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第4話 鉱山に落とされた子供たち

工房には、まだ微かに木材が燻る匂いが立ち込めていた。



 夜明け前の青白い光が、焼け落ちた屋根の大穴から差し込んでいる。ゲンは手に持ったハンマーで、残った柱を軽く叩いて回っていた。コン、コンという音の響きで、木材の内部まで炭化が進んでいないかを確かめるためだ。



「……まだ持ちそうだな。だが、屋根は張り直さねぇと雨が凌げねぇ」



 ぼやきながら振り返ると、部屋の隅に敷いた毛布の上で、魔王ルヴィアが上体を起こしていた。リュシアの応急処置が効いたのか、額の傷の出血は止まり、顔色も少しはマシになっている。



「見事な手際だったな、職人」



 ルヴィアは、工房を襲った聖騎士団が退散した痕跡を一瞥し、静かな声で言った。



「たった数個の石と水だけで、教会の誇る重装騎士の小隊を追い返すとは。魔法も剣技も使わず、ただの理屈で敵を退けた」



「買い被るな。連中が足元を見ない馬鹿だっただけだ」



 ゲンは落ちていた瓦礫を足で蹴りのけ、面倒くさそうに吐き捨てた。



「それより、あんたのせいでおかしな連中に目をつけられちまった。どう落とし前をつけてくれるんだ」



 文句を言いつつも、ゲンの声に強い怒気はない。



 ルヴィアは一つ息を吐き、姿勢を正した。



「……すまなかった。だが、奴らは私がここに居ようと居まいと、いずれこの山にも踏み込んでいただろう。聖王国アルヴァレムの目的は、最初から魔族の討伐などではないのだから」



「なんだと?」



「聖戦などというものは、民衆を煽るためのただの建前だ」



 ルヴィアの瞳に、暗い炎が宿った。



「奴らの真の狙いは、我ら魔王領の地下に眠る豊富な鉱物資源だ。そして、それを掘り出させるための無尽蔵の労働力。連中は前線を押し上げるたびに鉱山を接収し、捕らえた魔族や亜人を奴隷として坑道へ放り込んでいる。我らは、ただ奪われ続けているのだ」



 ルヴィアの言葉に、ゲンは眉をひそめた。



 世間一般の常識では、人間側が正義であり、魔王軍は世界を脅かす悪であるとされている。だが、目の前で静かに語る女魔王の言葉には、嘘をついているようには見えない重みがあった。



 それでも、ゲンは職人としての冷静さを崩さなかった。



「大義名分を掲げて他人の土地を荒らすのは、権力者の常套手段だ。だがな、魔王様。あんたの言葉だけで『人間が悪で、魔族が被害者だ』と鵜呑みにするほど、俺は人が良くねぇ。俺は職人だ。自分の目で現物を見るまでは、何事も信じねぇよ」



「……強情な男だ。だが、その目は嫌いではない」



 ルヴィアがふっと口元を緩めた、その時だった。



「ゲンさん! 戻りました!」



 崩れた扉の向こうから、リュシアが小走りで工房に飛び込んできた。彼女は聖騎士団が退却した後、周辺に伏兵がいないかを探るため、結界の修復も兼ねて外へ出ていたのだ。



「ご苦労。どうだった、連中の残党はいたか?」



「いえ、騎士たちは完全に山を降りたようです。でも……」



 リュシアの顔は青ざめていた。彼女はマントの裏から、布で包んだ何かを取り出し、ゲンの作業台の上に広げた。



「少し西に下ったところにある、古い廃鉱山の近くで……これを見つけました」



 布の上にあったのは、泥に塗れた小さな麻布の切れ端と、ひどく摩耗した一本の粗末なツルハシだった。



 ゲンは無言でツルハシを手に取った。



 ずっしりとした鉄の重み。だが、彼の視線はすぐにその道具の「異常な使われ方」に釘付けになった。



「……ひどいな。こいつはただの粗悪品じゃない」



「どういうことですか?」とリュシアが身を乗り出す。



「柄の持ち手を見てみろ」



 ゲンが指差した木の柄は、不自然な位置が極端に擦り減り、黒ずんだ汗と血の跡が染み付いていた。



「普通の鉱夫なら、もっと柄の端を握って遠心力を使う。だがこいつは、真ん中あたりを必死に握りしめてる。手が小さく、腕力もない奴が、自分の体格に合わない重い道具を無理やり振るわされた痕だ」



 ゲンはさらに、ツルハシの鉄の刃先を指でなぞる。



「刃の先も丸くひしゃげて、ボロボロに欠けてやがる。石の目に沿って割る技術を知らねぇド素人が、硬い岩盤に向かって何度も無闇に叩きつけた証拠だ。大人の鉱夫なら、どんなに腕が悪くてもこんな割り方はしねぇ」



