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第3話 聖騎士は工房を焼く

「少しばかり、思い知らせてやらねぇとな。道具を雑に扱う奴らが、現場でどういう目に遭うかってことを」



 ゲンの声は低く、静かだった。怒鳴り声よりもよほど凄みのあるその響きに、リュシアは思わず息を呑む。



 ゲンは奥の棚から、くすんだ赤色をした『赤涙鉱せきるいこう』の杭を数本と、作業用の丈夫なワイヤーを引っ張り出してきた。



 赤涙鉱は、熱を加えると内部に応力が溜まり、亀裂を生じる特殊な鉱石だ。普段は固い岩盤を砕くための発破道具として使っている。



 ただし、今日使う杭はそのままではない。



 ゲンは鏨を取り出し、それぞれの杭の一面に浅い切れ込みを刻んでいった。割れ始める場所をあらかじめ作り、破裂の力が上ではなく、床板と足元へ逃げるようにするためだ。



「ゲンさん、それ……」



「人を吹き飛ばすためじゃねぇ。立ってられなくするだけだ」



 ゲンは短く答え、杭を入り口付近の床へ浅く、やや寝かせるように打ち込んでいった。



 工房の外では、数十人の聖騎士たちが松明を掲げ、こちらを取り囲むように展開していた。



 ゲンは崩れた壁の隙間から、外の様子を冷静に観察する。彼らの指揮官と思しき、一際豪奢な白銀の鎧を着た隊長が前に出た。



『構わん。あの魔族の女は一騎当千の化け物だ。中に入って無駄な犠牲を出す必要はない。小屋ごと火矢で焼き払え』



 隊長が冷酷な命令を下した、その時だった。



「た、隊長! お待ちください!」



 列の後方から、まだあどけなさの残る若い従騎士が飛び出してきた。



 名を、エリオットという。



 彼は顔を青ざめさせ、必死の形相で隊長の前に立ち塞がった。



「中には人間がいるかもしれません! 先ほど、人の声が聞こえました。魔王を討つためとはいえ、確認もせずに火を放つなど、教会の教えに反します!」



 震える声で訴えるエリオット。



 だが、隊長は表情一つ変えず、分厚い金属の小手で若者の頬を容赦なく張り飛ばした。



 ガキン、という鈍い音と共に、エリオットが地面に転がる。



「愚か者め。異端の魔族を匿うような輩は、等しく神敵である。慈悲など不要。貴様もあの炎で焼かれたいか!」



「……っ!」



 口の端から血を流し、エリオットは悔しげに俯いて沈黙した。周囲の騎士たちも、誰一人として若者を庇おうとはしない。



 壁の隙間からその一部始終を見ていたゲンは、短く鼻を鳴らした。



「なるほどな。人間の全員が狂ってるわけじゃねぇらしい」



「ゲンさん……?」



「だが、一度走り出したら止まれねぇ組織ってのは、狂人一人の暴力よりタチが悪い。連中、本気でここを丸焼けにする気だぞ」



 ゲンは手早く赤涙鉱の杭を工房の入り口付近、床板が剥き出しになった地面の数カ所に打ち込んでいく。



 そして、それぞれの杭にワイヤーを結びつけ、その先端を天井近くに設置された巨大な焼き入れ用の水槽の栓へと繋いだ。



「リュシア、お前は倒れてる女を庇って、一番奥の炉の裏に隠れてろ。それと、火矢が飛んできたら結界で少しだけ時間を稼げ」



「少しだけって……私を誰だと思ってるんですか! これでも元・主席助手ですよ、火矢の数本くらい……!」



 リュシアが杖を構え、強気に胸を張った直後だった。



『放てェッ!!』



 外から隊長の号令が響き、無数の火矢が夜空を焦がして工房へと降り注いできた。



 ヒュン、ヒュンという風切り音と共に、火のついた矢が屋根や壁に突き刺さる。瞬く間に、乾燥した古い木材がパチパチと音を立てて燃え上がり始めた。



「――『氷盾のアイギス・ウォール』!」



 リュシアが杖を振るうと、半透明の冷気のドームが展開され、室内に飛び込んできた火矢を次々と弾き落とした。



 だが、圧倒的な物量による熱気は完全に防ぎきれない。工房内の温度が急激に上昇していく。



「くぅっ……! ゲンさん、熱いです! 長くは保ちませんよ!」



「上出来だ。そのまま頭下げてろ」



 ゲンは炎上する入り口付近の床をじっと見つめていた。



 火矢の炎と、外から投げ込まれた松明の熱が、打ち込んだ赤涙鉱の杭を急激に熱していく。赤色だった鉱石の表面が、熱を吸って不気味な黒ずんだ色へと変色し始めていた。



 限界まで熱が溜まった。



「……さて、仕事の時間だ」



 外から、聖騎士たちが剣を抜き、踏み込んでくる足音が聞こえた。



『結界の魔力反応があるぞ! やはり魔族が潜んでいる! 一網打尽にしろ!』



 白銀の鎧を鳴らし、隊長を先頭にした数人の騎士が、焼け落ちた入り口から工房内へと雪崩れ込んでくる。彼らは勝利を確信し、剣を上段に構えていた。



 彼らが、赤涙鉱を打ち込んだ床を踏み越えた瞬間。



 ゲンは、手元で束ねていたワイヤーを思い切り引き下ろした。



 ガコン、と重い音がして、天井近くの水槽の栓が抜ける。中にたっぷりと蓄えられていた冷却用の水が一気に滝のように降り注ぎ、炎に包まれ、極限まで熱されていた入り口の床――赤涙鉱の杭に直撃した。



