悪な量産品だ。
ゲンは鍵穴を覗き込むこともせず、錠前の側面、もっとも金属が薄くなっている接合部に鏨の先端を当てた。
「こんなモン、鍵なんぞ探すまでもねぇ」
コツン、と。
小さな鉄槌で鏨の尻を的確な角度で叩き込む。
錠前の内部に隠れていた粗悪なバネと留め具が、テコの原理と金属の脆さを突かれて、パチンという軽い音と共に呆気なく弾け飛んだ。
音を立てずに錠前が外れ、重い鎖が地面に落ちる。
ゲンは流れるような手つきで、次々と子供たちの拘束を解いていった。力任せに破壊するのではなく、構造の弱点を見抜き、最小限の力で「開ける」。それは魔法でも武勇でもない、ただの職人の技術だった。
「さあ、立てるか。音を立てずに俺たちについてこい」
全員の鎖を外し終えたゲンが促すと、子供たちは信じられないという顔をしながらも、こくりと頷いて立ち上がった。
休憩を終えた兵士たちが鉄柵の異変に気づいたときには、すでに結界は解かれ、子供たちの姿は深い森の中へと消え去った後だった。
廃鉱山から十分に離れた、森の奥深く。
木漏れ日が差し込む安全な場所まで逃げ延びた子供たちは、リュシアから水筒を受け取り、貪るように水を飲んでいた。
ルヴィアは膝をつき、泥だらけの子供たちの頭を優しく撫でている。
「……怖かったであろう。王である私が至らぬばかりに、すまなかった」
彼女の言葉に、子供たちは泣きじゃくりながらルヴィアの腕にすがりついた。その光景には、先ほどまでの冷酷な魔王の面影はなく、ただ自らの民を慈しむ一人の王の姿があった。
ゲンは少し離れた木の幹に寄りかかり、坑道から持ち帰ってきた壊れた錠前と、ボロボロになったツルハシを無言で見つめていた。
やがて、子供たちが落ち着きを取り戻したのを見計らい、ルヴィアが立ち上がってゲンの元へと歩み寄った。
「……礼を言う、ゲン。お前が止めてくれなければ、私は力任せに突っ込み、結果としてこの子らを瓦礫の下敷きにしていた。お前が、命を救ってくれたのだ」
深く頭を下げるルヴィア。
だが、ゲンは手元にあった粗悪な錠前を地面に放り捨て、面倒くさそうに首を掻いた。
「勘違いするな。俺は英雄ごっこがしたくて助けたわけじゃねぇ」
「ならば、なぜ危険を冒してまで……」
「腹が立ったからだ」
ゲンの声は、ひどく静かだった。だが、その底には、昨夜聖騎士団に工房を焼かれそうになった時よりも、さらに深く冷たい怒りが渦巻いていた。
「俺は職人だ。戦争の勝敗なんて知ったことじゃねぇ。人間が正義だとか、魔族が悪だとか、そんなお偉いさんたちの理屈にも興味はねぇよ」
ゲンは、子供たちが使わされていたひしゃげたツルハシを拾い上げ、ルヴィアの目の前に突きつけた。
「ただな……戦う力もねぇ子供を暗い穴底に放り込んで、体格にも合わねぇ粗悪な道具で、無理やり石を叩かせるような奴らに……」
ギュッと、ツルハシの柄を握るゲンの手に力がこもる。
「俺の打った刃物は、絶対に渡さねぇ。それだけだ」
それは、思想や政治的な信念から来る言葉ではなかった。
道具を愛し、物作りに誇りを持つ一人の職人として、現場で下した決定的な判断だった。
ルヴィアはその言葉の重みを受け止めるように、静かに目を閉じた。
木々の間を吹き抜ける風が、ゲンの前掛けを揺らす。人間である彼が、人間側という巨大な組織から決定的に離別し、自らの立つべき場所を明確に定めた瞬間だった。