 道具に残された現場の痕跡。



 それは、ルヴィアの言葉よりもよほど雄弁に、残酷な真実をゲンに伝えていた。



「……そこには、いくつもの小さな足跡がありました」



 リュシアが、震える声で補足する。



「子供の足跡です。それが、重いブーツを履いた大人の足跡に囲まれて、廃鉱山の奥へと続いていました。ところどころに、何か重いものを引きずったような跡も……」



 ルヴィアが顔を険しくし、ギリッと奥歯を噛み締めた。



「奴隷狩りか……。戦線から離れたこんな山奥にまで、連中の手が伸びてきているとは」



 工房に重い沈黙が降りた。



 人間側が正義の聖戦を掲げながら、その裏で何をしているのか。ゲンの中で、世間の常識という薄っぺらいメッキが音を立てて剥がれ落ちていく。



 戦えない子供を攫い、合わない道具を持たせ、地下の暗闇で石を叩かせる。それは、物を作り、直すことを生業とするゲンにとって、最も反吐が出る類の搾取だった。



 ゲンはツルハシを作業台に置き、前掛けの紐をきつく結び直した。



「……リュシア。その足跡の場所まで案内しろ」



「えっ? ゲンさん、まさか行くつもりですか!?」



「現物を見に行くと言ったはずだ。確かめねぇと気が済まねぇ」



 ゲンの声は静かだった。怒鳴るでもなく、声を荒げるわけでもない。だが、その瞳の奥には、火種のように静かで確かな怒りが宿っていた。



「私も行こう」



 ルヴィアが立ち上がり、壁に立てかけてあった自分の長剣を手にした。



「足手まといだ。あんたは寝てろ」



「断る。私の民が攫われたのだ、王として見過ごすわけにはいかない」



 痛みを堪えるように顔をしかめながらも、彼女の眼差しは強い意志に満ちていた。ゲンは短く舌打ちし、「勝手にしろ」とだけ背を向けた。



 三人は朝靄に包まれた山道を抜け、西の廃鉱山へと向かった。



 かつて良質な鉄鉱石が採れたその場所は、数年前に鉱脈が枯渇して以来、誰も寄り付かないはずの場所だった。



 だが、鉱山の入り口に近づくにつれ、人の気配が濃くなっていく。



 山の斜面に身を隠し、ゲンたちが坑道の入り口を見下ろすと、そこには松明が焚かれ、白銀の甲冑を着た数人の騎士が槍を持って見張りに立っていた。昨夜、工房を襲った聖騎士団の別動隊だろう。



「……リュシアの言った通りだな」



 ゲンは目を細め、坑道の奥から響いてくる微かな音に耳を澄ませた。



 カン、カンという、乾いた岩を叩く音。



 時折、見張りの騎士が怒鳴り声と共に鞭を振るう音が、山彦のように響いてくる。



 ゲンは斜面を滑り降り、坑道の入り口の死角となる岩陰に身を潜めた。ルヴィアとリュシアもそれに続く。



 暗い坑道の中から、ズリズリと重い荷車を引く音が近づいてきた。



 松明の光に照らされて現れたのは、ぼろきれのような衣服を纏い、顔を泥だらけにした魔族の子供たちだった。



 彼らの細い足首には鉄の鎖が繋がれ、自分の背丈ほどもある重いズリ袋を、必死の形相で引きずっている。一人の少女が石につまずいて転びかけると、近くにいた人間の兵士が容赦なくその背中を蹴り飛ばした。



『もたもたするな、薄汚い魔族め! 今日のノルマを終えるまで水はやらんぞ!』



 無抵抗な子供に対する、理不尽な暴力。



 それが、正義を名乗る人間側の、隠蔽された真実だった。



「……」



 ルヴィアが剣の柄を握る手に、限界まで力が込められる。



 リュシアは思わず口元を押さえ、息を呑んだ。



 ゲンは岩陰からその光景をじっと見つめた。



「……人間の全員が狂ってるわけじゃねぇ」



 低い声で、そう呟く。



「昨夜の若いのは違った。エリオットとか呼ばれてた、あいつはな」



 そして、子供を蹴り飛ばした兵士へ冷たい視線を向けた。



「だが、組織ごと腐ってるなら、個人の良心なんざ簡単に踏み潰される」



 ゲンの拳が、ゆっくりと握られる。



「……そっちの方が、よほどタチが悪い」



 彼の中で揺れていた価値観は、静かに一つの形を取り始めていた。

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