 急激な加熱の直後に、冷水による急激な冷却。



 鍛冶の知識において、これは絶対にあってはならない「割れ」を生む最悪の温度管理だ。



 パキン、と甲高い音が響いた。



 それは次の瞬間、幾重にも重なる破裂音へと変わった。



 バガァァァンッ!!



 内部に応力を溜め込んでいた赤涙鉱が、熱収縮に耐えきれず一斉に破裂したのだ。



 だが、破裂は無秩序ではない。



 ゲンがあらかじめ刻んだ切れ込みに沿い、その力は上方の人体ではなく、足元の床板と鎧の下半身へ集中した。



 局所的な圧力が床を跳ね上げ、砕けた木片と小石が低い軌道で騎士たちの足元を薙ぐ。



「なっ、ぐあぁぁぁっ!?」



 先頭を走っていた隊長が、足元の床ごと跳ね上げられた。



 人間を殺すための威力ではない。



 だが、その衝撃は重装甲の騎士から見事に「立っている」という前提を奪い去った。



 バランスを崩し、無様に宙を舞った隊長は、泥と煤にまみれた工房の隅のスクラップ置き場へと激突する。



「て、敵襲!? 魔族の罠か!」



 続く騎士たちも、突然の足場の崩落と視界を覆う水蒸気にパニックに陥り、剣を振り回しながら尻餅をついた。



「お、のれぇ……! 下等な罠を……!」



 隊長が呻きながら立ち上がろうとする。



 だが、重く分厚いだけの白銀の鎧の関節部には、先ほどの破裂で飛び散った石の破片や砂がびっしりと噛み込んでいた。



 ギギギ……ッ、と嫌な金属音が鳴り、隊長は膝を伸ばすことすらできない。



 無理に力んだせいで、彼の自慢の聖剣はスクラップの山に深々と突き刺さり、テコでも動かなくなってしまった。



 土煙と蒸気が晴れていく中。



 尻餅をつき、身動きが取れなくなった隊長の目の前に、薄汚れた前掛け姿のゲンが歩み寄った。



 その手には剣ではなく、使い込まれたただの鉄のハンマーが、面倒くさそうに肩に担がれている。



「魔族の罠じゃねぇよ。ただの『熱割れ』だ。急激な温度変化が金属や石にどういう影響を与えるか、そんな基本も知らねぇで火遊びするからこうなる」



「き、貴様ぁ……! ただの職人風情が見下すな!」



「見下してねぇよ。呆れてるんだ。足元がお留守だぜ、騎士様。立派な鎧が泣いてるな」



 ゲンがハンマーの柄で軽く隊長の兜を小突くと、関節がロックされた隊長は為す術もなくゴロンと仰向けに転がった。亀のように手足をバタつかせるその姿に、もはや先ほどの冷酷な威厳の欠片もない。



「た、隊長がやられた! 退け! 一旦退けぇっ!」



 後続の騎士たちが恐慌状態に陥り、動けない隊長を引きずりながら、我先にと山道を引き返していく。



 その撤退の列の最後尾で、エリオットだけが、一度だけ立ち止まって工房を振り返った。



 彼の顔には、安堵と恐怖が入り混じったような複雑な色が浮かんでいた。



 やがて、松明の明かりが山を降り、周囲には木材の燻る匂いだけが残された。



「ふぅ……」



 ゲンは肩のハンマーを下ろし、大きく息を吐いた。



 隠れていた炉の裏から、リュシアが顔を出す。彼女は煤で顔を真っ黒にしながら、信じられないものを見る目でゲンを見つめた。



「ゲ、ゲンさん……。たったあれだけの仕掛けで、聖騎士団の一個小隊を追い返したんですか……?」



「馬鹿言え。ただ石を割って足元をすくっただけだ。まともに斬り合ったら、一秒で俺の首が飛んでたさ」



 ゲンはぼやきながら、半壊した工房の惨状を見渡した。壁は焼け焦げ、屋根には大穴が空いている。



「だが……面倒なことになった。連中、完全にここを『危険な拠点』だと認識した顔だったぜ」



 剣を振るわず、ただの職人の知識と道具の仕掛けで勝った。



 しかしそれは、人間側という巨大な組織の目を、本格的にこの山奥へと向けさせる呼び水となってしまったようだった。

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